神内靖
福岡ソフトバンクホークス #38 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府綾部市 |
生年月日 | 1983年8月12日(40歳) |
身長 体重 |
176 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2004年7月25日 |
年俸 | 2,000万円(2011年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
来歴
延岡学園高等学校では高校2年の夏に甲子園出場。宮崎県内では寺原隼人と並ぶ評判の投手で、ライバル関係を築いていた。2001年、ドラフト4巡目指名を受けダイエーに入団。なお3年夏の甲子園で注目された寺原は、4球団の1巡指名を受け抽選でダイエーに入団している。
1年目から結果を残した寺原とは対照的に、神内は課題の制球難から2軍でも満足な成績を残せずにいたが、3年目の2004年7月25日の対ロッテ戦でプロ初先発を果たす。勝利投手にはなれなかったが、7回までを無失点に抑えた。この好投が認められ、この年は12試合に登板。翌2005年は中継ぎとして一軍に定着し、46試合に登板。防御率3.26、17HPと好成績を残した。
2006年、大幅な筋肉改造に着手。体重が10kg増加するとともに球速も10km/h近く増加した。5月18日には交流戦の対巨人戦に先発し、先発初勝利。その後も何度か先発を任され、自己最多の6勝を記録。特にこの年チームが苦手としていた日本ハムに対しては6試合に登板し2勝、防御率1.10をマーク。しかし後半戦は6連戦のほとんどない緩い日程であったためあまり登板の機会がなかった。
2006年6月18日の中日戦(ナゴヤドーム)では、5回1/3を11奪三振、以降三瀬、吉武、篠原、藤岡、馬原のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は初)となる19奪三振を記録した。
2008年3月25日、群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を受けた。1軍登板は無かった。
2009年4月5日、対オリックスとの開幕戦で約2年ぶりとなる1軍登板を果たし勝利している。
2010年4月14日、対オリックス戦(京セラドーム大阪)で降板する際、グローブをベンチ内の扇風機へ投げつけ、ベンチの背もたれを蹴るなど破壊し、その結果、球団より厳重注意処分がくだり、修理代7万円の弁償が課せられた[1][2]。 さらに同シーズンは、同じ左腕の森福の急激な台頭もあり登板機会が激減し、10試合の登板にとどまった。
2011年は1軍での登板は2試合で防御率16.20と1軍では自己最低の成績に終わった。2軍では31試合に登板して、防御率2.94であった。
2012年は開幕1軍で中継ぎを任されるも、初登板の4月3日楽天戦では暴投で失点した。
プレースタイル・人物
直球は最速148km/hながら、140km/hを下回ることが多い。しかし球速表示以上に球に力があり、試合中盤で2桁奪三振を記録することも度々あった。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップを投げるが決め球として用いることは少ない。
初回から全力で投げ込むスタイルで、最長でも7回までしか投げたことが無い。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2004 | ダイエー ソフトバンク |
12 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 111 | 24.2 | 26 | 5 | 11 | 0 | 0 | 23 | 1 | 0 | 16 | 16 | 5.84 | 1.50 |
2005 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 14 | .750 | 226 | 49.2 | 46 | 3 | 25 | 0 | 7 | 48 | 3 | 1 | 19 | 18 | 3.26 | 1.43 | |
2006 | 26 | 13 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 1 | .667 | 360 | 86.2 | 84 | 7 | 28 | 1 | 0 | 89 | 4 | 0 | 33 | 31 | 3.22 | 1.29 | |
2007 | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 146 | 34.0 | 31 | 5 | 14 | 0 | 1 | 27 | 3 | 1 | 19 | 18 | 4.76 | 1.32 | |
2009 | 26 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 3 | .400 | 152 | 34.2 | 26 | 4 | 22 | 0 | 2 | 33 | 4 | 1 | 18 | 15 | 3.89 | 1.38 | |
2010 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 75 | 16.2 | 18 | 3 | 6 | 0 | 1 | 17 | 3 | 1 | 13 | 13 | 7.02 | 1.45 | |
2011 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 1.2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 3 | 16.20 | 2.50 | |
通算:7年 | 130 | 25 | 0 | 0 | 0 | 12 | 11 | 0 | 18 | .522 | 1079 | 248.0 | 235 | 28 | 106 | 1 | 11 | 239 | 19 | 4 | 121 | 114 | 4.14 | 1.38 |
- 2011年度シーズン終了時
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
- 初登板・初先発:2004年7月25日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(福岡ドーム)、7回無失点
- 初奪三振:同上、1回表に堀幸一から
- 初ホールド:2005年3月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、6回表1死に2番手として救援登板、1/3回無失点
- 初勝利:2005年4月2日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏1死から3番手として救援登板、1回無失点
- 初先発勝利:2006年5月18日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、6回1/3を2失点
背番号
- 38 (2002年 - )