潘基文

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潘基文
반기문
Ban Ki-moon
国際連合の旗 第8代国際連合事務総長
就任
2007年1月1日
副総長アシャ=ローズ・ミギロ
前任者コフィー・アナン
大韓民国の旗 第33代大韓民国外交通商部長官
任期
2004年1月17日 – 2006年11月10日
大統領盧武鉉
首相高建
李海
韓悳洙
韓明淑
前任者尹永寬
後任者宋旻淳
個人情報
生誕 (1944-06-13) 1944年6月13日(79歳)[1]
大日本帝国の旗 日本領朝鮮
国籍大韓民国の旗 大韓民国
出身校ソウル大学校
ハーバード大学
宗教プライバシー[2]
署名
潘基文
各種表記
ハングル 반기문
漢字 潘基文
発音: パン・ギムン
(バン・ギムン)
(バン・キムン[3]
日本語読み: はん・きぶん
2000年式
MR式
英語表記:
Ban Gimun
Pan Kimun
Ban Ki-moon
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潘 基文(パン・ギムン[3]ハングル: 반기문ラテン文字転写: Ban Ki-moon1944年6月13日 - )は、第8代国際連合事務総長大韓民国出身。第33代大韓民国外交通商部長官。

生い立ち

忠清北道陰城郡杏峙村に生まれる。彼の家族は忠州市近くの町に移住し、そこで育つ。父親は大問屋で働いていたが、店が倒産し、一家は中流的な生活水準を失う。

外交官

潘基文

1970年2月にソウル大学校外交学科を卒業し、同月高等外交官試験に合格、3月に外交部に入部した。1972年の駐インド韓国大使館副領事を初め、1974年同二等書記官など主に海外勤務畑を歩み、1980年に外交部国際組織条約局国連課長に就任した。

その後外交部派遣によりハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、1985年4月に修了、修士号を取得した。1985年4月に首相外交儀礼担当秘書、1987年7月には駐米大使館総領事、1990年6月に外交部米州局局長、1992年2月に外相特別補佐官、1992年7月に駐米公使、1995年2月の外交部副長官を経て、1996年11月には金泳三の外交安全保障担当大統領特別秘書となった。

その後2000年1月に外交通商部副長官、2001年5月に国連大使、2002年2月に無任所大使を経て、2003年2月、大統領盧武鉉(当時)の外交政策補佐官、2004年1月からは外交通商部長官(外務大臣)に任命されている。

盧武鉉政権下では、大統領府主導で政策決定が行われているため、潘基文は大統領府と外国政府の板ばさみになって大いに苦労した。太陽政策進展に尽力したが、自らの発言の数日後にその発言と反する内容の大統領発言があるなどの出来事もあった。

国連事務総長

国連事務総長への立候補

2006年2月、国連事務総長選挙に立候補することを表明した[4]。他の有力候補にはインド人の国連事務次長(広報局長)シャシ・タルールタイ人の副首相スラキアットスリランカの元国連事務次長(軍縮局長)ジャヤンタ・ダナパラの名があげられたが、7月24日に行われた国際連合安全保障理事会の各理事国による予備投票において潘は最も多くの票を獲得し、有力候補の一人となった[5]

2006年10月2日、国連安全保障理事会は4度目の予備投票を行った。この結果、拒否権を持つ常任理事国5カ国が一致して潘を支持し(安保理全体では14カ国の支持)、当選が確実となった[6]

潘は厳しい日韓関係の中でも、日本の外務大臣麻生太郎(当時)との会談で信頼関係を醸成した点など、“外交のプロ”と言われ日本外交当局の評価も高かった[6]。国連大使の大島賢三は「アジアの優れた候補から選出するという目的に沿った方向で事態は動いている。日本政府としての態度を最終決定した上で、正式投票に臨む」と語った[7]

潘はアメリカ合衆国と縁が深く、アメリカ政府との関係も良好と見られる。10月3日、潘の当選が確実となった予備投票の結果を受けて、アメリカの国連大使ジョン・ボルトンは「米国はこの結果を歓迎する」と述べた[8]

2006年10月20日ソウルを訪問した麻生太郎は、潘が次期国連事務総長に当選したことについて「我々もアジアとしても大変誇らしい」と祝福した。これに対して潘は「日本は国連で活動を活発にしている重要な国だ。安保理議長国として努力していることを評価する」「事務総長に就任したら、日本と緊密に連携、協調していきたい」と述べた [9]

2006年10月14日、国連事務総長に当選する。2007年1月1日から5年間、事務総長職を務める。

事務総長として

2007年8月12日早朝、国連のWebサイトクラッカーより外部からクラッキングされたという名目で潘基文のWebサイトが書き換えられ、「アメリカイスラエル子供たちや人々を殺害するな。永遠の平和を。戦争反対」という内容が記載された。半日後にこちらの文章は削除された[10]

2007年9月7日、潘基文が台湾の国連加盟問題について「台湾は中華人民共和国の一部」という見解を示したことについて、日本、アメリカ、オーストラリア政府が「この見解は不適切である」と申し入れたことが明らかになった[11]。潘基文は、国連は「一つの中国」を承認しておらず、加盟問題は安保理の専決事項であるにもかかわらず台湾の国連加盟申請を「中国は一つ」と申請を却下した。

人事問題

元国連大使の崔英鎮を駐コートジボワール特別代表に任命するなど、国連の主要なポストに自国民を起用したことから縁故主義であるとして、潘に対し国連内部から反発が生じている[12]。これに対して潘は、元々国連への財政負担の割に極端に職員数が少なかった韓国人職員の数が増えたに過ぎない、と反論している[13] 。ただし、韓国は国連分担金の内、10個国際機関分担金1100億ウォン(1億1600万USドル)を滞納しており、2007年に387億ウォン(4100万USドル)、2008年に713億ウォン(7500万USドル)を投入して滞納を皆解消する計画を示してはいたが、この発言の時点では完済していない。この傾向は徐々に高まっており、2007年には潘の娘婿のインド人が国際連合イラク支援ミッション (UNAMI) の官房長に抜擢され、国連職員組合は「親類縁者や友人を頼った求職」を批判する文書を2007年12月に採択する事態となっている[14]

事務総長としての中立性

国連事務総長は複数国家の代表として、職務の中立性が求められる。しかし、潘は事務総長就任以来、上記の縁故採用問題の他、たびたび事務総長としての中立性を保っていないばかりか、むしろ自ら破っていると指摘される出来事を起こしている。

2007年10月24日の「国連の日」においては、毎年この日に恒例行事として国連本部で行われる事務総長主催のコンサートが開催された。加盟192カ国の大使や外交官ら約1600人が出席した。この日、潘の意向によって母国のソウル・フィルハーモニー・オーケストラが公演を行い、ソウル市と韓国国連代表部がコンサートを後援した。

このコンサートの場において、韓国国連代表が作成した「Welcome to KOREA」と題された、日本海を「東海」と表記した英文のパンフレットが式次第とともに配られた。事務総長が主催する国連コンサートでこうしたパンフレットを配布するのは過去に例がなく、国連側はその場で回収するなどの措置も取らなかった。韓国側は地名の表記方法などについて話し合う国連地名標準化会議で、日本海の呼称を「東海」と併記するよう求めており、加盟国大使らが多数出席するコンサートの場を利用して自らの主張の定着を狙ったものとみられる。翌日、日本の国連代表部は国連事務局と韓国国連代表部に対し、文書などで抗議を行った[15][16]

2008年7月3日、 事務総長就任後初めて訪韓した際に、訪韓の感想を問われて、「韓国人の国連事務総長として韓国の国力伸張に貢献できるようベストを尽くす」と述べた[17]。一方で、2008年になり、韓国国内の政治の混乱、また国際社会において韓国が自ら果たすべき役割の規模が小さ過ぎるという現状に対し、メディア等で苦言を呈する場面も出てきている。

相次ぐ「無能」評価

歴代の国連事務総長たちは、見た目には重要なポストであることに比べて大きな実績を上げてこなかったが、潘については「その中でも際立って無能」との評価を在任中から受けてきた[18]

ニューズウィークは、韓国外相から事務総長に転じた2年半の間に大きな失敗を犯したわけではないが、核問題難民問題にも関心を示さず、「世界中で名誉学位を収集して歩き、見事なまでに何も記憶に残らない声明を発表し、事務総長として影響力を発揮できたかもしれない貴重な機会を無駄にすることに費やしている」と評した[18]

また米誌フォーリン・ポリシーにおいても歴代事務総長の中でも特に指導力や存在感を欠き「国連を無意味な組織にした」と酷評され、英誌エコノミストからも潘の管理・調整能力不足を指摘され、自身が最重要課題に挙げた地球温暖化問題も含め大きな実績はなく、欧米諸国の支持を失っているともされた[19]。  

2009年7月には「アウン・サン・スー・チーとの面会」のため突如としてミャンマー入りし世界を驚かせたが、事前に何ら下交渉が行われておらず、結局スー・チーとの面会を果たさぬままミャンマーを去った[20]

オスロ合意締結に尽力したノルウェーモナ・ユール(当時次席国連大使、夫のラーセンは潘の下でレバノン問題特使を務めていた)は、本国政府宛の公電において「不明確でカリスマ性に欠ける」「かんしゃく持ちで周囲の手に負えない」とこき下ろした[20]。この記事をきっかけに、以前から存在した潘に対する絶望的な不安感や批判が噴出している。ニューズウィークでは「勇気がなく」「魅力に欠け」「無能」と断じられ、即刻退任するのが世界のためと言い切られた[21]。潘はユールの公電に対し、同国ノルウェーにおいて「わたしたちはみな異なるバックグラウンドと異なるリーダーシップのスタイルを持っている」と反論した[22]

ヒューマン・ライツ・ウォッチ2011年1月24日に発表した年次報告書において、潘について、「人権侵害を繰り返す国々に対して、国際的な地位がそれほどでもない国々に対しては、強い批判を口にするが、中国のような大国に対しては何もしない」と名指しで痛烈に批判した[23][24]

内部査察室事務次長との確執

国連内部査察室トップのインガブリット・アレニウス事務次長は2010年7月の退任時に潘基文事務総長に50ページにわたる報告書を提出し、その中で「国連は活動の透明性も説明義務も果たしていない」、「事務総局は腐敗しつつあり、戦略なき無責任な運営は、国連の改革をもたらさないどころか国連の弱体化を招いている」と述べ、「彼の行動は嘆かわしいだけでなく厳しく非難されるべきだ」と潘基文を真っ向から批判した[25]。同報告書では、潘事務総長が会計監査報告の公開や犯罪とみられる行為の告発を拒んだり、空席状態が続く調査部門責任者の人事を却下したり、業務を阻むような行動を取っていたと指摘している。この2名の確執は以前から知られており、調査部門の人事をめぐっては、アレニウス事務次長が、米検察官のロバート・アップルトンを2度推挙したが、潘事務総長はまともに取り合わなかったという[26]。このことに関してロバート・アップルトンは潘事務総長が本来中立であるべき監察室の人事に政治的な介入を行い、不当に採用を阻まれたとして、国連不服審判所に150万ドル相当の損害賠償などを求める訴えを起こしている[27]

日本との関連

潘は外交通商部長官就任後、盧武鉉政権の対日強硬路線に沿って日本への厳しい批判を繰り返した。マスコミとの会見においては、小泉首相靖国神社の参拝強行、日本政府の「歴史歪曲」や竹島に対する領有権主張などによって日韓関係が冷え込んでいると主張、日韓関係改善には日本が歴史問題を正しく認識すべきであると主張した[28]

一方で、潘は小泉純一郎の首相時代の靖国神社への参拝で日韓関係が冷え切った中でも関係改善に努力していた点から、日本の外務省にもいい印象を与えているようである。北朝鮮の核問題などをめぐる交渉で知己を得たアジア大洋州局長の佐々江賢一郎は、「バランスが取れ、よく考える人だ。何より日本への偏見がないのがいい」と評価する[29]

2006年10月20日にソウルを訪問した麻生太郎との会談で、潘は北朝鮮による日本人拉致問題に触れ、「拉致問題では国連事務総長として特別の関心を払いたい。協力していきたい」と述べた[30]。潘は11月6日に来日し、再び麻生と会談、日本人拉致事件について「拉致問題に関する日本の関心は誰よりも承知している。事務総長としてできる協力をしたい。役に立つことがあるのではないか」と述べた [31]

一方で、慰安婦問題に対しては米国下院の決議案を支持する姿勢を堅持したり、自身主催の国連本部開催でのコンサート上で日本海東海に変更すべきだというパンフレットを来場者に配布したことが発覚し日本政府から強く抗議されたり[15]と、現在の日本政府の立場とは相容れない部分もある。

以上の日本への対応から、一部では「彼が事務総長である間は日本の常任理事国入りは叶わない」ともされている。ただし潘自身は、国連安保理の拡大の必要性を認めている[32]

2010年8月6日、広島で開催された広島平和記念式典に国連事務総長として初めて出席した。また、それに先立つ8月5日には長崎を訪問し、被爆者との面会や爆心地公園での演説をおこなった。長崎への訪問も歴代国連事務総長では初めてである。

人物

韓国内では、上司の言うことは何でも聞く「イエスマン」(韓国経済新聞)、「米国べったり」(アジア外交筋)、「本音を出さず、無色無臭で生き残った」(韓国紙日本特派員)等の辛口の評価もあるようだ。[29]韓国では「答えるのが難しいデリケートな質問が多くなされてもよく抜け出る」という意味で「油をさしたウナギ」というニックネームがあった[33]

脚注

  1. ^ Warren Hoge (2006年12月9日). “For New U.N. Chief, a Past Misstep Leads to Opportunity”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2006/12/09/world/asia/09ban.html?_r=3&ref=world&oref=slogin&oref=slogin&oref=slogin 
  2. ^ Transcript of Press Conference by Secretary-General-Designate Ban Ki-moon At United Nations Headquarters”. un.org (2006年10月13日). 2007年12月15日閲覧。
  3. ^ a b 東京新聞など一部のメディアでは「バン・キムン」と表記される
  4. ^ "Minister Ban to Run for Top UN Job" The Korea Times, 02-14-2006
  5. ^ "予備投票で韓国トップ 安保理、次期事務総長", 産經新聞 07/25
  6. ^ a b "国連事務総長に潘氏当選確実 常任理事国一致して支持", 産經新聞 10/03
  7. ^ "潘基文・韓国外交通商相、次期国連事務総長に当確", 読売新聞 10/03
  8. ^ "Council Backs South Korean for U.N. Secretary General", New York TImes 10/03
  9. ^ "北朝鮮制裁「強要しない」 麻生外相、韓国大統領と会談", 朝日新聞 2006/10/20
  10. ^ 国連のWebサイト、ハッカーの攻撃を受けるITmedia
  11. ^ 台湾の地位解釈は不適切=日本が国連に申し入れ時事通信
  12. ^ Colum Lynch (2007年10月21日). “Under U.N. Chief, Koreans in Key Posts: Ban Ki-moon Denies Playing Favorites” (英語). ワシントンポスト. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/10/20/AR2007102001008.html 2007年10月23日閲覧。 
  13. ^ 李泰勲 (2007年10月22日). “主要ポストに韓国人起用、国連内で反発相次ぐ=米紙”. 朝鮮日報. http://www.chosunonline.com/article/20071022000003 2007年10月23日閲覧。 
  14. ^ ““潘流”人事? 事務総長就任1年 韓国人職員25%増”. 産経新聞. (2008年1月2日). http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080102/asi0801021916002-n1.htm 2008年1月2日閲覧。 
  15. ^ a b 日本海→「東海」表記のパンフ 韓国が国連行事で配布(cache)”. 産経新聞. 2010年8月5日閲覧。
  16. ^ 週刊文春2007年11月29日号
  17. ^ “潘国連事務総長「韓国の国力伸張に最善尽くす」”. 聯合ニュース. (2008年7月3日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/07/03/0200000000AJP20080703002700882.HTML 2008年7月3日閲覧。 
  18. ^ a b 世界で最も危険な韓国人、潘基文(cache)”. Newsweek. 2010年8月5日閲覧。
  19. ^ 2009年6月25日 産経新聞
  20. ^ a b “潘事務総長は「かんしゃく持ち」ノルウェー公電に波紋(cache)”. 朝日新聞. (2009年8月20日). http://megalodon.jp/2009-0820-2328-40/www.asahi.com/international/update/0820/TKY200908200079.html 2010年8月5日閲覧。 
  21. ^ やっぱり危険な事務総長、潘基文”. ニューズウィーク日本版(cache). 2010年8月5日閲覧。
  22. ^ 「指導力不足」に反論 ノルウェーで国連事務総長”. 2010年8月5日閲覧。
  23. ^ “「中国には何も言わない」 国際人権団体が国連事務総長を痛烈に批判”. (2011年1月25日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110125/chn11012509030016-n1.htm 2011年2月11日閲覧。 
  24. ^ 国際人権団体、国連事務総長を名指し批判 - 読売新聞 2011年1月25日
  25. ^ <国連>潘総長を批判した事務次長退任(cache)”. 毎日新聞. 2010年8月5日閲覧。
  26. ^ 前事務次長の総長糾弾、国連「威信」揺らぎ困惑”. 読売新聞. 2010年8月5日閲覧。
  27. ^ 国連総長が不当人事と提訴 元米検察官が1億円超請求”. 産経新聞. 2011年1月31日閲覧。
  28. ^ "潘基文長官の事務総長出馬は「国連への恩返し」", YONHAP NEWS, 2006/05/24
  29. ^ a b "人事「次期国連事務総長に潘基文氏」", 五味洋治(東京新聞外報部), 週刊東洋経済, 2006.10.14, P122
  30. ^ "麻生外相、韓国大統領と会談…対北の日米韓連携を評価", 読売新聞, 2006/10/20
  31. ^ "次期国連事務総長「拉致に積極対応」", 産經新聞, 2006/11/6
  32. ^ “「常任理事国拡大は必要」国連・潘事務総長が初めて表明(cache)”. 朝日新聞. http://megalodon.jp/2008-0709-0827-28/www.asahi.com/international/update/0708/TKY200807080356.html 2010年8月5日閲覧。 
  33. ^ パン・ギムン国連総長のカリスマ論議”. 世界日報 (韓国) (2009年9月1日). 2009年9月2日閲覧。

外部リンク

外交職
先代
コフィー・アナン
国際連合の旗 国際連合事務総長
第8代:2007 -
次代
(現職)
公職
先代
尹永寬
大韓民国の旗 大韓民国外交通商部長官
第33代:2004 - 2006
次代
宋旻淳

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