李海チャン
| 本来の表記は「李海瓚」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
| 李海瓚 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 이해찬 |
| 漢字: | 李海瓚 |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
イ・ヘチャン |
| ラテン文字転写: | I Haechan |
李 海瓚(イ・ヘチャン、韓国語:이해찬, 1952年7月10日 - )は、韓国忠清南道出身の政治家、教育家、言論人。1995年ソウル特別市副市長、1998年第38代教育部長官、2002年第36代韓国国務総理。現・民主統合党常任顧問[1]。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 学生時代
1952年に忠清南道で公務員の息子として生まれた。父は日本への留学を行ってきたリハビリテーションの人事だった。1970年代のソウル大学社会学科在学中は、民主化運動に身を投じ、1974年の民青学連事件[2]と1980年の金大中内乱陰謀事件で二回投獄されている。
[編集] 政治家として
民主化後の1988年に行われた第13代国会議員選挙に出馬し、初当選。その後、1995年5月~12月ソウル特別市副市長、2004年の国会議員選挙まで連続して議員に当選し続けている。金大中政権下では、新千年民主党(以下、民主党)に党籍を置き、1998年から1999年まで、教育部長官を、2000年から2001年は政策委員会議長を務めた。
教育部長官時代には、高校の夜間自習と月ごとの模擬試験を廃止する教育改革を行った。これにより教育現場が弛緩して、2002年度の数学能力試験で低い成績を記録したことから「李海瓚世代」(学歴が劣る世代)という流行語を生んだ。
民主党内の予備選で大統領候補の座を盧武鉉らと争い敗れたが、2002年には盧武鉉の選挙企画本部長を務める。2003年は盧武鉉大統領の中国特使団長、ヨルリン・ウリ党の創党準備委員会の企画団長として活動した。ウリ党に籍を移した後、2004年6月30日から第36代国務総理(首相)になる。
2006年3月1日の鉄道ストライキによる交通混乱のために非常勤務体制の中、三一節の行事も欠席しゴルフに出かけ、さらにそのゴルフの参加者に違法政治資金提供者がいたことが報道され、3月5日に自ら辞意を表明した(正式な辞任は15日)[3][4]。同年10月27日、大統領府の政務特別補佐官に就任[5]、2007年3月には北朝鮮を訪問し金永南最高人民会議常任委員長と会談した[6]。
2007年大韓民国大統領選挙では、ウリ党の後継政党である大統合民主新党(民主新党)の候補者予備選挙に出馬したが、鄭東泳や孫鶴圭に次ぐ3位に留まり敗北した[7]。2008年1月に民主新党を離党[8]し、同年4月に行われた第18代総選挙には不出馬を表明した[9]。選挙後、親盧武鉉系のシンクタンクで活動を続けていたが、盧武鉉・金大中元大統領の死去後、政治的活動を活発化させ、進歩系市民団体が野党統合を推進するため2011年9月に結成した「革新と統合」(以下、革統)の常任代表の一人となった[10]。2011年12月、民主党と市民統合党(革統が統合の法的要件を満たすため結成した政党)および韓国労働組合総連盟が統合して民主統合党が結成され、李海瓚は常任顧問に就任した。
[編集] 略歴
- 1972年~1985年、ソウル大学校社会学科。社会学学士。
- 1988年6月~1992年5月、第13代国会議員(平和民主党)。
- 1992年6月~1995年6月、第14代国会議員(民主党)。
- 1996年4月~2000年1月、第15代国会議員(新政治国民会議)。
- 1998年3月~1999年5月、第38代教育部長官。
- 2000年5月~2004年5月、第16代国会議員(新千年民主党)。
- 2004年5月~2004年5月、第17代国会議員(開かれたウリ党)。
- 2004年6月~2006年3月、第36代国務総理。
- 2011年9月~、「革新と統合」常任代表
- 2011年12月~、民主統合党常任顧問
[編集] ゴルフ
ゴルフにまつわる失敗は過去にもあり、2005年4月5日の植木日(植樹記念日)に江原道で大きな山火事が起きた時にもゴルフをしていたたえに非難され、国会で謝罪している。7月2日、南部地方での集中豪雨の時も、済州島でゴルフをしていたという[11]。
[編集] 脚注
- ^ 상임고문 이해찬(常任顧問 李海瓚).民主統合党ホームページ(2012年1月28日閲覧)
- ^ 1974年、民青学連の名で維新政権反対のビラが作成されたのをきっかけに、政府が主導者とされた学生など180名を拘束起訴した事件。李海瓚もこの事件で逮捕され、有罪判決を受けている。2009年9月に再審判決で無罪判決が言い渡された。出典:“‘민청학련’ 이해찬·유홍준도 35년만에 무죄(‘民青学連’李海瓚・ユ・ホンジュンも35年ぶりに無罪)”. ハンギョレ. (2009年9月18日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “李首相が辞意を表明、盧大統領の帰国後判断”. 聯合ニュース. (2006年3月5日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “李首相が退陣、盧大統領が後任選定作業に着手”. 聯合ニュース. (2006年3月15日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “青瓦台政務特別補佐官に李海チャン・呉盈教氏ら”. 聯合ニュース. (2006年10月27日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “訪朝の李海チャン元首相、金永南常任委員長と会談”. 聯合ニュース. (2007年3月8日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “新党の公認大統領候補、鄭東泳氏に確定”. 聯合ニュース. (2007年10月15日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “李海チャン氏が新党離党、親盧派の離党相次ぐ見通し”. 聯合ニュース. (2008年1月10日)
- ^ “李海チャン元首相、総選挙不出馬の意向示す”. 聯合ニュース. (2008年2月3日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ “「革新と統合」が発足 選挙に向け野党統合目指す”. KBSワールドラジオ. (2011年9月7日) 2011年11月9日閲覧。
- ^ 田中明 『冬扇房閑話(21) 闘士と権力』、『現代コリア』2006年5月号。
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