李海チャン

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本来の表記は「李海」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
韓国の旗 韓国の政治家
李海瓚
이해찬
Lee hae-chan.jpg
生年月日 1952年7月10日
出生地 忠清南道青陽郡
出身校 ソウル大学校社会学科
所属政党 平和民主党民主党新政治国民会議新千年民主党開かれたウリ党大統合民主新党民主統合党民主党新政治民主連合 
配偶者 あり

教育部長官
内閣 金大中政権第1期内閣
任期 1998年3月3日 - 1999年5月23日
大統領 金大中

内閣 盧武鉉政権第2期内閣
任期 2004年6月30日 - 2006年3月15日
大統領  盧武鉉 

民主統合党代表
任期 2012年6月9日 - 2012年11月18日
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李海
各種表記
ハングル 이해찬
漢字 李海瓚
発音: イ・ヘチャン
ローマ字 I Haechan
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李 海(イ・ヘチャン、韓国語:이해찬, 1952年7月10日 - )は、韓国忠清南道出身の政治家、教育家、言論人。1995年ソウル特別市副市長、1998年第38代教育部長官、2002年第36代韓国国務総理。前・民主統合党代表。

歩み[編集]

学生時代[編集]

1952年忠清南道青陽郡公務員の息子として生まれた。父は日本への留学を行ってきたリハビリテーションの人事だった。ソウル大学社会学科在学中の1970年代民主化運動に身を投じ、1974年民青学連事件[1]1980年の金大中内乱陰謀事件で二回投獄されている。

政治家として[編集]

民主化後の1988年に行われた第13代国会議員選挙に出馬し、初当選。その後、1995年5月12月ソウル特別市副市長、2004年国会議員選挙まで連続して議員に当選し続けている。金大中政権下では、新千年民主党(以下、民主党)に党籍を置き、1998年から1999年まで、教育部長官を、2000年から2001年は政策委員会議長を務めた。

教育部長官時代には、高校の夜間自習と月ごとの模擬試験を廃止する教育改革を行った。これにより教育現場が弛緩して、2002年度の数学能力試験で低い成績を記録したことから「李海世代」(学歴が劣る世代)という流行語を生んだ。

第36代国務総理[編集]

2002年末の大統領選挙に向けた民主党内の予備選で大統領候補の座を盧武鉉らと争い敗れたが、盧武鉉の選挙企画本部長を務める。翌2003年、盧武鉉大統領の中国特使団長、ヨルリン・ウリ党の創党準備委員会の企画団長として活動した。ウリ党に籍を移した後、2004年6月30日から第36代国務総理(首相)になる。

2006年3月1日鉄道ストライキによる交通混乱のために非常勤務体制の中、三一節の行事も欠席しゴルフに出かけ、さらにそのゴルフの参加者に違法政治資金提供者がいたことが報道され、3月5日に自ら辞意を表明した(正式な辞任は15日)[2][3]。同年10月27日、大統領府の政務特別補佐官に就任[4]、2007年3月には北朝鮮を訪問し金永南最高人民会議常任委員長と会談した[5]

2007年大統領選挙[編集]

2007年大韓民国大統領選挙では、ウリ党の後継政党である大統合民主新党(民主新党)の候補者予備選挙に出馬したが、鄭東泳孫鶴圭に次ぐ3位に留まり敗北した[6]。2008年1月に民主新党を離党[7]し、同年4月に行われた第18代総選挙には不出馬を表明した[8]

最大野党代表[編集]

選挙後、親盧武鉉系のシンクタンクで活動を続けていたが、盧武鉉・金大中元大統領の死去後、政治的活動を活発化させ、進歩系市民団体が野党統合を推進するため2011年9月に結成した「革新と統合」(以下、革統)の常任代表の一人となった[9]民主党と市民統合党(革統が統合の法的要件を満たすため結成した政党)および韓国労働組合総連盟が2011年12月に統合して民主統合党が結成されると、李海瓚は常任顧問に就任した。

2012年4月に予定されている第19代総選挙では世宗特別自治市から出馬する意向を、3月19日に明らかにした[10]。そして選挙の結果、沈大平自由先進党代表などを抑えて4年ぶりの返り咲きを果たした[11]

総選挙で民主統合党を含む野圏が事実上敗北した責任を取って韓明淑代表が辞任したことにより実施された党指導部選挙(地域別に行われる代議員投票と党員・市民選挙人団によるモバイル投票の結果を7対3で反映する方法で実施)に出馬。地域別に行われた代議員投票では非盧派の金ハンギルに後れを取る結果となったが、首都圏代議員投票と党員・市民選挙人団によるモバイル投票で巻き返しに成功、僅差で金ハンギルを逆転し1位となり、6月9日の全党大会で党代表に選出された[12]。12月に行われる韓国大統領選挙における野党圏有力候補である安哲秀(無所属)との候補者一本化交渉の中で、党指導部退陣を求める声が安側から挙がったことをきっかけに11月18日、李代表以下の党指導部全員が辞任した[13]

略歴[編集]

  • 1972年~1985年:ソウル大学校社会学科。社会学学士。
  • 1988年6月~1992年5月:第13代国会議員(平和民主党)。
  • 1992年6月~1995年6月:第14代国会議員(民主党)。
  • 1996年4月~2000年1月:第15代国会議員(新政治国民会議)。
  • 1998年3月~1999年5月:第38代教育部長官。
  • 2000年5月~2004年5月:第16代国会議員(新千年民主党)。
  • 2004年5月~2004年5月:第17代国会議員(開かれたウリ党)。
  • 2004年6月~2006年3月:第36代国務総理。
  • 2011年9月~現在:「革新と統合」常任代表
  • 2011年12月~2014年3月:民主統合党常任顧問
  • 2012年5月~現在:第19代国会議員(民主統合党
  • 2012年6月~11月:民主統合党代表

ゴルフ[編集]

ゴルフにまつわる失敗は過去にもあり、2005年4月5日植木日(植樹記念日)に江原道で大きな山火事が起きた時にもゴルフをしていたたえに非難され、国会で謝罪している。7月2日、南部地方での集中豪雨の時も、済州島でゴルフをしていたという[14]

脚注[編集]

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  1. ^ 1974年、民青学連の名で維新政権反対のビラが作成されたのをきっかけに、政府が主導者とされた学生など180名を拘束起訴した事件。李海瓚もこの事件で逮捕され、有罪判決を受けている。2009年9月に再審判決で無罪判決が言い渡された。出典:“‘민청학련’이해찬·유홍준도 35년만에 무죄(‘民青学連’李海瓚・ユ・ホンジュンも35年ぶりに無罪)”. ハンギョレ. (2009年9月18日). http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/377528.html 2011年11月9日閲覧。 
  2. ^ “李首相が辞意を表明、盧大統領の帰国後判断”. 聯合ニュース. (2006年3月5日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20060305001000999 2011年11月9日閲覧。 
  3. ^ “李首相が退陣、盧大統領が後任選定作業に着手”. 聯合ニュース. (2006年3月15日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20060315000500999 2011年11月9日閲覧。 
  4. ^ “青瓦台政務特別補佐官に李海チャン・呉盈教氏ら”. 聯合ニュース. (2006年10月27日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20061027000400999 2011年11月9日閲覧。 
  5. ^ “訪朝の李海チャン元首相、金永南常任委員長と会談”. 聯合ニュース. (2007年3月8日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20070308005100882 2011年11月9日閲覧。 
  6. ^ “新党の公認大統領候補、鄭東泳氏に確定”. 聯合ニュース. (2007年10月15日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20071015003700882 2011年11月9日閲覧。 
  7. ^ “李海チャン氏が新党離党、親盧派の離党相次ぐ見通し”. 聯合ニュース. (2008年1月10日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20080110004300882 
  8. ^ “李海チャン元首相、総選挙不出馬の意向示す”. 聯合ニュース. (2008年2月3日). http://app.yonhapnews.co.kr/yna/basic/articleJapan/new_search/YIBW_showSearchArticle.aspx?contents_id=AJP20080203001100882 2011年11月9日閲覧。 
  9. ^ “「革新と統合」が発足 選挙に向け野党統合目指す”. KBSワールドラジオ. (2011年9月7日). http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=40671 2011年11月9日閲覧。 
  10. ^ “이해찬, 4ㆍ11 총선 세종시 출마 선언(李海瓚、4・11総選世宗市出馬宣言)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年3月19日). http://www.yonhapnews.co.kr/chongsun/2012/03/19/4752000000AKR20120319095300001.HTML 2012年3月20日閲覧。 
  11. ^ “‘세종시 지킴이’ 전략 성공… 세종시 민주 이해찬(‘世宗市守る’戦略成功・・・世宗市 民主 李海瓚)”. 東亜日報. (2012年4月12日). http://news.donga.com/vote0411/ListParty_2/3/00063400020002/20120412/45465976/1 2012年4月14日閲覧。 
  12. ^ “民主統合党の新代表 李海瓚氏を選出”. KBSワールドラジオ. (2012年6月9日). http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=44005 2012年6月9日閲覧。 
  13. ^ “韓国最大野党執行部が辞任 大統領選候補一本化交渉中断で”. 聯合ニュース(本国版). (2012年11月18日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2012/11/18/0900000000AJP20121118000800882.HTML 2012年11月18日閲覧。 
  14. ^ 田中明 『冬扇房閑話(21) 闘士と権力』、『現代コリア』2006年5月号。

ウェブページ[編集]


公職
先代:
高建
韓国の旗 大韓民国国務総理
第36代:2004年6月 - 2006年3月
次代:
韓悳洙
(権限代行)
先代:
李明賢
韓国の旗 教育人的資源部長官
第38代:1998年3月-1999年5月
次代:
金徳中
党職
先代:
朴智元
(非常対策委員長)
民主統合党代表
2代:2012年6月 - 11月
次代:
文在寅 
(代表代行)