新千年民主党
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| 新千年民主党 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 새천년민주당, 민주당 |
| 漢字: | 새千年民主黨, 民主黨 |
新千年民主党(しんせんねん みんしゅとう)は、金大中政権(国民の政府)時代の韓国の政党で与党。平和民主党の潮流を受け継ぐ自由主義政党である。略称は民主党。
目次 |
[編集] 概要
1995年に政界復帰した金大中(1992年に引退していた)が結成した新政治国民会議を前身としている。2000年4月の総選挙に向けて当初は、連立与党だった自由民主連合との合同による新党結成を模索していたが、責任内閣制の導入の是非をめぐって対立したことで失敗、国民会議から党名を改称し、2000年1月20日に創党大会を開き発足した[1]。総選挙では、議席は増やしたものの、第一党の座をハンナラ党から取り返すことは出来ず、厳しい政権運営を余儀なくされた。
2002年の大統領選挙が近づくと、初の国民参加型の大統領候補者予備選挙で、盧武鉉が大統領候補に指名された。大統領選挙前に国民統合21の鄭夢準と一本化し、投票日直前に鄭夢準が支持を撤回したものの、20~30代の若者がインターネットで投票の呼びかけをしたことが効を相し、盧武鉉が大統領に当選した。しかし、当選直後から盧武鉉大統領に近いグループと金大中前大統領に近いグループが対立し、2003年9月に盧武鉉大統領に近い議員が離党、国民参与統合新党(統合新党)を結成、盧武鉉大統領も離党[2]し、民主党は野党に転じることになった[3]。統合新党はハンナラ党離党者や改革国民政党と「開かれたウリ党」を2003年11月に結成した[4]。
2004年3月の盧武鉉大統領弾劾では、趙舜衝代表が積極的に弾劾を進め、ハンナラ党と協力して、弾劾訴追案を可決成立に導いたものの、国民の厳しい批判を買い支持率が急落、直後に行なわれた総選挙では、地盤の全羅道でもウリ党に議席を奪われ、50議席以上も議席を減らし、新興の左翼政党の民主労働党をもすら下回る9議席と惨敗した。趙舜衝代表や劉容泰院内代表、秋美愛選挙対策委員長など党の有力幹部が相次ぎ落選し、群小政党に転落した。2005年5月に党名を「民主党」に変更した[5]。→民主党 (2005)
[編集] 金大中・盧武鉉政権与党の再編過程
[編集] 新千年民主党が候補を擁立した選挙
[編集] 大統領選挙
| 代 | 年月日 | 候補者 | 得票数 | 得票率 | 当落 |
|---|---|---|---|---|---|
| 第16代 | 2002年12月19日 | 盧武鉉 | 12,014,277 | 48.91% | 当選 |
[編集] 総選挙
| 代 | 年月日 | 議席数 (地域区+比例区) |
得票率 (比例区) |
|---|---|---|---|
| 第15代総選挙 | 2000年4月13日 | 115 (96+19) | 35.9% |
| 第16代総選挙 | 2004年4月15日 | 9 (5+4) | 7.1% |
第15代は地域区における得票率(1人1票制のため)
[編集] 脚注
- ^ 新千年民主党、創党大会開く 2000年1月20日付 朝鮮日報
- ^ 盧大統領、民主党を電撃離党 2003年9月29日付 朝鮮日報
- ^ 民主党が「野党」宣言 2003年9月30日付 朝鮮日報
- ^ ヨルリン・ウリ党が発足 2003年11月11日付 朝鮮日報
- ^ 「民主党」に改名2005年6月8日付 朝鮮日報
[編集] 関連項目
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