朴智元

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韓国の旗 韓国の政治家
朴智元
박지원(パク チウォン)
Parkjiwon2010.jpg
生年月日 1942年6月5日(72歳)
出生地 大日本帝国朝鮮全羅南道珍島
出身校 檀国大学校
現職 院内代表
所属政党 民主党新政治国民会議民主党民主統合党民主党新政治民主連合  
公式サイト 박지원 의원 공식 홈페이지
選挙区 全羅南道木浦市  
当選回数 3回
所属委員会 法制司法委員会
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朴智元(パクチウォン、1942年6月5日 - )は、韓国政治家実業家である。同じ全羅南道出身で民主化運動指導者の金大中元大統領を支えてきた最側近の一人。大統領秘書室長や文化観光部長官など政府要職、新政治国民会議代弁人や民主党院内代表など党要職を務めた。2011年12月に発足した民主統合党では指導部を構成する最高委員[1]に就任した後、2012年5月4日に行われた院内代表選挙で勝利して第1期院内代表(6月9日に行われる全党大会までの党務を担う非常対策委員長も兼務)に就任した[2]。12月に行われた大統領選挙で同党が推した文在寅が敗北した責任を取る形で同月院内代表を辞任した[3]

経歴[編集]

学歴[編集]

年譜[編集]

  • 1970年1月:ラッキー金星(現LG)商社勤務
  • 1972年11月:東西洋行ニューヨーク支社の支社長
  • 1975年8月:ディリーペションス代表理事
  • 1980年4月:アメリカ、ニューヨーク韓人会会長
  • 1987年11月:平和民主党珍島郡大統領選挙対策委員長
  • 1989年11月:韓国人権問題研究所理事長
  • 1991年3月:新民党・民主党、統一国際委員会副委員長
  • 1992年4月:民主党主席副代弁人(スポークスマン
  • 1992年5月:第14代国会議員(全国区)
  • 1992年9月:国会文化体育広報委員会委員
  • 1992年12月:民主党代弁人
  • 1993年3月:民主党党務委員
  • 1995年9月:新政治国民会議(国民会議)代弁人
  • 1995年11月:国民会議京畿富川素砂地区党委員長
  • 1996年5月:国民会議企画調整室長
  • 1997年5月:国民会議総裁特別補佐役
  • 1997年12月:大統領職引継ぎ委員会、社会文化分科会委員
  • 1998年1月:金大中大統領当選者代弁人
  • 1998年2月:大統領秘書室広報主席秘書官
  • 1999年5月:第2代文化観光部長官
  • 2001年3月:大統領秘書室政策企画首席秘書官
  • 2002年1月:大統領秘書室政策特別補佐
  • 2002年4月:大統領秘書室長
  • 2007年3月:金大中平和センター秘書室長
  • 2008年2月:大統合民主新党入党
  • 2008年4月:第18代国会議員(木浦)。法制司法委員会委員、情報委員会委員
  • 2009年8月:民主党政策委員会議長
  • 2010年5月:民主党院内代表(~2011年5月)
  • 2012年1月:民主統合党最高委員
  • 2012年4月:第19代国会議員(木浦)
  • 2012年5月:民主統合党第1期院内代表(~12月)。 
  • 2014年4月:金大中平和センター副理事長
  • 2014年9月:新政治民主連合非常対策委員
出典:프로필」(プロフィール)、朴智元ホームページ。

疑惑[編集]

2012年7月17日、経営破綻した貯蓄銀行から1億ウォン以上の不正資金を受け取った疑いで、検察は朴院内代表に対して出頭要請を行った。しかし、朴院内代表は要請に応じず、民主統合党も「与党への批判をかわすための捜査」「朴院内代表を標的にした捜査」と強く反発、また法務部長官と検察総長に対する弾劾訴追案も視野に入れた全面対決の姿勢を採った[4]。検察は数度にわたって出頭要請を行ったが、朴院内代表がこれに応じなかったため、30日に逮捕令状の発行をソウル中央地方裁判所に請求した[5]。しかし、国会会期中の議員逮捕には国会の同意が必要なため、31日に逮捕同意案が国会に提出された[6]。同日午後、朴院内代表はこれまで応じてこなかった要請に応じ、検察に出頭した[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
申樂均 (ko)
韓国の旗 大韓民国文化観光部長官
第36代:1999 - 2000
次代:
金ハンギル (ko)
党職
先代:
韓明淑
民主統合党代表
第3代:2012/5 - 2012/6
次代:
李海瓚