湯上谷竑志

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湯上谷 竑志(湯上谷 宏)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 富山県黒部市
生年月日 (1966-05-03) 1966年5月3日(57歳)
身長
体重
176 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手三塁手外野手
プロ入り 1984年 ドラフト2位
初出場 1985年8月21日
最終出場 2000年10月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

  • 福岡ソフトバンクホークス (2005 - 2007, 2009 - 2011)

湯上谷 竑志(ゆがみだに ひろし、本名:湯上谷 宏[1](読み同じ)、1966年5月3日[1] - )は、富山県出身の元プロ野球選手内野手外野手[1]。愛称はガメガメやん

来歴・人物

星稜高校では甲子園に4回出場。1年生の1982年夏の選手権は控え選手、2回戦(初戦)で早稲田実荒木大輔に抑えられ大敗[2]。2年生から遊撃手のレギュラーとなる。1983年春の選抜では、1回戦で井上真二らのいた熊本工を降すが、2回戦で横浜商三浦将明に完封を喫する[3]。翌1984年春の選抜も1回戦で佐世保実のエース吉田直喜に完封負け[3]。同年夏の選手権でも1回戦で別府商に9回サヨナラ負け[2]。1年下のチームメートに三塁手鈴木望がいた。

1984年ドラフト2位で南海ホークスに入団[1]背番号は入団時14、1988年は7、1989年以降は6。俊足を生かした広い守備範囲が特徴で、内外野どのポジションでもこなせるユーティリティプレイヤーだった(二塁648試合、遊撃230試合、三塁175試合、一塁2試合、外野54試合)。入団後数年はスイッチヒッターだった。1987年オフには南海球団は「来季から湯上谷、立浪のフレッシュ二遊間で売り出す」と球団を挙げて公言するなど、当時PL学園高校の主将であった立浪和義の獲得と湯上谷・立浪の若手コンビによる二遊間形成を目論んだが、結局立浪は同年のドラフト中日ドラゴンズにさらわれた形となり、この構想は幻に終わった[4]。1989年は前年秋季キャンプ中の右脛骨の骨折、その手術・リハビリが長引き一軍不出場に終わったが、復帰した1990年からは3年連続で全試合出場を果たす。1994年から登録名を「湯上谷 竑志」としている。2000年現役引退

1990年頃から藤本博史小川史森脇浩司との4人(4人とも名前読みが『ひろし』)で内野を守ることがたびたびあった。

引退を決めたのは日本シリーズの後である。日本シリーズ第5戦で怪我をした小久保裕紀に代わり第6戦でサードを守っていたが、巨人の清原和博が打ったサードゴロを一塁手の遥か上にいく悪送球をしたことから、自分のプレーが出来なくなったと引退会見で理由を語った。

現役引退後はフロント入りし、営業を担当。一時福岡ドーム企画営業部に出向し、「元ダイエー・湯上谷がプランニングした観戦ツアー」なるパッケージツアーが企画・販売されたこともあった。2005年から2007年までソフトバンク育成担当コーチ。

2008年は再びフロントに戻り、野球振興部課長代理を経て、企画室ディレクターを務めた。2009年からはソフトバンク一軍内野守備走塁コーチ補佐に就任し、2010年は一軍内野守備走塁コーチ、2011年は二軍内野守備走塁コーチを務めた。2012年からは西戸崎合宿所の寮長を務める。2013年11月7日退団[5]

退団後の2014年にはアメリカサンディエゴへ語学留学することが報じられた[6]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1985 南海
ダイエー
37 141 122 18 32 8 1 1 45 7 6 3 8 1 7 0 3 22 1 .262 .316 .369 .685
1986 60 79 73 9 12 2 0 0 14 2 10 4 2 0 3 0 1 16 0 .164 .208 .192 .400
1987 99 340 291 30 69 6 3 5 96 25 14 5 29 0 19 0 1 53 5 .237 .286 .330 .616
1988 109 459 401 64 114 16 5 9 167 48 16 5 18 6 31 0 3 50 6 .284 .336 .416 .752
1990 130 518 453 70 120 17 2 5 156 27 13 1 15 2 46 1 2 48 9 .265 .334 .344 .678
1991 130 495 425 55 109 17 7 6 158 30 30 5 25 3 40 0 2 52 5 .256 .321 .372 .693
1992 130 410 367 47 105 11 2 6 138 40 15 2 13 4 25 0 1 67 3 .286 .330 .376 .706
1993 117 329 291 25 59 11 3 1 79 22 10 2 7 4 26 0 1 47 5 .203 .267 .271 .539
1994 42 45 41 10 6 1 1 0 9 0 0 0 1 0 3 0 0 10 0 .146 .205 .220 .424
1995 86 217 196 31 49 4 1 1 58 9 14 6 8 0 12 1 0 42 1 .250 .293 .296 .589
1996 86 220 200 31 54 8 1 2 70 20 8 3 3 2 13 0 2 47 4 .270 .318 .350 .668
1997 101 327 296 41 89 10 2 5 118 28 2 1 6 3 18 0 4 52 4 .301 .346 .399 .744
1998 53 110 99 11 28 4 1 1 37 6 0 4 7 0 4 0 0 15 2 .283 .311 .374 .684
1999 20 29 24 2 3 0 0 0 3 1 0 0 2 0 3 0 0 4 0 .125 .222 .125 .347
2000 42 45 38 6 6 2 0 0 8 4 3 0 3 0 4 0 0 7 1 .158 .238 .211 .449
通算:15年 1242 3765 3317 450 855 117 29 42 1156 269 141 41 147 25 254 2 20 532 46 .258 .312 .349 .661
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 14 (1985年 - 1987年)
  • 7 (1988年)
  • 6 (1989年 - 2000年)
  • 91 (2005年)
  • 97 (2006年 - 2007年)
  • 84 (2009年 - 2011年)

登録名

  • 湯上谷 宏(ゆがみだに ひろし、1985年 - 1993年)
  • 湯上谷 竑志(ゆがみだに ひろし、1994年 - )

出演

脚注

  1. ^ a b c d 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P126。
  2. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  4. ^ 『負けん気』立浪和義、文芸社、14‐18頁(2010年2月、ISBN 978-4286088532/増補版、文芸社文庫、2014年2月、ISBN 978-4286148939
  5. ^ 退団について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年11月7日配信
  6. ^ 元タカ戦士、48歳の挑戦 湯上谷さん、米に語学留学へ 2014年5月5日西日本新聞朝刊

関連項目