水上機母艦

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水上機母艦(すいじょうきぼかん)は、水上機の運用を行うことを専門とした軍艦のこと。通常、水上機を搭載・整備する施設を持ち、それを射出する装備(カタパルト)を持つことも多い。

かつては広義の航空母艦に含まれていたが、艦上機を運用する本格的な航空母艦が発達して以降は区別されることが一般的である。大型飛行艇の運用を支援するための軍艦は飛行艇母艦と呼ばれ、水上機母艦とは区別されることも多いが、水上機母艦の一種としても扱われる。

概要

日本海軍の水上機母艦若宮

世界的に見ると水上機母艦は港湾等において水上機の移動基地として使用することを目的としたものが多い。しかし、一部には艦隊に随伴して行動し、洋上での機動的運用を目的としたものもある。英語では前者についてSeaplane tender、後者についてSeaplane carrierと呼んで区別することがあるが、それぞれの語を水上機母艦一般にあてることもあり、必ずしも用語法は明確ではない。日本海軍においては、軍縮条約によるとの戦力差を少しでも解消することを狙い、後者の部類に属する特殊な水上機母艦が建造された。

移動基地的な用法の水上機母艦は、補給整備搭乗員の休養設備を有しているが、カタパルトなどは装備していないことがあり、一般に低速である。駆逐艦などを改装した、水上機の収容設備すら持っていない小型の母艦も存在する。

歴史

誕生から第一次世界大戦まで

世界初の水上機母艦フードル
ロシア黒海艦隊の水上機母艦アルマース日本海海戦の生き残りで旧式化した巡洋艦を改装した。後部にグリゴローヴィチ製飛行艇を搭載している

水上機を軍艦に搭載する試みは水上機の発明後すぐに行われていたが、水上機の運用を主たる目的として整備された軍艦としては、1912年に就役したフランス海軍フードルが最初の例と言われる[1]。これに、イギリス海軍アーク・ロイヤルなどが後に続いた。日本海軍も、運送船の若宮丸を改装して水上機母艦とした。

この時期の水上機母艦はカタパルトを持っておらず、搭載機をクレーンで水面に下ろして発進させる方式を主に用いた。ただし、1913年にフードルが成功させたように、滑走台を艦上に設けて発進させる方式も一部では使用されていた。

第一次世界大戦では、航空母艦の発達前であったため海上航空戦力の中心として活躍をした。1914年(大正3年)9月の青島の戦いに、日本海軍の若宮丸が参加したのが最初期の実戦例として知られる。イギリス海軍はエンガディンなど多数の高速商船を改装して水上機母艦とし、ユトランド沖海戦などで使用している。なかでもベン・マイ・クリーの搭載機は、1915年(大正4年)8月にトルコ商船などを航空魚雷によって撃沈している。またロシア海軍も複数の水上機母艦を整備し、戦艦巡洋艦と協同した一種の機動部隊を編成していた。特にサールィチ岬の海戦では、敵艦隊の発見に水上機母艦の貢献があったことが知られている[2]。この他、ドイツイタリアも水上機母艦を保有した。

戦間期

フランス海軍の水上機母艦コマンダン・テスト

第一次世界大戦末期から航空母艦(空母)が発達してくると、艦上機艦載機)に比べ性能の劣る水上機しか運用できず、がある外洋では搭載機の収容も困難な水上機母艦の欠点が目立つようになった。戦艦巡洋艦への水上機搭載が広まると艦隊随伴を目的とした艦はあまり見られなくなり、波の穏やかな泊地に停泊して移動基地的な運用を行う艦が中心となった。ただし、航空母艦の保有を望めない中小国海軍にとってはそれなりの魅力があり、オーストラリア海軍スペイン海軍などに大型の水上機母艦の建造例がある。スウェーデン海軍が建造した航空巡洋艦ゴトランドも水上機母艦的な性格の強い軍艦である。

日本海軍の水上機母艦瑞穂

特異な存在が、日本海軍の千歳型などやフランス海軍のコマンダン・テストである。これらの大型母艦は、艦隊に随伴した機動的な運用を想定し、多数の水上機を搭載していた。特に日本海軍のものは、軍縮条約の制限を回避して米英との戦力差を埋める意図で建造され、甲標的母艦や高速給油艦の機能を兼ね備えたほか、必要に応じ航空母艦へも短期間で改装できる設計になっていた。

技術面では、カタパルトの装備が広く見られるようになった。ほかに、ハイン・マットと呼ばれる航行中の母艦に水上機を収容する装置も開発されたが、あまり広まらなかった。

第二次世界大戦以降

第二次世界大戦期においては、日本海軍が日中戦争中から多数の高速商船を徴用・改装して特設水上機母艦とし、前記のような正規の水上機母艦と並んで使用した。太平洋戦争前期までは、補助空母的に上陸戦の支援などにも用いられたが、中盤以降は移動基地的な用法と輸送任務への転用が多くなった。千歳型の2隻は空母へと改装された。日本以外のアメリカ海軍などは、移動基地的に水上機母艦を運用した。

第二次世界大戦後はヘリコプターの技術進歩等があり、大型の飛行艇を除く軍用水上機自体がほぼ消滅した。これに伴い水上機母艦もその姿を消した。アメリカ海軍は、飛行艇の支援用に大型の水上機母艦(飛行艇母艦)を運用していたが、1960年代にはこれらも他の用途に転用されるか退役した。

類似した艦船

脚注

  1. ^ フードルは元は水雷母艦(一時は機雷敷設艦)で、1911年にはすでに水上機1機の収容設備を設けられていた。これを1912年に本格的に水上機母艦として改装し、水上機8機の収容設備と滑走台を設置した。
  2. ^ ただし搭載水上機の成果ではなく、母艦自体が直接に敵艦隊を発見している。

参考文献

  • 福井静夫 『世界空母物語』 新装版、光人社〈福井静夫著作集―軍艦七十五年回想記〉、2008年。
  • 同上 『日本空母物語』 新装版、光人社〈福井静夫著作集―軍艦七十五年回想記〉、2009年。

関連項目