伊四〇〇型潜水艦

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伊400型潜水艦
I400 2.jpg
艦級概観
艦種 一等潜水艦
艦名 イ400、イ401、イ402
前級
次級
性能諸元
排水量 基準:3,530トン 常備:5,223トン
水中:6,560トン
全長 122m
全幅 12.0m
吃水 7.02m
機関 艦本式22号10型ディーゼル4基2軸
水上:7,700馬力
1,200馬力モーター2基
水中:2,400馬力
速力 水上:18.7kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:14ktで37,500海里
水中:3ktで60海里
燃料 重油:1,750トン
乗員 157名
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm3連装機銃3基
同単装1挺
53cm魚雷発射管 艦首8門
魚雷20本
航空機 特殊攻撃機『晴嵐』 3機
(四式一号一〇型射出機 1基)
備考 22号電探1基、13号1基
安全潜航深度:100m
連続行動時間:約4ヶ月

伊四〇〇型潜水艦(いよんひゃくがたせんすいかん)は、太平洋戦争中の大日本帝国海軍潜水艦の艦級。正式には伊號第四百型潜水艦(いごうだいよんひゃくがたせんすいかん)。別名潜特型(せんとくがた)とも呼ばれる。なお、本型の計画縮小の補填として、巡潜甲型を改造した伊一三型潜水艦があり外形がきわめて似ている。

概要[編集]

3機の特殊攻撃機『晴嵐』が搭載可能であり、潜水空母(せんすいくうぼ)とも俗称される。第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大であり、通常動力型潜水艦としては、2012年に竣工した中国海軍032型潜水艦(水上排水量3,797t、水中排水量6,628t)に抜かれるまでは世界最大であった。全長はアメリカ海軍ガトー級を27メートル上回る。理論的には、地球を一周半航行可能という長大な航続距離を誇り、日本の内地から地球上のどこへでも任意に攻撃を行い、そのまま日本へ帰投可能であった。大柄な船体(排水量3,350tは軽巡洋艦夕張と比較してなお大きい)を持つが水中性能は良好であった。急速潜航に要する時間は1分である。

同型艦3隻が就航したが、いずれも具体的な戦果をあげる前に終戦を迎え、連合国は日本の降伏までその存在さえ知らなかった[1]。終戦直後にアメリカ軍が接収する際、その大きさにアメリカ軍士官が驚愕したという逸話が残っている。アメリカ軍による調査の後、冷戦による当時のソ連への情報漏洩を恐れたため海没処分となった[2]。処分の後、その詳しい位置は記録されていなかったが、2005年3月に伊四〇一が、2013年8月に伊四〇〇が海底から発見された。

米海洋大気局の専門家によれば、伊四〇〇型潜水艦はそれまで対艦兵器としかみなされていなかった潜水艦の用途を一変させ、第二次大戦後の潜水艦の設計・運用姿勢に大きな影響を与えた結果、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った米軍潜水艦に行き着いたという[3]。実際、戦後に米軍が浮上後の潜水艦からパルスジェットミサイルの発射実験を行った潜水艦が酷似した形をしていた[2]

開発の経緯[編集]

アメリカ本土に回航されて技術調査中の伊四〇〇型潜水艦。本型は軽巡洋艦なみの14cm主砲を後部甲板に装備していた。
M6A 晴嵐

伊四〇〇型の建造意図として考えられているものは、ふたつある。

一つは、従来日本海軍が抱いていたとされる漸減作戦の一環として、アメリカ西海岸まで進行してアメリカ艦隊を攻撃可能な航続距離の長い艦(巡洋潜水艦伊一型潜水艦など)として構想され、パナマ運河攻撃を主任務としたというもの。本艦の完成時には、大西洋岸から移動する艦艇の経由地となるパナマ運河を搭載機で攻撃するという作戦が考案されている。(当時すでに日本海軍は本土周辺の制海権、制空権ともに失っており、主要艦艇が太平洋にあったうえ、ドイツが降伏したことにより、パナマ運河を攻撃する時期は逸せられた)

もう一説は、アメリカ東海岸攻撃用だったのではないかというもの。これに関しては山本五十六の提唱によるという説もあるが、史料的に確認されてはいない。スミソニアン航空宇宙博物館の近代軍用機担当学芸員ディック・ダーソは、「アメリカ東海岸を隠密裏に攻撃するよう特殊設計されており、おそらくワシントンD.C.やニューヨーク市を標的としていたものと考えられる」としている[1]。

海軍は、本型以前にも航空機を搭載可能な潜水艦を建造していたが(伊号第五潜水艦伊号第一二潜水艦など)、これらに搭載する機体は、「九六式小型偵察機」「零式小型水上偵察機」といった、通常の潜水艦作戦における索敵用のものに留まっていた。一方で潜特型に求められたのは、当初には彗星艦爆の搭載であり、それが実際的でないとされてからは特殊攻撃機晴嵐を新たに開発して搭載することだった。設計当初、伊四〇〇型はセイル部と一体化した格納筒内に飛行機を2機搭載する予定であった。晴嵐は実戦では浮舟を装着せず非水上機として運用される予定だった(この場合、機体の回収は不可能になり、使い捨てとなる)。純爆撃・攻撃用途の飛行機を戦略的に運用することを計画上の主目的とした点で、従来の専用小型水偵を偵察目的として搭載した潜水艦とは、完全に一線を画している。

しかしながら本型は「潜水空母」と俗称されるものの、搭載機は僅か3機で、同時代の通常の巡洋艦並みに過ぎない。ちなみに、多数の航空機を運用可能な戦艦巡洋艦は、(これもいわば俗称であるが)「航空戦艦」「航空巡洋艦」と称されるのが常であり、「戦艦空母」「巡洋空母」といった呼び方はしない。

1942年(昭和17年)の改マル5計画で18隻の建造が計画(設計番号S50)されたが、戦局の移行と共に計画は5隻に縮小され、最終的に3隻が完成した。建造計画の縮小を補う為、1隻当たりの搭載機数が3機に増加され、また、建造途中の甲型潜水艦を晴嵐2機搭載可能な潜水空母に改造した(伊一三型潜水艦伊一三伊一四)。

構造[編集]

伊四〇〇型潜水艦の飛行機格納筒。

通常の複殻式船体の潜水艦は、1本の水密された筒からできている内殻と、それの外部にメイン・タンク、補助タンク等を置き、さらに全体を包む外殻から構成されている。伊四〇〇型では2本の筒を並列し、筒の一部を合着した内殻を採用した。このため艦の断面図が眼鏡のような形になっている。この内殻の外部を外殻で包んでおり、艦の全高を抑えて安定性を高めることができた。伊四〇〇の内殻の上方には、水密された飛行機格納筒、司令筒、これらを一体化したセイルなど、大型の上部構造物を設置しなければならなかったため、安定性の確保は重要な問題であった。なお眼鏡型船体は伊五一でも採用されている構造である。

カタパルトには四式一号一〇型を採用した。日向、大和に採用された一式二号射出機よりも40cmほど大きく、最大5tの航空機を射出した。射出動力は圧搾空気である。

戦歴[編集]

第六艦隊司令部により、当初パナマ運河の、次にサンフランシスコやロサンゼルスなど西海岸部の攻撃が検討された。しかし昭和19年12月に発生した東南海地震、および本土空襲で愛知航空機の工場が破壊されたため、晴嵐の完成が遅延した。昭和20年3月、伊四〇〇は艦と搭載航空機との共同訓練を終了したが、この時点で伊一三、伊一四には晴嵐が搭載されておらず、格納庫は空の状態だった。作戦目標の再選定が行われ、最終的に1945年(昭和20年)6月12日頃、ウルシー泊地の在泊艦船への米機動部隊への攻撃が決定された。

作戦参加艦は第一潜水隊に編入された。伊四〇〇伊四〇一が攻撃部隊に選定された。攻撃部隊に先行して、潜水空母に改造された伊一三伊一四が偵察用の艦上偵察機彩雲をトラック島に輸送する計画(光作戦)であった。これらの彩雲偵察機は作戦目標であるウルシー泊地を偵察する計画であった。

7月16日に米護衛空母の艦載機と水上部隊によって伊一三は撃沈されたが、伊一四は輸送に成功。彩雲を陸揚し、作戦の第一段階が成功した。

これにより、第一潜水隊の攻撃予定日は8月17日3時に会合の上、作戦開始と決定された。しかし、ポツダム宣言受諾の休戦により、直前に電信で作戦中止・停戦命令を受ける。内地へ帰投する途中、伊四〇〇は東京湾北東500海里で、伊四〇一は三陸沖で米軍に拿捕された。なお、このとき米軍が撮影した伊四〇〇乗組員のカラー映像が残っており、後年日本の報道番組内で公開された。

伊四〇〇の士官。

同型艦[編集]

1944年(昭和19年)12月30日呉海軍工廠で竣工。連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。ウルシー南方で待機中敗戦を迎える。帰投命令を受領し搭載機、魚雷を投棄。8月29日にアメリカ駆逐艦ブルーに接収され、8月30日横須賀港に帰港。9月15日除籍。その後、アメリカ本土に回航され技術調査され、ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分。艦長は日下敏夫中佐。2013年8月にハワイ海底研究所英語版によりオアフ島南西の海底で発見された。
1945年(昭和20年)1月8日佐世保海軍工廠で竣工。連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。カロリン諸島ポナペ島沖で伊四〇〇と合流できず、そのままウルシー攻撃に向かうが終戦により日本へ帰投。8月29日ヒラム・カスディ中佐の率いるアメリカ軍部隊が接収。31日早朝、座乗して指揮を執っていた第1潜水隊司令有泉龍之介大佐は艦内で自決した。自決日は8月29日あるいは8月30日とする資料もある。8月31日横須賀港に帰港、9月15日除籍。アメリカ本土に回航され技術調査され、ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分。艦長は南部伸清少佐。2005年3月20日にハワイ大学の研究チームにより海底で発見された。
1945年(昭和20年)7月24日佐世保海軍工廠で竣工。連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。8月11日にで爆撃をうけ損傷[4]。呉で整備中に敗戦を迎える。11月30日除籍。1946年(昭和21年)4月1日長崎県五島列島北方の東シナ海でアメリカ軍の実艦標的として撃沈処分。艦長は中村乙二(海軍兵学校62期)中佐。
  • 伊号第四〇三潜水艦[要出典](第5234号艦)
呉海軍工廠で起工直後に空襲により損傷、以後工事中止。戦後解体。[要出典]
  • 伊号第四〇四潜水艦(第5235号艦)
1943年(昭和18年)11月18日呉海軍工廠で起工、翌年7月7日に進水。1945年(昭和20年)8月末竣工予定も95%で工事中止し島影に疎開。7月28日呉軍港空襲により大破、後に連合国軍に対する技術隠匿のために自沈処分。1951年12月浮揚、翌年解体。
  • 伊号第四〇五潜水艦(第5236号艦)
1943年(昭和18年)9月27日川崎重工業泉州で起工したが直後に建造中止、解体。
戦局の悪化から1943年7月に8隻計画中止、残りも10月に計画中止。


関連作品[編集]

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
  • 木俣滋郎『潜水艦入門』光人社NF文庫、1998年。ISBN 4-7698-2199-9
  • 『歴史群像No.34米本土爆撃を企図した巨大潜水空母 伊400潜大研究』学習研究社、1998年

脚注[編集]

  1. ^ 伊400発見:さらに未発見の潜水艦も ナショナルジオグラフィック 2013年12月5日
  2. ^ a b ドキュメンタリー番組『陸海空!ミリタリー』シリーズ『日本軍の極秘潜水艦』(ナショナル・ジオグラフィック)
  3. ^ 旧日本軍の巨大潜水艦を発見、ハワイ沖 CNN.jp 2013年12月4日
  4. ^ 『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』p164の記述による。

関連項目[編集]