朝鮮族

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朝鮮族(ちょうせんぞく、조선족)は、中華人民共和国(以下、中国)の民族識別工作に由来し、少数民族の一つと定義されている。

中国の国籍を所有し、かつ中国戸籍法に基づく戸籍上の民族欄に”朝鮮”と記載(登記)されていることが朝鮮族と見なす条件である。したがって、中国に居住する朝鮮民族で、永住権を所有していても中国の国籍を持っていない者、あるいは戸籍上の民族欄に”朝鮮”と記載されていない者は朝鮮族とは定義されない。

中国以外の国や地域では、朝鮮民族でありながら中国国籍所有者であることを明確にするために、朝鮮族を中国朝鮮族又は韓国系中国人한국계 중국인)とも呼ばれる。

中国では、地方政府の戸籍資料、公式メディア、学術論文等に使用される民族の称呼に関して、非正規表現の一文字略称を用いることが実務的に許可される。その場合、「維」でウイグル(維吾爾)族、「蒙」でモンゴル(蒙古)族を表すように、「朝」で朝鮮族を表現する。

分布と現状

中国朝鮮族の総数は、第5次(2000年)人口調査によると約192万人で、第6次(2010年)人口調査によると約183万人と減少した。 中国56民族の中に、人口絶対数が減少した民族は朝鮮族だけである。現在の人口減少傾向が続くと、30年で半減する可能性がある[1][2]

以下は古いデータ(1990年第4次人口調査?)に基づく記述であり、現状とは異なる。

朝鮮族の人口は在米韓国人に匹敵し、朝鮮半島以外では最大級の朝鮮民族コミュニティーといえる。中国国内での分布は中国東北部(旧満洲)に集中し、中でも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。延吉市には、中国語朝鮮語で教育を行う延辺大学も設置されている。

このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、関内(山海関以内)の北京天津青島上海などの大都市にも進出している。各地の朝鮮族集住地区には、行政的に朝鮮族自治県(吉林省長白朝鮮族自治県)や、多くの朝鮮族郷・鎮が設置されている(リンク参照)。これら東北三省の首府には、朝鮮族の学校や放送局、新聞社、出版社などが設置されて、朝鮮語の普及を図っている。

中国と大韓民国(韓国)の国交樹立以来、韓国人との接触が増え、韓国に出稼ぎに行く朝鮮族も多い。韓国では、中国の朝鮮族は在中同胞재중동포)とも呼ばれる。韓国に留学する朝鮮族も多く、勤勉さと2か国語を話せることを武器にしている[3]。 朝鮮族は、主に朝鮮半島に隣接する地域に住んでいるが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政情不安、間島も韓国の領土とする韓国の主張、朝鮮半島の統一問題などのため、中国政府からは、「鮮独 -- 朝鮮族が独立する或いは朝鮮半島に合体させる」問題として、潜在的な不安定要素とみなされているというネットベースのうわさがある。しかし、中国政府が「鮮独」という言葉を使用した、または「鮮独」の存在を暗示・示唆するような行為を行ったという根拠はまったく見当たらない。


歴史

朝鮮民族は古くから満州の開拓・発展に深く関わってきた歴史を持つが、中国が定義する朝鮮族の範疇は、あくまで民族識別工作の結果によるものであって、必ずしも朝鮮民族が満州にて活躍してきた長い歴史的経緯を反映していない。朝鮮族の歴史は満州(今は中国領)に発生した朝鮮民族の歴史の一部に過ぎないが、文化的・血統的な見地からでなく、朝鮮族が明確な法的・政治的定義を持つ集団であるという立場から、朝鮮族の歴史を語るべきである。

日本で良く知られる豊臣秀吉の朝鮮派兵(文禄・慶長の役)の際に明軍を率いて日本軍を迎撃した李如松、その父にあたる満州の実質上統治者-明朝の遼東総兵こと李成梁について、中国鉄嶺市政府が李氏一族を朝鮮半島からの移民という見地から、朝鮮族や朝鮮族の末裔と見なしている[4]。李成梁の出自(世家)を”李成梁是朝鲜族后裔。他在朝鲜的先祖可查四代”と公式見解を示している。

清朝の初期に、多くの朝鮮人(戦争捕虜、連行された民間人、移民)が満州族の八旗組織に取り組まれたため、満州族の苗字の中に少なくとも45個の朝鮮苗字が存在する[5][6]。朝鮮出身の高級官僚・地方役人が清朝の中枢(上3旗、内務府3旗)に集中し、牛録(ニル、清朝の軍事・行政共同体単位)を指揮管理する朝鮮(高麗)佐領が多数いた。また、朝鮮人だけで組織される牛録が、正黄旗満州旗に2つ、正紅旗満州旗に4つ、計6つもあり、軍勢の数は数万人に上った[7]

1744年に編纂された「八旗満州氏族通譜」に既に43個の朝鮮苗字(氏族)が記載されている。清の初期に満州に取り込まれた(来帰)朝鮮人は、人材が輩出する名門・貴族となり、満州民族社会の運営のみならず、清国の拡張に関わる重要な戦役に大きな功績を残した[8]。特に遼西攻略、蒙古南部制圧、李自成撃滅、陝西、四川、浙江、福建省の征伐、並びに台湾征伐(鄭成功の海軍撃破)において輝かしい戦績を残し、満州族の中国支配に貢献した[9][10]

朝鮮半島の出自が清朝の公式文献に明記されたにも関わらず、これら朝鮮人の末裔は、朝鮮民族の言語をうまく使えないことから、ほとんどが満州族や漢族に識別・認定された。しかし、満州族から朝鮮族へ、または漢族から朝鮮族へ、族籍を改めるケースもある。

新羅時代に遡る朴という姓をもつ通称「朴氏朝鮮族」は、明の末(清の初)の捕虜や拉致被害者としてに清国に住み続けてきた。清朝の時は満州族、中華民国の時は漢族と見なされたが、50年代に族籍改正を申し出た後、中国の民族識別工作により、1982年にやっと朝鮮族として認定された。河北省青竜県、遼寧省蓋県、本渓県から合わせて2000名足らずの朝鮮人の末裔が、3世紀半の歳月を経て朝鮮民族に復帰したというエピソードがある[11]。強い民族意識や、農耕文化、氏族の絆と内向的吸引力、逆境において起こる抵抗心理等が民族を守ったと分析される[12]

中国政府に正式に認定された朝鮮族に限っても、朝鮮族の歴史は明末清初に遡り、少なくとも400年という上限が成立し、決して”清朝末期から100年余り”のような短いものではない。

満州に居住する朝鮮人を中国の一つの少数民族と見なした最初の公式文献は、1928年中国共産党第6回全国代表大会に可決された議案「民族問題に関する決議」[13]である。決議の中に少数民族を”北部之蒙古、回族、満州之高麗人、、、”の順で定義している。

代初期に、満洲人が中国を征服すると、彼らは大挙して中国本土に移住し、また清朝は満洲を祖先の地として漢民族の移民を禁止したので、清代を通じて満洲は人口希薄地帯となった。一方、この時代の朝鮮では農村が疲弊して逃散する農民が多く、これらの窮乏農民が次第に豆満江(中国では図們江)を越えて満洲に入り込み、焼畑などを行うとともに、野生の朝鮮人参の採集などに従事した。その数は時代が下るにつれて増加し、清朝と朝鮮の国境紛争も発生した。朝鮮では、豆満江を越えた朝鮮人居住地を間島(カンド)と呼び、鴨緑江を越えた朝鮮人居住地を西間島(ソカンド)と呼んだ。清領への朝鮮人の流入は、特に1860年代に朝鮮半島北部で起こった大凶作と、1885年の満洲への移民禁止の撤廃をきっかけに、爆発的に増加した(闖関東)。

近代になって、李氏朝鮮大韓帝国)が日本に併合(韓国併合)されると、日本の武力を背景として朝鮮農民がさらに満洲に侵入した。1932年に日本の影響下で満洲国が成立すると、日本の移民政策もあって、新天地を求めて満洲国に渡る朝鮮人がまたもや激増した。この時は間島地区だけに限らず、満洲全域に様々な職業の朝鮮人が拡散した。

満洲国の朝鮮人人口は一説に300万人とも言われるが、満州帝国国務院総務庁統計処「現住戸口統計」等の公式資料を引用した「満州国人口統計の推計」「各年度民族別人口」[14]を参照すると、1942年に満州にいた朝鮮人の人口は約160万であった。(当時の統計手法は台湾人を朝鮮人と分類していたので、160万人の中には台湾人も含まれる。)

満洲国の崩壊と朝鮮の独立並びに朝鮮戦争の勃発によって多くの朝鮮人が帰国したが、約100万人が中国内に残留し、これが今日の朝鮮族の起源の一つとなった。多くの朝鮮族は日本統治下から中国へ移住したというルーツを持つ。

中華人民共和国が成立すると、中国共産党1952年、民族区域自治実施要綱を発表し、55の国内少数民族に自治権を付与した。これに伴い、吉林省南部に延辺朝鮮族自治区が誕生し、1955年には延辺朝鮮族自治州と改名され、自治州の州長には朝鮮族が就任している。首府・延吉には、朝鮮族のための高等教育機関である延辺大学も設置されている。

朝鮮族の出身地

20世紀初頭には、満洲地区の朝鮮人はほぼ10万人いたと推定される。日本が朝鮮を併合して、満洲を勢力下に置き、五族協和を押し進めた20世紀の前半に、朝鮮総督府の政策で、朝鮮半島の北部の朝鮮八道でいう咸鏡道平安道の朝鮮人を現在の中国の吉林省へ送り、南東部の慶尚道の朝鮮人を黒龍江省へ、南西部の全羅道の朝鮮人を遼寧省へ送り、それぞれの地域で約20万人、合計で約60万人の朝鮮人が移住したといわれている[15]。在満洲朝鮮人の大部分は水田開拓・稲作に従事したが、製鉄所・炭坑などで働く人たちもいた。

朝鮮の独立とともに多くは帰国したが、満洲に残留した者も多く、その子孫が現在の中国東北部の朝鮮族の主体となっている。現在も朝鮮族が多く住む黒竜江省のハルビン市チチハル市ジャムス市、吉林省も延辺朝鮮族自治州、吉林市、遼寧省の瀋陽市鞍山市など、各地での朝鮮族の朝鮮語方言(中国朝鮮語)や食習慣・日常習慣は上の述べた朝鮮半島の出身地の方言・習慣を色濃く反映している。

朝鮮族の教育

朝鮮族の教育レベルは中国平均より高く[16]、漢族を含む人口100万人以上の各民族の中で群を抜いている[17] [18]

朝鮮族は居住地や家族環境によって主に使う言語が異なるが、基本的には中国語朝鮮語両方を学んでいる。

また日本語朝鮮語と一定の類似性があるため、日本文化に親近感を抱き、中学・高校でも英語より日本語を学ぶ朝鮮族が少なくない。

努力すれば比較的容易にトライリンガル(日・韓・中3か国語)になれるため、朝鮮族は北東アジアにおいて活躍できる場所の選択肢が多い。 例えば、語学力を生かして日本・韓国に留学することや、韓国・日本企業に就職することがよくある。

著名な朝鮮族

  • 朱徳海 - 延辺朝鮮族自治州初代州長
  • 李徳洙 - 国家民族事務委員会主任(閣僚)
  • 鄭律成1918年8月13日 - 1976年12月7日) - 軍歌作曲家、韓国光州広域市生まれ、本名は鄭富恩である。
    • 1933年南京に渡り、義烈団に入り、抗日活動に従事。1937年より延安に赴き、魯迅芸術学院等で音楽を学習する。
    • 第二次世界大戦後は朝鮮に帰国、朝鮮人民軍交響楽団団長や平壌音楽大学作曲部部長を歴任。
    • 1950年朝鮮戦争勃発を機に周恩来の要請で中国に定住、音楽活動に精魂を傾ける。
    • 「延安頌」、「延水謡」、「八路軍軍歌」、「八路軍進行曲(中国人民解放軍進行曲)」、「朝鮮人民軍行進曲」などを作曲した。
  • 金正平1929年 - ) - 黄海道信川郡生まれ、国家一級指揮者、作曲家。中国朝鮮族音楽研究会名誉会長。
    • 南京中央大学音楽家卒。中央歌劇舞劇院、中央電影楽団で指揮者として活躍。
  • 尹東柱(1917年 - ) - 間島出身、日本の植民地時代に日本でも活躍したクリスチャン詩人
  • 李永泰1928年 - )- 空軍軍人。吉林省通化出身。
    • 1951年、朝鮮戦争にて、大隊長として、米軍F-86を4機撃墜。
    • 1975年、武漢軍区空軍司令官に就く。
    • 1982年、中国人民解放軍空軍副司令官に就く。
    • 1988年、空軍中将に任官。
  • 趙南起1927年4月 - ) - 軍人、政治家。吉林省永吉県出身(1927年4月20日、韓国忠清北道清源郡で生まれたと言う説もあるが、事実であれば人民解放軍唯一の移民出身将官である)
    • 1978年 - 1985年:中共延辺朝鮮族自治州委第一書記→吉林省副省長→中共吉林省委書紀
    • 1987年 - 1992年:解放軍総後勤部部長、中央軍事委員会委員
    • 1988年:上将に任官(日本語における大将に相当)
    • 1992年 - 1995年:解放軍軍事科学院院長
    • 1998年 - 2003年:全国政治協商会議副主席
  • 張景子(生年月日未詳) - 立教大学兼任講師。元アナウンサー
  • 崔健1961年 - ) - 中国最初のロック歌手
  • 南勇1962年 - ) - 元サッカー運動管理中心役職(調査収監中)。
  • 金文学(1962年 - ) - 福山大学人間文化学部人間文化学科講師、放送大学客員教授。

脚注

  1. ^ 第6次人口調査 中華人民共和国国家統計局
  2. ^ 朝鮮族人口、30年後は半分に減る可能性も 朝鮮族ネット -- 黒龍江新聞 2012年10月17日
  3. ^ [1]
  4. ^ 李成梁の故郷感情 中国鉄嶺市政府公式サイト
  5. ^ 簡明満州族姓名全録 Baidu文庫
  6. ^ 簡明満州族姓名全録(上中下) 満学研究
  7. ^ 八旗満州族の民族成分 満族風情・満族歴史
  8. ^ 八旗満州旗分佐領高麗姓氏 漢学研究国際会議論文集, (故宮博物院院刊2000年5期), 北京大学出版社, 2000年
  9. ^ 満州八旗中の高麗士大丈家族.html 中国清史編委会, 中国人民大学清史研究所, 清史研究, 徐凱
  10. ^ 満州八旗中の高麗士大丈家族.pdf
  11. ^ 朝鮮族の移動と東北アジアの地域的ダイナミズム 権香淑, Jan 2011, Page 34
  12. ^ 朴氏朝鮮族の民族意識に関する初歩解析 延辺大学学報, Vol. 34, No. 1, Mar 2001
  13. ^ 关于民族问题的决议 中国共产党第六次全国代表大会
  14. ^ 満州国」人口統計の推計 山中峰央, Feb 2005, Page 184
  15. ^ 高麗大学校『満州事件』(朝鮮語資料)
  16. ^ 中国民委教育科技司・司長発言 中国共産党新聞公式サイト
  17. ^ 上昇から超越へ-人口100万人以上の各民族の進歩と問題解析 中国民族報20040213第06版,(張天路、張小戎)
  18. ^ 上昇から超越へ-人口100万人以上の各民族の進歩と問題解析 中国民族報20040213第06版(繁体字)

関連項目

外部リンク