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スタジオ雲雀

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株式会社スタジオ雲雀
STUDIO HIBARI CO.,LTD.
種類 株式会社
本社所在地 176-0012
東京都練馬区豊玉北五丁目32番6号
設立 1979年7月
業種 情報・通信業
法人番号 5011601003484 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 光延幸子(代表取締役会長
光延青児(代表取締役社長
資本金 10,000,000円
従業員数 約100名
関係する人物 光延博愛(取締役)
外部リンク http://www.st-hibari.co.jp/
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株式会社スタジオ雲雀(スタジオひばり、英語表記:STUDIO HIBARI CO.,LTD.)は、アニメーション企画制作を主な事業内容とする日本企業日本動画協会正会員、練馬アニメーション協議会会員。

概要・沿革

1979年、仕上専門スタジオとして設立。1981年、『おじゃまんが山田くん』で1話丸ごとの制作を請け負うグロス請けを開始し、制作会社となった。代表取締役会長の光延幸子は日本アニメーションの下請けで土田プロダクション(以下、土田プロ)が制作した作品である『がんばれ!ぼくらのヒットエンドラン』の色彩設計として、夫で東映動画出身のアニメーション監督・演出家の光延博愛は土田プロ制作作品で各話演出やチーフディレクターとして活動したことから土田プロとの付き合いが深く、設立当初は仕上の請負と土田プロからのグロス請けが活動の中心だった。

1985年、息子の光延青児が専務取締役(2002年には代表取締役社長)となる。翌1986年に土田プロが倒産した後は、小学館プロダクションケイエスエス製作作品の元請制作が中心となった。2006年には、自社企画のオリジナルテレビシリーズ『おろしたてミュージカル 練馬大根ブラザーズ』を手がけた。スタジオの名は、「たとえ小さくとも美しい声で鳴く、ヒバリのようなスタジオにしたい」との願いから名づけられたものだという[1]

作品履歴

テレビアニメ

1980年代

1990年代

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

  • 爆丸バトルブローラーズ ガンダリアンインベーダーズ (制作元請:トムス・エンタテインメント、制作協力、2011年-2012年)
  • フリージング (制作元請:A.C.G.T、各話制作協力、2011年)
  • 戦国乙女〜桃色パラドックス〜 (制作元請:トムス・エンタテインメント、各話制作協力、2011年)

OVA

劇場アニメ

Webアニメ

ゲーム

その他

仕上担当作品

テレビアニメ

OVA

劇場アニメ

脚注

関連人物


関連項目

外部リンク