アンデルソン・エルナネス・デ・カルヴァーリョ・アンドラーデ・リマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Gafgarion (会話 | 投稿記録) による 2022年6月17日 (金) 06:33個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

エルナネス
ブラジルW杯クロアチアとの開幕戦
ネイマール(右)のゴールを祝う(2014年)
名前
本名 アンデルソン・エルナネス・デ・カルヴァーリョ・アンドラーデ・リマ
Anderson Hernanes de Carvalho Andrade Lima
ラテン文字 Hernanes
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1985-05-29) 1985年5月29日(38歳)
出身地 レシフェ
身長 180cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MF (OMF, CMF)
利き足 右足
ユース
1996-1998 ブラジルの旗 サンタクルス
1999-2000 ブラジルの旗 ウニボウ英語版
2001-2005 ブラジルの旗 サンパウロ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2010 ブラジルの旗 サンパウロ 117 (18)
2006 ブラジルの旗 サント・アンドレ (loan) 23 (6)
2010-2014 イタリアの旗 ラツィオ 118 (33)
2014-2015 イタリアの旗 インテル 42 (7)
2015-2017 イタリアの旗 ユヴェントス 24 (4)
2017-2018 中華人民共和国の旗 河北華夏幸福 19 (4)
2017 ブラジルの旗 サンパウロ (loan) 19 (9)
2019-2021 ブラジルの旗 サンパウロ 46 (5)
2021 ブラジルの旗 スポルチ 8 (0)
代表歴
2008 ブラジルの旗 ブラジル U-23 7 (1)
2008-2014 ブラジルの旗 ブラジル 27 (2)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2008 男子競技サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エルナネス(Hernanes)こと、アンデルソン・エルナネス・デ・カルヴァーリョ・アンドラーデ・リマ(Anderson Hernanes de Carvalho Andrade Lima, 1985年5月29日 - )は、ブラジルレシフェ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴

サンパウロ

2001年からサンパウロFCのユースチームに所属し、2005年にトップチームに昇格した。2006-07シーズンにECサント・アンドレレンタル移籍し経験を積んだ。サンパウロでプレーした2008年はブラジルリーグ年間最優秀選手にも選出された。

ラツィオ

2010年8月6日、イタリアのSSラツィオに5年契約で移籍した[1]ボローニャFC戦でPKからセリエA初ゴールを記録した。2010年12月3日、インテル戦でフリーキックから得点を記録した。2010-11シーズンは36試合で11得点を記録した。

インテル

2014年1月31日、インテルナツィオナーレ・ミラノへ4年半契約で移籍[2][3]。入団会見では「カルチョ・スキャンダルと無関係なインテルと、インテルの歴史が好き」と語った[4]。2月10日のサッスオーロ戦でインテルデビュー。4月2日のリヴォルノ戦では初得点を挙げ、バック宙のゴールパフォーマンスを披露した[5]。移籍直後からフレディ・グアリンとのポジション争いをリードしていたが、ワルテル・マッツァーリ監督が解任されロベルト・マンチーニが新監督に就任すると、立場が逆転しグアリンがファーストチョイスとなった[6]

ユヴェントス

2015年9月1日、ユヴェントスFCへ3年契約での移籍が決定[7]。移籍金は1100万ユーロ+200万ユーロのボーナス付き。背番号はパヴェル・ネドヴェドらが着用していた11番となった。同月15日に行われたUEFAチャンピオンズリーグマンチェスター・シティFC戦のスタメンに名を連ね同大会初出場を果たす。

当初は4-3-1-2のトップ下での出番が多かったものの、アントニオ・コンテ時代から慣れ親しんだ3-5-2のフォーメーションを採用することが多くなり、レジスタにコンバートされる。同ポジションはクラブの象徴クラウディオ・マルキージオが不動の地位を築いており、バックアッパーに甘んじる機会が多くなる。

2016年2月24日に開催されたバイエルン・ミュンヘンとのCL決勝トーナメント初戦では、前半で負傷したマルキージオに代わり0-1とリードされる後半開始から投入される。防戦一方の状況から2-2のドローに持ち込むことに貢献した。第2戦でも引き続きレジスタの位置でスタメン出場。持ち前のテクニックを活かしたドリブルや左右両足からの正確なパスに加え、果敢なタックルやインターセプト、同胞のドウグラス・コスタの強烈なミドルシュートを体を張って何度もブロックするなど、ディフェンスラインの前に防波堤を築いた。試合は延長戦の末2-4で敗れたものの120分間集中を切らすことなくプレーし、ユヴェントス移籍以来最も優れたパフォーマンスを見せた。

2015-16シーズン終了後のオフには中国スーパーリーグジェノアCFC等への移籍も噂されたが、長期離脱中のマルキージオの穴を埋めるレジスタが獲得できなかったこともありクラブに残留した。

河北華夏幸福

2017年2月10日、河北華夏幸福足球倶楽部への移籍が正式に決定した[8]

サンパウロ復帰

半年後の同年7月、古巣のサンパウロFCレンタル移籍で復帰した[9]

2018年シーズンは中国へ戻ったが、同年12月29日には完全移籍の形でサンパウロへ再び復帰し3年契約を締結した[10]

代表歴

2008年3月26日のスウェーデンとの親善試合でブラジル代表デビューを果たした。同年の北京オリンピックではグループC初戦・ベルギー戦の79分にこの試合唯一のゴールを挙げ、勝利に貢献し、銅メダル獲得に貢献。

2011年11月10日のガボンとの親善試合で代表初得点を挙げた。

2014年に母国ブラジルで開催されたFIFAワールドカップでは、23人の招集メンバーに名を連ねる。初戦となるクロアチア戦の63分にパウリーニョとの交代で同大会初出場を果たす。スタメンとしての出場はなかったものの、3位決定戦のオランダ戦にも出場した。

個人成績

代表での得点

# 日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1 2011年11月10日 ガボンの旗 リーブルヴィル  ガボン 2–0 勝利 親善試合
2 2013年6月9日 ブラジルの旗 ポルト・アレグレ  フランス 3–0 勝利 親善試合

タイトル

クラブ

サンパウロ
ラツィオ
ユヴェントス

代表

個人

脚注

外部リンク