秋吉耕佑

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秋吉 耕佑
2010年 MotoGP ダッチTTにて
生年月日 (1975-01-12) 1975年1月12日(49歳)
福岡県久留米市
現在のチーム Tellurium & Kohara RT and HRC Test Team
ゼッケン 090
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2006年2008年, 2010年2011年, 2015年
マニファクチャラースズキ, ホンダ
チャンピオン0
2015年 順位NC (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
9 0 0 0 0 14

秋吉 耕佑 ( あきよし こうすけ、本名:秋吉(相賀) 弘亮、1975年1月12日 - )は、福岡県久留米市出身[1]オートバイレーサー。2010年・2011年の全日本ロードレース選手権JSB1000クラスチャンピオン。HRCのテストライダーを務め、MotoGPマシンのRC212Vの開発にも携わっている。

経歴[編集]

キャリア初期[編集]

7歳の時にポケバイでレースデビュー。1993年、18歳の時にロードレース九州選手権にデビューを果たす。同時代に九州選手権を戦ったライバルとしては、熊本のチーム高武に所属していた加藤大治郎玉田誠らが挙げられる。翌1994年にはSP250クラスで勝利を重ね、シリーズ2位に入った(チャンピオンは玉田誠)。

全日本デビュー[編集]

1995年にはスズキと契約を結び、全日本ロードレース選手権250ccクラスにスポット参戦でデビューを果たす。年間ランキングは24位だった。

翌1996年も同クラスにスポット参戦し、第8戦鈴鹿では3位表彰台を獲得、シリーズランキングは11位に入った。またこの年は鈴鹿8耐に、山口直範とペアでギャッツビー・レーシングからGSX-R750を駆って初出場。17位で完走を果たした[2]

1997年はSBクラスに移り、ラッキーストライク・スズキチームから出場。年間ランキング10位に入った。鈴鹿8耐にも同チームから藤原克昭とペアを組んで参戦したが、総合43位に終わった[3]

スズキの開発ライダーへ[編集]

翌1998年からは、ロードレース世界選手権500ccクラスを戦うRGV-Γ500の開発ライダーを務めることになり、レースの表舞台からは一時退くことになった。2002年以降はMotoGPマシンのGSV-Rの開発を担当した。

レース復帰、MotoGPデビュー[編集]

2005年、秋吉はGSV-Rの開発を続けながら、ヨシムラ・スズキチームから全日本JSB1000クラスにスポット参戦、久々にレース復帰を果たした。復帰戦(第6戦鈴鹿)ではいきなりポールポジションを獲得し、周囲を驚かせた。最終戦もてぎで優勝を果たし、年間ランキングは11位に入った[4]

翌2006年はヨシムラ・スズキからJSB1000クラスにフル参戦し、シリーズランキング4位に入った[5]。そしてロードレース世界選手権第15戦もてぎ、GSV-Rを駆ってワイルドカード枠でMotoGPデビューを果たす。予選12番手からスタートし、決勝は13位完走、3ポイントを獲得した。

2007年もJSB1000への参戦を継続(チームはWINs SUZUKI R.T)、ランキングは17位に終わった[6]。またこの年は10年ぶりに鈴鹿8耐に参戦、ヨシムラ・スズキ with JOMOチームで加賀山就臣とペアを組んでGSX-R1000を駆り、見事総合優勝を果たした[7]。さらにこの年にもワイルドカード枠でリズラ・スズキチームからMotoGPに2戦出場、ヘレスでは17位完走、もてぎでは13番グリッドからレギュラーライダー勢を次々とオーバーテイクし、一時4番手まで浮上する活躍を見せるが、メカニカルトラブルで惜しくもリタイヤとなった[8]

2008年はヨシムラスズキwithJOMOチームからJSB1000へ参戦、シーズン3勝を挙げシリーズランキング5位に入った。また鈴鹿8耐にも前年と同じ体制で出場し、総合4位で完走を果たした。MotoGP第15戦もてぎにも3年連続でワイルドカード参戦を果たすが、1周目に転倒を喫しリタイヤとなってしまった。

HRCへ移籍[編集]

2009年[編集]

2009年からは、長年所属したスズキを去り、新たにHRCのテストライダーを務めることになった。MotoGP開幕前のヘレステストでは負傷したダニ・ペドロサの代役を務め、ゼッケン64のレプソル・ホンダRC212Vを走らせた[9]。全日本ロードレース選手権はTSR・ホンダチームからJSB1000クラスでCBR1000RRKを駆って鈴鹿限定でのスポット参戦となり、第2戦でポール・トゥ・ウィンを飾った[10]

鈴鹿8耐には伊藤真一とのペアで出場することとなり、前哨戦の鈴鹿300km耐久ロードレースでは優勝を飾った[11]。8耐ではポールポジションからスタートしホールショットをとり独走態勢を築いていたが、2周目のS字コーナー1つ目で転倒。さらにその周ピットロード入り口で2度目の転倒をする。その後、猛烈な追い上げを見せ9位で完走を果たした[12]

全日本選手権の最終戦鈴鹿(2レース制・東コース)ではウェットコンディションでおこなわれたレース2で優勝、結局このシーズンは出場した3レース中2勝を収めてシリーズランキング10位を記録した[13]

2010年[編集]

2010年シーズンは、全日本JSB1000クラスにTSRチームから全戦参戦できることとなった[14]。秋吉は得意の鈴鹿でおこなわれた3レース全てで勝利を挙げるなどの活躍を見せ、自身初のシリーズチャンピオンに輝いた[15]

鈴鹿8耐にはジョナサン・レイとペアを組んで出場[16]、序盤にストップ・アンド・ゴーのペナルティやレイの転倒によって下位に沈むが、その後両ライダーが好タイムを連発し、最終的には3位表彰台に立つ活躍を見せた[17]

またロードレース世界選手権第5戦イギリスGPでの転倒により椎骨骨折の重傷を負った青山博一の代役として、インターウェッテン・ホンダチームから第6戦ダッチTT第7戦カタルーニャGPの2戦に出場[18]。両レースともポイント圏内で完走を果たした。

この年の7月、浜松市に結婚相談所「浜松婚活サロン Me-You」がオープン。秋吉はその店のオーナーを務めることとなり、オートバイレーサーとしては異色の婚活ビジネス進出を果たした[19]

2013年[編集]

全日本JSB1000クラスで開幕2連勝をあげるも、第4戦筑波で転倒、左大腿骨骨折の怪我をする。シーズン中盤および鈴鹿8耐を欠場するも、岡山戦で復帰。そこで金曜フリー走行でトップタイムを出しながらも予選で転倒。鎖骨骨折をしてしまう。1ヶ月後の最終戦鈴鹿で復帰し、2分6秒台のタイムをマークするなどの活躍を見せた。

2014年[編集]

全日本JSB1000クラスの第1戦鈴鹿にスポット参戦。中盤まで1位で走行するも、途中でハイサイドを喫し、中須賀克行高橋巧に抜かれ3位。 鈴鹿8耐では、スターティングライダーとして雨の中、圧倒的なペースで1位を独走。ジョナサン・レイとともに順調に周回を重ねる。しかし108周目に130Rでスリップダウンにより激しく転倒した。左太ももをいためたが、ピットまで戻ってきた。チームはマシンを修復しザネッティとレイで完走した。

2015年[編集]

TSRを去り、au&teluru KoharaRTに移籍して全日本にフル参戦。HRCからワークスマシンを貸与されていたTSR時代と違い、戦闘力の劣るキットバイクでの参戦となったが、雨のSUGOセミ耐久では予選で一時トップタイムをマークするなど、ベテランらしさを見せた。

主なレース戦績[編集]

日本国内選手権[編集]

1993年
  • ロードレース九州選手権 SP250クラス参戦
1994年
  • ロードレース九州選手権 SP250クラスシリーズ2位
1995年
  • 全日本ロードレース選手権 GP250クラスシリーズ24位 (スズキ・RGVγ250)
1996年
  • 全日本ロードレース選手権 GP250クラスシリーズ11位 (スズキ・RGVγ250)
1997年
  • 全日本ロードレース選手権 SBクラスシリーズ10位 (スズキ・GSX-R750/ラッキーストライク・スズキ)
2005年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズ11位 (スズキ・GSX-R1000/ヨシムラ・スズキ)
2006年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズ4位 (スズキ・GSX-R1000/ヨシムラ・スズキ)
2007年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズ17位 (スズキ・GSX-R1000/WINs SUZUKI R.T)
2008年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズ5位 (スズキ・GSX-R1000/ヨシムラスズキwithJOMO)
2009年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズ10位 (ホンダ・CBR1000RR/F.C.C.TSR Honda)
2010年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズチャンピオン (ホンダ・CBR1000RR/F.C.C.TSR Honda)
2011年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスシリーズチャンピオン (ホンダ・CBR1000RR/F.C.C.TSR Honda)
2012年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスランキング4位 (ホンダ・CBR1000RR/F.C.C.TSR Honda)
2013年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスランキング6位 (ホンダ・CBR1000RR/F.C.C.TSR Honda)
  • 2013年 - スーパーバイク世界選手権第4戦スポット参戦しレース1=14位 レース2=リタイア パタ・ホンダ・ワールドスーパーバイク ホンダ・CBR1000RR
2014年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスランキング23位 (ホンダ・CBR1000RR/F.C.C.TSR Honda)
2015年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスランキング8位 (ホンダ・CBR1000RR/au & テルル ・ Kohara RT)
2016年
  • 全日本ロードレース選手権 JSB1000クラスランキング11位 (ホンダ・CBR1000RR/au & テルル ・ Kohara RT)

鈴鹿8時間耐久ロードレース[編集]

開催年 バイク チーム パートナー 総合順位
1996年 スズキGSX-R750 ギャッツビー・レーシング 山口直範 17位
1997年 スズキGSX-R750 ラッキーストライク・スズキ 藤原克昭 43位
2007年 スズキGSX-R1000 ヨシムラ・スズキ with JOMO 加賀山就臣 1位
2008年 スズキGSX-R1000 ヨシムラ・スズキ with JOMO 加賀山就臣 4位
2009年 ホンダCBR1000RRW F.C.C.TSR Honda 伊藤真一/手島雄介 9位
2010年 ホンダCBR1000RRW F.C.C.TSR Honda ジョナサン・レイ 3位
2011年 ホンダCBR1000RRW F.C.C.TSR Honda 伊藤真一/清成龍一 1位
2012年 ホンダCBR1000RRW F.C.C.TSR Honda ジョナサン・レイ/岡田忠之 1位
2014年 ホンダCBR1000RRW F.C.C.TSR Honda ジョナサン・レイ/ロレンツォ・ザネッティ 40位
2016年 ホンダCBR1000RR au&Teluru・ Kohara RT 大久保光/ダミアン・カドリン 10位

ロードレース世界選手権[編集]

(凡例)

シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 シリーズ順位 ポイント
2006年 MotoGP スズキ SPA
QAT
TUR
CHN
FRA
ITA
CAT
NED
GBR
GER
USA
CZE
MAL
AUS
JPN
13
POR
VAL
21位 3
2007年 MotoGP スズキ QAT
SPA
17
TUR
CHN
FRA
ITA
CAT
GBR
NED
GER
USA
CZE
RSM
POR
JPN
Ret
AUS
MAL
VAL
NC 0
2008年 MotoGP スズキ QAT
SPA
POR
CHN
FRA
ITA
CAT
GBR
NED
GER
USA
CZE
RSM
IND
JPN
Ret
AUS
MAL
VAL
NC 0
2010年 MotoGP ホンダ QAT
SPA
FRA
ITA
GBR
NED
15
CAT
13
GER
USA
CZE
IND
SMR
ARA
JPN
MAL
AUS
POR
VAL
20位 4
  • 2011年 ロードレース世界選手権MotoGPクラス第7戦にスポット参戦し13位。サンカルロ・ホンダ・グレシーニから参戦。(ホンダ・RC212V)
  • 2011年 ロードレース世界選手権MotoGPクラス第15戦にスポット参戦し12位。LCRホンダMotoGPから参戦。(ホンダ・RC212V)
  • 2015年 ロードレース世界選手権MotoGPクラス第15戦にスポット参戦し19位。ABモトレーシングから参戦。(ホンダ・RC213V-RS)

脚注[編集]

外部リンク[編集]