ヨシムラジャパン

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株式会社ヨシムラジャパン
YOSHIMURA JAPAN Co.,Ltd.
ヨシムラジャパン本社事務所
ヨシムラジャパン本社事務所
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 ヨシムラ
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:243-0303
神奈川県愛甲郡愛川町中津6748
設立 1954年(昭和29年)
業種 製造業
事業内容 二輪および四輪部品・用品の研究開発(レース参戦)、製造・販売
代表者 代表取締役社長 吉村不二雄
資本金 5,000万円
従業員数 60名
関係する人物 吉村秀雄(創業者)
森脇護(モリワキエンジニアリング代表)
外部リンク http://www.yoshimura-jp.com/
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株式会社ヨシムラジャパンYOSHIMURA JAPAN Co.,Ltd. )は、オートバイ自動車用の部品・用品の研究開発レース参戦、製造販売を手がけるメーカーである。

概要[編集]

鈴鹿サーキットパドック。
刀1135R
レーサー車両
同社の製作するエキゾーストシステム

社名は創立者であるポップ吉村こと吉村秀雄の姓から名付けられている。「ポップ」(Pop)とは「オヤジ」の意で、戦後間もない頃英語が喋れる秀雄はバイクのチューニングを依頼してくる若いアメリカ兵から父のように慕われていたためこの愛称で呼ばれるようになったといわれる。秀雄は生前「4ストロークのチューナーだけが成功する」という持論を展開していたといわれる[注釈 1]。そのためヨシムラが製造販売するパーツは、基本的に4ストローク用のみとなっている。

現在の代表取締役社長は秀雄の長男の吉村不二雄。2007年からは秀雄の娘婿の加藤昇平の息子である加藤陽平(秀雄の孫。有名俳優とは別人)がレースチームの監督に就任し、監督初年度で鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝を果たした。また秀雄の長女の南海子はモリワキエンジニアリング代表の森脇護の妻である。

現在は製品の大半を2輪関連の商品が占めているため「ヨシムラ=オートバイ」のイメージが強くなっているが、1960年代にはホンダ・S600など4輪のチューニングも手がけていた時代があり、当時スポーツカーで争われていた日本グランプリにも出場経験がある。後にレーシングエンジンチューナーとして名を馳せる松浦賢もこの時期に同社に在籍していた。

1970年代後半以降スズキとの関係が深く、全日本ロードレース選手権鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、スズキのオートバイをチューニングしてレース活動を行っている。またスズキのレース用キットパーツなどの開発と製造も請け負っている。ただし一般車用パーツに関してはその限りではなく、スズキ以外の車両用のパーツも製造販売している。また、ヨシムラトルネード1200ボンネビルなど、ヨシムラオリジナルパーツを組み込んだ公道走行可能なコンプリート車両も度々販売している。

スズキ・GS1000Rで出場した第1回・第3回鈴鹿8時間耐久ロードレースで優勝し、ワークスチームを退けてのチューナーチームによる優勝により同レースへの注目と関心を集めたが、その後はしばらく優勝がなかった。2007年の第30回大会で久々の優勝を果たし、2年後の2009年スズキ・GSX-R1000で参戦した第32回大会で通算4度目の優勝を手にしている。

長年参戦してきた全日本ロードレース選手権から2009年をもって撤退した。ただしマシンの開発は随時行なっており、2011年に加賀山就臣が自身のチームを結成し全日本への参戦に際し車両をレンタルというかたちで供給している。2010年からのスーパーバイク世界選手権へのスポット参戦が発表されたが、資金難のために実際の参戦は2010年のモンツァラウンド英語版の1戦に限定され、2011年からのフル参戦も発表されていたが、2011年のポルティマオラウンド英語版へのスポット参戦にとどまった[1]

沿革[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 秀雄は、予科練生航空機関士として戦争終結まで飛行機に携わったことで自らのアイデンティティが確立したと考えていた。秀雄が飛行機に携わっていた時代の航空用エンジンは4ストロークのレシプロエンジンが主流だった。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 迫田秀正「3年目を迎えたハヤブサ」、『Bikers Station』第162巻、遊風社2001年3月、 P. 33-51、 雑誌07583-3。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]