愛宕神社

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愛宕神社
Atago-jinja (Kyoto) entrance.JPG
社殿
所在地 京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1
位置 北緯35度03分35.59秒
東経135度38分04.08秒
座標: 北緯35度03分35.59秒 東経135度38分04.08秒
主祭神 (本殿)伊弉冉尊埴山姫神・天熊人命・稚産霊神豊受姫命
(若宮)雷神迦遇槌命・破无神
社格 府社
別表神社
創建 大宝年間(701年-704年
別名 阿多古神社・愛宕さん
例祭 9月28日
主な神事 鎮火祭(4月24日
千日通夜祭(通称 千日詣り、7月31日夜-8月1日早朝)
火臼祭(11月亥の日)
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鳥居

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都府京都市右京区にある神社。旧称は阿多古神社旧社格府社で、現在は別表神社

全国に約900社ある愛宕神社の総本社である。現在は「愛宕さん」とも呼ばれる。

概要[編集]

山城丹波国境の愛宕山(標高924m)山頂に鎮座する。古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として知られた。

火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われる。上方落語では、「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在する。

祭神[編集]

現在は以下の神を祭神としている。

  • 本殿
    • 伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
    • 埴山姫神 (はにやまひめのみこと)
    • 天熊人命 (あめのくまひとのみこと)
    • 稚産霊神 (わくむすびのかみ)
    • 豊受姫命 (とようけびめのみこと)
  • 若宮
    • 雷神 (いかづちのかみ)
    • 迦遇槌命 (かぐつちのみこと)
    • 破无神 (はむしのかみ)
  • 奥宮

歴史[編集]

創建[編集]

大宝年間(701-704年)に、修験道の祖とされる役小角白山の開祖として知られる泰澄によって朝日峰に神廟が建立されたのが創建とされる[1]

概史[編集]

天応元年(781年)慶俊僧都、和気清麻呂によって中興され、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺が建立された。山中には、中国の五台山に模した以下の五寺があったという[1]

  • 朝日峰:白雲寺(愛宕大権現)
  • 大鷲峰:月輪寺
  • 高雄山:神願寺(神護寺
  • 竜上山:日輪寺
  • 賀魔蔵山:伝法寺

その後は神仏習合において修験道の道場として信仰を集め、9世紀には霊山として七高山の1つに数えられた(愛宕信仰も参照)。なお『延喜式神名帳』に「丹波国桑田郡 阿多古神社」の記載があるが、これは亀岡市の愛宕神社(元愛宕)を指すと考えられている。この時代、本殿には愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵が、奥の院(現 若宮)に愛宕山の天狗の太郎坊が祀られていた。

江戸時代には勝地院・教学院・大善院・威徳院・福寿院等の社僧の住坊があり、繁栄を見せていた。

明治の神仏分離により、白雲寺は廃絶されて愛宕神社になると同時に、勝軍地蔵は京都市西京区大原野の金蔵寺に移された。

明治14年(1881年)に近代社格制度において府社に列格。第二次大戦後は神社本庁別表神社となった。

明治以降[編集]

明治期には参詣道の途中にいくつか茶店があり、休憩する者や名物の土器(かわらけ)投げで賑わったという。また、茶店では疲れた客への甘味として、しん粉 (うるち米の粉を練って作った団子) が振舞われていた。

昭和4年(1929年)から同19年(1944年)にかけては、京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅から参詣路線として、愛宕山鉄道の平坦線(普通鉄道)と鋼索線(ケーブルカー)が存在した。また、愛宕山にはホテルや山上遊園、スキー場が設けられて比叡山同様の山上リゾート地となっていたが、戦時体制下でこれらは撤去された。戦後は再び信仰の山に戻った。

主な祭事[編集]

  • 鎮火祭(4月24日
  • 嵯峨祭(5月第3・4日曜) - 野宮神社と合同。
  • 千日通夜祭(7月31日夜~8月1日早朝)- 通称 千日詣り。このときに参拝すると、千日分の火伏・防火の御利益があるとされ、毎年数万人の参拝者がある。清滝から愛宕神社への登山道は夜間のあいだ照明が点灯される。登山者は下山者に対して「おくだりやす」、反対に下山者は登山者に対して「おのぼりやす」と挨拶する慣例がある。
  • 火臼祭(11月亥の日)

境内[編集]

摂末社[編集]

社殿前の神明社(右)と熊野社(左)

関連する出来事[編集]

平安時代近衛天皇崩御後に院政を行っていた鳥羽法皇が天皇の甥である重仁親王を擁立しようとしたところ、親王の父である崇徳上皇藤原頼長に命じて愛宕神社で呪詛を行わせて天皇を呪い殺したという噂が広まり、これに激怒した法皇は重仁親王の代わりに後白河天皇を即位させた。これがきっかけで保元の乱が発生したとされている。

天正10年(1582年)5月、明智光秀は戦勝祈願のために愛宕神社に参蘢し、本能寺織田信長を攻めるかどうかを占うためを引き、3度の凶の後、4度目に吉を引いたという。翌日、同神社で連歌の会(愛宕百韻)を催したが、その冒頭に詠んだ歌「時は今 あめが下しる 五月哉」は光秀の決意を秘めたものとされる。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

現地情報[編集]

一の鳥居

参詣ルート[編集]

昭和期には愛宕山鉄道による鉄道・ケーブルカーがあったが、現在の参詣手段は徒歩のみによる。ベンチなどの休憩施設はあるものの茶店等はなく、社務所に公衆電話と缶ジュースの自動販売機が一か所にあるのみである。

参詣といえども登山に等しく、天候により真夏以外は朝夕寒かったり山上が雲の中に入って濃霧に覆われる時もあるので防寒具や雨具が必要な時もある。また、千日詣りの日(の表参道)を除いて参道には夜間の照明は殆どない。往復で4~5時間掛かる為、午後から山に登ると下山するまでに日没になってしまい、外灯が殆ど無いため懐中電灯を装備していないと遭難状態となる事があるので、注意が必要。

愛宕山の山頂は924mであるが、一般人は立ち入りできない。代わりに北方約400mにある三等三角点「愛宕」(890.06m)に行くと、京都方面の眺望が広がる。

清滝ルート(表参道)[編集]

清滝口鳥居
  • 所要時間 - 約2時間(約4.5km)
  • 登山口までの主なアクセス
    • 駐車場有り(清滝金鈴橋駐車場100台:有料 1回休日1000円、平日500円)
    • バス(「清滝」バス停。いずれも阪急嵐山駅を経由)
      • 京都駅から京都バス72系統または快速72系統・清滝行き(約1時間)
      • 四条河原町三条京阪から京都バス62系統・清滝行き(約1時間)
      • 阪急嵐山駅から上記2バスか、嵐山・嵯峨野周遊シャトルバス(休日のみ)・京都バス臨時94系統(休日のみ)清滝行き(約20分)

表参道であり階段が整備され、3合目・5合目・7合目には休憩所も設置されている。道中は、鳥居本の一の鳥居から愛宕神社まで50丁に分けられ、1丁ごとに目印があり、昔は茶店もあった。5合目にはスギの大木を祀った大杉大神がある。また、7合目過ぎにはハナ売場があり、昔は参詣者に対し火災護符のが売られていた。ここで水尾ルートと合流し、15分ほど歩くと黒門に着く。黒門は京口惣門とも呼ばれ、白雲寺時代の京側の惣門である。当時はここからが境内であり、数少ない白雲寺の遺構の1つである。京口惣門同様、丹波側にも惣門があったが、現在は残っていない。この黒門の先を400メートルほど歩くと本殿へと通じる階段があり、ここを登ると本殿に到着する。

水尾ルート[編集]

  • 所要時間 - 約1時間半(約3.5km)
  • 登山口までの主なアクセス

「京都市農協水尾支店」の白い看板を東へ進むと水尾簡易水道の施設があり、分岐を左へ進むと、水尾の里からの登山道に出る。ハナ売場(7合目)で清滝ルートに合流する。

月輪寺ルート[編集]

  • 登山口までの主なアクセス
    • 清滝登山口から徒歩約50分

登山口から歩いていくと、空也滝がある。空也がここで修行をしたとされる。途中にある月輪寺は愛宕神社前身の白雲寺と関係が深く、空也法然九条兼実ゆかりの寺である。月輪寺にあるホンシャクナゲは、京都市天然記念物指定。

首無地蔵ルート[編集]

  • 所要時間 - 約50分
  • 登山口までの主なアクセス
    • 駐車場有り(無料)
    • 清滝登山口から徒歩約100分

樒原ルート[編集]

樒原口鳥居

丹波側から登る際によく用いられたルートである。登山口から5分ほど歩くとジープ道に合流し、その後は愛宕神社までジープ道を歩く。山頂の三等三角点からしばらく行くと愛宕神社に到着する。

越畑ルート[編集]

越畑から地蔵山を越え、樒原ルートに合流する。

神明峠ルート[編集]

  • 登山口までの主なアクセス
    • 水尾から徒歩約40分

途中から樒原ルートに合流する。

脚注[編集]

  1. ^ a b 神社由緒書。

参考文献[編集]

  • 『愛宕詣り』(神社由緒書)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]