愛宕念仏寺
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| 愛宕念仏寺 | |
|---|---|
本堂(重要文化財) |
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| 所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5 |
| 位置 | 北緯35度1分52.95秒 東経135度39分40.04秒 |
| 山号 | 等覚山(とうかくざん) |
| 宗派 | 天台宗 |
| 本尊 | 千手観音 |
| 創建年 | 8世紀中頃 |
| 開基 | 稱徳天皇 |
| 正式名 | 等覚山 愛宕念仏寺 |
| 別称 | 千二百羅漢の寺 |
| 文化財 | 本堂(重要文化財) 金剛力士像(京都市指定文化財) |
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は京都府京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院。 本尊は厄除千手観音、別名千二百羅漢の寺。愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる。
目次 |
[編集] 歴史
8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建。平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたらしい。すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失。廃寺同然を、醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興した。千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。 この際いったんは七堂伽藍を備え勅願寺としての体裁を整えたが、その後は興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。1922年それらを移築して現在地での復興を目指すが失敗。あまりの荒れように、1955年に天台宗本山から住職を命じられた西村公朝も、引き受けるのをためらったという。それを清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、おまえは復興者、復興者やといってもらえる。わしも手伝ってやるから」(※)の激励で復興に取りかかった。以来、仏師として全国を飛び回る傍ら、本堂、地蔵堂、仁王門などを整備した。 素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年。当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達した(※西村公朝『仏像は語る』新潮社、1993年8刷、212頁)。
[編集] 境内
- 本堂 - 国の重要文化財、鎌倉時代中期再建、 本尊千手観音安置
- 多宝塔 - 釈迦如来石像安置、前に伝教大師像
- 羅漢洞
- 仁王門 - 江戸時代中期建立、金剛力士(仁王)像(鎌倉時代、京都市指定文化財)安置
- 地蔵堂 - あたご本地仏火除地蔵尊安置
- ふれ愛観音堂
- 三宝の鐘
- 石像千二百羅漢
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財
- 本堂
- 木造千観内供坐像
[編集] 利用情報
- 閉門日 - 無休
- 開門時間 - 8:00~17:00
- 所在地 - 住所: 〒616-8439 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5