ワダ・エミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ワダ・エミ
生誕 1937年3月18日(78歳)
日本の旗 日本京都府
出身校 京都市立美術大学
職業 衣裳デザイナー
配偶者 和田勉
受賞 アカデミー賞(1986年)
織部賞(2007年)

ワダ・エミ(本名:和田恵美子[1]1937年3月18日[2] - )は、日本衣裳デザイナー京都府出身。

略歴[編集]

1959年に京都市立美術大学西洋画科を卒業。大学在学中の20歳の時、演出家の和田勉と結婚。新婚時代に夫が演出する舞台の衣裳を手がけたのを機に衣装デザイナーとなる。その後、順調に仕事の依頼が舞い込み、海外の仕事も手掛ける。『』(1985年・黒澤明)の衣裳デザインにより日本人女性初となるアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞。2007年には女性初の織部賞グランプリを受賞した。

主な業績[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

その他[編集]

実家・野口茂平衛について[編集]

ワダ・エミの曾祖父にあたる野口茂平衛(野口茂平)は富山県出身。裸一貫で大阪に出て医薬品販売「立志堂」を経営し、富を得た。それによって神戸六甲山一帯を我が物とし、京都・下鴨で2000坪の土地を手に入れ、後妻・たつのために屋敷を建てた。また、天保山私立遊園地の発起人となり、大阪市議にもなっている。しかし、肺病の薬として売り出した「肺労散」が宮武外骨の『滑稽新聞』にインチキ医薬品と指弾され、茂平衛個人も「詐欺師」「野蜘蛛」と激しく批判された。著書『肺病新論』。

茂平衛の跡は子の進が継ぎ、さらにその次男である信男が跡を継いだ。信男も大阪で製薬会社を興したが、第二次世界大戦敗戦によって会社を手放した(会社そのものは、別人の手によって現存)。信男と寿美子の夫婦は4女1男を儲けたが、真っ先に生まれたのが恵美子である。

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ ワダ エミとは > ワダ エミ』 2009年 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 コトバンク
  2. ^ 3月18日はワダ・エミの誕生日です』 2014年3月18日 FASHION HEADLINE

外部サイト[編集]