ワダ・エミ

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ワダ・エミ(本名:和田恵美子、1937年3月18日 - )は、京都府出身の衣裳デザイナー

略歴[編集]

1959年(昭和34年)京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)西洋画科卒業。大学在学中の20歳の時、演出家の和田勉と結婚。新婚時代に夫が演出する舞台の衣裳を手がけたのがキッカケ。その後、順調に仕事の依頼が舞い込み、海外の仕事も手掛ける。黒澤明の『』(1985年)の衣裳デザインにより日本人女性初のアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞した。

主な業績[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

その他[編集]

実家・野口茂平衛について[編集]

ワダ・エミの曾祖父である野口茂平衛(野口茂平)は富山県出身。裸一貫で大阪に出て医薬品販売「立志堂」を経営し、富を得た。それによって神戸六甲山一帯を我が物とし、京都・下鴨で2000坪の土地を手に入れ、後妻・たつのために屋敷を建てた。また、天保山私立遊園地の発起人となり、大阪市議にもなっている。しかし、肺病の薬として売り出した「肺労散」が宮武外骨の『滑稽新聞』[1]にインチキ医薬品と指弾され、茂平衛個人も「詐欺師」「野蜘蛛」と激しく批判された。著書『肺病新論』。

茂平衛の跡は子の進が継ぎ、さらにその次男である信男が跡を継いだ。信男も大阪で製薬会社を興したが、第二次世界大戦敗戦によって会社を手放した(会社そのものは、別人の手によって現存)。信男と寿美子の夫婦は4女1男を儲けたが、真っ先に生まれたのが恵美子である。

脚注[編集]

  1. ^ 和田勉「この道」連載48回(『中日新聞2003年2月3日夕刊)には、同じく宮武の「著書『スコブル』で、薬を法外な値段で売る茂平衛薬九層倍商法を徹底的に叩く」とあるが、『滑稽新聞』が正しい。なお、『滑稽新聞』も『スコブル』も宮武が編集した雑誌である。また、宮武は茂平衛を「茂平」と表記している。

外部サイト[編集]