マーガレット・オブ・アンジュー

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マーガレット・オブ・アンジュー(15世紀の装飾写本から)

マーガレット・オブ・アンジューMargaret of Anjou, 1429年3月23日 - 1482年8月25日)は、イングランドヘンリー6世の王妃。フランス語名はマルグリット・ダンジュー(Marguerite d'Anjou)。

ロレーヌ公国ポンタ=ムッソンの生まれ。ロレーヌ公アンジュー公兼ナポリルネ・ダンジューとロレーヌ女公イザベルの娘。フランスシャルル7世の王妃マリー・ダンジューの姪に当たり、ヴァロワ家の一族であるが傍系のヴァロワ=アンジュー家の出身である。

1445年4月23日ヘンリー6世と結婚した。王の側近サフォーク公の肝煎りで百年戦争の和平の一環として行われた政略結婚であったが、フランス側からの持参金は一切無く、むしろイングランド側がアンジューメーヌを割譲する(アンジュー家に返還する)という条件の下に行われた。この内容にイングランド宮廷内では不満が鬱積し、薔薇戦争の原因の一つとなった。

マーガレットは、精神的に不安定であったヘンリー6世に代わってランカスター家を支えた。エドワード4世の即位によってヘンリー6世とともに追放されたが、1470年、キング・メーカーのウォリック伯リチャード・ネヴィルを取り込んでヘンリー6世を復位させた。精神不安定な夫を差し置いて、ランカスター派の旗印となって自ら戦争の指揮をとり、王はヘンリーではなくマーガレットだとすら言われた。捕虜としたヨーク派の騎士や歩兵らへの処罰は凄惨を極め、のちにシェイクスピアは戯曲「ヘンリー六世」で、「あのフランスの雌狼め!」とマーガレットをののしる言葉を織り込んだ。

1471年、巻き返したエドワード4世に敗れ、夫と世嗣エドワードを殺された。ロンドン塔などに幽閉された後、1478年に従兄のフランス王ルイ11世による身代金支払いにより釈放され、1482年8月25日アンジューで死亡して葬られた。