ハンフリー・オブ・ランカスター
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ハンフリー・オブ・ランカスター(Humphrey of Lancaster, 1390年10月3日 - 1447年2月23日)は、ランカスター朝の王族でイングランド王ヘンリー4世と最初の妻メアリー・ド・ブーンの四男。ヘンリー5世、クラレンス公トマス、ベッドフォード公ジョンの弟。1414年にグロスター公に叙された。ペンブルック伯でもあった。
長兄ヘンリー5世が1422年に急死した後、甥ヘンリー6世の摂政、護国卿の地位に就いた。百年戦争では抗戦派であったので、和平派の叔父ヘンリー・ボーフォート枢機卿らと対立した。1425年に妻の権利を主張してネーデルラントに侵略し、イングランドと同盟していたブルゴーニュ公フィリップ善良公と対立、敗退した。
やがて和平派がヘンリー6世の周辺を取り囲むようになり、サフォーク伯ウィリアム・ドゥ・ラ・ポールら和平派の工作により1447年に逮捕され、同年に急死した。
1422年にエノー女伯及びホラント女伯ジャクリーヌと結婚した。ジャクリーヌは1子を死産し、その後は子供ができなかった。ジャクリーヌは先夫ブラバント公ジャン4世と離縁しての再婚であったが、後に先夫との結婚が有効でありハンフリーとの結婚は無効であるとされた。その後ハンフリーは愛人エレノア・コブハムと再婚したが、子供が生まれなかったため、グロスター公は断絶した。