エリザベス・ウッドヴィル
エリザベス・ウッドヴィル(Elizabeth Woodville, 1437年頃 - 1492年6月8日)は、イングランド王エドワード4世の王妃。父はリヴァーズ伯リチャード(Sir Richard Woodville)、母はルクセンブルク家傍系のサン=ポル伯ピエールの娘ジャケッタ(Jacquetta of Luxembourg)。
[編集] 生涯
エリザベスはヘンリー6世の王妃マーガレット・オブ・アンジューの侍女で、1452年にランカスター派のジョン・グレー卿(Sir John Grey, 7th Baron Ferrers of Groby)と結婚した。1461年、セント・オールバーンズの戦いでジョンは戦死した。
未亡人になったエリザベスはエドワード4世に近づき、ジェーン・ショア(Jane Shore)を始めとする多くの愛人を差し置いて、その寵愛を獲得する。1464年5月1日、エドワード4世と密かに結婚した。政権の有力者ウォリック伯リチャード・ネヴィルは結婚に反対し、エドワード4世と激しく対立するようになった。
1471年、ウォリック伯を倒したエドワード4世は国内を平定した後、1483年に病死する。エドワード5世は父の後を継いだものの、グロスター公リチャード(リチャード3世)派による議会工作で、戴冠式前に王位継承の無効を宣言され、ロンドン塔に送られた。エドワード4世とエリザベスの結婚が重婚と見なされ、不法とされたためである。エドワード4世が以前エリナー・バトラーと結婚しており、エリナーがエリザベス・オブ・ヨーク誕生の頃まで生きており、エドワード4世はその後もエリザベス・ウッドヴィルとの結婚を合法化する策を講じなかったため、リチャード3世は自身が即位するほか何もできなかったとも言われる。
エリザベスは家族とともにウェストミンスター寺院に逃れて細々と命脈を保った。リチャードはエリザベスに危害を加える気は全くなかったが、罪悪感と欲に駆られたエリザベスが持てる限りの宝飾品を持って立てこもり、いくら説得されても出てこなかったともいわれる。
1485年、リチャード3世が倒されるとヘンリー7世がエドワード4世とエリナー・バトラーの結婚の証拠を全て破棄(国外には残った)、エリザベスは再び王妃としての権利を得、長女エリザベス・オブ・ヨークはヘンリー7世の王妃になった。
王の未亡人としての年金も復活し、安定した生活が送れるかと思われたが、ランバート・シムネル(Lambert Simnel)という王位僭称者がエドワード5世であると名乗り出てから、暗転した。エリザベス自身はランバートと何のつながりもなかったが、疑り深いヘンリー7世は義母を追求した。彼女はバーマンジー僧院(Bermondsey Abbey)に逃げ込み、年金を断たれて、貧困のうちに死去した。
[編集] 参考文献
- Denny, Joanna "Anne Boleyn"
[編集] 小説
- Gregory, Philippa "The White Queen"
- Penman, Sharon Kay "The Sunne in Splendour"
- Plaidy, Jean " The Sun in Splendour"
- Worth, Sandra "The King's Daughter"