ジャスパー・テューダー (ベッドフォード公)

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ジャスパー・テューダーの紋章

ベッドフォード公ジャスパー・テューダー(Jasper Tudor, 1st Duke of Bedford, 1431年頃 - 1495年12月21日(26日?))は、イングランドヘンリー7世の叔父。1485年のヘンリー7世のイングランド王即位の立役者である。

ジャスパーは、オウエン・テューダーと王太后キャサリン・オブ・ヴァロワヘンリー5世の未亡人)の三男であった。それ故、国王ヘンリー6世の異父弟として、1452年あるいは1453年ペンブルック伯(Earl of Pembroke)に叙せられた。不確実ではあるが彼らは合法的な「元王妃の子」であるため、ヘンリー6世の庇護の下で王族としての特典を享受し、薔薇戦争ではヘンリー6世を助けてヨーク派と戦うことになる。1461年モーティマーズ・クロスの戦いでは父オウエン・テューダーと共にランカスター派を指揮して敗北している。

ジャスパーはヘンリー6世の王妃であるマーガレット・オブ・アンジューと連絡を取り続けた。彼女はヨーク派に奪われた自分の息子エドワードの王位継承権を取り戻そうと躍起になっており、マーガレットと同盟することでデンビ城(Denbigh Castle)を手に入れた。また亡き兄エドマンドの子であるリッチモンド伯ヘンリーについても、保護がウィリアム・ハーバート(William Herbert)に引き継がれる1461年まで養育した。

ヨーク派のエドワード4世の復権によって1471年に一時的に追放された時には、ジャスパーはまだ10代のヘンリーを連れてブルターニュに行った。ヘンリーが後にボズワースの戦いで戦闘経験豊かなリチャード3世を破るほどの戦術的知識を得ることができたのは、彼のおかげであった。1485年にヘンリーが即位すると、ジャスパーはガーター勲章を含む全ての称号を回復され、ベッドフォード公爵に列せられた。1488年、彼はカーディフ城(Cardiff Castle)を所有した。

ジャスパー・テューダーは1495年12月に死んで、サマセットのケインシャム修道院(Keynsham Abbey)に埋葬された。

家族[編集]

ジャスパーは1485年11月7日にキャサリン・ウッドヴィル英語版(1458年 - 1509年)と結婚した。キャサリンはリチャード・ウッドヴィルジャケッタ・オブ・ラクセンバーグ(ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの未亡人)の娘であり、エリザベス・ウッドヴィルアンソニー・ウッドヴィル (第2代リヴァーズ伯爵)英語版リチャード・ウッドヴィル (第3代リヴァーズ伯爵)英語版の妹であった。また、彼女はバッキンガム公ヘンリー・スタフォードの未亡人でもあった。

2人の間には1490年頃に死産だった子がいたかもしれない。キャサリンはジャスパーより長生きして、そして後にキンボルトン城英語版リチャード・ウィンフィールド英語版と結婚した。

伝えられるところによれば、ジャスパーには2人の私生児がいた。

爵位
先代:
新設
ベッドフォード公爵
1485年 - 1495年
次代:
消滅
先代:
新設
ペンブルック伯爵
1431年頃 - 1495年
(1461-1485年は中断)
次代:
消滅