リチャード・ウッドヴィル (初代リヴァーズ伯爵)

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リチャード・ウッドヴィル(Richard Woodville(Wydeville)[1], 1st Earl Rivers, 1405年 メードストン - 1469年8月12日 ケニルワース英語版)は、イングランドの貴族、初代リヴァーズ伯爵英語版エドワード4世の王妃エリザベス・ウッドヴィルの父親として知られる。

生涯[編集]

ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの侍従であったサー・リチャード・ウッドヴィルとその妻ジョーン・ベドリスゲート(Joan Bedlisgate)の間の息子として生まれた[2]。ベッドフォード公の死後まもなく、その未亡人ジャケット・ド・リュクサンブールと結婚した。1448年にヘンリー6世王によりリヴァーズ男爵(Baron Rivers)に列せられ、1450年にガーター騎士団の騎士に列せられた。1459年には五港長官英語版に就任した。1455年に薔薇戦争が始まると、最初はランカスター家を支持したが、その後ヨーク家支持に転じた。1464年に娘のエリザベスがヨーク派の王エドワード4世と結婚すると、1466年に国王の義父としてリヴァーズ伯爵の称号を授けられた。同年3月に大蔵卿英語版、翌1467年に大司馬に就任した。

しかし新興のウッドヴィル家が外戚として急に権勢を得たことは、ウォリック伯を始めとする名門の封建諸侯たちの不興を買った。1468年にはウッドヴィル家の所領がウォリック伯の郎党によって略奪される事件が起きた。1469年7月26日にヨーク派がエッジコート・ムーアの戦いで敗北すると、リヴァーズ伯は息子ジョンとともに敵方の捕虜となってチェプストウ英語版に拘禁され、8月12日にジョンと一緒に斬首された。長男のアンソニーが伯爵位を相続した。

子女[編集]

ウッドヴィル伯爵夫妻の間には14人の子女があった。

脚注[編集]

  1. ^ 「Woodville」は現代において一般的な綴りであるが、15世紀当時はあまり使用されず、「Wydeville」「Wydville」と綴られることが多かった。
  2. ^ Peerage.com
  3. ^ 初代エセックス伯爵ヘンリー・バウチャー英語版の嫡子で、リチャード・オブ・コニスバラの外孫。

参考文献[編集]

  • Hicks, Michael. "Woodville, Richard". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/29939 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  • Cokayne, George E. Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, Extant, Extinct, or Dormant. London: G. Bell & Sons, 1887. (p. 207) googlebooks Retrieved 4 May 2008
  • Lenman, Bruce(ed). Chambers Dictionary of World History ISBN 0-550-13000-4
  • Jenkins,Elizabeth. The Princes in the Tower
公職
先代
バッキンガム公爵
五港長官
1459年 - 1460年
次代
ウォリック伯爵
先代
ウスター伯爵英語版
大司馬
1467年 - 1469年
次代
グロスター公爵
先代
マウントジョイ卿英語版
大蔵卿
1466年 - 1469年
次代
ジョン・ラングストローサー英語版
イングランドの爵位
先代
新設
リヴァーズ伯爵
1466年 - 1469年
次代
アンソニー・ウッドヴィル