ジョン・オブ・ランカスター

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ジョン・オブ・ランカスター (左)

ジョン・オブ・ランカスター(John of Lancaster, 1389年6月20日 - 1435年9月14日)は、ランカスター朝の王族でイングランドヘンリー4世と最初の妻メアリー・ド・ブーンの三男。兄にイングランド王ヘンリー5世クラレンス公トマス、弟にグロスター公ハンフリーがいる。ベッドフォード公リッチモンド伯に叙された。長兄ヘンリー5世が1422年に急死した後、甥ヘンリー6世フランス王として即位したため、フランス摂政の地位に就いた。

イングランドでは叔父のヘンリー・ボーフォート枢機卿と弟のハンフリーが主導権を巡って対立し、その収拾に努めている。また、幼い王に代わって百年戦争を指導し、1424年にはヴェルヌイユの戦いでフランス軍を破るなどした。ブルゴーニュフィリップ善良公との同盟を堅持するため、ネーデルラントでのハンフリーと善良公の仲介も行っている。しかし、1435年に善良公とフランス王シャルル7世が和睦し、同年にジョンは失意のまま直後に死去した。以後イングランドは劣勢を覆せず、百年戦争の終戦を迎えることになる。

1423年トロワで善良公の妹アンヌと結婚した。1432年にアンヌと死別後、サン=ポル伯ピエール1世の娘ジャケッタと再婚した。いずれの結婚でも子は得られていない。

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