ピエール1世・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯)

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サン=ポル伯ピエール1世

ピエール1世・ド・リュクサンブールPierre Ier de Luxembourg, 1390年 - 1433年)は、百年戦争期のフランスの貴族、軍人。ブリエンヌおよびコンヴェルサーノ伯(1397年 - 1433年)、サン=ポル伯(1430年 - 1433年)。

生涯[編集]

リニー伯ギーの息子ジャン・ド・リュクサンブールと、ブリエンヌ伯ルイ・ダンギャンの娘で女子相続人のマルグリット・ダンギャンの間の長男として生まれた。百年戦争では弟のリニー伯ジャンルーアン大司教・フランス大法官ルイとともに、イングランドブルゴーニュ陣営についた。1430年にブルゴーニュフィリップ・ル・ボン金羊毛騎士団を創設した際、騎士団の最初の30人の会員の1人に選ばれている。1433年、摂政ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの義父となったことから、イングランド軍の司令官の地位を与えられた。

1430年に従甥のブラバント公フィリップ・ド・サン=ポル、伯母のジャンヌが相次いで死んだため、サン=ポル伯領を継いだ。このときリニー伯領も同時に相続するはずだったが、伯母のジャンヌは慣例に反してお気に入りだったピエールの次弟ジャンにリニーを譲ったという[1]ランビュール英語版においてペストに罹り急死、遺骸はセルカンプ修道院フランス語版に葬られた。

子女[編集]

1405年5月8日、ナポリ貴族のアンドリア公フランチェスコ1世・デル・バルツォの娘マルゲリータ(1394年 - 1469年11月15日)と結婚した。マルゲリータは名目上のラテン皇帝ジャック・デ・ボーおよびナポリ王妃アントーニア・デル・バルツォの異母妹にあたる。夫妻は以下の子供をもうけた。

引用[編集]

  1. ^ R・ペルヌー、M・V・クラン『ジャンヌ・ダルク』東京書籍、1992年、P183

参考文献[編集]

  • Raphaël De Smedt (Hrsg.): Les chevaliers de l'ordre de la Toison d'or au XVe siècle. Notices bio-bibliographiques. 2e édition entièrement revue et enrichie. Lang, Frankfurt am Main u. a. 2000, ISBN 3-631-36017-7, S. 22–24 (Kieler Werkstücke. Reihe D: Beiträge zur europäischen Geschichte des späten Mittelalters. Bd. 3).

外部リンク[編集]