ロレーヌ公
ロレーヌ公(仏:duc de Lorraine)またはロートリンゲン公(独:Herzog von Lothringen)は、現在はフランスのロレーヌ地域圏となっているロレーヌ(ロートリンゲン)地方に存在したロレーヌ(ロートリンゲン)公国の君主。初期はフランク王国の部族大公であり、ロートリンゲン大公(ロタリンギア大公)とも呼ばれるが、訳語の違いに過ぎない。フランスとドイツの間に位置し、歴史的にもフランス王国と神聖ローマ帝国との間で帰属の変遷があり、日本語での呼称はフランス語に基づくものとドイツ語に基づくものが混用されるほか、称号自体も時代によって定訳が(「大公」と「公」で)異なる。
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[編集] 歴史
[編集] 成立
ロレーヌ/ロートリンゲンの名は直接には、カロリング朝フランク王国が分裂した際、中フランク王ロタール1世の次男ロタール2世に与えられた領土ロタリンギアに由来する。これはさらに「ロタールの王国」(Lotharii Regnum)に由来する。その領域はおおよそライン川の左岸全てと現在のベネルクスに及んでいた。カール大帝の宮廷のあったアーヘンや、トリーア、マインツ、ケルンなどを含む、フランク王国の中心地域であった。
ロタール2世が死ぬと、メルセン条約でロタリンギアは東西フランクに分割されたが、880年のリブモント条約で全域が東フランク王国領となった。911年に東フランクのカロリング朝が断絶すると、ロタリンギアの貴族たちはいったん西フランク王国への帰属を決めるが、928年に東に復帰している。
911年の東フランクのカロリング朝断絶以後の混乱により、東フランクの各地では領域統合が進行した。ロタリンギアでもこの頃から有力者が登場し、東フランク王から大公の位を与えられ、その権力を承認されるようになった。
[編集] オットー大帝のロタリンギア支配
939年、ロタリンギア大公ギゼルベルトは、オットー大帝の弟ハインリヒを擁立し反旗を翻したが、オットー大帝に敗れた。オットーは代わって自らの娘婿コンラート赤毛公(ザリエル家、在位:940年 - 954年)をロタリンギア大公として送り込んだ。954年にコンラート赤公が反乱を起こすと廃位し、代わって自らの弟ケルン大司教ブルーノをロタリンギア大公とした。
[編集] ロタリンギアの上下分割
ブルーノの下でロタリンギアは上下に分割された。959年、ゴドフロワが下ロタリンギア辺境伯に、フレデリックが上ロタリンギア辺境伯にそれぞれ任じられた。そして2人は、965年のブルーノの死とともに大公に格上げされた。以後、ロタリンギアはライン左岸を中心とする上ロタリンギアと、ベネルクスを中心とする下ロタリンギアの2地域に分裂していった。
[編集] 下ロタリンギア
12世紀には下ロタリンギア公位はルーヴァン伯が世襲するようになり、この頃からブラバント公とも呼ばれるようになった。この領邦についてはブラバント公国を参照。
[編集] 上ロタリンギア(ロレーヌ)
11世紀から12世紀、上ロタリンギア公の位はメッツ伯が世襲するようになった。下ロタリンギアがブラバントと呼ばれるようになると、こちらは単に「ロートリンゲン」「ロレーヌ」と呼ばれるようになる。この領邦は1766年まで存続した。
1737年、ポーランド継承戦争の結果、ハプスブルク家の女王マリア・テレジアの夫であったロレーヌ公フランソワ3世エティエンヌ(後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)は、フランス王ルイ15世の岳父で元ポーランド王のスタニスワフ・レシチニスキ(スタニスラス)にロレーヌ公位を譲った。1766年にスタニスワフが死去すると、ロレーヌ公国はフランスに併合されて消滅した。
その後ロレーヌは、1871年の普仏戦争の結果ドイツ帝国直轄領となり、1919年のヴェルサイユ条約でフランス領に復帰している。
[編集] 歴代領主一覧
[編集] ロタリンギア大公
- ゲープハルト(903年 - 910年)
- ギゼルベルト(925年 - 939年)
- ハインリヒ1世(939年 - 940年) バイエルン公
- オットー(942年 - 944年)
- コンラート(944年 - 953年)
- ブルーノ(953年 - 965年) ケルン大司教
[編集] 下ロタリンギア公
- ゴドフロワ(1世)(下ロタリンギア辺境伯、959年 - 964年)
- リシャール(968年 - 972年)
- シャルル(1世)(976年 - 991年)
- オットー(991年 - 1012年)
- アルデンヌ=ヴェルダン家
- ゴドフロワ2世(1世)(1012年 - 1023年)[1]
- ゴデロン1世(1023年 - 1044年) 上ロタリンギア公を兼ねる。
- ゴデロン2世(1044年 - 1046年)
- フレデリック(1046年 - 1065年)
- アルデンヌ=ヴェルダン家
- ゴドフロワ3世(2世)(1065年 - 1069年) 上ロタリンギア公を兼ねる。
- ゴドフロワ4世(3世)(1069年 - 1076年)
- コンラート(1076年 - 1087年) イタリア王、ドイツ王。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の次男
- アルデンヌ=ブイヨン家
- ゴドフロワ5世(4世)(1087年 - 1100年)エルサレムの初代聖墓守護者
- リンブルク家
- アンリ(1101年 - 1106年) リンブルフ公
- ルーヴァン家
- ゴドフロワ6世(5世)(1106年 - 1129年)
- リンブルク家
- ヴァルラム(1129年 - 1139年) リンブルフ公、ブラバント公
- ルーヴァン家
- ゴドフロワ7世(6世)(1139年 - 1142年) ブラバント公
- ゴドフロワ8世(7世)(1142年 - 1190年) ブラバント公
以後はブラバント公を参照。
[編集] 上ロタリンギア公
- アルデンヌ=バール家
- フレデリック1世(上ロタリンギア辺境伯、のち上ロタリンギア公、959年 - 978年)
- ティエリー1世(978年 - 1026/1027年)
- フレデリック2世(1026/1027年)
- フレデリック3世(1026/1027年 - 1033年)
- アルデンヌ=ヴェルダン家
- ゴテロン(1033年 - 1044年) 上ロタリンギア公を兼ねる
- ゴドフロワ(1044年 - 1047年) 上ロタリンギア公を兼ねる
[編集] ロレーヌ(ロートリンゲン)公
[編集] シャトノワ=ロレーヌ家
- アダルベール(1047年 - 1048年)
- ジェラール(1048年 - 1070年)
- ティエリー2世(1070年 - 1115年)
- シモン1世(1115年 - 1138年)
- マチュー1世(1138年 - 1176年)
- シモン2世(1176年 - 1205年)
- フェリー1世(1205年 - 1206年)
- フェリー2世(1206年 - 1213年)
- ティボー1世(1213年 - 1220年)
- マチュー2世(1220年 - 1251年)
- フェリー3世(1251年 - 1302年)
- ティボー2世(1302年 - 1312年)
- フレデリック4世(1312年 - 1329年)
- ルドルフ(1329年 - 1346年)
- ジャン1世(1346年 - 1390年)
- シャルル2世(1世)(1390年 - 1431年)[2]
- イザベル(1431年 - 1453年)
[編集] ヴァロワ=アンジュー家
- ルネ1世(シャルル2世の女婿、妻のイザベルと共治:1431年 - 1453年) ナポリ王、アンジュー公などを兼ねる
- ジャン2世(1453年 - 1470年)
- ニコラ1世(1470年 - 1473年)
- ヨランド(1473年) ルネ1世とイザベルの娘、ルネ2世の母
[編集] シャトノワ=ヴォーデモン=ロレーヌ家
- ルネ2世(1473年 - 1508年) バル公(シャトノワ家の分家のヴォーデモン伯家出身、ジャン1世の玄孫)
- アントワーヌ(1508年 - 1544年)
- フランソワ1世(1544年 - 1545年)
- シャルル3世(2世)(1545年 - 1608年)
- アンリ2世(1608年 - 1624年)
- ニコル(1624年 - 1625年)
- フランソワ2世(1625年)
- シャルル4世(3世)(1625年 - 1634年)
- ニコラ2世(1634年 - 1661年)
- シャルル4世(3世)(復位、1661年 - 1675年)
- 1669年から1697年まで、ロレーヌはフランスに占領された。
- シャルル5世(4世)(1675年 - 1690年)
- レオポール1世(レオポルト・ヨーゼフ、1690年 - 1729年)
- 1702年から1714年まで、ロレーヌはフランスに占領された。
- フランソワ3世エティエンヌ(フランツ3世シュテファン、1729年 - 1737年) 神聖ローマ皇帝フランツ1世