インドシナ (映画)

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インドシナ
Indochine
監督 レジス・ヴァルニエ
脚本 レジス・ヴァルニエ
ルイ・ガルデル
エリック・オルセンナ
カトリーヌ・コーエン
製作 エリック・ウーマン
ジャン・ラバディ
出演者 カトリーヌ・ドヌーヴ
ヴァンサン・ペレーズ
音楽 パトリック・ドイル
撮影 フランソワ・カトンヌ
編集 ジュヌヴィエーヴ・ウィンディング
配給 日本の旗 ヘラルド・エース
公開 フランスの旗 1992年4月15日
日本の旗 1992年10月3日
上映時間 159分
製作国 フランスの旗 フランス
言語 フランス語
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インドシナ』(Indochine)は、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のフランスの映画。1930年代のフランス領インドシナを舞台としたドラマ。

概要[編集]

1930年代、フランスの植民地だったインドシナに独立運動が起こり始めた頃、インドシナを深く愛しつつも引き離されていくフランス人女性と、独立運動に身を投じたその養女の人生を描く。

あらすじ[編集]

1930年代、インドシナは植民地としてフランスに支配されていた。インドシナ人は、一部の特権階級以外は、虐げられ、苦しい生活の中で共産主義による独立の機運が高まっていた。

インドシナ生まれのフランス人エリアーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、アンナンの王族である友人夫妻を事故で失い、遺児のカミーユ(リン・ダン・ファン)を養女として、遺産である広大なゴム園を受け継いだ。

エリアーヌは成熟した魅力的な女性だが、実父の面倒を見るうちに婚期を逸し、独身のままゴム園の運営を続けていった。 養女のカミーユが美しい娘に成長した頃、エリアーヌは、年下のフランス海軍士官ジャン=バティスト(ヴァンサン・ペレーズ)と恋に落ちた。しかし、共産主義者による発砲事件に巻き込まれたカミーユが、偶然ジャン=バティストに助けられたことで、カミーユはジャン=バティストに熱烈に恋をしてしまった。

カミーユのことでエリアーヌと口論になったジャン=バティストは、人々の面前でエリアーヌを殴り、へき地のドラゴン島に左遷された。


カミーユは幼馴染のタン(エリック・グエン)との結婚を承諾するが、タンに全てを話し、ジャン=バティストを追って単身ドラゴン島に向かった。タンはインドシナ独立を志し、特権階級の暮らしを捨てて、共産主義の独立運動に参加する覚悟を決めていたのだ。

途中から徒歩の旅となったカミーユは、知り合った苦力(クーリー)の一家と共にドラゴン島に辿り着いた。苦力の一家は、より良い暮らしを求めて逃亡して来たのだが、実はドラゴン島は奴隷売買の拠点であった。ばらばらに売られそうになった一家は騒ぎを起こし、母親と子供は見せしめとして殺された。 それを見て激怒したカミーユは、現場を指揮していたフランス人将校を射殺し、ジャン=バティストと共にドラゴン島を脱出した。


共産主義の一党に密かに匿われるカミーユ達。カミーユとジャン=バティストの物語はインドシナ中の話題になり、カミーユは独立運動の『ジャンヌ・ダルク』と見なされるようになった。

やがてカミーユは男の子を産んだが、父親であるジャン=バティストは赤ん坊と共に警察に囚われた。赤ん坊はエリアーヌに引き渡されたが、ジャン=バティストは暗殺された。

夫や息子とは別に逮捕されたカミーユは、5年後に釈放された後、我が子に会わぬまま独立運動に身を投じた。

エリアーヌは、エティエンヌと名付けられたカミーユの息子を安全なフランスで育てるために、生まれ故郷であるインドシナを後にした。


時は流れ、1954年。カミーユは独立を果たしたベトナムの代表として、ジュネーヴ会議に出席した。しかし、息子のエティエンヌは祖母であるエリアーヌの元を離れず、母親に会いに来なかった。エティエンヌは、老いたエリアーヌにとって、彼女が愛した過去のインドシナを象徴する存在であるからだった。

キャスト[編集]

備考[編集]

  • 作中に、ベトナムの世界遺産に登録されているハロン湾の風景が登場する。
  • 多和田葉子の小説『旅をする裸の目』にて、物語の重要な要素の一つとして描かれている。

受賞歴[編集]

外部リンク[編集]