イズミル

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イズミル
İzmir

街の風景
位置
イズミルとイズミル県の位置の位置図
イズミルとイズミル県の位置
座標 : 38°26′N, 27°09′E
行政
トルコ
  イズミル県
 市 イズミル
市長 Aziz Kocaoğlu
(CHP)
地理
面積  
  市域 855km2(330.1mi2
標高 30m(98ft
人口
人口 (2007年現在)
  市域 2,649,582人
    人口密度   3,099人/km2(8,026.4人/mi2
  市街地 2,606,294人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間UTC+2
夏時間 東ヨーロッパ夏時間UTC+3
郵便番号 35xxx
市外局番 (0090)+ 232
ナンバープレート 35
公式ウェブサイト : http://www.izmir.bel.tr/

イズミル(Izmir)はエーゲ海に面するトルコ都市。古くはスミルナ(Smyrna, ギリシア語Σμυρνη)とも呼ばれた。イスタンブルに次いでトルコ第2の規模の港湾施設を持ち、人口ではトルコ第3の都市である。2000年人口は2,409,000人。イズミル県の県都。NATOの司令部が置かれている。その美しさは「エーゲ海の真珠」と称えられる。付近にはエフェソスベルガマペルガモン)、などの古代遺跡もあり、多くの観光客を集める。2005年ユニバーシアード夏季大会の開催地。

2015年国際博覧会の候補地となっていたが、投票でイタリアミラノに敗れた。

目次

[編集] 歴史

古代ギリシア時代のアゴラ

ヘロドトスによれば、紀元前1000年ごろにアイオリス人によって建設され、その後、イオニア人たちの手に渡り、文化的・商業的中心地として大きく発展した。イオニア同盟の主要な都市の一つとなる。ホメロスが暮らしていたのもここであったと言われる。リディアの攻撃(紀元前600年ごろ)によって破壊された。その後、リディアやアケメネス朝ペルシアの支配を経て、アレクサンダー大王の治世下で都市が再建された。紀元前1世紀よりローマ帝国、また、4世紀以降はビザンティン帝国の支配下で繁栄を謳歌する。1415年オスマン帝国に占領された。

17世紀から19世紀にかけては、さまざまな出自の商人たちが集まり、国際商業都市として栄えた。とりわけ、アルメニア商人はイランの絹をヨーロッパの商人に供給して利益をあげた。

19世紀になると、オスマン帝国の欧米に対する経済的従属が深まった。港湾部がイギリス資本によって整備され、1866年にはイズミルからカサバ、イズミルとアイドゥンを結ぶ鉄道が、同様にイギリス資本に支えられ開通した。これによってイズミルは、列強の工業製品を受け入れつつ、農作物を国際市場へと供給する拠点となった。列強による鉄道敷設はさらに進められ、1888年にイズミルとアンカラを結ぶ鉄道の敷設権をドイツが獲得し、1893年に開通させた。

イズミルの海岸

第一次世界大戦においてオスマン帝国が協商国側に降伏すると、1919年5月15日ギリシア軍はアナトリアに上陸し、イズミルを含む一帯を占領した。その後、1920年8月セーヴル条約で、ギリシアによるイズミル地方の領有が期限つきで認められたが、1922年9月にはケマル・アタテュルクの率いたトルコ軍が奪還した。この際、アルメニア人居住区で大火が発生し多数のアルメニア人が死亡した。1923年7月ローザンヌ条約によってトルコの主権が回復された。

[編集] 姉妹都市


[編集] イズミル出身の人物

[編集] 外部リンク