いすゞ・ビークロス

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いすゞ・ビークロス
Isuzu-VehiCross.jpg
販売期間 1997年 - 1999年(北米仕様は2002年まで)
乗車定員 4人
ボディタイプ 3ドア クロスオーバーSUV
エンジン 6VD1型 3.2L V6DOHC 215仏馬力/29.0kgm
駆動方式 4WD
サスペンション 前:ダブルウィッシュボーン
後:4リンクコイルスプリング
全長 4,130mm
全幅 1,790mm
全高 1,710mm
ホイールベース 2,330mm
車両重量 1,750kg
燃料搭載量 85L
-自動車のスペック表-

ビークロスVehiCROSS )は、1997年からいすゞ自動車によって販売されていたSUVである。

概要[編集]

1993年乗用車生産から撤退[1]したいすゞ自動車にとって当時唯一のスペシャルティカーであると同時に、スペシャルティカーとSUVという異なるジャンルを融合させたクロスオーバーカーの先駆けであり、以降ハリアームラーノなどのクロスオーバーSUVの登場に影響を及ぼした車である。[要出典]


型式・車名の由来[編集]

形式名はE-UGS25DW。車名の由来はVehicle(乗り物)とVision(未来像)とCross(交差)を合わせた造語であり、オンロードとオフロード、日常と非日常のクロスオーバーを表現している。

特徴[編集]

サイモン・コックスのデザインによるラウンドしたフォルムやスペアタイヤ内蔵バックドア、黒色PPで造形された車体下部など、極めて個性的なフォルムは大いに注目を浴びた。車体は3ドア車のみで、設定グレードも1つのみであった。いすゞのRVとしては珍しく、ディーゼルエンジン車が存在しないのも大きな特徴であった。

トピックス[編集]

2006年春にビークロスオーナー&ファンクラブ”VehiSQUARE”開設5周年を記念したビークロス専門書籍「VehiCross Perfect~Chronicle1993-2003~」が発売された。コンセプトカー誕生から10年に渡る軌跡を、開発生産販売モータースポーツなど、まさに可能な限りすべてを網羅した歴史本となっている(完全限定販売で、開発コードにちなんだ175部となっている)。 オリジナルビデオ作品『ウルトラマンネオス』に登場する「ハートビーターSX」やウルトラセブン1999最終章6部作のポインターなどのモデル車両になった。 映画ミッション・トゥ・マーズにはオープン仕様の「VX-02」が登場している。

歴史[編集]

1993年、いすゞはコンセプトカーヴィークロス」(ビークロスではない)を第30回東京モーターショーに参考出品させ、その前衛的なスタイリングが広く衆目を集めた。ただヴィークロスは量産型「ビークロス」とは異なり、ジェミニ4WD車のシャシを流用しており、クロスオーバーSUVに近い性格のモデルであった。

ヴィークロスがショー来場者の良好な反応を集めたため市販型の開発が決定、1997年、車名も新たに「ビークロス」として発売された。(当時の担当者が運輸省へ認可のための書類を提出する際、誤って『ビークロス』としたといわれている。そのためか、いすゞのパンフレットなどにはプライドからか『ヴィークロス』と表記されているものが多い。[要出典])シャシーはビッグホーン・ショート型のものに変更となり、車種の性格も本格的なクロスカントリーSUVに改められた。ベース車種が大幅に変更となったため、コンセプトカーのデザインを再現するにあたって相当な困難があったとされている。実車は長くなったオーバーハングなどショーモデルと異なる部分はあるものの、全体としてショーモデルの雰囲気が再現されていた。車体組立てに本来収縮率の異なる鋼体とPPとをうまく接合させる事に神経を使うデザインであったため、かつて117クーペハンドメイド車に携わった熟練組立工が手作業で担当したのも隠れた逸話である。

1992 - 1993年 コンセプトカー「ヴィークロス」の開発[編集]

基本設計・車両開発[編集]

1993年東京モーターショー出品用のコンセプトカーとして、1992年初夏に開発がスタート。企画・基本設計は日本、デザインはヨーロッパで行われた。主にいすゞ・藤沢工場で行われた基本設計では、3代目ジェミニなどで採用されたニシボリック・サスペンション開発者の西堀稔がリーダーとなり作業が進められた。「海外の悪路を走破できる全天候型スポーツカー」というコンセプトのもと、ラリーレイドでも十分対応できる走りのパッケージが追求され、380mmを確保した最低地上高、ロングストロークを実現した4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションの採用などが特徴である。またカーボン素材やアルミフレームなどの高価な素材も多用されている。エンジンは、ジェミニの1.6Lエンジンをベースにしたスーパーチャージャー付きガソリン直噴エンジンの搭載が計画された。

デザイン開発[編集]

デザイン開発はベルギーのIEE(いすゞ・ヨーロッパ・エンジニアリング)で行われ、現在日産自動車常務・デザイン本部長を務める中村史郎がチーフデザイナーとなり、デザイン全体のマネージメントを行った(チーフデザイナーは途中交替)。エクステリアデザインのキーデザイナーは現在GMへ移籍したサイモン・コックス。その後、イギリスに開発拠点を移し最終的なクレイモデルの完成に漕ぎ着けた。3代目ジェミニの基本コンポーネンツを流用して開発されたコンセプトカーであったため、低いフロアやコンパクトなボディが実現可能となった。後の市販化の際にはモノコックボディの技術を継承すべく、再度ジェミニのコンポーネンツ流用も検討されたが、生産設備の関係から結局見送られた。

1997 - 1999年 国内仕様[編集]

初期(1997年3月発表、4月発売)[編集]

1997年3月26日に量産型ビークロスは新車発表され、翌月4月26日より発売が開始された。量産化においては同社ですでに発売されていたミュー、ミュー・ウィザードビッグホーンなどの既存のプラットフォームを有効利用するとともに、当時まだ珍しかったバックアイカメラ連動型モニタを標準装備し、レカロシートやモモのエアバッグ付き本革巻きステアリングを国内では最も早く採用するなど社外ブランドも積極的に取り入れた。

プレミアムプロデュースカラー25設定(1997年11月発表・発売)[編集]

同年11月には当初設定された5色に20色のボディカラーを加えた「プレミアムプロデュースカラー25」がオプション設定された。デザインが注目を浴び、「RV+スペシャリティカー」という現在主流になったクロスオーバー的な新しいクルマの位置づけも評価され、1997‐1998日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞とグッドデザイン賞を受賞した。 発売当初は5色の標準ボディーカラーを十数台から数十台単位でまとめて塗装、生産していたが、途中から受注生産・塗装に近い形となり、プレミアムカラー発売後はほとんどが手吹き塗装である。また、プレミアムカラーはそれまでいすゞが発売してきた乗用車、SUVのフラッグシップカラーを基にしたものが多い。ちなみに、塗装コストが最も高いのはゴールデンイエローマイカとされる。[要出典]

175リミテッドエディション(1999年2月発表・発売)[編集]

1999年2月8日、国内販売終了に際して、最終限定車「175リミテッドエディション」を発売。ビークロスの開発コードに由来して175台がすべて受注生産され発売された。この特別仕様の内容は、国内仕様に代わり生産される北米仕様に準じて、各部メタル調のパーツ、ポリッシュ加工されたアルミホイール、立体デカール、黒を基調とした内装にレッド/ブラックの本革シート、そしてシリアルナンバーを刻印した記念プレートが装備された。たった175台とはいえ、総生産台数からすると10台に1台がリミテッドエディションとなる。

販売状況[編集]

日本国内での生産は、ボディプレスに使用したセラミック(コンクリート)製金型の耐久性などから当初限定で約2,000台~3,000台の範囲で想定されていたが、最終的に月産約200台の規模で行われた。国内市場での販売台数は、登録ベースで約1,700台。元々少量生産が前提であったものの、クルマの性格、デザインが特異だったことやハードな乗り心地、2ドアという使い勝手にハンディを負ったことからメーカーが想定したほど多くの台数を販売することができなかった。 海外での人気は高く、ロシアでは正規販売されていないにも関わらず現地で開催されたデザイン賞かカーオブザイヤーに相当する賞を受賞した。

1999 - 2002年 北米仕様[編集]

遍歴[編集]

国内仕様に代わり、北米仕様が藤沢工場で生産されることとなった。内容は先に述べた「175リミテッドエディション」の装備に加え、北米の安全法規、現地からの市場調査・テストに基づいた3,500ccエンジン(6VD1→6VE1)への変更、ヘッドランプのマルチルフレクター化、運転席エアバッグの仕様変更(MOMO製→いすゞ純正、容量変更55リットル→70リットル)、サスペンションの減衰力変更、バックアイカメラの廃止などが行われた。北米仕様では年次改良が行われ、2000年にボディカラーの追加・変更、18インチホイールへの換装が行われた。

販売状況[編集]

販売台数は約4,000台という実績を残した。現地では日本よりマニアックなユーザーが多く、弁護士や自営業者などの高額所得者が多かったのも特徴であった。[要出典] 現地法人ではビークロスによるスペシャリティSUVの潜在的需要を掘り起こすべく、2つのコンセプトカーが企画された。1つはカルフォルニアなどの温暖な地域でのオープンカー需要に対応したオープン仕様「VX-02」(1999年発表)。もう1つは、使い勝手を向上させるべくビッグホーンのロングボディのフレームを使用して4ドア化した「VX-4」(2000年発表)であったが、2台とも市販化されることはなかった。2002年、ビークロスは強化された北米での衝突安全基準等への対応も難しくなったため、スペシャリティSUVの座をアクシオムに譲り渡し、生産・販売を終了した。

機構[編集]

駆動方式[編集]

駆動方式はTODと呼ばれる電子制御トルクスプリット4WDをビッグホーンより流用。ビッグホーンに比べ、ビークロスの車両特性に合わせてトルクスプリットの応答性を向上させ、スポーツ性を強調した設定になっている。なお、北米仕様は、現地の仕様特性に合わせ国内仕様のパートタイム方式からフルタイム方式に変更されている(2Hの設定がない。)

エンジン[編集]

エンジンは6VD1型3,200ccDOHCガソリンエンジンで、75°という特異なバンク角を持ち、オールアルミ製で、ヘッドカバーにマグネシウムを採用されていた。国内仕様は3,200ccDOHC(アメリカ版では3,500ccに変更)ガソリンエンジンのみの設定で、これはスペシャリティカーとして投入されたクルマであり、高出力エンジンを搭載させるためにあえて選択されたものであった。型式こそUBS25ビッグホーンに搭載された6VD1ながら、大幅な改良が施された。 主な改良点は次のとおりである。

  1. EGR(排気ガス循環)の電子制御バルブの採用 ⇒ 低燃費化・排ガス浄化
  2. 動弁系のフリクション(摩擦)低減 ⇒ 低燃費化
  3. 高速走行時に排圧抵抗を下げるデュアルモードサイレンサー ⇒ 騒音低減
  4. アルミクランクケースの採用 ⇒ 騒音低減
  5. シリンダーヘッドのコンパクト化 ⇒ 軽量化
  6. ハイフローストレートポートの採用 ⇒ 高出力化
  7. 吸気ポート長を可変とした慣性吸気システム ⇒ 高出力化

これらの改良により出力、トルク、燃費等は次のように向上した(スペックは国内仕様3.2L6VD1型のもの)。

  • 最高出力(仏馬力/rpm・ネット)215/5,600
  • 最大トルク(kg‐m/rpm・ネット)29.0/3,000
  • 燃料消費率(km/l)60km/h定地走行値 14.6
  • 燃料消費率(km/l)10・15モード値 7.8

ちなみに北米仕様の3.5L6VE1型のスペックは、次のとおりである。

  • 最高出力(仏馬力/rpm・ネット)230/5,600
  • 最大トルク(kg‐m/rpm・ネット)32.0/3,000

なお、このエンジン改良は、1998年にモデルチェンジが計画されていたミュー/ウィザードに先行して行われたものであった。

シャシ・サスペンション[編集]

シャシフレーム自体は、ビッグホーンショートのものをほぼ流用している。変更は、ボディ=キャブのデザイン要件やバックドア側の要件に対応してフレームとキャブマウント位置を変更した程度である。マウントの位置は上記略図のように、片側5点、両側10点に位置している。マウントに用いられる材質は、乗り心地や騒音振動の低減に有利だが変形が大きい軟らかいラバーブッシュから、ラリーレイドで使用しているナイロン樹脂に近い硬度のものに変更した。乗り心地や快適性は一般的な日常の低速走行ではあまり芳しくないが、高速走行時やダートモーグル等の悪路では、ドライバーに路面からの情報を遅延なく的確に伝達する。

サスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーン式サスペンション、後輪が4リンクコイルスプリングを用いている。カヤバ製のオイルタンク別体のショックアブソーバーが採用され、固めのスプリングと高い減衰力の組み合わせとなっている。足回りでラリーレイドからのフィードバックが特に強く反映された部品がこのショックアブソーバーであり、ビッグホーンのラリー車専用に設計されたアルミ製タンク別体式モノチューブタイプのショックアブソーバーの採用となった。開発のベース仕様(ビッグホーンラリー用)では減衰力が調整できるものであり、しかもアルミ削り出しであった。開発の際、主要メーカー数社に依頼を行い、最終的に某メーカーのアルミ製タンク別体式モノチューブタイプの開発・生産が得意な2輪部門(オートバイ)で開発を担当することとなった。当時、アルミ製タンク別体式モノチューブタイプのショックアブソーバーといえばバイク業界でも最新の技術であり、4輪用ではまだ市販どころか量産用の開発さえされておらず、2輪部門が開発を担当したのは当然の成り行きであった。

量産化に際し、調整構造の廃止と減衰力の見直し以外、競技車用とほぼ同スペックとした。 実際に部品単体でショックアブソーバーを注文すると、1本当り5万円という破格の値段であった。なお、北米仕様のサスペンション設定は、現地の路面状況や嗜好に合わせ、ショックアブソーバーの減衰力の違いや、ラテラルロッドを廃止する等の変更が加えられており、国内仕様に比べて乗り心地を重視したものになっている。

トランスミッション[編集]

上記のようなハードな足回りに引き換え、トランスミッションは4速ATのみの設定となっている。これには、少量生産車ゆえの事情があり、運輸省(現:国土交通省)の型式認証を販売台数が見込めるAT車のみとし、コストを抑えるためであった。

MT車の開発が全く行われていなかった訳ではなく、試作車も存在し、パジェロエボリューションのようなラリーレイド向けのモデルも検討されたが、採用されることはなかった。なお、それに近いモデルとしては、1998年BELLスポーツ製作のパリ・ダカールラリー出場車や、トンボハウス製作のアジアクロスカントリーラリー出場車など、ラリーレイド専用のモデルがある。

その他[編集]

セミハンドメイドであったにもかかわらず、発表当時で295万円というバーゲンプライスは他社も含めた他車パーツの流用でコストを抑えた賜物である。事実、ヘッドライトのシールドビーム部分にはオートザム・キャロル、フロントターンレンズにはダイハツ・オプティ、サイドターンレンズにはユーノス・ロードスター、ポジションレンズには日産・パオハイマウントストップランプにはユーノス・100マツダ・ファミリアアスティナ)、の純正部品が流用された[2]

尚、バックドアやフューエルリッド(給油口)は鍵でしか開けられず、不便であるが、最後まで改良されなかった。

脚注[編集]

  1. ^ ホンダとのOEM契約により、ドマーニアコードの供給を受け、乗用車の販売は継続されていた。
  2. ^ 高速有鉛デラックスVol.34(2013年8月号) P40

関連項目[編集]

外部リンク[編集]