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「星座の書」の版間の差分

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[[10世紀]]ペルシアの天文学者アッ・スーフィーは、当時[[イスラーム]]世界で翻訳、受容が進んでいた[[古代ギリシア]]の天文学に精通し、その知識をもって[[ブワイフ朝]]の[[アミール|君主]]{{仮リンク|アドゥド・ウッ・ダウラ|en|'Adud al-Dawla}}に仕えていた{{R|jacquart06|kanas12}}。自身も観測を行っていたアッ・スーフィーは、その結果に基づいて、アルマゲストの星表に修正を加えた{{R|kanas12|hirose11}}。また、アラビアに古くから伝わる星の名前も収集していた。それらを、集大成として一冊の本にまとめたものが、『星座の書』である{{R|kanas12}}。
[[10世紀]]ペルシアの天文学者アッ・スーフィーは、当時[[イスラーム]]世界で翻訳、受容が進んでいた[[古代ギリシア]]の天文学に精通し、その知識をもって[[ブワイフ朝]]の[[アミール|君主]]{{仮リンク|アドゥド・ウッ・ダウラ|en|'Adud al-Dawla}}に仕えていた{{R|jacquart06|kanas12}}。自身も観測を行っていたアッ・スーフィーは、その結果に基づいて、アルマゲストの星表に修正を加えた{{R|kanas12|hirose11}}。また、アラビアに古くから伝わる星の名前も収集していた。それらを、集大成として一冊の本にまとめたものが、『星座の書』である{{R|kanas12}}。


== 特徴 ==
== 内容 ==
[[ファイル:Book of the Fixed Stars Auv0189 aries.jpg|thumb|left|『星座の書』の[[写本]]の「[[おひつじ座|牡羊]]」。左右反転した二つの絵が、合わせて描かれている。上は[[天球儀]]上の姿、下は実際の空での姿。出典: [[ボドリアン図書館]]{{R|bodleian}} ]]
[[ファイル:Book of the Fixed Stars Auv0189 aries.jpg|thumb|『星座の書』の[[写本]]の「[[おひつじ座|牡羊]]」。左右反転した二つの絵が、合わせて描かれている。上は[[天球儀]]上の姿、下は実際の空での姿。出典: [[ボドリアン図書館]]{{R|bodleian}} ]]
=== 構成 ===
『星座の書』は、星座ごとに分けて解説、星表、星座絵を記している{{R|kondo12|hirose11}}。
『星座の書』は、大きく分けて4部構成となっており、
# 導入部
# 北天の星座
# [[黄道十二星座|黄道星座]]
# [[南天]]の星座
とまとめることができる。導入部は、『星座の書』を理解する上で重要な部分であり、アッ・スーフィーが本書を著す目的や、[[バッターニー]]などのアラブ・イスラーム世界の天文学における先行研究への批判、星座や星表は『アルマゲスト』を基礎としていること、そして、アッ・スーフィー自身の星表や[[星図]]の作成とその為のデータの導出についての方法論が述べられている。北天の星座は21星座、黄道星座は12星座、南天の星座は15星座で、これらは『アルマゲスト』の第7巻、第8巻に収録されたものと同じ、[[トレミーの48星座|プトレマイオスの48星座]]であり、登場順も『アルマゲスト』と同じく、[[天の北極]]にある[[こぐま座]]から始まる{{Sfn|Hafez|2010|pp=249-251}}{{R|hirose11|hevelius}}。


北天の星座、黄道星座、南天の星座はいずれも、各星座の章に分かれており、それぞれの星座の章は、3つの部分からなっている。まず初めに星の位置、数、明るさなどその星座の詳細を解説する部分、次に星の名前、[[黄道座標]]、明るさ([[等級 (天文)|等級]])をまとめた星表、そして、星座絵と共に描写した星図、である{{Sfn|Hafez|2010|pp=251-252}}{{R|hirose11}}。
星座は、『アルマゲスト』の第7巻、第8巻に収録されたものと同じ、[[トレミーの48星座|プトレマイオスの48星座]]で、登場順も『アルマゲスト』と同じく、[[天の北極]]から始まり、北天の星座、[[黄道十二星座|黄道星座]]、[[南天]]の星座と続く{{R|hirose11|hevelius}}。


=== データ ===
星表も『アルマゲスト』を基礎として、そこに収録された1,022個の星についてまとめている{{R|hevelius}}。座標については『アルマゲスト』の数値に[[歳差]]の影響の補正として、[[黄経]]に12[[度 (角度)|度]]42[[分 (角度)|分]]を足しただけだが、明るさ([[等級 (天文)|等級]])や色には、アッ・スーフィー自身の観測結果も反映し、修正されている{{R|hevelius|kanas12}}。アッ・スーフィーは、[[アラブ世界]]に古くから伝わる星々の挿話にも触れている。また、アッ・スーフィーが記した、星座内における星の位置を説明するための記述のアラビア語訳や、補足説明として加えたアラブの伝承に基づく呼び名の中には、現在の星の固有名にも影響を与えているものがある{{R|hirose11|yamamoto91}}。
『星座の書』の星表は、『アルマゲスト』に収録された星が基礎となっている。アッスーフィーは、星の位置と明るさを精度良く記録することに大きな注意を払っており、その成果を星表にまとめた。但し、座標に関しては、『アルマゲスト』の数値を独自の観測で改めることはしていない。当時最も信頼できる値とされていた、66[[年]]で1[[度 (角度)|度]]という[[歳差]]を採用し、これに『星座の書』の[[元期]]とした[[西暦]]964年と、『アルマゲスト』の元期とされる西暦[[125年]]の差、839年を掛けた12度42[[分 (角度)|分]]を、『アルマゲスト』の[[黄経]]に加えて、自身の座標とした{{Sfn|Hafez|2010|pp=261-262}}{{R|hevelius}}{{R|注1|group="注"}}。星の等級には、アッ・スーフィー自身の観測結果も反映し、修正が施されている{{R|hevelius|kanas12}}。また、『星座の書』では、1等級未満の中間的な明るさの違いを、『アルマゲスト』の3分の1等級を上回る、4分の1等級まで区別しようとした節があるが、そのことについてアッ・スーフィー自身による説明はない{{Sfn|Hafez|2010|pp=262-266}}。


星の色については、特に7つの星について「赤い」ということが記述されている。このうち、[[アルデバラン]]、[[アークトゥルス]]、[[ベテルギウス]]、[[ポルックス (恒星)|ポルックス]]、[[うみへび座アルファ星|うみへび座α星]]、[[アンタレス]]については、星の色を正しく捉えているが、[[アルゴル]]についてはアッ・スーフィーの勘違いであるとみられる{{Sfn|Hafez|2010|pp=273-277}}。
『星座の書』の大きな特徴は、各星座の[[星図]]が星座絵として描かれていることにある。『アルマゲスト』の頃から星座の姿は認識されていたが、天文書にはそれが文章として記されていたのみで、学術的な天文書に星座の挿絵が描かれたのは、確認できる限り『星座の書』が最古のものである{{R|hirose11}}。『星座の書』の星座絵は、必ず左右反転した二つのが対になっており、一つは地上ら実際の空にみえもう一つ[[天球儀]]上にあらわしたときの形である{{R|jacquart06|turner01|hirose11}}。星座絵は、人物造作や服装はアラビア風なっていが、基本的特徴は概ねギリシア時代描かれた姿に忠実である{{R|hirose11|kanas12}}。


=== 星図 ===
[[ファイル:Auv0175.png|thumb|『星座の書』の写本中、「[[アンドロメダ座|鎖につながれた女性]]」に「大きな魚」が合わせて描かれた挿絵。魚の口の先に小さな点の集まりが描かれ、これは[[アンドロメダ銀河]]ともいわれる。出典: ボドリアン図書館{{R|bodleian|schultz12}} ]]
[[ファイル:Folio 165 from manuscript of as-Sufi treatese on the fixed stars. 1009-10. Bodleian Library, Oxford..jpg|thumb|left|「魚」のいない「[[アンドロメダ座|鎖に繋がれた女]]」の星座絵。『アルマゲスト』本来のアンドロメダ座の姿を描写している。出典: ボドリアン図書館{{R|bodleian}}{{Sfn|Hafez|2010|pp=256-257}} ]]
『星座の書』でアッ・スーフィーは、[[アンドロメダ銀河]]の存在についても記録しており、[[アンドロメダ座]]の解説の中で、アンドロメダ座から[[うお座]]にまたがる2本の星の列の起点に「雲のようなシミ」がある、と記述されている。これが、アンドロメダ銀河に関する最古の記録とみられる。他にも、アッ・スーフィー星団の異名を持つ[[コリンダー399]]や、[[IC 2391|ほ座ο星団]]についても、現存する最古の記録は『星座の書』とみられる{{Sfn|Hafez|2010|pp=302-312}}。なお、[[大マゼラン雲]]を初めて記録したのも『星座の書』といわれているが、『星座の書』の中で大マゼラン雲のある辺りについて解説した記述には、多くの明るい星がある、とあるだけで「雲」とは書かれておらず、アッ・スーフィーが書き残したのは大マゼラン雲ではない可能性が高い{{R|kanas12}}{{Sfn|Hafez|2010|pp=302-312}}{{Sfn|Schjellerup|1874|p=229}}。
『星座の書』の大きな特徴は、各星座の星図が星座絵として描かれていることにある。『アルマゲスト』の頃から星座の姿は認識されていたが、天文書にはそれが文章として記されていたのみで、学術的な天文書に星座の挿絵が描かれたのは、確認できる限り『星座の書』が最古のものである{{R|hirose11}}。星座絵は、基本的な特徴は概ねギリシア時代に思い描かれた姿に忠実であるが、人物の顔の造作や服装はアラビア風になっているが{{R|hirose11|kanas12}}。また、顔や衣装の描き方は写本が作られた時代によって異なり、各時代の美術様式や文化交流の影響が反映されている{{Sfn|Hafez|2010|pp=257-258}}。もう一つ、『星座の書』の星図における重要な特徴は、必ず左右反転した二つの星図が対になってれていことである。二つの星図は、一つ[[天球儀]]上にあらわしたときの形、もう一つが地上から実際の空にみえる形となっている{{R|jacquart06|turner01|hirose11}}。このように、二通りの図を並べて記載した理由を、アッ・スーフィーは、観測者が天球儀星図と実際みえ星座の姿の違いに混乱を生じいよう、と説明している{{Sfn|Hafez|2010|p=255}}。

=== アラビア古来の天文学の影響 ===
[[ファイル:Book of the Fixed Stars Auv0179 al-faras.jpg|thumb|『アルマゲスト』にはない星座「馬」の挿絵。出典: ボドリアン図書館{{R|bodleian}}{{Sfn|Hafez|2010|pp=256-257}} ]]
[[アラブ世界]]において、人々は古代から多くの星に独自の名前を付けていた。また、気象予報や[[暦]]の作成の為の[[占星術]]・[[気象学]]の系譜に連なる学問として、アラビアの伝統的な天文学が発展した。このような学問は、アッ・スーフィーらアラブ世界の学者に浸透していた。『星座の書』の中でアッ・スーフィーは、天文学を、純粋な天文学とアラビアの伝統的な天文学とに分け、両者を並立させている。そして、アラビアの伝統的な天文学の発展について解説を加え、アラブ世界に古くから伝わる星々の挿話にも触れ、星、アステリズム、星座のアラブ世界における名前を、『アルマゲスト』のものと対応させる作業も行っている{{Sfn|Hafez|2010|p=313}}{{R|hirose11}}。また、アッ・スーフィーが星表の星の名前として『アルマゲスト』の記述をアラビア語訳し、また補足説明としてアラブの伝承に基づく呼び名を星図に書き加えたものの中には、現在の星の固有名にも影響を与えているものがある{{R|hirose11|yamamoto91}}。

『星座の書』の星座絵の中には、東洋化しただけではなく、アラビアの伝統的な天文学の影響を受けて、更に変化した星座もある。例えば、「鎖に繋がれた女([[アンドロメダ座]])」には、『アルマゲスト』由来の標準的な星座絵の外に、脚に「魚」が重なった姿、胴に二匹の「魚」が重なった姿、と三通りの星座絵を描いている。また、「馬の一部([[こうま座]])」、「大きな馬([[ペガスス座]])」の他に、馬の全身を描いた星座絵も記載されている。これらは『アルマゲスト』にはないものである{{Sfn|Hafez|2010|pp=256-257}}。

=== 星雲 ===
[[ファイル:Auv0175.png|thumb|『星座の書』の写本中、「鎖にがれた女」に「大きな魚」が合わせて描かれた挿絵。魚の口の先に小さな点の集まりが描かれ、これは[[アンドロメダ銀河]]ともいわれる。出典: ボドリアン図書館{{R|bodleian|schultz12}} ]]
『星座の書』でアッ・スーフィーは、[[アンドロメダ銀河]]の存在についても記録しており、アンドロメダ座の解説の中で、アンドロメダ座から[[うお座]]にまたがる2本の星の列の起点に「雲のようなシミ」がある、と記述されている。これが、アンドロメダ銀河に関する最古の記録とみられる。他にも、アッ・スーフィー星団の異名を持つ[[コリンダー399]]や、[[IC 2391|ほ座ο星団]]についても、現存する最古の記録は『星座の書』とみられる{{Sfn|Hafez|2010|pp=302-312}}。なお、[[大マゼラン雲]]を初めて記録したのも『星座の書』といわれているが、『星座の書』の中で大マゼラン雲のある辺りについて解説した記述には、多くの明るい星がある、とあるだけで「雲」とは書かれておらず、アッ・スーフィーが書き残したのは大マゼラン雲ではない可能性が高い{{R|kanas12}}{{Sfn|Hafez|2010|pp=302-312}}{{Sfn|Schjellerup|1874|p=229}}。


== 評価 ==
== 評価 ==
『星座の書』は、後世の観測者にとって必携の書の一つとなった{{R|hirose11}}。その星表はイスラーム世界で非常に重要視され、[[ウルグ・ベク]]もこれに敬意を払い、絶えず参照した。ウルグ・ベクの天文表の序説には、ウルグ・ベク以前のイスラーム天文学者が、星の位置をあらわすのにアッ・スーフィーの星表を頼りにしていたことが記されている{{R|hevelius}}。更に、『星座の書』の影響は、[[ロッパ]]天文学者も及んでいる{{R|hirose11}}。
『星座の書』は、後世の観測者にとって必携の書の一つとなった{{R|hirose11}}。その星表はイスラーム世界で非常に重要視され、[[ウルグ・ベク]]もこれに敬意を払い、絶えず参照した。ウルグ・ベクの天文表の序説には、ウルグ・ベク以前のイスラーム天文学者が、星の位置をあらわすのにアッ・スーフィーの星表を頼りにしていたことが記されている{{R|hevelius}}。例えば[[ビールーニー]]はマスウード宝典においてアッ・スーフィー観測を多く参照し [[イブン・ユヌス]]は『ハーキム大天文表』おいてアッ・スーフィーの星表を計算の基礎にした。また、{{仮リンク|ザカリヤー・カズウィーニー|en|Zakariya al-Qazwini|label=カズウィーニー}}の百科全書『被造物の驚異と万物の珍奇』は、星座の解説を『星座の書』から引用している{{Sfn|Hafez|2010|pp=66-71}}。

更に、『星座の書』の影響は、[[ヨーロッパ]]の天文学者にも及んでいる{{R|hirose11}}。例えば、[[アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ10世]]の下で編纂された天文学書の中で、主要な情報源として数多く参照されている{{Sfn|Hafez|2010|pp=66-71}}。[[イブン・マージド]]は、著作『航海術の原則と規則の情報についての有用な書』にアッ・スーフィーの成果を引用した。[[ペトルス・アピアヌス|アピアヌス]]の『皇帝天文学』では、アッ・スーフィーと『星座の書』が紹介され、星図にはアラビア語由来の星の名前が多数記述されている。また、{{仮リンク|クリスティアン・ルートヴィヒ・イデラー|en|Christian Ludwig Ideler|label=イデラー}}は[[天文学史]]についての著書の中で、アッ・スーフィーと『星座の書』に度々言及している{{Sfn|Hafez|2010|pp=71-75}}。


『星座の書』は、科学的に重要な資料であるだけでなく、美しい挿絵に特徴があり、その[[写本]]はイスラーム世界における写本の傑作とも評される{{R|turner01|jacquart06}}。
『星座の書』は、科学的に重要な資料であるだけでなく、美しい挿絵に特徴があり、その[[写本]]はイスラーム世界における写本の傑作とも評される{{R|turner01|jacquart06}}。
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最古の写本は、アッ・スーフィーの死からそう経っていない[[1009年]]に、アッ・スーフィーの息子によって作られたとされるもので、[[オックスフォード大学]]の[[ボドリアン図書館]]に収蔵されている{{Sfn|Hafez|2010|pp=246-248}}{{R|bodleian}}。また、[[パリ]]の[[フランス国立図書館]]に収蔵される4冊の写本の1冊は、[[1430年]]にウルグ・ベクのために作られたものとされる{{Sfn|Hafez|2010|p=248}}。
最古の写本は、アッ・スーフィーの死からそう経っていない[[1009年]]に、アッ・スーフィーの息子によって作られたとされるもので、[[オックスフォード大学]]の[[ボドリアン図書館]]に収蔵されている{{Sfn|Hafez|2010|pp=246-248}}{{R|bodleian}}。また、[[パリ]]の[[フランス国立図書館]]に収蔵される4冊の写本の1冊は、[[1430年]]にウルグ・ベクのために作られたものとされる{{Sfn|Hafez|2010|p=248}}。


『星座の書』の翻訳は、[[13世紀]]に[[ナスィールッディーン・トゥースィー|トゥースィー]]によって[[ペルシア語]]に翻訳されたのが最初で、同じく13世紀には、[[アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ10世]]の治世下で[[スペイン語]]訳も作られた{{Sfn|Hafez|2010|p=237}}。スペイン語の写本は後に[[ラテン語]]に翻訳され、ラテン語の写本は8冊が現存している{{Sfn|Hafez|2010|p=71}}{{Sfn|Hafez|2010|pp=240-241}}。[[1874年]]には、{{仮リンク|ハンス・シェレルプ|en|Hans Schjellerup}}が、主に[[コペンハーゲン]]の[[デンマーク王立図書館|王立図書館]]が所蔵する写本から[[フランス語]]への完訳を行い、現代の[[天文学史]]家に多く参照されている{{Sfn|Hafez|2010|pp=237-241}}。原書と同じアラビア語では、現代になって、[[1956年]]に[[インド]]の[[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]で出版され、その後[[1981年]]に[[レバノン]]の[[ベイルート]]で再版されている{{Sfn|Hafez|2010|p=237}}{{R|sufi81}}。
『星座の書』の翻訳は、[[13世紀]]に[[ナスィールッディーン・トゥースィー|トゥースィー]]によって[[ペルシア語]]に翻訳されたのが最初で、同じく13世紀には、アルフォンソ10世の治世下で[[スペイン語]]訳も作られた{{Sfn|Hafez|2010|p=237}}。スペイン語の写本は後に[[ラテン語]]に翻訳され、ラテン語の写本は8冊が現存している{{Sfn|Hafez|2010|p=71}}{{Sfn|Hafez|2010|pp=240-241}}。[[1874年]]には、{{仮リンク|ハンス・シェレルプ|en|Hans Schjellerup}}が、主に[[コペンハーゲン]]の[[デンマーク王立図書館|王立図書館]]が所蔵する写本から[[フランス語]]への完訳を行い、現代の天文学史家に多く参照されている{{Sfn|Hafez|2010|pp=237-241}}。原書と同じアラビア語では、現代になって、[[1956年]]に[[インド]]の[[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]で出版され、その後[[1981年]]に[[レバノン]]の[[ベイルート]]で再版されている{{Sfn|Hafez|2010|p=237}}{{R|sufi81}}。


=== ギャラリー ===
=== ギャラリー ===
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== 出典 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist |group="注" |refs=
<ref name="注1">実際の[[歳差]]は71.2[[年]]に1[[度 (角度)|度]]なので、839年分の歳差は11度47[[分 (角度)|分]]となり、アッ・スーフィーは55分余計に足していることになる。</ref>
}}

=== 出典 ===
{{Reflist |colwidth=30em |refs=
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<ref name="kondo12">{{Cite book |和書 |last=近藤 |first=二郎 |author-link=近藤二郎 |title=星の名前のはじまり |page=17 |publisher=[[誠文堂新光社]] |date=2012-08-30 |isbn=978-4-416-21283-7 }}</ref>
<ref name="kondo12">{{Cite book |和書 |last=近藤 |first=二郎 |author-link=近藤二郎 |title=星の名前のはじまり |page=17 |publisher=[[誠文堂新光社]] |date=2012-08-30 |isbn=978-4-416-21283-7 }}</ref>
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<ref name="bodleian">{{Cite web |url=https://iiif.bodleian.ox.ac.uk/iiif/viewer/c1caa84c-f6d2-483f-9eb4-2439cccdc801#?c=0&m=0&s=0&cv=3&r=0&xywh=-2510%2C-378%2C10172%2C7535 |title=Kitāb Ṣuwar al-kawākib (al-thābitah) <nowiki>[Book of pictures of the (fixed) stars]</nowiki> |last=Ṣūfī |first=‘Abd al-Raḥmān ibn ‘Umar |authorlink=アブドゥル・ラフマーン・スーフィー |website=Digital Bodleian |publisher=[[ボドリアン図書館|Bodleian Library]] |accessdate=2019-06-20 }}</ref>
<ref name="bodleian">{{Cite web |url=https://iiif.bodleian.ox.ac.uk/iiif/viewer/c1caa84c-f6d2-483f-9eb4-2439cccdc801#?c=0&m=0&s=0&cv=3&r=0&xywh=-2510%2C-378%2C10172%2C7535 |title=Kitāb Ṣuwar al-kawākib (al-thābitah) <nowiki>[Book of pictures of the (fixed) stars]</nowiki> |last=Ṣūfī |first=‘Abd al-Raḥmān ibn ‘Umar |authorlink=アブドゥル・ラフマーン・スーフィー |website=Digital Bodleian |publisher=[[ボドリアン図書館|Bodleian Library]] |accessdate=2019-06-20 }}</ref>
<ref name="hevelius">{{Cite book |和書 |others=訳・解説 [[藪内清]] |date=1993-04-15 |title=ヘベリウス星座図絵 <新装版> |pages=130-132 |publisher=[[地人書館]] |isbn=4-8052-0434-6 }}</ref>
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<ref name="yamamoto91">{{Citation |和書 |last=山本 |first=啓二 |date=1991-08-01 |title=アラビアの星座 |magazine=星の手帖 |volume=53 |pages=21-26 |publisher=[[河出書房新社]] }}</ref>
<ref name="turner01">{{Cite book |和書 |author=ハワード・R・ターナー |translator=久保儀明 |date=2001-01-15 |title=図説 科学で読むイスラム文化 |page=107 |publisher=[[青土社]] |isbn=4-7917-5864-1 }}</ref>
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<ref name="yamamoto91">{{Citation |和書 |last=山本 |first=啓二 |date=1991-08-01 |title=アラビアの星座 |magazine=星の手帖 |volume=53 |pages=21-26 |publisher=[[河出書房新社]] }}</ref>
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<ref name="sufi81">{{Citation |last=Sufi |first='Abd al-Rahman Ibn'umar |title=Kitab Suwar al-kawakib al-thamaniyah wa-al-arba'in ; wa-talih, Urjuzat Ibn al-Sufi |bibcode=1981ksaa.book.....S |lccn=82147075 }}</ref>
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* {{Citation |和書 |last=鈴木 |first=孝典 |date=1993 |title=アブドゥッラハマーン・スーフィーの『星座の書』における「オリオン座」および「おおいぬ座」・「こいぬ座」の記述 |journal=東海大学文明研究所紀要 |volume=13 |pages=121-132 |publisher=[[東海大学]] |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110000195755 }}
* {{Citation |和書 |last=鈴木 |first=孝典 |date=1993 |title=アブドゥッラハマーン・スーフィーの『星座の書』における「オリオン座」および「おおいぬ座」・「こいぬ座」の記述 |journal=東海大学文明研究所紀要 |volume=13 |pages=121-132 |publisher=[[東海大学]] |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110000195755 }}
* {{Citation |last=Hafez |first=Ihsan |date=2010-10 |title=‘Abd al-Raḥmān al-Ṣūfī and His Book of the Fixed Stars: A Journey of Re-discovery |publisher=[[ジェームズクック大学|James Cook University]] |bibcode=2010PhDT.......295H |url=https://researchonline.jcu.edu.au/28854/ }}
* {{Citation |last=Hafez |first=Ihsan |date=2010-10 |title=‘Abd al-Raḥmān al-Ṣūfī and His Book of the Fixed Stars: A Journey of Re-discovery |publisher=[[ジェームズクック大学|James Cook University]] |bibcode=2010PhDT.......295H |url=https://researchonline.jcu.edu.au/28854/ }}
* {{Citation |last1=Hafez |first1=Ihsan |last2=Stephenson |first2=F. Richard |last3=Orchiston |first3=Wayne |date=2011 |title=Abdul-Rahan al-Şūfī and His Book of the Fixed Stars: A Journey of Re-discovery |journal=Astrophysics and Space Science Proceedings |volume=23 |pages=121-138 |doi=10.1007/978-1-4419-8161-5_7 |bibcode=2011ASSP...23..121H }}
* {{Citation |last=Winter |first=H. J. J. |date=1955 |title=Notes on al-Kitab Suwar al-Kawakib al-Thamaniya wa al-Arba'in of Abul-l-Husain Abd al-Rahman Ibn Umar al-Şūfí al-Razi |journal=Archives Internationales d'Histoire des Sciences |volume=8 |pages=126-133 |bibcode=1955AIHS....8..126W }}
* {{Citation |last=Winter |first=H. J. J. |date=1955 |title=Notes on al-Kitab Suwar al-Kawakib al-Thamaniya wa al-Arba'in of Abul-l-Husain Abd al-Rahman Ibn Umar al-Şūfí al-Razi |journal=Archives Internationales d'Histoire des Sciences |volume=8 |pages=126-133 |bibcode=1955AIHS....8..126W }}
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* {{Cite book |last=Schjellerup |first=Hans C. F. C. |date=1874 |title=Description des étoiles fixes / composée au milieu du dixième siècle de notre ère par l'astronome persan Abd-al-Rahman al-Sûfi |place=[[サンクトペテルブルク|St.-Pétersbourg]] |publisher=[[ロシア科学アカデミー|Académie Impériale des Sciences]] |url=http://nbn-resolving.de/urn:nbn:de:gbv:3:5-19654 |ref=harv }}
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== 関連項目 ==
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* [[ビールーニー]]
* [[アブー・サフル・アル=クーヒー]]
* [[アブー・サフル・アル=クーヒー]]
* [[イブン・ユーヌス]]
* [[アルフォンソ天文表]]
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* [[ペトルス・アピアヌス]]


== 外部リンク ==
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2019年8月18日 (日) 20:49時点における版

星座の書
كتاب صور الكواكب
著者 アブドゥッラハマーン・スーフィー
発行日 964年
ジャンル 天文学
ブワイフ朝
言語 アラビア語
形態 著作物
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星座の書[1]』(せいざのしょ、アラビア語: كتاب صور الكواكب‎、Kitāb Ṣuwar al-Kawākib、キターブ・スワール・アル・カワーキブ[2])は、ペルシア天文学者アブドゥッラハマーン・スーフィー(アッ・スーフィー、アゾーフィ)が964年頃に著した天文書である[3][4]プトレマイオスの『アルマゲスト』を基礎とした星表と、美しい星座絵、アラビア固有のや星座にまつわる伝承が集約され、後世の天文学に多大な影響を及ぼした[2][5]

成立

10世紀ペルシアの天文学者アッ・スーフィーは、当時イスラーム世界で翻訳、受容が進んでいた古代ギリシアの天文学に精通し、その知識をもってブワイフ朝君主アドゥド・ウッ・ダウラ英語版に仕えていた[5][4]。自身も観測を行っていたアッ・スーフィーは、その結果に基づいて、アルマゲストの星表に修正を加えた[4][2]。また、アラビアに古くから伝わる星の名前も収集していた。それらを、集大成として一冊の本にまとめたものが、『星座の書』である[4]

内容

『星座の書』の写本の「牡羊」。左右反転した二つの絵が、合わせて描かれている。上は天球儀上の姿、下は実際の空での姿。出典: ボドリアン図書館[6]

構成

『星座の書』は、大きく分けて4部構成となっており、

  1. 導入部
  2. 北天の星座
  3. 黄道星座
  4. 南天の星座

とまとめることができる。導入部は、『星座の書』を理解する上で重要な部分であり、アッ・スーフィーが本書を著す目的や、バッターニーなどのアラブ・イスラーム世界の天文学における先行研究への批判、星座や星表は『アルマゲスト』を基礎としていること、そして、アッ・スーフィー自身の星表や星図の作成とその為のデータの導出についての方法論が述べられている。北天の星座は21星座、黄道星座は12星座、南天の星座は15星座で、これらは『アルマゲスト』の第7巻、第8巻に収録されたものと同じ、プトレマイオスの48星座であり、登場順も『アルマゲスト』と同じく、天の北極にあるこぐま座から始まる[7][2][8]

北天の星座、黄道星座、南天の星座はいずれも、各星座の章に分かれており、それぞれの星座の章は、3つの部分からなっている。まず初めに星の位置、数、明るさなどその星座の詳細を解説する部分、次に星の名前、黄道座標、明るさ(等級)をまとめた星表、そして、星座絵と共に描写した星図、である[9][2]

データ

『星座の書』の星表は、『アルマゲスト』に収録された星が基礎となっている。アッスーフィーは、星の位置と明るさを精度良く記録することに大きな注意を払っており、その成果を星表にまとめた。但し、座標に関しては、『アルマゲスト』の数値を独自の観測で改めることはしていない。当時最も信頼できる値とされていた、66で1という歳差を採用し、これに『星座の書』の元期とした西暦964年と、『アルマゲスト』の元期とされる西暦125年の差、839年を掛けた12度42を、『アルマゲスト』の黄経に加えて、自身の座標とした[10][8][注 1]。星の等級には、アッ・スーフィー自身の観測結果も反映し、修正が施されている[8][4]。また、『星座の書』では、1等級未満の中間的な明るさの違いを、『アルマゲスト』の3分の1等級を上回る、4分の1等級まで区別しようとした節があるが、そのことについてアッ・スーフィー自身による説明はない[11]

星の色については、特に7つの星について「赤い」ということが記述されている。このうち、アルデバランアークトゥルスベテルギウスポルックスうみへび座α星アンタレスについては、星の色を正しく捉えているが、アルゴルについてはアッ・スーフィーの勘違いであるとみられる[12]

星図

「魚」のいない「鎖に繋がれた女」の星座絵。『アルマゲスト』本来のアンドロメダ座の姿を描写している。出典: ボドリアン図書館[6][13]

『星座の書』の大きな特徴は、各星座の星図が星座絵として描かれていることにある。『アルマゲスト』の頃から星座の姿は認識されていたが、天文書にはそれが文章として記されていたのみで、学術的な天文書に星座の挿絵が描かれたのは、確認できる限り『星座の書』が最古のものである[2]。星座絵は、基本的な特徴は概ねギリシア時代に思い描かれた姿に忠実であるが、人物の顔の造作や服装はアラビア風になっているが[2][4]。また、顔や衣装の描き方は写本が作られた時代によって異なり、各時代の美術様式や文化交流の影響が反映されている[14]。もう一つ、『星座の書』の星図における重要な特徴は、必ず左右反転した二つの星図が対になって描かれていることである。二つの星図は、一つが天球儀上にあらわしたときの形、もう一つが地上から実際の空にみえる形となっている[5][15][2]。このように、二通りの星図を並べて記載した理由を、アッ・スーフィーは、観測者が天球儀の星図と実際の空にみえる星座の姿の違いに混乱を生じないように、と説明している[16]

アラビア古来の天文学の影響

『アルマゲスト』にはない星座「馬」の挿絵。出典: ボドリアン図書館[6][13]

アラブ世界において、人々は古代から多くの星に独自の名前を付けていた。また、気象予報やの作成の為の占星術気象学の系譜に連なる学問として、アラビアの伝統的な天文学が発展した。このような学問は、アッ・スーフィーらアラブ世界の学者に浸透していた。『星座の書』の中でアッ・スーフィーは、天文学を、純粋な天文学とアラビアの伝統的な天文学とに分け、両者を並立させている。そして、アラビアの伝統的な天文学の発展について解説を加え、アラブ世界に古くから伝わる星々の挿話にも触れ、星、アステリズム、星座のアラブ世界における名前を、『アルマゲスト』のものと対応させる作業も行っている[17][2]。また、アッ・スーフィーが星表の星の名前として『アルマゲスト』の記述をアラビア語訳し、また補足説明としてアラブの伝承に基づく呼び名を星図に書き加えたものの中には、現在の星の固有名にも影響を与えているものがある[2][18]

『星座の書』の星座絵の中には、東洋化しただけではなく、アラビアの伝統的な天文学の影響を受けて、更に変化した星座もある。例えば、「鎖に繋がれた女(アンドロメダ座)」には、『アルマゲスト』由来の標準的な星座絵の外に、脚に「魚」が重なった姿、胴に二匹の「魚」が重なった姿、と三通りの星座絵を描いている。また、「馬の一部(こうま座)」、「大きな馬(ペガスス座)」の他に、馬の全身を描いた星座絵も記載されている。これらは『アルマゲスト』にはないものである[13]

星雲

『星座の書』の写本中、「鎖に繋がれた女」に「大きな魚」が合わせて描かれた挿絵。魚の口の先に小さな点の集まりが描かれ、これはアンドロメダ銀河ともいわれる。出典: ボドリアン図書館[6][19]

『星座の書』でアッ・スーフィーは、アンドロメダ銀河の存在についても記録しており、アンドロメダ座の解説の中で、アンドロメダ座からうお座にまたがる2本の星の列の起点に「雲のようなシミ」がある、と記述されている。これが、アンドロメダ銀河に関する最古の記録とみられる。他にも、アッ・スーフィー星団の異名を持つコリンダー399や、ほ座ο星団についても、現存する最古の記録は『星座の書』とみられる[20]。なお、大マゼラン雲を初めて記録したのも『星座の書』といわれているが、『星座の書』の中で大マゼラン雲のある辺りについて解説した記述には、多くの明るい星がある、とあるだけで「雲」とは書かれておらず、アッ・スーフィーが書き残したのは大マゼラン雲ではない可能性が高い[4][20][21]

評価

『星座の書』は、後世の観測者にとって必携の書の一つとなった[2]。その星表はイスラーム世界で非常に重要視され、ウルグ・ベクもこれに敬意を払い、絶えず参照した。ウルグ・ベクの天文表の序説には、ウルグ・ベク以前のイスラーム天文学者が、星の位置をあらわすのにアッ・スーフィーの星表を頼りにしていたことが記されている[8]。例えば、ビールーニーは『マスウード宝典』においてアッ・スーフィーの観測を多く参照し、 イブン・ユーヌスは『ハーキム大天文表』においてアッ・スーフィーの星表を計算の基礎にした。また、カズウィーニー英語版の百科全書『被造物の驚異と万物の珍奇』では、星座の解説を『星座の書』から引用している[22]

更に、『星座の書』の影響は、ヨーロッパの天文学者にも及んでいる[2]。例えば、アルフォンソ10世の下で編纂された天文学書の中で、主要な情報源として数多く参照されている[22]イブン・マージドは、著作『航海術の原則と規則の情報についての有用な書』にアッ・スーフィーの成果を引用した。アピアヌスの『皇帝天文学』では、アッ・スーフィーと『星座の書』が紹介され、星図にはアラビア語由来の星の名前が多数記述されている。また、イデラー英語版天文学史についての著書の中で、アッ・スーフィーと『星座の書』に度々言及している[23]

『星座の書』は、科学的に重要な資料であるだけでなく、美しい挿絵に特徴があり、その写本はイスラーム世界における写本の傑作とも評される[15][5]

写本

アッ・スーフィー自身が描いた『星座の書』の原書は現存しないが、写本や翻訳本は少なからず現存しており、少なくとも35冊が確認できている[24]

最古の写本は、アッ・スーフィーの死からそう経っていない1009年に、アッ・スーフィーの息子によって作られたとされるもので、オックスフォード大学ボドリアン図書館に収蔵されている[25][6]。また、パリフランス国立図書館に収蔵される4冊の写本の1冊は、1430年にウルグ・ベクのために作られたものとされる[26]

『星座の書』の翻訳は、13世紀トゥースィーによってペルシア語に翻訳されたのが最初で、同じく13世紀には、アルフォンソ10世の治世下でスペイン語訳も作られた[27]。スペイン語の写本は後にラテン語に翻訳され、ラテン語の写本は8冊が現存している[28][29]1874年には、ハンス・シェレルプ英語版が、主にコペンハーゲン王立図書館が所蔵する写本からフランス語への完訳を行い、現代の天文学史家に多く参照されている[30]。原書と同じアラビア語では、現代になって、1956年インドハイデラバードで出版され、その後1981年レバノンベイルートで再版されている[27][31]

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 実際の歳差は71.2に1なので、839年分の歳差は11度47となり、アッ・スーフィーは55分余計に足していることになる。

出典

  1. ^ 近藤, 二郎『星の名前のはじまり』誠文堂新光社、2012年8月30日、17頁。ISBN 978-4-416-21283-7 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 廣瀬匠「近代学問の基礎を築いた イスラム世界の天文学 Part2」『星ナビ』第12巻、第7号、アストロアーツ、64-69頁、2011年6月4日。 
  3. ^ Hafez, Ihsan; Stephenson, F. Richard; Orchiston, Wayne (2015), “The Investigation of Stars, Star Clusters and Nebulae in 'Abd al-Raḥmān al-Ṣūfī’s Book of the Fixed Stars”, Astrophysics and Space Science Proceedings 43: 143-168, Bibcode2015ASSP...43..143H, doi:10.1007/978-3-319-07614-0_10 
  4. ^ a b c d e f g Kanas, Nick (2012-06-05). Star Maps: History, Artistry, and Cartography. Springer Science & Business Media. pp. 115-117. ISBN 9781461409175 
  5. ^ a b c d ダニエル・ジャカール 著、遠藤ゆかり 訳『アラビア科学の歴史』吉村作治 監修、創元社、2006年12月20日、23-35頁。ISBN 4-422-21191-9 
  6. ^ a b c d e f Ṣūfī, ‘Abd al-Raḥmān ibn ‘Umar. “Kitāb Ṣuwar al-kawākib (al-thābitah) [Book of pictures of the (fixed) stars]”. Digital Bodleian. Bodleian Library. 2019年6月20日閲覧。
  7. ^ Hafez 2010, pp. 249–251.
  8. ^ a b c d 『ヘベリウス星座図絵 <新装版>』訳・解説 藪内清地人書館、1993年4月15日、130-132頁。ISBN 4-8052-0434-6 
  9. ^ Hafez 2010, pp. 251–252.
  10. ^ Hafez 2010, pp. 261–262.
  11. ^ Hafez 2010, pp. 262–266.
  12. ^ Hafez 2010, pp. 273–277.
  13. ^ a b c Hafez 2010, pp. 256–257.
  14. ^ Hafez 2010, pp. 257–258.
  15. ^ a b ハワード・R・ターナー 著、久保儀明 訳『図説 科学で読むイスラム文化』青土社、2001年1月15日、107頁。ISBN 4-7917-5864-1 
  16. ^ Hafez 2010, p. 255.
  17. ^ Hafez 2010, p. 313.
  18. ^ 山本啓二「アラビアの星座」『星の手帖』第53巻、河出書房新社、21-26頁、1991年8月1日。 
  19. ^ Schultz, David (2012-04-23), The Andromeda Galaxy and the Rise of Modern Astronomy, Springer Science & Business Media, pp. 39-40, ISBN 9781461430490 
  20. ^ a b Hafez 2010, pp. 302–312.
  21. ^ Schjellerup 1874, p. 229.
  22. ^ a b Hafez 2010, pp. 66–71.
  23. ^ Hafez 2010, pp. 71–75.
  24. ^ Hafez 2010, pp. 237–248.
  25. ^ Hafez 2010, pp. 246–248.
  26. ^ Hafez 2010, p. 248.
  27. ^ a b Hafez 2010, p. 237.
  28. ^ Hafez 2010, p. 71.
  29. ^ Hafez 2010, pp. 240–241.
  30. ^ Hafez 2010, pp. 237–241.
  31. ^ Sufi, 'Abd al-Rahman Ibn'umar, Kitab Suwar al-kawakib al-thamaniyah wa-al-arba'in ; wa-talih, Urjuzat Ibn al-Sufi, Bibcode1981ksaa.book.....S, LCCN 82-147075 
  32. ^ Hafez 2010, p. 240.
  33. ^ The Book of Fixed Stars (Kitab Suwar al-Kawakib), MS.2.1998”. Museum of Islamic Art. 2019年6月25日閲覧。
  34. ^ Kitab suwar al-kawakib al-thabita (Book of the Images of the Fixed Stars) of al-Sufi,late 15th century”. The Met. 2019年6月25日閲覧。
  35. ^ Kitab suwar al-kawakib al-thabita (Book of the Images of the Fixed Stars) of al-Sufi,18th century”. The Met. 2019年6月25日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク