「米原ジャンクション」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: 差し戻し済み
高速道路調査会の書籍より米原本線料金所について加筆
54行目: 54行目:
通行料金の一部を免れる不正通行を防ぐ目的で、1980年(昭和55年)4月7日の供用開始当時から[[2007年]]([[平成]]19年)[[5月31日]]まで米原本線料金所が設置された<ref name=":0" />。
通行料金の一部を免れる不正通行を防ぐ目的で、1980年(昭和55年)4月7日の供用開始当時から[[2007年]]([[平成]]19年)[[5月31日]]まで米原本線料金所が設置された<ref name=":0" />。


北陸自動車道に本線チェックバリア(検札)を設けることは昭和40年代から構想に打ち出され、全国的な高速道路網が完成した時に料金収受を効率的に行うために高速道路を複数の料金圏に分割しようとしたためである{{Sfn|高速道路調査会|2019|p=610}}。その後、[[1971年]](昭和46年)5月に北陸自動車道の米原付近に料金所用の用地を取得することが決定された{{Sfn|高速道路調査会|2019|p=610}}。しかし、この時点では長距離逓減制の分断や[[ターミナルチャージ]]の取扱いなどの問題があったため、更なる検討が必要だった{{Sfn|高速道路調査会|2019|p=610}}。しかし、東名高速道路を中心に通行券の交換による[[不正通行]]が行われるようになり、効果的な解決策として本線チェックバリアとして米原本線料金所が試験的に運用開始された{{Sfn|高速道路調査会|2019|p=611}}。
「料金所」と称しているが、ここでは料金の徴収は行わず、[[検札]]所(バリア)となっていた。開通当初はここで名神高速のパンチカード通行券と北陸道の磁気通行券の交換を行っていたが、[[1988年]](昭和63年)[[12月1日]]から名神高速も磁気通行券に切り替わったため、その後は検札のみとなった。さらに、[[ETC]]の普及や道路利用者の停車による負担低減、料金所の運営費用の削減を背景に2007年(平成19年)5月31日12時に[[東名高速道路]][[豊橋本線料金所]]と共に廃止された<ref name=":0">{{Cite web|date=2007-04-13|url=http://www.c-nexco.co.jp/corporate/pressroom/news_old/index.php?id=216|title=東名高速『豊橋本線料金所』・北陸道『米原本線料金所』を廃止します -5月上旬から昼夜連続車線規制で撤去工事-|publisher=中日本高速道路株式会社|accessdate=2019-08-18}}</ref>。その後、2007年12月の竣工を目標に料金所の撤去工事が行われた<ref name=":0" />。

米原が適地であったのは

# 米原インターチェンジと米原ジャンクションの間が短距離であり、織り込み(ウィービング)による交通の輻輳が懸念されたこと
# 太平洋側と日本海側での気象条件が異なる条件の連結点であり、気象や規制の状況を伝達・周知するのに適していること
# 北陸自動車道の交通量が中程度であり、最初の設置場所としては適切であったこと

が挙げられる{{Sfn|高速道路調査会|2019|p=611}}。

「料金所」と称しているが、ここでは料金の徴収は行わず、[[検札]]所(バリア)となっていた。開通当初はここで名神高速のパンチカード通行券と北陸道の磁気通行券の交換を行っていたが、[[1988年]](昭和63年)[[12月1日]]から名神高速も磁気通行券に切り替わったため、その後は検札のみとなった。[[ETC]]の普及や道路利用者の停車による負担低減、料金所の運営費用の削減を背景に2007年(平成19年)5月31日12時に[[東名高速道路]][[豊橋本線料金所]]と共に廃止された<ref name=":0">{{Cite web|date=2007-04-13|url=http://www.c-nexco.co.jp/corporate/pressroom/news_old/index.php?id=216|title=東名高速『豊橋本線料金所』・北陸道『米原本線料金所』を廃止します -5月上旬から昼夜連続車線規制で撤去工事-|publisher=中日本高速道路株式会社|accessdate=2019-08-18}}</ref>。その後、2007年12月の竣工を目標に料金所の撤去工事が行われた<ref name=":0" />。


== 隣 ==
== 隣 ==
71行目: 81行目:
* {{Cite book|和書|author=[[佐滝剛弘]]|year=2016 |title=高速道路ファン手帳|publisher=[[中公新書ラクレ]]|isbn=978-4-12-150559-0|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=[[佐滝剛弘]]|year=2016 |title=高速道路ファン手帳|publisher=[[中公新書ラクレ]]|isbn=978-4-12-150559-0|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|title=高速ジャンクション&橋梁の鑑賞法|date=2019-08-06|year=2019|publisher=講談社|ref={{sfnref|首都高速・阪神高速ほか|2019}}|isbn=978-4-06-516777-9|editor=首都高速道路株式会社・阪神高速道路株式会社ほか(監修)}}
*{{Cite book|和書|title=高速ジャンクション&橋梁の鑑賞法|date=2019-08-06|year=2019|publisher=講談社|ref={{sfnref|首都高速・阪神高速ほか|2019}}|isbn=978-4-06-516777-9|editor=首都高速道路株式会社・阪神高速道路株式会社ほか(監修)}}
*{{Cite book|和書|title=高速道路の施設技術史 -施設技術のアーカイブス-|year=2019|publisher=高速道路調査会|ref={{sfnref|高速道路調査会|2019}}|month=12}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2020年4月5日 (日) 18:16時点における版

米原ジャンクション
米原ジャンクション(草津側から撮影)
所属路線 E1 名神高速道路
IC番号 27-1
起点からの距離 405.5 km(東京IC起点)
伊吹PA (6.7 km)
(7.9 km) 彦根IC
所属路線 E8 北陸自動車道
起点からの距離 0.0 km(米原JCT起点)
(0.6 km) 米原IC
供用開始日 1980年昭和55年)4月7日
通行台数 x台/日
所在地 521-0023
滋賀県米原市三吉
米原ジャンクションの位置(滋賀県内)
米原ジャンクション
北緯35度19分2.5秒 東経136度19分16.7秒 / 北緯35.317361度 東経136.321306度 / 35.317361; 136.321306座標: 北緯35度19分2.5秒 東経136度19分16.7秒 / 北緯35.317361度 東経136.321306度 / 35.317361; 136.321306
備考 国土開発幹線自動車道の北陸自動車道の起点は新潟中央JCT
テンプレートを表示
2007年まで米原JCTと米原ICとの間にあった米原本線料金所
米原JCTおよび米原ICの形状。画像上は彦根IC方面、画像下は関ヶ原IC方面、画像右は長浜IC方面。2009年(平成21年)撮影。

米原ジャンクション(まいはらジャンクション)は、滋賀県米原市にある名神高速道路北陸自動車道とのジャンクションである。

当ジャンクションのすぐ北に隣接していた米原本線料金所(まいはらほんせんりょうきんじょ)についてもこの記事で述べる。

概要

形状はトランペット型をしたジャンクションである[1]。全ての方向で中日本高速道路彦根保全・サービスセンターが管理する[2]

供用開始時から「まいらインターチェンジ」と呼ばれていたが、2001年6月に当時の町名である坂田郡米原町(まいらちょう)に合わせる形で「まいらインターチェンジ」に変更された[3][4]。しかし、2005年2月14日の坂田郡3町の合併で誕生した米原市(まいらし)が鉄道駅米原駅に名称を合わせたため、地名とインターチェンジの名称の間に再びずれが生じてしまった[4][3]

接続する道路

沿革

北陸自動車道の計画当初、名神高速道路との接続を大津と米原の2つの案があり、接続する地点をめぐってそれぞれの地域が期成同盟会を作って対立した[5]。しかし、1964年昭和39年)に国鉄湖西線が実現することになり、米原で接続することが決まった[5]

武生IC - 米原JCTにおける実施計画は1975年(昭和50年)10月8日に認可された[6]

米原ジャンクションの建設は、これまで開設されていた番場パーキングエリアの土地を利用し、名神高速道路の本線を908 m(メートル)にわたり南側に迂回させた[6]。この迂回路は1975年(昭和50年)に設置され、ジャンクションの工事は1978年(昭和53年)度から本格的になった[6]。この工事に伴い名神高速道路を潜る道路が建設され、米原工業団地を実現する大きなきっかけとなる[6]

1980年(昭和55年)4月7日に北陸自動車道の敦賀IC - 米原JCTの供用が開始され、同年6月19日に併設する米原ICも供用開始された[6]

米原本線料金所

通行料金の一部を免れる不正通行を防ぐ目的で、1980年(昭和55年)4月7日の供用開始当時から2007年平成19年)5月31日まで米原本線料金所が設置された[7]

北陸自動車道に本線チェックバリア(検札)を設けることは昭和40年代から構想に打ち出され、全国的な高速道路網が完成した時に料金収受を効率的に行うために高速道路を複数の料金圏に分割しようとしたためである[8]。その後、1971年(昭和46年)5月に北陸自動車道の米原付近に料金所用の用地を取得することが決定された[8]。しかし、この時点では長距離逓減制の分断やターミナルチャージの取扱いなどの問題があったため、更なる検討が必要だった[8]。しかし、東名高速道路を中心に通行券の交換による不正通行が行われるようになり、効果的な解決策として本線チェックバリアとして米原本線料金所が試験的に運用開始された[9]

米原が適地であったのは

  1. 米原インターチェンジと米原ジャンクションの間が短距離であり、織り込み(ウィービング)による交通の輻輳が懸念されたこと
  2. 太平洋側と日本海側での気象条件が異なる条件の連結点であり、気象や規制の状況を伝達・周知するのに適していること
  3. 北陸自動車道の交通量が中程度であり、最初の設置場所としては適切であったこと

が挙げられる[9]

「料金所」と称しているが、ここでは料金の徴収は行わず、検札所(バリア)となっていた。開通当初はここで名神高速のパンチカード通行券と北陸道の磁気通行券の交換を行っていたが、1988年(昭和63年)12月1日から名神高速も磁気通行券に切り替わったため、その後は検札のみとなった。ETCの普及や道路利用者の停車による負担低減、料金所の運営費用の削減を背景に2007年(平成19年)5月31日12時に東名高速道路豊橋本線料金所と共に廃止された[7]。その後、2007年12月の竣工を目標に料金所の撤去工事が行われた[7]

E1 名神高速道路
(27)関ヶ原IC - 伊吹PA - (27-1)米原JCT - (28)彦根IC
E8 北陸自動車道
(27-1)米原JCT - (1)米原IC

脚注

  1. ^ 首都高速・阪神高速ほか 2019, p. 76.
  2. ^ “雪氷対策車 出動!! 名神・4作業基地で除雪 彦根 /滋賀”. 毎日新聞. (2018年11月10日). https://mainichi.jp/articles/20181110/ddl/k25/040/474000c 2019年12月2日閲覧。 
  3. ^ a b 佐滝剛弘『高速道路ファン手帳』中公新書ラクレ、2016年8月10日、72頁。ISBN 978-4-12-150559-0 
  4. ^ a b 川口素生『思わず人に話したくなる 関西「駅名」の謎』洋泉社、2017年3月2日、70頁。ISBN 978-4-8003-1166-5 
  5. ^ a b 米原町史編さん委員会 2002, p. 1219.
  6. ^ a b c d e 米原町史編さん委員会 2002, p. 1221.
  7. ^ a b c 東名高速『豊橋本線料金所』・北陸道『米原本線料金所』を廃止します -5月上旬から昼夜連続車線規制で撤去工事-”. 中日本高速道路株式会社 (2007年4月13日). 2019年8月18日閲覧。
  8. ^ a b c 高速道路調査会 2019, p. 610.
  9. ^ a b 高速道路調査会 2019, p. 611.

参考文献

  • 米原町史編さん委員会『米原町史通史編』米原町役場、2002年3月29日。 
  • 佐滝剛弘『高速道路ファン手帳』中公新書ラクレ、2016年。ISBN 978-4-12-150559-0 
  • 首都高速道路株式会社・阪神高速道路株式会社ほか(監修) 編『高速ジャンクション&橋梁の鑑賞法』講談社、2019年8月6日。ISBN 978-4-06-516777-9 
  • 『高速道路の施設技術史 -施設技術のアーカイブス-』高速道路調査会、2019年12月。 

関連項目

外部リンク