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2013年11月4日に一軍投手コーチ兼分析コーチに就任する事が発表された<ref>[http://www.carp.co.jp/news13/s-073.html 2014年度 コーチングスタッフ発表] 広島東洋カープ公式サイト 2013年11月4日</ref>。 |
2013年11月4日に一軍投手コーチ兼分析コーチに就任する事が発表された<ref>[http://www.carp.co.jp/news13/s-073.html 2014年度 コーチングスタッフ発表] 広島東洋カープ公式サイト 2013年11月4日</ref>。 |
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[[2014年]]10月19日に一軍投手コーチ専任となることが発表され、分析コーチの肩書が外れた<ref>[https://www.carp.co.jp/news14/s-069.html 2015年度 コーチングスタッフ発表] 広島東洋カープ公式サイト 2014年10 |
[[2014年]]10月19日に一軍投手コーチ専任となることが発表され、分析コーチの肩書が外れた<ref>[https://www.carp.co.jp/news14/s-069.html 2015年度 コーチングスタッフ発表] 広島東洋カープ公式サイト 2014年10月29日</ref>。 |
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[[2015年]]は[[緒方孝市]]監督から投手起用に関する全権を与えられた<ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20150107-OHT1T50238.html 【広島】黒田、初登板はヤクルトとの開幕カード!畝投手コーチが示唆] スポーツ報知 2015年1月8日</ref>。オープン戦では[[黒田博樹]]の復帰戦となった3月8日の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で、黒田の球数を10球間違え、予定より早く降板させてしまう |
[[2015年]]はその年からの監督、[[緒方孝市]]監督から投手起用に関する全権を与えられた<ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20150107-OHT1T50238.html 【広島】黒田、初登板はヤクルトとの開幕カード!畝投手コーチが示唆] スポーツ報知 2015年1月8日</ref>。オープン戦では[[黒田博樹]]の復帰戦となった3月8日の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で、黒田の球数を10球数え間違え、予定より早く降板させてしまうハプニングを起こす<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20150314/car15031412000001-n6.html 【黒田、小早川氏とコイ対談】苦しい時どれだけ力になれるか…そこに挑戦したい] サンケイスポーツ 2015年3月14日</ref>。チームは、メジャーリーグから黒田が復帰したことなどもあり前評判を呼んでいたが、先発の主力こそ[[前田健太]]、[[クリス・ジョンソン (投手)|クリス・ジョンソン]]、黒田、福井優也の4本柱が49勝を挙げるなど好調であった一方、それ以外の先発投手が8勝(救援投手は12勝)しか出来なかったこと、救援投手も[[中崎翔太]]が73.0投球回、[[デュアンテ・ヒース]]が49.2投球回を投げたものの、抑え起用を目論んでいたヒースが不安定な投球内容から配置転換になったことに加え、二人に続く投手の不振などありリリーフがなかなか機能しなかったこと、更に野手の攻撃とも嚙み合わなかったことから前評判を裏切る結果(リーグ4位)となった。その中で投手コーチについて、中崎の守護神抜擢、先発で好投しながら勝ち星が付かなかった[[大瀬良大地]]の救援転向で救援陣を立て直したことが評価されたが、それらの投手に起用が集中し連投や回跨ぎが目立ったことや、一軍にいながら登板機会に恵まれない投手がいたことについて、批判が寄せられた<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/carp/article/article.php?comment_id=191267&comment_sub_id=0&category_id=124 「【失意のBクラス 緒方カープ元年】<上>苦心のベンチ 盗塁死リーグ最多の50」] 中国新聞、2015年10月9日</ref>。10月28日に一軍投手コーチ留任が発表された<ref>[http://www.carp.co.jp/news16/2015/s-051.html 2016年度 コーチングスタッフ発表] 広島東洋カープ公式サイト 2015年10月28日</ref>。 |
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[[2016年]]は投手起用について全権を持つのではなく、緒方監督と共に起用を決定するよう方針の変更が行われた<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/carp/article/article.php?comment_id=264869&comment_sub_id=0&category_id=124 「【貯金19ターン 前半戦回顧】<上>ベンチワーク、連携円滑 77盗塁の成果」] 中国新聞、2016年07月15日</ref>。 |
[[2016年]]は投手起用について全権を持つのではなく、緒方監督と共に起用を決定するよう方針の変更が行われた<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/carp/article/article.php?comment_id=264869&comment_sub_id=0&category_id=124 「【貯金19ターン 前半戦回顧】<上>ベンチワーク、連携円滑 77盗塁の成果」] 中国新聞、2016年07月15日</ref>。シーズン前の、前年200イニングを投げた前田のメジャー移籍や、先発に復帰する予定だった大瀬良の故障離脱に加え、シーズン開始直後に前年9勝をマークし期待を寄せられていた福井が不振に陥るなど多くの不安要素に見舞われたが、ドラ1ルーキー[[岡田明丈]]が好投を続けながら[[6月25日]]の[[阪神タイガース]]戦まで勝ちが付かない不運に遭うものの89.1回投げ4勝を挙げるなど活躍、同じく新人[[横山弘樹]]、前年勝ち星がなかった[[九里亜蓮]]、直近2年間で1軍1登板0勝の[[中村恭平]]、プロ初完封の[[戸田隆矢]]、シーズン後半は不振から脱した福井、[[薮田和樹]]、リリーフから配置転換された[[ブレイディン・ヘーゲンズ]]らが去年の課題となる谷間の投手として勝ちを挙げる。さらに主力も前年から引き続き、ジョンソン、黒田、それに加え2年ぶりに[[野村祐輔]]が二桁勝利を挙げるなど3人が10勝、先発防御率はリーグ1位の3.29を記録。救援陣はオープン戦で好投し、開幕時に起用された[[中田廉]]や[[仲尾次オスカル]]がシーズンに入り失速し、[[3月31日]]の中日戦では5点リードから逆転負けを喫するなど再編を余儀なくされたが、前年から引き続き守護神の中崎に新加入の[[ジェイ・ジャクソン]]、ヘーゲンズ、2年ぶりの60投球回到達となる今村猛らが盤石のリリーフを形成。中盤以降は一岡竜司、大瀬良などがそこに加わり、救援防御率もリーグ2位の3.06を記録した。[[11月24日]]に一軍投手コーチ留任が発表された<ref>[http://www.carp.co.jp/news16/s-096.html 2017年度 コーチングスタッフ発表] 広島東洋カープ公式サイト 2016年11月24日</ref>。 |
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== エピソード == |
== エピソード == |
2016年12月10日 (土) 18:28時点における版
広島東洋カープ コーチ #78 | |
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2014年3月11日 京セラドーム大阪 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県安芸郡坂町 |
生年月日 | 1964年6月21日(59歳) |
身長 体重 |
183 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト3位 |
初出場 | 1989年4月19日 |
最終出場 | 1991年8月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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畝 龍実(うね たつみ、1964年6月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。1992年の登録名は畝 辰実(読み同じ)。
来歴・人物
広島・広島工高では、エースとして1982年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、広島商に敗退し甲子園出場はならなかった。専修大学に進学。東都大学リーグでは二部降格も経験し、在学中の一部優勝には届かなかった。大学同期にエースの関清和がおり、その陰に隠れがちであった。他の同期に宮里太、西俊児がいる。卒業後はNTT関東に進む。1987年の都市対抗に出場するが、1回戦で2本塁打を浴びヨークベニマルに大敗。翌1988年の大会には新日鐵君津の補強選手として出場する。1回戦でNTT四国の渡辺智男投手に抑えられ敗退。
1988年ドラフト3位で広島入団。横手左腕から繰り出されるシュートやスライダーを軸に中継ぎとして期待されるも、課題の制球力を克服できずプロでは短命に終わる。1992年限りで現役引退。
引退後は広島のスコアラーに就任。2001年プロ野球コンベンション会議にて動作解析装置開発の功績を評され、各球団が選ぶ球団スタッフ賞を受賞している。「動作解析のエキスパート」といわれており、高い分析能力に定評がある[1][2]。
2013年11月4日に一軍投手コーチ兼分析コーチに就任する事が発表された[3]。
2014年10月19日に一軍投手コーチ専任となることが発表され、分析コーチの肩書が外れた[4]。
2015年はその年からの監督、緒方孝市監督から投手起用に関する全権を与えられた[5]。オープン戦では黒田博樹の復帰戦となった3月8日の東京ヤクルトスワローズ戦で、黒田の球数を10球数え間違え、予定より早く降板させてしまうハプニングを起こす[6]。チームは、メジャーリーグから黒田が復帰したことなどもあり前評判を呼んでいたが、先発の主力こそ前田健太、クリス・ジョンソン、黒田、福井優也の4本柱が49勝を挙げるなど好調であった一方、それ以外の先発投手が8勝(救援投手は12勝)しか出来なかったこと、救援投手も中崎翔太が73.0投球回、デュアンテ・ヒースが49.2投球回を投げたものの、抑え起用を目論んでいたヒースが不安定な投球内容から配置転換になったことに加え、二人に続く投手の不振などありリリーフがなかなか機能しなかったこと、更に野手の攻撃とも嚙み合わなかったことから前評判を裏切る結果(リーグ4位)となった。その中で投手コーチについて、中崎の守護神抜擢、先発で好投しながら勝ち星が付かなかった大瀬良大地の救援転向で救援陣を立て直したことが評価されたが、それらの投手に起用が集中し連投や回跨ぎが目立ったことや、一軍にいながら登板機会に恵まれない投手がいたことについて、批判が寄せられた[7]。10月28日に一軍投手コーチ留任が発表された[8]。
2016年は投手起用について全権を持つのではなく、緒方監督と共に起用を決定するよう方針の変更が行われた[9]。シーズン前の、前年200イニングを投げた前田のメジャー移籍や、先発に復帰する予定だった大瀬良の故障離脱に加え、シーズン開始直後に前年9勝をマークし期待を寄せられていた福井が不振に陥るなど多くの不安要素に見舞われたが、ドラ1ルーキー岡田明丈が好投を続けながら6月25日の阪神タイガース戦まで勝ちが付かない不運に遭うものの89.1回投げ4勝を挙げるなど活躍、同じく新人横山弘樹、前年勝ち星がなかった九里亜蓮、直近2年間で1軍1登板0勝の中村恭平、プロ初完封の戸田隆矢、シーズン後半は不振から脱した福井、薮田和樹、リリーフから配置転換されたブレイディン・ヘーゲンズらが去年の課題となる谷間の投手として勝ちを挙げる。さらに主力も前年から引き続き、ジョンソン、黒田、それに加え2年ぶりに野村祐輔が二桁勝利を挙げるなど3人が10勝、先発防御率はリーグ1位の3.29を記録。救援陣はオープン戦で好投し、開幕時に起用された中田廉や仲尾次オスカルがシーズンに入り失速し、3月31日の中日戦では5点リードから逆転負けを喫するなど再編を余儀なくされたが、前年から引き続き守護神の中崎に新加入のジェイ・ジャクソン、ヘーゲンズ、2年ぶりの60投球回到達となる今村猛らが盤石のリリーフを形成。中盤以降は一岡竜司、大瀬良などがそこに加わり、救援防御率もリーグ2位の3.06を記録した。11月24日に一軍投手コーチ留任が発表された[10]。
エピソード
金本知憲は広島時代、左ピッチャーが打てずなかなかレギュラーになれなかったため、オフシーズンに左ピッチャーを打ち込むことで左を克服した。その際金本にボールを投げ続けたのが畝(一番難しいタイプの変則的フォームだったから、彼に慣れることで克服しようとした)で、その甲斐あって金本は他の左ピッチャーを打てるようになりレギュラーを獲得した[11][12]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 広島 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 19 | 3.1 | 5 | 0 | 4 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 6 | 5 | 13.50 | 2.70 |
1990 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 3.0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.00 | 1.33 | |
1991 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 1.1 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 20.25 | 2.25 | |
通算:3年 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 40 | 7.2 | 8 | 2 | 8 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | 10 | 9 | 10.57 | 2.09 |
記録
背番号
- 26 (1989年 - 1992年)
- 78 (2014年 - )
登録名
- 畝 龍実 (うね たつみ、1989年 - 1991年)
- 畝 辰実 (うね たつみ、1992年)
脚注
- ^ 広島 スコアラー一筋、畝氏が投手兼分析コーチで初入閣 Sponichi Annex 2013年11月5日、広島スコアラー21年畝氏異例コーチ抜てき 日刊スポーツ 2013年11月5日
- ^ 広島投手陣支える異色のスタッフ スコアラーから転身した畝コーチ 夕刊フジ 2014年4月24日
- ^ 2014年度 コーチングスタッフ発表 広島東洋カープ公式サイト 2013年11月4日
- ^ 2015年度 コーチングスタッフ発表 広島東洋カープ公式サイト 2014年10月29日
- ^ 【広島】黒田、初登板はヤクルトとの開幕カード!畝投手コーチが示唆 スポーツ報知 2015年1月8日
- ^ 【黒田、小早川氏とコイ対談】苦しい時どれだけ力になれるか…そこに挑戦したい サンケイスポーツ 2015年3月14日
- ^ 「【失意のBクラス 緒方カープ元年】<上>苦心のベンチ 盗塁死リーグ最多の50」 中国新聞、2015年10月9日
- ^ 2016年度 コーチングスタッフ発表 広島東洋カープ公式サイト 2015年10月28日
- ^ 「【貯金19ターン 前半戦回顧】<上>ベンチワーク、連携円滑 77盗塁の成果」 中国新聞、2016年07月15日
- ^ 2017年度 コーチングスタッフ発表 広島東洋カープ公式サイト 2016年11月24日
- ^ プロ野球 引退するスター選手たち「あの頃、君は細かった」page=2 - 現代ビジネス Sportsプレミア
- ^ 高校野球小僧、白夜書房、2008年3月号、p180