伊藤整文学賞
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伊藤整文学賞(いとうせいぶんがくしょう)は、地元・小樽市出身の文学者伊藤整没後20年を契機に、1990年に創設された文学賞である[1][2]。
創設された文学賞は、小説と評論の2部門があり、4月1日を基準日として前1年間に発表された日本語で書かれた作品(小説、評論)から選出、受賞者には斎藤吉郎作「カモメ呼ぶ少女」のブロンズ像・副賞100万円を贈呈された[1]。
主催団体は、伊藤整文学賞の会(井上一郎会長)・小樽市・北海道新聞社から構成され、会事務局は小樽市教育委員会に置かれた[1]。
2012年10月、主催している小樽市の資金難などから2014年の第25回を以って終了することを発表[3][4]。2013年には伊藤整文学賞の会が北海道新聞文化賞特別賞を受賞[5]。
2014年5月8日、最後となる第25回受賞作を発表[6]。同年6月13日、小樽市内にて催行された授賞式を以って、全ての活動を終了した[7][3][8]。
受賞作
[編集]第1回から第10回
[編集]- 第1回(1990年)
- 第2回(1991年)
- 第3回(1992年)
- 第4回(1993年)
- 小説:上西晴治『十勝平野』
- 評論:該当作無し
- 第5回(1994年)
- 第6回(1995年)
- 第7回(1996年)
- 第8回(1997年)
- 第9回(1998年)
- 小説:該当作無し(車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』が選ばれるも受賞辞退)
- 評論:加藤典洋『敗戦後論』
- 第10回(1999年)
第11回から第20回
[編集]- 第11回(2000年)
- 第12回(2001年)
- 第13回(2002年)
- 第14回(2003年)
- 小説:多和田葉子『容疑者の夜行列車』
- 評論:該当作無し
- 第15回(2004年)
- 第16回(2005年)
- 第17回(2006年)
- 第18回(2007年)
- 第19回(2008年)
- 第20回(2009年)
第21回から第25回
[編集]選考委員
[編集]- 第1回から第2回 - 井上靖(委員長として)、大庭みな子、菅野昭正、黒井千次、高橋英夫、八木義徳、安岡章太郎
- 第3回から第5回 - 大庭、菅野、黒井、高橋、八木、安岡
- 大庭に代わり津島佑子
- 八木に代わり川村二郎
- 第12回から第17回 - 川村、菅野、黒井、高橋、津島、安岡
- 第18回から - 菅野、黒井、津島、松山巌
- 第25回 - 菅野、黒井、増田みず子、松山
脚注
[編集]- ^ a b c 伊藤整文学賞の会 - 伊藤整文学賞の会
- ^ 小説と評論に、伊藤整賞を創設。6年越し、小樽市民の運動実る 「今回のことはとてもうれしい」と伊藤整文学賞制定記者会見で語る伊藤貞子夫人 1990/02/14掲載 - フォト北海道 道新写真データベース 北海道新聞
- ^ a b 伊藤整文学賞14年で幕 小樽 協賛減、四半世紀の節目・北海道新聞2012年10月30日
- ^ ことばアップデート 2014年で終了する「伊藤整文学賞」2013/5/31 - 日経Bizアカデミーアーカイブ。記事によると、賞終了理由として、「創設から、副賞の賞金や運営費用に充ててきた基金が2014年までに底をつく」「運営に携わる幹事らも高齢化」とある。
- ^ “北海道新聞文化賞”. 北海道新聞社. 2023年12月17日閲覧。
- ^ 伊藤整文学賞 最後の受賞者 2014年5月9日掲載 - 北海道NEWSWEB - NHK NEWSWEB - Archive.is
- ^ 最後の伊藤整文学賞!25回の歴史に幕 (2014/06/13) - 小樽ジャーナル。同記事によると、「文学賞創設には渡辺淳一氏が、文学を目指していた時期、上京したばかりの新人の頃から伊藤整に温かい励ましを受け、ずっと慕っていた。是非とも文学賞を立ち上げたいと、知人の縁を通じて小樽の経済人らに構想を提示したのがはじまりと言われる」との記述がある。
- ^ 「伊藤整文学賞」歴史に幕 小樽で道新フォーラム 地方の視点 25年、遺産 次の世代に 2014/06/20掲載 - フォト北海道 道新写真データベース 北海道新聞