ロバート・オーリー
2012年 | |
引退 | |
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ポジション | PF/SF |
シュート | 右手 |
基本情報 | |
愛称 | Big Shot Rob |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1970年8月25日(54歳) |
出身地 | アラバマ州アンダルシア |
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) |
体重(現役時) | 109kg (240 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | アラバマ大学 |
NBAドラフト | 1992年 / 1巡目 / 全体11位[1] |
ヒューストン・ロケッツ から指名 | |
選手経歴 | |
1992-1996 1996-1997 1997-2003 2003-2008 |
ヒューストン・ロケッツ フェニックス・サンズ ロサンゼルス・レイカーズ サンアントニオ・スパーズ |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ロバート・キース・オーリー (Robert Keith Horry, 1970年8月25日 - ) は、アメリカ合衆国アラバマ州アンダルシア生まれの元バスケットボール選手。身長208cm、109kg。
キャリアを通して、決してスターと呼べるほどの選手でもチームのエースでもないロールプレイヤーであったが、優れたクラッチシューターとして複数の強豪チームで"優勝請負人" として活躍し、引退までに所属した4チームのうちの3チームで優勝(ロケッツ2回、レイカーズで3回、スパーズ2回)し計7つのNBAチャンピオンリングを獲得した[1]。これはマイケル・ジョーダンの6つを上回り、1959年からのボストン・セルティックス8連覇時代に同チームに所属していなかった選手としては合計7回の優勝は最多の記録である[2]。
概要
[編集]彼のレギュラーシーズンの成績はとてもスーパースターと呼べるものではない。しかし、プレイオフやファイナルで最も大切な場面での神がかりなプレーぶりは、「ビッグショット・ロブ(Big Shot Rob)」[1]と呼ばれNBAの歴史上でも屈指のクラッチシューターとして知られている。NBA優勝を7度経験している。ヒューストン・ロケッツで2回、ロサンゼルス・レイカーズで3回、サンアントニオ・スパーズで2回と過去3チームに渡りNBAチャンピオンとなる。これはジョン・サリー以来2人目である。
1992年全体11位でドラフト指名されてロケッツに入団する。1994年、1995年にロケッツの2連覇に貢献して、ファイナルでの1つのクオーターで5本の3ポイントシュートを決めている。
経歴
[編集]ロケッツ
[編集]1992-93シーズン、ヒューストン・ロケッツに入団。1993-94シーズン、ニューヨーク・ニックスとのファイナルでは7戦のうち4戦で2桁得点を決め[3]、初のNBAチャンピオンとなった。翌1994-95シーズン、スパーズとのカンファレンスファイナルでは6戦中、4戦で二桁得点(第2戦では21ポイント、第6戦では22ポイントを記録)を決めてファイナルに進出、オーランド・マジックとのファイナルでは、出場した3試合でいずれも2桁得点を決めて[4]、2度目のNBAチャンピオンとなった。
サンズ
[編集]1996-97シーズン、トレードでフェニックス・サンズへ移籍。
レイカーズ
[編集]1996-97シーズン途中の1月、サンズからロサンゼルス・レイカーズへトレードで移籍、7シーズンで3度の優勝を経験、2001-2002シーズン、プレイオフ1回戦のポートランド・トレイルブレイザーズとの第3戦、試合終了直前にスリーポイントシュートで逆転勝ちに貢献、カンファレンス決勝でサクラメント・キングスと対戦したが1勝2敗で迎えた第4戦、4Qで残り12秒、スコアは97-99と2点ビハインドの状況で、同点を狙ったコービー・ブライアントのレイアップ、シャキール・オニールのリバウンドがどれも決まらず、万事休すかと思われた。しかし跳ね返ったボールはスリーポイントラインにいたロバート・オーリーの元へ。迷わずシュート放ち、それと同時にブザーが鳴り響く、ボールはリングへと吸い込まれ、スコアは100-99、奇跡の大逆転のブザービーターとなった。試合時間が残り僅か数秒で、2点リードされた中、ブザービーターとなる3ポイントを決め、チームに逆転勝ちをもたらしたこの試合はレイカーズでの語り草となっている[5]。
スパーズ
[編集]2003年7月24日、サンアントニオ・スパーズと契約し[6]、2003-04シーズンからはサンアントニオ・スパーズへ移籍。2004-2005シーズン、カンファレンスファイナルのサンズとの対戦では5戦中3戦で二桁得点を決め[7]、ファイナル進出に貢献。デトロイト・ピストンズとのNBAファイナル第2戦で12ポイントを挙げて勝利[7]。第5戦では、リチャード・ハミルトン越しに豪快にダンクシュートを決め、更にタイムアウト後にラシード・ウォーレスのマークを外して逆転の3ポイントシュートを決めるなど、5本の3ポイントを含む、21ポイントを決め、勝利をもたらした[7]。第7戦でも15ポイントを決めてチームの勝利に貢献[7]、通算6個目のチャンピオンリンクを獲得した。
2006-07シーズンのキャブスとのファイナルでは、得点は少なかったが、第1戦で6つのアシストを決めて勝利、第2戦では9個のリバウンドを記録して勝利するなど[8]、チームに貢献し、自身7個目のチャンピオンリンクを獲得した。2007-08シーズン終了後、フリーとなるも、獲得するチームは現れず、そのまま引退に至った。
プレイオフ通算勝利数155勝は、レブロン・ジェームズ(162勝)、デレック・フィッシャー(161勝)、ティム・ダンカン(157勝)に次ぐ歴代4位である[9]。
人物
[編集]計4チームでプレーしたが、引退後も各チームの状況を気にかけており、現地時間2023年1月31日に行われたレイカーズ対ニックス戦で八村塁が当時レイカーズに移籍後最多の19得点、9リバウンド、1ブロックと躍動し、オーバータイム(OT)の末に勝利した際、テレビ番組で「ルイは最高のプレーをしている。さらにオフェンスで自信を増すことと、チームが彼を理解することを待つだけ」と称賛し太鼓判を押していた[10]。
個人成績
[編集]略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
太字 | キャリアハイ | * | リーグリーダー | † | 優勝シーズン |
レギュラーシーズン
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992-93 | HOU | 79 | 79 | 29.5 | .474 | .255 | .715 | 5.0 | 2.4 | 1.0 | 1.0 | 1.97 | 10.1 |
1993-94 | 81 | 81 | 29.3 | .459 | .324 | .732 | 5.4 | 2.9 | 1.5 | .9 | 1.69 | 9.9 | |
1994-95 | 64 | 61 | 32.4 | .447 | .379 | .761 | 5.1 | 3.4 | 1.5 | 1.2 | 1.91 | 10.2 | |
1995-96 | 71 | 71 | 37.1 | .410 | .366 | .776 | 5.8 | 4.0 | 1.6 | 1.5 | 2.25 | 12.0 | |
1996-97 | PHO | 32 | 15 | 22.5 | .421 | .308 | .640 | 3.7 | 1.7 | .9 | .8 | 1.44 | 6.9 |
1996-97 | LAL | 22 | 14 | 30.7 | .455 | .329 | .700 | 5.4 | 2.5 | 1.7 | 1.3 | 1.18 | 9.2 |
1997-98 | 72 | 71 | 30.4 | .476 | .204 | .692 | 7.5 | 2.3 | 1.6 | 1.3 | 1.38 | 7.4 | |
1998-99 | 38 | 5 | 19.6 | .459 | .444 | .739 | 4.0 | 1.5 | .9 | 1.0 | 1.29 | 4.9 | |
1999-00 | 76 | 0 | 22.2 | .438 | .309 | .788 | 4.8 | 1.6 | 1.1 | 1.0 | 0.96 | 5.7 | |
2000-01 | 79 | 1 | 20.1 | .387 | .346 | .711 | 3.7 | 1.6 | .7 | .7 | 1.00 | 5.2 | |
2001-02 | 81 | 23 | 26.4 | .398 | .374 | .783 | 5.9 | 2.9 | .9 | 1.1 | 1.09 | 6.8 | |
2002-03 | 80 | 26 | 29.3 | .387 | .288 | .769 | 6.4 | 2.9 | 1.2 | .8 | 1.40 | 6.5 | |
2003-04 | SAS | 81 | 1 | 15.9 | .405 | .380 | .645 | 3.4 | 1.2 | .6 | .6 | 0.68 | 4.8 |
2004-05 | 75 | 16 | 18.6 | .419 | .370 | .789 | 3.6 | 1.1 | .9 | .8 | 0.92 | 6.0 | |
2005-06 | 63 | 3 | 18.8 | .384 | .368 | .647 | 3.8 | 1.3 | .7 | .8 | 0.65 | 5.1 | |
2006-07 | 68 | 8 | 16.5 | .359 | .336 | .594 | 3.4 | 1.1 | .7 | .6 | 0.65 | 3.9 | |
2007-08 | 45 | 5 | 13.0 | .319 | .257 | .643 | 2.4 | 1.0 | .5 | .4 | 0.49 | 2.5 | |
通算:16年 | 1107 | 480 | 24.5 | .425 | .341 | .726 | 4.8 | 2.1 | 1.0 | .9 | 1.24 | 7.0 |
- 1998-99シーズンは50試合で打ち切り
プレーオフ
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992-93 | HOU | 12 | 12 | 31.2 | .465 | .300 | .741 | 5.2 | 3.2 | 1.5 | 1.3 | 2.33 | 10.3 |
1993-94 | 23 | 23 | 33.8 | .434 | .382 | .765 | 6.1 | 3.6 | 1.5 | .9 | 1.17 | 11.7 | |
1994-95 | 22 | 22 | 38.2 | .445 | .400 | .744 | 7.0 | 3.5 | 1.5 | 1.2 | 1.14 | 13.1 | |
1995-96 | 8 | 8 | 38.5 | .407 | .396 | .435 | 7.1 | 3.0 | 2.6 | 1.6 | 1.88 | 13.1 | |
1996-97 | LAL | 9 | 9 | 31.0 | .447 | .429 | .778 | 5.3 | 1.4 | 1.1 | .8 | 1.22 | 6.7 |
1997-98 | 13 | 13 | 32.5 | .557 | .353 | .683 | 6.5 | 3.1 | 1.1 | 1.1 | 1.38 | 8.6 | |
1998-99 | 8 | 0 | 22.1 | .462 | .417 | .786 | 4.5 | 1.4 | .8 | .8 | 0.88 | 5.0 | |
1999-00 | 23 | 0 | 26.9 | .407 | .288 | .702 | 5.3 | 2.5 | .9 | .8 | 1.30 | 7.6 | |
2000-01 | 16 | 0 | 23.9 | .368 | .362 | .591 | 5.2 | 1.9 | 1.4 | 1.0 | 1.13 | 5.9 | |
2001-02 | 19 | 14 | 37.0 | .449 | .387 | .789 | 8.1 | 3.2 | 1.7 | .8 | 1.58 | 9.3 | |
2002-03 | 12 | 10 | 31.1 | .319 | .053 | .556 | 6.7 | 3.1 | 1.2 | 1.0 | 1.42 | 5.6 | |
2003-04 | SAS | 10 | 0 | 21.1 | .465 | .364 | .929 | 6.3 | .9 | .8 | .2 | 1.00 | 6.1 |
2004-05 | 23 | 0 | 26.9 | .448 | .447 | .732 | 5.4 | 2.0 | .9 | .9 | 0.87 | 9.3 | |
2005-06 | 13 | 5 | 17.2 | .405 | .353 | .731 | 3.7 | .8 | .4 | .7 | 0.77 | 4.2 | |
2006-07 | 18 | 0 | 20.1 | .417 | .351 | .824 | 3.9 | 1.6 | .6 | 1.3 | 0.78 | 4.3 | |
2007-08 | 15 | 0 | 10.3 | .194 | .227 | .667 | 2.1 | .5 | .3 | .3 | 0.13 | 1.5 | |
出場:16回 | 244 | 116 | 28.0 | .426 | .359 | .722 | 5.6 | 2.4 | 1.1 | .9 | 1.16 | 7.9 |
1試合記録
[編集]- 得点:40(1995年11月16日)
- リバウンド:15(2002年5月20日)※プレーオフ
- アシスト:10(1995年2月25日、1996年12月10日)
- スティール:7(1996年6月9日)※プレーオフ
- ブロック:6(1996年3月19日)
- スリーポイント:9(1996年2月22日)
その他
[編集]- 1960年代に8連覇したボストン・セルティックスの選手を除くと選手として7つのチャンピオンリングを持っているのは彼だけである(次に多いのがカリーム・アブドゥル=ジャバー、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンの6つ)。プレーオフ出場試合数でもカリーム・アブドゥル=ジャバーを抜き、当時のNBA記録となった。(後にレブロン・ジェームズ、デレック・フィッシャー、ティム・ダンカンに抜かれ、2024年現在歴代4位)
- ヒューストン・ロケッツ時代の1995年NBAファイナル第2戦のオーランド・マジック戦での7スティールはファイナル記録。
- NBAファイナルでの3ポイント成功数は、通算53本でジョーダンの42本を大きく塗り替えた。(後にステフィン・カリー、クレイ・トンプソン、レブロン・ジェームズ、ダニー・グリーン、J・R・スミスに抜かれ、2024年現在歴代6位)
- 娘が1人いたが、重度の障害を持って生まれ、闘病の末2012年の他界した。「彼女が毎日経験している苦労に比べれば自分のプレーなんてどうということはないさ」と語ったことがある。
脚注
[編集]- ^ a b ““チャンピオン渡り鳥”として活躍する仕事人。(宮地陽子)”. Number Web - ナンバー. 2024年7月23日閲覧。
- ^ “マイケル・ジョーダンを超える7つのNBAチャンピオンリングを持つロバート・オーリー「僕は重要な歯車だったんだ」 | バスケットボール総合情報サイト バスケットカウント BASKET COUNT” (2021年2月12日). 2024年7月23日閲覧。
- ^ “Roberto Horry 1993-94” (英語). ESPN. January 26, 2024閲覧。
- ^ “Roberto Horry 1994-95” (英語). ESPN. January 26, 2024閲覧。
- ^ “【名場面5選】NBAプレイオフ名試合を振り返ろう”. SPAIA. 2024年7月23日閲覧。
- ^ “今日は何の日 〜サンアントニオがロバート・オーリーと契約〜 | NBA Rakuten”. nba.rakuten.co.jp (2019年7月24日). 2024年7月23日閲覧。
- ^ a b c d “Roberto Horry 2004-05” (英語). ESPN. January 26, 2024閲覧。
- ^ “Roberto Horry 2006-07” (英語). ESPN. January 26, 2024閲覧。
- ^ “レブロン・ジェームズがプレイオフの通算勝利数でNBA歴代1位に浮上 | NBA Rakuten”. nba.rakuten.co.jp (2020年9月10日). 2024年7月23日閲覧。
- ^ “八村塁、NBA“優勝請負人”がプレー絶賛で大興奮 ファンも満足「最高のお気に入り」”. THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュース・コラム (2023年2月2日). 2024年7月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
- roberthorry.net