静岡鉄道静岡清水線

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静岡清水線
1000形電車
1000形電車(日吉町駅
概要
起終点 起点:新静岡駅
終点:新清水駅
駅数 15駅
ウェブサイト 時刻表・沿線情報
運営
開業 1908年5月18日 (1908-05-18)
最終延伸 1908年12月9日 (1908-12-09)
所有者 (旧)静岡鉄道→大日本軌道静岡支社→駿遠電気→静岡電気鉄道→静岡鉄道
路線諸元
路線総延長 11.0 km (6.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 762 mm (2 ft 6 in)
最小曲線半径 160 m[1]
電化 直流600 V,
架空電車線方式
最急勾配 33.3パーミル [1]
路線図
Shizuoka Railway Linemap.svg

静岡清水線(しずおかしみずせん)は、静岡県静岡市葵区新静岡駅と、同市清水区新清水駅を結ぶ静岡鉄道鉄道路線

路線データ[編集]

運行形態[編集]

全列車2両編成ワンマン運転となっている。平日は朝ラッシュ時間帯に最大1時間あたり15本、土曜休日の終日と平日の昼間は6-7分間隔の高頻度運転を行っており、昼間の普通列車は新静岡 - 新清水間を21分で結んでいる。その運行形態や路線の特性から、欧米ではLRTとして紹介されることもある[要出典]。ワンマン運転は終日行われている。新静岡 - 新清水間の全線通し運転が基本であるが、平日ダイヤにおいて朝に急行と接続する新静岡 - 県総合運動場間の区間列車(後述)や、長沼駅の北側に隣接して車庫(静岡鉄道では鉄道運転所と称する)があるため、朝夕ラッシュ時の前後には出入庫運用として、柚木発新静岡行き、新静岡発柚木行き、新清水発長沼行き、長沼発新清水行きの区間列車が数本設定されている。

急行
2011年10月1日のダイヤ改正で、15年ぶりに急行運転が復活し、平日朝に新清水行きが運行されている。停車駅は、新静岡・県総合運動場・草薙・御門台・狐ヶ崎・桜橋・新清水。いずれも乗降客が多い駅という[2]。その反面、利用客の少ない県立美術館前駅と入江岡駅は区間運転の普通列車が運行しない区間の駅であるにもかかわらず急行は通過となり、朝ラッシュ時は実質減便となった。なお、急行列車が先行する普通列車を追い抜くことはないが、県総合運動場駅で新静岡発県総合運動場行の区間列車から接続している。
かつて設定されていた急行は、日中も運転され、運動場前駅(現・県総合運動場駅)で先発の普通列車を追い抜く運転も行われていた[3]が、1985年からは各駅の乗車機会向上のため各駅に停車する普通が増発され、急行運転は平日の朝夕のみとなった。その後急行は1996年4月1日のダイヤ改正で廃止され[3]、2011年10月1日の改正で復活するまでの間、定期列車はすべて普通列車のみで運行されていた。
通勤急行
2011年10月1日のダイヤ改正で新設され、平日朝に新静岡行きが運行されている。停車駅は新清水・桜橋・狐ケ崎・御門台・草薙・古庄・日吉町・新静岡。早朝の2本のみ、県総合運動場駅で普通列車を追い抜く。
臨時急行
臨時急行は、2011年12月10日 - 2012年1月9日の土日祝日(12月31日を除く)に「セノバ号」として運行されたのが初めてであり、この時は新静岡と古庄 - 新清水の各駅に(新静岡行きは日吉町駅にも)停車した。次いで2012年の4月7日・8日の両日に、「静岡まつり」の観客輸送対応列車(列車愛称なし)として運転され、この時は下り列車(新清水行き)は通常運転されている急行の停車駅に、上り列車(新静岡行き)は、同じく通勤急行の停車駅に停車した。
普通
新静岡 - 新清水間の全線で運行される列車のほか、入出庫運用として新静岡 - 柚木間、 長沼 - 新清水間の区間列車がそれぞれ運行されている。また、平日朝には新静岡 - 県総合運動場間の区間運転が行われ、葵区・駿河区側に所在する急行・通勤急行通過駅利用者への配慮がなされている。

設備[編集]

現在は全駅に自動券売機、ICカードチャージ機自動改札機(全レーンICカード対応)が設置されている。乗車カードは、自社の「LuLuCa」、PiTaPa、及びPiTaPaと相互利用可能なICカード(SuicaPASMOKitacaTOICAmanacaICOCAはやかけんnimocaSUGOCA)、磁気プリペイドカード「パサールカード」が利用できる。なお、各駅のICカードチャージ機ではLuLuCa以外のICカードのチャージはできず、新静岡・草薙・新清水各駅の有人窓口にてチャージを受け付けている。


同路線の踏切は、遮断機の遮断かんを視認性向上のために従来の黄色・黒の縞模様からより目に付きやすい赤・白のものに逐次交換している。新静岡駅付近等での試験的な使用を経て、2009年現在は主要箇所で遮断かんの交換が完了した(警報機の塗装変更は行われていない)[4][5]

JR東海道本線とは狐ヶ崎 - 入江岡間で併走する(JR車内から)

車両[編集]

1960年代までは長沼駅に隣接する自社の長沼工場で製造した電車が在籍していたほか、他社からの譲渡車もあったが、1973年昭和48年)から1985年(昭和60年)にかけて新製された1000形にすべて置き換えられた。

ほかに車庫の奥に1926年(大正15年)に製造された電動貨車デワ1形[6][7]、構内の一角に無蓋車ト1、ト2が保存されている。ト1、ト2の一端およびデワ1には、現在各地の鉄道関連の博物館の保存車両や伊予鉄道松山市内線の坊っちゃん列車などでしか見ることのできないバッファー・リンク式連結器が装備されている[7]

2016年春から新型車両(A3000形)[8]を投入し、現行の1000形を8年計画で順次代替する[9]

現用車両[編集]

A3000形[編集]

1000形の置き換え用に製造される車両である。車両形式の由来は、「Activate(活性化させる)」「Amuse(楽しませる)」「Axis(軸)」の3つのAから[8]2016年3月24日から営業運転開始予定[10]2015年から2024年頃にかけて総合車両製作所[8]にて2両編成12本(合計24両)を製造する。編成はクモハA3000形(Mc・静岡側)-クハA3500形(Tc・清水側)となっている。

VVVFインバータ制御。車体はJR東日本のE235系と同じSustinaと呼ばれる新開発の軽量ステンレス車体を採用(私鉄の編成としては全国初採用。)。車内はオールロングシートで、ドア上に液晶ディスプレイが千鳥配置されているはか、全国初となる二段吊革(1つのつり革に高さが違う2つの取っ手がついた吊革)を導入。パンタグラフは同鉄道初の採用となるシングルアームパンタグラフで、クモハA3000に関節部分を連結面側に向けた形で取り付けられる。行先表示器はフルカラーLEDを採用する。車両デザインは以下の通り。

  • 第1 - 7編成:静岡市にちなんだ7色(1編成に1色ずつで、色〈およびイメージ、モチーフ〉はパッションレッド〈情熱的 活動的、いちご〉、プリティピンク〈かわいい ロマンティック、桜エビ〉、ブリリアントオレンジイエロー〈暖かさ 幸福感、みかん〉、フレッシュグリーン〈新しさ 優しさ、山葵〉、ナチュラルグリーン〈安全 自然、お茶〉、クリアブルー〈安心 誠実、富士山〉、エレガントブルー〈上品 信頼、駿河湾〉)を採用し、「shizuoka rainbow trains」と称する[8]
  • 第8 - 12編成:無塗色で、全面広告車に対応する。
A3000形電車編成表

竣工 車体デザイン
クモハA3000
(Mc)
クハA3500
(Tc)
種類 塗色



A3001 A3501 2015年(平成27年) shizuoka
rainbow
trains
クリアブルー
A3002 A3502
A3003 A3503
A3004 A3504
A3005 A3505
A3006 A3506
A3007 A3507
A3008 A3508 無塗色
(全面広告車に対応)
A3009 A3509
A3010 A3510
A3011 A3511
A3012 A3512

1000形[編集]

2015年現在すべての営業列車が1000形で、100形・300系などの旧形車の置き換え用に製造された車両である。東急車輛製造にて2両編成12本(合計24両)が製造された。編成はクモハ1000形(Mc・静岡側)-クハ1500形(Tc・清水側)となっている。

抵抗制御カルダン駆動方式を採用している。当時製造が完了していたバッド社のライセンスにより製造された日本初のオールステンレスカー7000系よりも保守・導入費を安くした東京急行電鉄7200系電車と共通点を多く持つ前面非貫通型・3扉のオールステンレス車両である。ただし、前面窓は非対称の大型2枚ガラスというオリジナルデザインである。運転席の制御機器も静岡鉄道初となるT型レバーのワンハンドルマスコンを採用している。ワンマン運転開始に先立って、バックミラーの取付が行われた(後期車両には新製時より取り付けられた車両も存在する)が、後にすべての車両のバックミラーが撤去されてた。

1009編成以降の車両は新製時から分散式クーラーを搭載し、パンタグラフが下枠交差型に改められるなど、外観上の変化がみられる。1008編成までの車両は当初は非冷房であったが、後に富士電機製の集中式クーラーの取り付け改造及び屋上のベンチレーター撤去工事が施され、同鉄道の全車両の冷房化が実現している。

1973年に1次車が登場し、その後鉄道友の会静岡支部より「79年 おれんじ賞」を授与されている。

2015年現在では前面窓上の表示幕に種別および行先(昼間帯は「普通 新静岡-新清水」に固定)を表示し、上部左右に白色標識灯を、下部左右に前照灯・後部標識灯を装備している。ワンマン運転のため、戸締め時の車外警報装置として妻面にゴング式ベルを持つ。警笛は先頭部にAW-5空気笛を1本、電気笛(ミュージックホーン吹奏と併用可能[11])1基を装備。同車の標識灯取扱いについては「通過標識灯#静岡鉄道」、ミュージックホーンについては「警笛#ミュージックホーン#静岡鉄道」も参照。

登場時はステンレス無塗装の車体であったが、1985年から遠方からの列車視認性を向上させる目的で試験的に緑のストライプが貼り付けられ、最終的に前面に青、オレンジ、緑の三色、更に前面の車体裾部分に反射素材によるオレンジのラインが付加された(時期によって何度か変遷している)。現在は静岡市の広告条例の改正に伴い、車体前面に企業広告やイベント等の全面ラッピングを施した車両や、車体の戸袋部分にステッカー式広告を貼っている車両、さらに300系の青帯を再現した編成など様々なバリエーションが存在する。

A3000形への置き換えに伴い、2024年までに全編成が引退する予定。2016年3月24日のA3000形第一編成の営業運転開始に先立ち、クモハ1004とクハ1504の編成が同年3月11日に引退することが発表された[10]

全駅に自動券売機・自動改札機が設置されているため、現在、車内での運転士による運賃収受は行わない(都市型ワンマン運転)。

1000形電車編成表

竣工
クモハ1000
(Mc)
クハ1500
(Tc)



1001 1501 1973年(昭和48年)
1002 1502
1003 1503
1004 1504
1005 1505
1006 1506 1976年(昭和51年)
1007 1507
1008 1508
1009 1509 1979年(昭和54年)
1010 1510
1011 1511 1984年(昭和59年)
1012 1512 1985年(昭和60年)

過去の車両[編集]

駿遠電気時代の電車[編集]

電化開業時に用意した木製単車14両の記録は不完全である。1-3(定員40人)、附随客車附1-3(定員40人)は玉川電気鉄道より、番号不明5両(定員40人)が美濃電気軌道より、そして前歴不明の11-13(定員40人)。これらは早期に処分されている。美濃電の5両は1921年及び1923年に廃車。玉電6両は1925年に1-3、1926年に附1-3が秋葉線へ転属、1929年に11・12が散水車となり13が廃車となる。なお1926年に入線した池上電気鉄道丙号電車(11・12)は静岡電気鉄道より譲渡されているが旧番号不明である[12]。1921年に入線した木製ボギー車22、24(日本車輌製、定員65人)は1923年に池上電気鉄道へ売却され乙号電車となった。

  • 特記事項を除き『日本の市内電車 -1895-1945-』、185-189頁を参照

静岡電気鉄道時代の電車(1923-1943)[編集]

  • ボギー車
    • モハ20形(20 - 23・25)1924年認可、木製、定員65人、1937年に30 - 33・35の鋼体化により発生した車体を載せ変えて新30 - 33・35となる[13]
    • モハ30形(30 - 33・35)1924年認可、木製、定員65人、1937年日本車両で鋼製車体を新製して300 - 303・305となる[14]
    • モハ100形(100・101) 1927年日本車輌製、木製、定員78人、100は1947年台車のみ江の電へ売却[15]、1954年7月1日の改番により101→モハ3、のちクハ6(2代目)へ改造[16][17]
    • モハ120形(120・121) 1930年日本車輌製、半鋼製、定員108人、片側3扉(中央扉は両開)、大型すぎて1937-1938年西武鉄道と渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線)に売却[18]
    • モハ80形(80 - 82) 1936年に西武鉄道新宿軌道線(都電杉並線)38-40(1927年汽車会社製、木製)を購入[19]。1954年7月1日の改番によりモハ65(65-67)[16]となり1956年に鋼体化される[20]
    • モハ300形(300 - 303・305)1937年日本車輌製、半鋼製,、30-33・35の鋼体化[21]、1954年7月1日の改番によりモハ10-13・15、その後モハ10→クハ11、モハ12→クハ5(2代目)、モハ13→クハ15[16]
    • モハ200形(200・201)1939年木南車輌製、半鋼製[14]、1954年7月1日の改番によりモハ5・6[16]
    • モハ220形(220 - 222)1939年木南車輌製、半鋼製[22]、1954年7月1日の改番により220→モハ7(2代目)、221→モハ8、222→モハ9、その後モハ8→クハ1(2代目)→モハ1(2代目)[16]

静岡鉄道成立以後[編集]

終戦間近の1945年6月20日と7月6日の空襲により主力の200・220・300形の10両のうち7両が被災した[23]。これらは1946年から1948年までに復旧されたが[24]、輸送整備のため1946年東急よりモハ1・2・7 - 9を購入。さらにデハ3251・3252が入線し、続いて近江鉄道、国鉄より車両を調達した。

  • モハ1・2・7 - 9 1946年東急より厚木線(旧神中鉄道)で使用されていたモハ1・2・7 - 9(目黒蒲田電鉄デハ1形電車)を購入[25]
  • モハ500・501 東急よりデハ3251・3252(元池上電気鉄道電気鉄道)を購入[26]。東急の国鉄63系電車の見返り供出車[27]。1954年にクモハ16・17に改番。その後2両固定化され、1969年には大幅な車体更新工事が行われたが1975年に廃車。
  • クハ1(初代) 近江鉄道より購入したクハユ24を改造した(1953年設計変更認可)。木製車、1960年廃車[28][29]
  • クハ3 近江鉄道より購入した客車(ホハフ1 元八日市鉄道[30])を長沼工場で制御車に改造した。木製車、1959年廃車[31]
  • クハ5(初代) 近江鉄道より購入した半鋼製2軸気動車キハ50を車体延長ボギー化改造した[32]。1961年廃車[28]
  • クハ7 国鉄より払下げられた元富岩鉄道セミボ20。1955年10月使用認可[33]
  • モハ(クモハ)18-20 国鉄より払下げられた元鶴見臨港鉄道モハ110形[34]

戦時中に鷹匠町車庫が手狭になり、湿地帯で稲作にむかず蓮田となっていた静岡市東部の長沼地区を苦労しながら埋め立てて車両基地を建設した。陸軍射撃場の資材を手に入れて大砲格納庫を車庫に転用したりして整備を進めた[35][36]。そして戦災車両の復旧や転入車両の改造を手掛け、1957年の静岡国体開催にあたり、3両の車両の新製を始めるまでになった。やがて急増する旅客輸送のため従来の2両編成の定員220人を300人程度までにするため大型の100形が投入され300系・350形と「静鉄形電車」が生産されることになる。ただ大型車導入によりラッシュ時には変電所がパンクすることも多かったためにのちに変電所は増強された[37]

  • モハ21+クハ21(21-25)1957年より1961年まで自社長沼工場で製作された2両固定編成。国鉄80系電車の2枚窓の前面形状と金太郎塗りを採用し当時の流行をとりいれていたがブリルの台車や機器は流用品を使っていた。
  • 100形
  • 300系
  • 350形

自社製の車両は、1986年(昭和61年)に福井鉄道へ譲渡された300系を最後に、同線から姿を消した。

貨車[編集]

電化時に用意された車両は電動無蓋貨車(デ1・2)、無蓋貨車(ト1 - 3・5 - 11)1924年に電動有蓋貨車(デ3・5・6)、有蓋貨車ワ1 - 3、5・6が増備され、1926年に電動有蓋貨車(デ10-12)が増備される。1927年にデ3・5が秋葉線に転出、かわりにト12・13、ワフ7 - 9転入。1930年に無蓋貨車(トコ20-23)が製作される。しかし不況と自動車の進出により貨物量が激減し、1937年にデ6、ワ5、ト1・2・5・7・9 - 11が廃車(同時に秋葉線より貨車2両が転入)となり1941年には貨物は廃止された。以後の車両の動きは不明。

  • 特記事項を除き澤内一晃「静岡鉄道デワ1+ト1を見る」『J TRAIN』No.31を参照

1997年(平成9年)までは車籍の無い入換用機械として、旧鶴見臨港鉄道の生き残りであるクモハ18形20が使用されていたが、同年導入したモーターカーに役目を譲った形で長期に渡って留置され、その後老朽化が著しく進行していたため2007年(平成19年)3月に解体された。解体前にはさよなら撮影会が開催されている[38]

車両数の変遷[編集]

A3000形 1000形 300系 クモハ350形 計(冷房車)
1982-1984 20 6 2 28(4)
1985 22 6 28(6)
1986 24 2 26(8)
1987 24 24(10)
1988-1989 24 24(16)
1990-2006 24 24(24)
2016 2 22 24(24)
  • 事業用車除く
  • 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 1982年 - 2006年は『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール より

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

静岡清水線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績
年 度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
1975年(昭和50年) 634.2 351.4 950.9 1936.5 24,452  
1976年(昭和51年) 587.9 335.3 951.4 1874.6 23,754  
1977年(昭和52年) 569.8 316.8 901.1 1787.7 22,795  
1978年(昭和53年) 542.0 307.9 879.5 1729.5 22,181  
1979年(昭和54年) 518.3 292.8 840.5 1651.6 21,222  
1980年(昭和55年) 525.9 285.1 822.5 1633.6 21,166  
1981年(昭和56年) 514.1 273.1 784.5 1571.8    
1982年(昭和57年) 495.5 257.3 771.2 1524.0    
1983年(昭和58年) 476.9 254.2 736.7 1467.8    
1984年(昭和59年) 456.5 239.4 704.1 1400.0    
1985年(昭和60年) 442.7 243.5 699.2 1385.4    
1986年(昭和61年) 436.5 251.7 699.0 1387.2    
1987年(昭和62年) 435.8 265.7 695.6 1397.1    
1988年(昭和63年) 447.9 272.8 692.6 1413.3    
1989年(平成元年) 443.6 276.8 694.4 1414.8    
1990年(平成2年) 444.5 305.7 700.7 1450.9    
1991年(平成3年) 446.9 307.1 725.0 1479.0    
1992年(平成4年) 444.1 294.0 715.9 1454.0    
1993年(平成5年) 430.2 276.6 737.4 1444.2    
1994年(平成6年) 417.7 276.1 746.4 1440.2    
1995年(平成7年) 395.0 268.1 728.2 1391.3 17,026  
1996年(平成8年) 384.9 264.5 747.8 1397.2 17,091  
1997年(平成9年) 370.8 245.3 726.1 1342.2 16,435  
1998年(平成10年) 336.2 228.2 734.0 1298.4 15,959  
1999年(平成11年) 321.9 178.4 749.5 1249.8 15,505  
2000年(平成12年) 310.4 154.1 722.2 1186.7 14,864  
2001年(平成13年) 295.6 144.1 721.2 1160.9 14,653  
2002年(平成14年) 287.8 140.9 714.1 1142.8 14,398  
2003年(平成15年) 285.9 132.5 737.7 1156.1 14,675  
2004年(平成16年) 299.0 133.1 730.0 1162.3 14,946  
2005年(平成17年)       1169.9    
2006年(平成18年)       1165.9    
2007年(平成19年)            

収入実績[編集]

静岡清水線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別収入実績
年  度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1975年(昭和50年) 421,670 ←←←← 733,046 0 1,154,716 1,591 1,156,307
1976年(昭和51年) 409,239 ←←←← 766,098 0 1,175,337 2,732 1,178,069
1977年(昭和52年) 462,787 ←←←← 885,961 0 1,348,748 4,387 1,353,135
1978年(昭和53年) 453,710 ←←←← 888,728 0 1,342,439 3,593 1,346,032
1979年(昭和54年) 502,580 ←←←← 955,257 0 1,457,837 3,858 1,461,696
1980年(昭和55年) 509,606 ←←←← 950,884 0 1,460,490 5,079 1,465,569
1981年(昭和56年) 563,158 ←←←← 1,010,710 0 1,573,868 8,209 1,582,077
1982年(昭和57年) 545,437 ←←←← 1,013,271 0 1,558,708 16,565 1,575,273
1983年(昭和58年) 579,237 ←←←← 1,037,385 0 1,616,622 17,069 1,633,691
1984年(昭和59年) 554,336 ←←←← 985,782 0 1,540,118 27,442 1,567,559
1985年(昭和60年) 558,390 ←←←← 1,015,410 0 1,573,800 19,777 1,593,577
1986年(昭和61年) 599,615 ←←←← 1,077,728 0 1,677,343 18,318 1,695,661
1987年(昭和62年) 432,810 171,178 1,071,207 0 1,675,195 19,369 1,694,564
1988年(昭和63年) 438,975 173,914 1,068,018 0 1,680,907 19,379 1,700,286
1989年(平成元年) 432,030 174,653 1,067,728 0 1,674,411 23,343 1,697,754
1990年(平成2年) 427,753 189,862 1,075,154 0 1,692,769 25,725 1,718,494
1991年(平成3年) 427,398 189,065 1,106,645 0 1,723,108 30,570 1,753,678
1992年(平成4年) 421,551 179,688 1,093,684 0 1,694,923 30,300 1,725,223
1993年(平成5年) 405,558 168,955 1,121,256 0 1,695,769 10,482 1,706,251
1994年(平成6年) 393,791 170,149 1,138,311 0 1,702,251 30,432 1,732,683
1995年(平成7年) 374,495 165,759 1,112,110 0 1,652,364 33,933 1,686,297
1996年(平成8年) 364,238 161,738 1,139,402 0 1,665,378 34,506 1,699,884
1997年(平成9年) 342,965 146,585 1,111,654 0 1,601,204 29,477 1,630,681
1998年(平成10年) 306,777 136,543 1,114,001 0 1,557,321 27,912 1,585,233
1999年(平成11年) 291,790 113,215 1,136,482 0 1,541,487 25,592 1,567,079
2000年(平成12年) 280,422 101,407 1,098,065 0 1,479,894 29,300 1,509,194
2001年(平成13年) 268,145 96,602 1,097,685 0 1,462,432 28,787 1,491,219
2002年(平成14年) 259,489 95,545 1,086,192 0 1,441,226 29,380 1,470,606
2003年(平成15年) 266,356 91,515 1,111,913 0 1,469,784 33,725 1,503,509
2004年(平成16年) 283,249 88,513 1,103,838 0 1,475,600 35,020 1,510,620
2005年(平成17年)       0 1,487,105 33,239 1,520,344
2006年(平成18年)       0 1,486,310 36,002 1,522,312
2007年(平成19年)       0 1,495,285 39,639 1,534,924
2008年(平成20年)       0 1,477,716 36,575 1,514,291
2009年(平成21年) 285,928 79,818 962,449 0 1,328,195 32,996 1,361,191
2010年(平成22年)       0 1,303,174 31,234 1,334,408

戦前の輸送実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン)
1921 821,267 10,246
1923 1,370,653 29,548
1924 1,598,324 37,032
1925 1,958,106 34,255
1927 3,736,554 28,819
1929 4,669,471 24,994
1931 4,584,747 6,746
1933 5,115,941 15,693
1935 6,636,173 10,848
1937 7,508,276 10,127
1939 9,585,493 5,745
1941 14,766,758 861
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

歴史[編集]

現在の入江岡駅付近に存在した入江町駅(1918年4月撮影)
  • 1906年(明治39年)8月21日 安倍郡豊田村南安東(現・音羽町)- 入江町の軌道敷設特許。
  • 1907年(明治40年)10月11日 南安東 - 鷹匠町(現・新静岡)および入江町 - 清水受新田(うけしんでん、波止場)の軌道敷設特許。
  • 1908年(明治41年)
    • 5月18日 静岡鉄道(旧)(社長雨宮敬次郎[39]によって辻村(現・新清水) - 清水町(後の波止場)が開業(762mm軌間、蒸気動力、貨物営業のみ)。
    • 7月1日 辻村 - 清水町間の旅客営業開始。
    • 8月 大日本軌道が静岡鉄道を合併[40]。同社の静岡支社に。
    • 12月9日 鷹匠町 - 辻村間が開業し、鷹匠町 - 波止場間 (7M50C) 全通。
  • 1918年(大正7年) 江尻新道(辻村から改称) - 波止場間廃止(後に再開業)。
  • 1919年(大正8年)5月1日 駿遠電気に譲渡[41]
  • 1920年(大正9年)8月2日 1067mmに改軌、600V電化。
  • 1923年(大正12年)2月28日 静岡電気鉄道に改称。
  • 1925年(大正14年)4月1日 鷹匠町 - 公園前(現音羽町)間複線化。
  • 1930年(昭和5年)
    • 3月31日 音羽町 - 古庄間複線化。
    • 7月16日 古庄 - 桜井戸(後に廃止)間複線化。
  • 1934年(昭和9年)
    • 2月11日 運動場前から東を短絡線に移設、仮運転開始。
    • 8月21日 短絡線での本運転開始。
  • 1943年(昭和18年)5月15日 藤相鉄道・中遠鉄道などと合併して静岡鉄道発足。
  • 1945年(昭和20年)
    • 6月20日 未明の静岡大空襲で静岡市内の施設被災。
    • 7月6日 夜の空襲で清水市内の施設被災。
    • 12月1日 鷹匠町 - 清水相生町間を軌道から地方鉄道に変更、清水相生町 - 清水波止場間を休止。
    • 12月26日 鷹匠町の駅舎完成。
  • 1946年(昭和21年)12月27日 安西 - 鷹匠町間を静岡市内線、鷹匠町 - 清水相生町間を静岡線として分離。
  • 1949年(昭和24年)3月25日 清水相生町 - 波止場間廃止許可。
  • 1953年(昭和28年)
    • 8月 電車修理工場を鷹匠町から、長沼駅構内に移転。
    • 11月24日 快速を運転開始。
  • 1954年(昭和29年)
    • 夏 清水市内線港橋まで快速の乗り入れ運転を実施。
    • 10月1日 鷹匠町駅を新静岡駅に、清水相生町駅を新清水駅に改称。
  • 1955年(昭和30年) 集電装置をトロリーポールからパンタグラフに変更。
  • 1958年(昭和33年)3月10日 快速を廃止。急行を運転開始。
  • 1961年(昭和36年)3月1日 有度学校前駅を御門台駅に改称。
  • 1969年(昭和44年)2月 長沼駅に列車総合制御盤導入。
  • 1970年(昭和45年)12月 ATS設置。
  • 1971年(昭和46年)2月 列車無線装置設置。
  • 1973年(昭和48年)4月25日 オールステンレス製の1000形電車運転開始。
  • 1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による土砂災害で夜から全線不通に。15日に全線復旧。
  • 1975年(昭和50年)9月1日 ワンマン運転開始。
  • 1979年(昭和54年)12月 CTC化。
  • 1986年(昭和61年)3月25日 県立美術館前駅開業。
  • 1991年(平成3年)11月1日 運動場前駅を県総合運動場駅に改称。
  • 1992年(平成4年)9月1日 自動改札機を新静岡駅・新清水駅など5駅に設置。翌年12月までに全駅に設置。同時に早朝・深夜の車掌乗務[42]を廃止、完全都市型ワンマン運転化。
  • 1994年(平成6年)6月2日 パサールカードストアードフェアシステム)導入。
  • 1996年(平成8年)4月1日 同日のダイヤ改正にて急行の設定を取りやめ、全列車を普通とする。
  • 2006年(平成18年)10月28日 LuLuCa対応の自動改札機を全駅に設置。
  • 2007年(平成19年)9月1日 PiTaPaを全駅で導入、同時にICOCAも使用可能に。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月1日 御門台 - 新清水間で新型ATS (i-ATS) を使用開始(順次全線に拡大)。
    • 10月1日 列車運転に携わる社員の制服を一新。
  • 2009年(平成21年)4月1日 新静岡センター跡地および周辺地域再開発事業のため、新静岡駅の仮設改札口の供用を開始。
  • 2011年(平成23年)10月1日 新静岡セノバ開業(5日)に伴うダイヤ改正が行われ、平日ダイヤ朝に下り急行が再設定され、上り通勤急行を新設。全駅の駅名標およびドア上車内停車駅案内をCIデザインのものに一斉更改、同時に駅ナンバリングを本格導入。駅構内・列車車内案内上の英文表記を「県」で始まる途中2駅(県総合運動場駅県立美術館前駅)はローマ字転写から直接英訳のものへ、「ょう」で終わる各駅の長音符号表記を廃止。
  • 2013年(平成25年)3月23日 全国交通系ICカード相互利用開始
  • 2014年(平成26年)11月27日 平成28年度より40年ぶりとなる新型車両(A3000形)導入を発表。
  • 2015年(平成27年) 1000形電車の車体側面および車内のワンマン表示を消去。
  • 2016年(平成28年)
    • 3月11日 1004号、1000形初の運用離脱。
    • 3月24日 A3000形電車A3001号営業運転開始。

駅一覧[編集]

  • 全駅静岡県静岡市に所在(Googleマップ)。
  • 普通列車はすべての駅に停車。
  • 通勤急行・急行は、平日ダイヤの朝のみ運行。
  • 臨時急行「セノバ号」は2011年12月10日 - 2012年1月9日の土日祝日(12月31日を除く)運行。
  • JR線との連絡運輸は行っていない。
凡例
●:停車、▲:停車(新静岡方面のみ)、|:通過(両方向)、↑↓:通過(矢印の方向に運転)
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 通勤急行 急行 セノバ号 接続路線 所在地
S01 新静岡駅 - 0.0 東海旅客鉄道東海道新幹線東海道本線静岡駅 葵区
S02 日吉町駅 0.5 0.5  
S03 音羽町駅 0.5 1.0  
S04 春日町駅 0.5 1.5  
S05 柚木駅 0.5 2.0  
S06 長沼駅 1.1 3.1 東海旅客鉄道:東海道本線(東静岡駅
S07 古庄駅 0.7 3.8  
S08 県総合運動場駅 1.0 4.8   駿河区
S09 県立美術館前駅 0.9 5.7   清水区
S10 草薙駅 0.7 6.4 東海旅客鉄道:東海道本線(草薙駅
S11 御門台駅 1.0 7.4  
S12 狐ヶ崎駅 0.9 8.3  
S13 桜橋駅 1.7 10.0  
S14 入江岡駅 0.3 10.3  
S15 新清水駅 0.7 11.0 東海旅客鉄道:東海道本線(清水駅

新駅計画[編集]

当路線で駅間距離が最も長い狐ヶ崎駅 - 桜橋駅間の大坪・追分地区への新駅設置が静岡市により検討されている。事業費は約5億1400万円と見込まれている[43]

運賃[編集]

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。

キロ程 運賃(円)
初乗り1 - 2km 120
3 - 4 130
5 160
6 180
7 200
8 230
9 260
10 280
11 300

脚注[編集]

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  1. ^ a b 最急曲線は奥田 (1963) の値。現状は異なる可能性あり。
  2. ^ 静鉄、「急行」を復活 10月に大規模ダイヤ改正 - 静岡新聞、2011年9月21日。
  3. ^ a b 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.83
  4. ^ 「赤色・白色」踏切遮断かんの実証実験について - 静岡鉄道、2007年2月9日。
  5. ^ 09年 静岡鉄道株式会社 安全報告書 〈鉄道〉 (PDF)
  6. ^ 車両工場・デワ1号見学会 開催のお知らせ - 静岡鉄道、2009年4月24日。
  7. ^ a b 静岡鉄道 デワ1 号 電動貨車 デワ1 - 国立科学博物館-産業技術の歴史
  8. ^ a b c d 静鉄電車 新型車両の制作開始について〜制作会社、形式名、外観カラーリング決定〜 - 静岡鉄道、2015年6月19日
  9. ^ 静鉄電車 新型車両導入計画について - 静岡鉄道、2014年11月28日
  10. ^ a b 3月24日「発車!」 静岡鉄道の新車両 - 静岡新聞、2016年1月8日
  11. ^ ただし、1997年まで単音電気笛鳴動機能は付加されていなかった
  12. ^ 「東京急行電鉄車歴表」『鉄道ピクトリアル』No.749、245頁
  13. ^ 『日本の市内電車 -1895-1945-』、185-189頁
  14. ^ a b 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、125頁
  15. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、128-129頁
  16. ^ a b c d e 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、123頁
  17. ^ 形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「静岡電気鉄道120型電車の軌跡」
  19. ^ 『日本の市内電車 -1895-1945-』43-44頁
  20. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、130頁
  21. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、125-126頁
  22. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、124-125、132頁
  23. ^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.207
  24. ^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.185、46頁
  25. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、124頁
  26. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、126頁
  27. ^ 「静岡電気鉄道時代の電車について」
  28. ^ a b 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、131頁
  29. ^ 「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、278頁
  30. ^ 「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、276頁
  31. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、131-132頁
  32. ^ 『内燃動車発達史 上巻』192頁
  33. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、129頁
  34. ^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、127頁
  35. ^ 大井航空隊の鉄骨格納庫の移設を計画したが大きすぎて断念
  36. ^ 「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.596
  37. ^ 「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.597
  38. ^ クモハ20号解体のお知らせ - 静岡鉄道、2007年3月9日。
  39. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治41年』(国国立国会図書館デジタルコレクション)
  40. ^ 『官報』1908年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  41. ^ 5月23日許可「軌道敷設特許権譲渡」『官報』1919年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  42. ^ 途中駅乗客に対しての運賃収受添乗は、運転士の副行路となっていた。
  43. ^ 静岡市 追分・大坪地区新駅設置 新駅設置は必要と認識 事業費は約5億1400万円を見込む - 建通新聞 2014年2月20日付け

参考文献[編集]

  • 今尾恵介(監修) 『7 東海』 新潮社〈日本鉄道旅行地図帳:全線・全駅・全廃線〉、東京、2008年ISBN 978-4-10-790025-8
  • 奥田愛三「静岡鉄道電車線」、『鉄道ピクトリアル』通巻140・141号、1963年(再録:鉄道ピクトリアル編集部編 『私鉄車両めぐり特輯』3、鉄道図書刊行会、東京、1982年、117-134頁。鉄道ジャーナルNo・506 2008年12月号
  • 中川浩一「静岡電気鉄道時代の電車について」『鉄道ピクトリアル』No.141
  • 宮田雄作「静岡電気鉄道120型電車の軌跡」『RAILFAN』No.478
  • 和久田康雄『日本の市内電車 -1895-1945-』成山堂書店、2009年、185-189頁
  • 湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコ・パブリッシング、2004年
  • 白土貞夫「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、鉄道図書刊行会、1982年
  • 横山波路「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.595-597(執筆者は終戦後まもなく静岡鉄道に入社 本社及び駅の設計や大型車両100形の導入に携わる)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]