静岡鉄道300形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
静岡鉄道300形電車
300形電車(302編成・福井鉄道譲渡後)
基本情報
製造所 静岡鉄道長沼工場
製造年 1966年 - 1967年
製造数 6両
主要諸元
編成 2両(1M1T)
軌間 1067 mm
電気方式 直流 600 V
架空電車線方式
編成定員 276 人
車両定員 138 人
車両重量 33.2 t
(クモハ300形)
最大寸法
(長・幅・高)
17,840 × 2,740 × 4,072 mm
(クモハ300形)
台車 コイルばね台車
FS363(クモハ300形)
FS363T(クハ300形)
主電動機 直巻電動機
TDK806/6-F[注 1]
主電動機出力 100 kW / 個
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 15:84=1:5.6
編成出力 400kW
定格速度 35.8[1] km/h
制御装置 抵抗制御
ES577A
制動装置 SME非常弁付直通空気ブレーキ
保安装置 静鉄式ATS
備考 いずれも静岡鉄道在籍当時。
テンプレートを表示

静岡鉄道300形電車(しずおかてつどう300がたでんしゃ)は、かつて静岡鉄道(静鉄)に在籍した通勤形電車である。静鉄形電車と呼ばれる車両類の中では最も優れた設備を持っていた。静鉄で初となるカルダン駆動方式を採用した。後年、全車が福井鉄道に譲渡され、同社300形として2006年平成18年)まで在籍した。

概要[編集]

1966年(昭和41年)から1967年(昭和42年)にかけて、自社長沼工場クモハ300形-クハ300形からなる2両固定編成[注 2]3本の計6両が新製された。なお、本系列はクモハ301-クハ301(第一編成)のように、クモハ・クハともに同一車番を称していたことが特徴であった。

車両概要[編集]

クモハ・クハともに片運転台構造の全鋼製車で、正面には貫通扉が設置され、側面窓配置はdD3D3D1(d:乗務員扉, D:客用扉)であるという基本設計は100形後期車[注 3]を踏襲しており、17,000mmという車体長も100形と同一である。しかし、車体の裾絞りがなくなったことで車体幅が若干縮小され[注 4]、客用扉幅が1,300mmに拡大されたことや、側窓が上段固定下段上昇式のユニット構造とされた点が異なり、前照灯には当初からシールドビームタイプのものを採用した。また、301編成では正面窓の寸法が100形と同一とされていたが、302編成以降は同横幅が縮小されたため[注 5]、正面から受ける印象が異っていた。なお、車体塗装については新製当初は当時の静鉄標準塗装であったローズレッドとクリーム色のツートンカラーに塗装された。

主要機器については、中古品を使用した100形とは異なり本系列では全て新製され、前述のように静鉄初の新性能車として登場した。制御器は電動カム軸式自動加速制御のES577A型、主電動機はTDK806/6-F型[注 1]で、いずれも東洋電機製造製である。制動装置はSME非常弁付直通空気ブレーキで、電気制動は持たない。パンタグラフはクモハ300形の連結面寄りに1基搭載する。台車は住友金属工業製のペデスタル式コイルバネ台車であるFS363型(クモハ)およびFS363T型(クハ)を装備した。

その後の経緯[編集]

各種改造等[編集]

前述のように新製当初は正面貫通扉が設置されていたが、後年埋め込まれ非貫通化された。静岡清水線では1975年(昭和50年)よりワンマン運転が開始されたが、それに伴うドア扱い吹鳴ベルの連結面への設置など諸改造と前後して、302・303編成の正面窓を301編成と同一寸法に拡大する改造も施工された[注 6]。さらに後年には標識灯が角型ケースのものに交換されている。

静岡鉄道では急行運用に就く車両を対象に、駅到着時や通過時に吹鳴するミュージックホーンの搭載、および正面中央窓下に種別板受けを設置していたが[注 7]、本系列も急行運用向けに新製時より同設備を装備している[注 8]。なお、本系列は1000形登場後も同系列とともに急行運用に就いていたことから、後年ミュージックホーンが1000形と同一のものに変更された。

車体塗装は1000形登場時に同系列のステンレス車体に合わせた銀色一色に塗装変更されたが、程なく青帯が追加された[注 9]。また、種別板受けは、後に1000形と同じく種別を前面の行先表示幕で表示するようになったため撤去されている。

その後、相次ぐ1000形の増備によって鋼製車体の従来車が代替されていく中、従来車としては最後まで静鉄に在籍した本系列であったが、1985年(昭和60年)に301・303編成が、1986年(昭和61年)には302編成がそれぞれ福井鉄道へ譲渡されて静鉄線上からは姿を消した。

福井鉄道譲渡後[編集]

セミクロスシート仕様に改装された車内

前述の通り静鉄では余剰車となった本系列であったが、急行用車両として使用されていた200形の代替車として福井鉄道から譲渡の申し入れがあり、1986年(昭和61年)3月から1987年(昭和62年)7月にかけて順次竣工した。入線に際しての改造点、および旧番対照は以下の通りである。

  • 旧クモハの連結面寄りの台車と旧クハの先頭寄りの台車を入れ替えて全電動車化[注 10]
  • 併用軌道区間走行のため排障器および福井市内電停用の折り畳み式ステップを新設[注 11]
  • パンタグラフを運転台側に移設[注 12]
  • 分散型冷房装置を1両当たり3基搭載して冷房化[注 13]
  • 国鉄から払い下げられた廃車発生品を利用してセミクロスシート[注 14]

旧番対照

  • クモハ301-クハ301 → モハ301-1-モハ301-2 1986年(昭和61年)3月竣工
  • クモハ302-クハ302 → モハ302-1-モハ302-2 1987年(昭和62年)7月竣工
  • クモハ303-クハ303 → モハ303-1-モハ303-2 1986年(昭和61年)7月竣工

こうして本系列は福井県下における私鉄車両では初の冷房車として[注 15]、200形に代わって急行運用に就いた。導入当初は静鉄時代そのままの銀色地に青帯という塗装[注 16]であったが、この塗装は冬季(積雪期)においては保護色となってしまい、遠方からの視認性に難をきたして現場からの苦情が相次いだことから、まず301編成が1988年(昭和63年)12月に塗り分けはほぼそのままにクリームとダークブルーの福井鉄道標準色に塗装変更された。その後302・303編成は白地に緑・赤の帯が入る新塗装に塗り替えられ、301編成も1990年平成2年)頃に新塗装へ再度塗装変更されている。その後は全面広告車となる編成も登場し、後年のダイヤ改正によって急行列車が削減された後は普通列車としても運用された。

塗装変更と前後して1988年(昭和63年)10月から同年12月にかけて車内に飲料自動販売機が新設されたが、維持管理の問題から1999年(平成11年)9月に全編成一斉に撤去された。また、1995年(平成7年)には乗務員室後部の仕切壁にディスプレイが新設され、イベント情報等の告知に使用されていた。

終焉[編集]

本系列は600形導入以前の車両の中では最も経年が浅かったものの、車体を構成する軽量鋼の板厚が薄いことから老朽化が激しく[注 17]名古屋鉄道から譲受した路面電車用の低床車両によって代替されることとなった。2006年(平成18年)4月をもって全編成が運用から離脱し、同年内に全車両が廃車解体された。福井鉄道における冷房車の形式消滅は初である。また、同時期に廃車された80形120形140形とは異なり、引退に際してさよなら運転などのイベントが行われることはなかった。

なお、本系列の導入によって急行運用から離脱した200形は低床車両による代替対象とはならず、再び急行運用に復帰している。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 端子電圧300V時定格出力100kW
  2. ^ ただし本系列も電動発電機(MG)や空気圧縮機(CP)を含めた主要機器をクモハ300形に集中搭載しており、機能上はクモハ300形のみの単独走行も可能であった。
  3. ^ クモハ107 - 110の片運転台車。
  4. ^ 100形の2,700mmに対し、本系列では2,660mmと40mm縮小された。
  5. ^ 縮小されたタイプの正面窓は350形で後年まで見ることができた。
  6. ^ ワンマン化改造に際して後方確認のために全車バックミラーを装備したが、その視界確保のために行われている。なお、同一形状の前面を持つ350系に対しては同改造は施工されなかった。
  7. ^ 急行運用に際しては、種別板受けに表示板で差し込む形で列車種別表示を行っていた。
  8. ^ 同設備は本系列の他、クモハ100形107 - 110にも装備されており、これら編成が優先的に急行運用に就いていた。
  9. ^ この塗装は当時の静岡鉄道の路線バスの塗装と同一であった。
  10. ^ 橋梁などの施設にかかる重量負担軽減のためであった。なお、後述冷房化に伴い補助電源として静止形インバータ(SIV)が搭載されたが、同様の理由から旧クハに搭載されている。
  11. ^ 入線当初は両端部の客用扉と台車との位置関係から中央扉にのみ同ステップが設置されていたが、後年運転席直後の客用扉にもステップが追加された。本系列が当初急行・準急運用に限定的に使用されていたのは、福井市内併用軌道区間において中央扉のみでの客扱いとなることから運賃収受が困難であったという理由による。
  12. ^ 併用軌道区間の列車検知にパンタグラフによる接触方式を採っていたため、従来車と位置を揃える必要があったためである。
  13. ^ 東芝製RPU221N型。東急8000系等で使用されているものと同一機種であった。
  14. ^ 扉間の窓が3枚であるのに対し、ボックスシートは3脚設置されたため窓配置とシートピッチが一致していなかった。
  15. ^ 北陸地方においては富山地方鉄道に次いで二社目の冷房車投入例であった。
  16. ^ 先頭部の塗り分けが静鉄当時とは若干異なっていた。
  17. ^ これは静鉄長沼工場で新製された車両全てに共通する弱点であった。

出典[編集]

  1. ^ 武田忠雄 小林隆雄「静岡鉄道」、『鉄道ピクトリアル』431号(1984年4月)、鉄道図書刊行会 pp. 143

参考文献[編集]