自由シリア軍
自由シリア軍 Free Syrian army | |
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シリア内戦に参加 | |
シリア反体制派がシンボルとするシリア旧国旗。 | |
活動期間 | 2011年 - |
活動目的 | 現アサド政権の打倒 |
指導者 |
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活動地域 | シリア |
関連勢力 |
アルカーイダ アル=ヌスラ戦線 カタール トルコ アゼルバイジャン |
敵対勢力 |
PKK アメリカ合衆国 (時々) ISIL イラン ヒズボラ ロシア アルメニア |
自由シリア軍(じゆうシリアぐん、アラビア語: الجيش السوري الحر ; 英語: Free Syrian Army, 略称:FSA)は、シリア内戦で活動する反政府武装勢力の一つ。
概要
[編集]シリアの反体制派では代表的な組織の一つ。2011年7月29日にシリア軍を離反したリヤード・アル=アスアド大佐が設立したとされ、翌2012年シリア国民評議会の下部組織である軍事事務所の監督下に入る見込みだった[1]。一元的な指揮系統は存在せず「司令部」が乱立しており、2017年時点で約100の組織が割拠している[2]。2013年時点で弱体化が進んでおり、自由シリア軍にアサド政権を倒せる見込みはないと見られている[3]。
経過
[編集]2011年に始まったシリア国内の争乱の過程で、同年7月にリヤード・アル=アスアド大佐率いる政府軍の一部が離反し結成。翌8月にはフセイン・ハルムーシュ大佐率いる自由将校旅団と合流した。さらに後にアサド政権に反目するスンニ派の勢力も取り込み、戦闘員は数万人規模に成長。各地で武装闘争を開始した[4]。自由シリア軍と政府軍の衝突は、各地で暴力の応酬を本格化させた[5]。
2012年7月16日、「ダマスカスの火山とシリアの地震」と命名した総攻撃作戦を開始、イラクやトルコとの国境検問所等を襲撃、イラク国境沿いの検問所は全て占拠した。2日後の18日には首都ダマスカスの治安司令本部に爆弾攻撃をしかけ国防相・副国防相ら3人を殺害している[6]。
2012年7月以降、シリア第二の都市アレッポに展開し、激しい市街地戦を引き起こした。
自由シリア軍は当初から司令部が乱立して統制を失い、2012年夏過ぎには士気・規律の低下により人心の離反を招いた。大同団結のために、2011年9月にはシリア国民評議会、2012年末にはシリア国民連合が結成されたが、いずれも失敗に終わっている。そのため比較的士気が高いイスラム過激派に反体制派の主導権を奪われてしまった[3]。
2012年9月22日、最高司令官アル=アスアドは、軍司令本部を隣国のトルコからシリア国内(場所は伏せられたまま)に移動したと発表[7]。
2012年11月、自由シリア軍がラース・アル=アインを制圧。しかしクルド人・キリスト教徒が多数を占める同市ではスンニ派アラブ人が主流の自由シリア軍に対する反発が高まり、民衆と自由シリア軍が衝突する事態となった。一方クルド人民防衛隊(YPG)が「クルド人防衛」を名目としてラース・アル=アインに侵攻し、自由シリア軍と交戦。2月末、停戦合意が交わされ、町の南地区をYPGが、北地区を自由シリア軍が支配する事となった。
2012年12月、アメリカはヌスラ戦線をテロ組織に認定したが[8]、自由シリア軍のような反体制派がヌスラ戦線の様なイスラム過激派と共闘していることが広く知られるようになると、欧米諸国は過激派を支援していないことを強調するために、2013年3月ごろから自由シリア軍ではなく「穏健な反体制派」という言葉を使うようになった。自由シリア軍は2013年末に最高意思決定機関とみられていた「最高軍事評議会」がシリア国内に拠点を失い、2014年9月には国民連合から解散を命じられた。この結果、自由シリア軍は国外からの支援のイニシアティヴを失った[9]。
2015年2月、政治学者のベラ・ミロノバはForeign Affairsに掲載した論文で「自由シリア軍に参加した者の多くは、既に自由シリア軍を後にし、イスラム国やヌスラ戦線などのジハード主義集団に身を投じている。」と主張した[10]。
2015年4月、自由シリア軍はヌスラ戦線などの戦線と協力して北部シリアにおいて反攻を行った[11]。
2015年6月の報道によれば、自由シリア軍は2014年以降のISILとの戦闘によってほぼ壊滅状態にあり[12]、自由シリア軍の残党はイスラム主義反体制勢力の征服軍などに参加してダマスカス南部の攻撃に加わったと伝えられた[12]。
2015年12月、アメリカのシンクタンク(en:Institute for the Study of War)によれば、自由シリア軍はなおシリア北西部のアレッポやハマに展開しており、最大であり最も世俗的な反体制勢力としてアサド政権と戦闘を行っているとされる。しかし、2015年9月30日以降のロシアによる空爆の標的ともなっている[13]。
トルコのシンクタンクの推定によれば、 自由シリア軍は35,000人の兵士を有している。自由シリア軍は27の比較的大きな組織(各1000人ほどの兵士がいる)とより小さな組織で構成されている[13]。
自由シリア軍はヌールッディーン・ザンキー運動、スルターン・ムラード師団、第13師団、ムジャーヒディーン軍など、複数の組織が個別に自称しているに過ぎないとの主張もある[要出典]。
2019年10月9日、トルコ軍はクルド人勢力の掃討を目的にシリアに武力侵攻(トルコ軍によるシリア侵攻 (2019年))。トルコ国防軍側の発表では、自由シリア軍はトルコ軍とともにユーフラテス川東部に侵攻したとしている[14]。
装備
[編集]多くはAK-47、DShK、RPG-7といった旧共産圏製の小火器だが、時折FN FALやステアーAUGのような西側製銃器も使用。また小火器以外にも火砲や戦車、対空砲なども保有する。
同盟関係
[編集]イスラーム過激派として知られるアルカイダとは、協力関係にあるとされる。しかし、2013年9月には、アルカイダ系の武装組織(イスラム戦線)が自由シリア軍の拠点を攻撃するなど、両者は対立しつつある[15]。
ムスリム同胞団と深い関わりがあり、軍の主力はシリアのムスリム同胞団とされる[16]。
支援
[編集]自由シリア軍は、アメリカ合衆国・トルコ・サウジアラビア・カタールなどから支持を受けている。しかし、イスラエルの友好国たるアメリカから支持を受けているという事実は、多数のシリア国民が自由シリア軍を支持しない理由の一つとなっている[17]。他に、トルコより支援を受けており、戦闘員2000人ほどがトルコで訓練を受けることとなっている。トルコは、シリアで活動しているクルド人勢力に刺激を受けることで、自国内のクルド人の独立運動が活発になるのを警戒しており、クルド人の活躍を目立たなくさせるために自由シリア軍を支援している[18]
出典
[編集]- ^ “反体制派「自由シリア軍」とは?その成り立ちと今後”. AFP.BB.NEWS (フランス通信社). (2012年3月5日) 2012年7月20日閲覧。
- ^ “[地球を読む]シリアと北朝鮮/犯罪的脅威 グローバル…山内昌之”. 読売新聞朝刊. (2017年5月7日)
- ^ a b 髙岡豊 (2013年7月2日). “なぜアサド政権は倒れないのか? ―― シリア情勢の現状と課題” 2016年12月2日閲覧。
- ^ “自由シリア軍”. 時事通信 (時事通信). (2012年7月18日) 2012年7月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ (PDF) シリア「内戦」とイスラーム主義 2016年12月8日閲覧。.
- ^ “シリアの首都で爆弾攻撃、国防相ら死亡 アサド政権に打撃”. AFP.BB.NEWS (フランス通信社). (2012年7月19日) 2012年7月20日閲覧。
- ^ “自由シリア軍、司令部をシリア国内に移動”. AFP.BB.NEWS (フランス通信社). (2012年9月23日) 2012年9月24日閲覧。
- ^ “U.S. Places Militant Syrian Rebel Group on List of Terrorist Organizations”. New York Times. (10 December 2012) 4 March 2015閲覧。
- ^ 青山 弘之. “シリア反体制武装勢力の同質性と異質性”. 国際情勢 : 紀要 (85), 125-133, 2015-03 世界政経調査会国際情勢研究所事務局 2016年12月2日閲覧。
- ^ “イスラム国に参加した民主活動家たち―シリアで何が起きているのか”. Foreign Affairs. 2022年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月18日閲覧。
- ^ Joscelyn, Thomas (25 April 2015). “Al Qaeda, jihadist allies declare victory over Syrian regime in key city”. The Long War Journal 25 April 2015閲覧. "In addition to Al Nusrah and al Qaeda-linked jihadist groups, fighters associated with the Free Syrian Army also took part in the battle."
- ^ a b Banco, Erin (26 June 2015). “Syrian Rebel Groups Merge To Take On Assad In Dera’a, But Deep Divisions Remain”. International Business Times 28 February 2016閲覧。
- ^ a b Alami, Mona (31 December 2015). “Can FSA get back on its feet after Russian intervention?”. Al-Monitor (Institute for the Study of War). 27 February 2016閲覧。
- ^ “トルコがシリアに進攻 米国務長官は「承認していない」”. BBC (2019年10月10日). 2019年10月21日閲覧。
- ^ “シリア情勢 アルカイダ系「浸透」で構図に変化が起きています。”. FNN. (2013年10月5日) 2013年10月5日閲覧。
- ^ 川上泰徳 (2016年11月19日). “米国がイスラエルの右翼と一体化する日”. ニューズウィーク 2016年11月20日閲覧。
- ^ 田岡俊次 (2014年10月2日). “集団的自衛権の行使容認で自衛隊を「イスラム国」攻撃に派遣できるか”. ダイヤモンド社 2014年10月2日閲覧。
- ^ “自由シリア軍2000人 トルコで軍事訓練 来月開始”. 東京新聞. (2014年11月18日) 2014年11月22日閲覧。