共和国防衛隊 (シリア)

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共和国防衛隊
الحرس الجمهوري
Syrian Republican Guard SSI.svg
共和国防衛隊の臂章
創設 1976年
所属政体 シリアの旗 シリア・アラブ共和国
所属組織 Flag of the Ba'ath Party.svgバアス党
部隊編制単位 師団
兵種/任務/特性 機械化歩兵
人員 20,000~25,000[1]
所在地 シリア国内各地
編成地 ダマスカス周辺
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共和国防衛隊アラビア語: الحرس الجمهوريal-Ḥaras al-Jamhūriyy英語: Republican Guard)は、シリアの軍事・治安組織。共和国護衛隊または大統領警護隊とも呼ばれる。イラク共和国防衛隊と異なり、国名は冠しない。

概要[ソースを編集]

1976年に大統領警護と体制維持のために編成された。イラクにおいては共和国防衛隊は軍から分離した指揮命令系統であったが、シリアの共和国防衛隊は軍の指揮命令系統に含まれ、当該部隊の指揮権はシリア軍参謀本部の所轄である(大統領直轄との説もある)。装備の供与や訓練そして規模の面で一般部隊に勝り、シリア軍地上戦力の最精鋭部隊にして、現大統領バッシャール・アル=アサドおよび与党バアス党政権の最大の権力基盤。当該部隊に所属する将兵は、主にバアス党の党籍保有者が構成しているとされる(シリア・バアス党の中核支持層は、アラウィー派・キリスト教徒・ドゥルーズ派・イスマーイール派の他、スンニ派世俗層の一部である)。

シリア軍の地上戦力は大量の戦車を有するが(内戦以前には4000両以上を保有していた)、その膨大な戦車保有台数に比して、陸軍の大部を占める一般部隊の即応性・機動性は基本的に低劣であり、固定射撃など火力に依存する。しかし、共和国防衛隊をはじめとする精鋭部隊(他に第4機甲師団、特殊戦力師団など)は例外的に高い即応性と機動性を有するほか、優秀な歩戦協同能力を持つ。

2011年に始まったシリア内戦では、一般部隊から離脱者が続出するなか、政府への忠誠を維持して反体制派との戦闘において主力の一つとなっているが、当該部隊内においても反体制派への対応を巡って一時、方針対立による混乱が生じた。しかし、その後、収拾し現在に至る。

共和国防衛隊は内戦開始後にその規模を拡大させているが、これは隷下部隊が増設されたためである。

通常、シリア陸軍における師団定員はその種類によって、5000人弱から15000人強程度の規模に分かれる(例えば同じく精鋭部隊に数えられる第4機甲師団の定員は14000人、1個特殊戦力師団は4500人である)。共和国防衛隊は、内戦以前から規模の面において他師団より勝っていたとはいえ、第4機甲師団と比較しても数個大隊分上回る程度に過ぎなかったが、戦時の部隊増設によって、その規模の差は数個連隊分となっており、当該部隊の規模は他師団を大きく上回るものとなっている。

編成[ソースを編集]

共和国防衛隊の編成単位は師団であり、現在は隷下に3個機械化旅団と1個コマンド旅団および予備旅団、そして1個砲兵連隊ならびに、警護部隊にあたる2個歩兵連隊と女性兵士部隊を有する。各旅団・連隊の定員は、機械化旅団が3500人、歩兵旅団が2500人、歩兵連隊と砲兵連隊は1500人からなる。旅団および連隊は大隊を基幹に編成され、大隊の定員は500人である。共和国防衛隊はシリア陸軍の他の師団と同様、旅団および連隊を基幹とする編成である。

  • 共和国防衛隊(師団)
    • 第101連隊(警護部隊)
    • 第102連隊(同上)
    • 第103旅団(コマンド部隊、内戦開始後に新編[2]
    • 第104旅団(部隊名として空挺を称するものの、実態は機械化旅団)
    • 第105旅団
    • 第106旅団
    • 第100連隊(師団砲兵)
    • 第124旅団(予備部隊、内戦開始後に新編[3]
    • 女性兵士部隊(連隊もしくは旅団、詳細不明、内戦開始後に新編)


その他[ソースを編集]

シリア内戦勃発後、ホムス県 ラスタン市における反体制運動を収拾するため、同地出身かつスンニ派に属する、マナーフ・タラース第105旅団長が派遣されたが、不首尾に終わった。当該人物は現大統領バッシャール・アル=アサドの学友であったが、先の任務に際して政府批判を行ったため、旅団長職を解かれ、2012年7月にフランスへ亡命した。シリア内戦初期において、政府批判を行った共和国防衛隊所属の旅団長級の人物には、他にバースィル・アル=アサドの大学時代の親友であったタラール・マフルーフがいるとされ、こちらも一時監視下に置かれ任務から遠ざけられたとされる[4]、しかし、当該人物の場合はその後、第105旅団長となった他、共和国防衛隊司令官として補任を受けたとされている。第105旅団長の後任としてはザイド・サーリフが任命された[5]

この他、第106旅団長であったムハンマド・ハッドゥールは、ハサカ市において発生したクルド民主統一党の軍事部門である人民防衛部隊と親政府民兵部隊の武力衝突と関係していたことから、停戦交渉に際して、クルド民主統一党から当該人物の解任要求を受けたシリア政府より第106旅団長職を解かれ、デリゾール市に駐屯する一般部隊の師団長に転補となった。後任にはハサン・ムハンマドが任命された[6]。(また、ムハンマド・ハッドゥールは2013年初頭にアレッポ県よりデリゾールに異動したとする説もある他、ハサン・ムハンマドは、2016年夏にムハンマド・ハッドゥールがデリゾールの一般部隊より召還された際、この後任として再びが選任され、デリゾールに着任した[7]。)


第104旅団長であるイサーム・ザフルッディーンはドゥルーズ派出身であり、共和国防衛隊の獅子という綽名を持つ。ドゥルーズ派はフランス統治時代においてアラウィー派と共に現地部隊への積極的登用がなされた。また、1966年シリアクーデターの際もドゥルーズ派出身であるサリーム・ハトゥームサラーフ・ジャディードハーフィズ・アル=アサドムスタファ・タラース(マナーフ・タラースの父、のち国防大臣を歴任)等とともにクーデターの中心的人物の一人であった。しかし、直後に発生した内部対立により再クーデターを企図したサリーム・ハトゥームと協力者が排除され、そのあおりを受けたドゥルーズ派出身者は軍内の昇進から排除されるなど[8]、前大統領ハーフィズ・アル=アサドの時代は冷遇を受けており、政権との関係も微妙であった。しかし、バッシャール・アル=アサド就任後は関係緩和により、イサームのように現大統領のもと軍の要職へ登用される人物も存在するなど、関係も変化している。

脚注[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]