ナジーブ・ミーカーティー
| ナジーブ・ミーカーティー نجيب ميقاتي | |
|---|---|
|
ナジーブ・ミーカーティー(2005年5月) | |
| 生年月日 | 1955年11月24日(63歳) |
| 出生地 |
|
| 出身校 | ベイルート・アメリカン大学 |
| 前職 | 実業家 |
| 所属政党 |
栄光運動 (3月8日同盟の構成政党の1つ) |
| 在任期間 | 2005年4月15日 - 7月19日 |
| 大統領 | エミール・ラフード |
| 在任期間 | 2011年6月13日 - 2014年2月15日 |
| 大統領 | ミシェル・スライマーン |
| 選挙区 | トリポリ |
| 在任期間 | 1998年12月4日 - |
ナジーブ・ミーカーティー(アラビア語: نجيب ميقاتي, ラテン文字転写: Najib Mikati、1955年11月24日 - )は、レバノンの政治家、実業家。2005年及び2011年6月から2014年2月の2度首相を務めた。1943年以降の全ての首相(暫定的に就任した2名を除き)の例に漏れず、スンナ派のムスリムである[1]。『フォーブス』による2011年の世界長者番付において409位にランクインしており、その資産は28億ドルであると推定されている[2]。日本語メディアでは、「ナジブ・ミカティ」と表記されることが多い[3]。
経歴[編集]
ベイルート・アメリカン大学で学び経営学修士 (BMA)を取得した[4]。1982年のレバノン内戦中に兄とともに通信会社を設立[2]し、その後、アラブ諸国で著しい成長を遂げたミーカーティー・グループの創始者として成功を収めた。1998年に内閣から公共事業相に指名された後、2000年に国民議会へ故郷のトリポリから、同時に選出されたウマル・カラーミーよりも多数得票し選出された。公共事業相としてその評判を上げ、シリアの政治家達との強い繋がりからシリア大統領バッシャール・アル=アサドとの良好な関係を持った。
2000年に首相就任の機会があったが、彼は国民の選択はラフィーク・ハリーリーにあったとしてその機会を拒絶した。2004年には親シリアのエミール・ラフード大統領が6年の任期をもう3年間延長するための憲法改正案に反対を表明した。このことは自らが親シリアであるにもかかわらず、シリアの操り人形ではないことを示した。これが結果としてウマル・カラーミーの後任に指名されることとなった。カラーミー自身は7週間に渡って選挙管理内閣組閣のために努力したが、結局辞任したためラフードによって2005年4月15日に任命。3ヶ月間務めた後は議員生活に戻った。
2011年1月25日にミシェル・スライマーンより組閣を命じられたが[1]、ヒズボラの後押しを受けているミーカーティーに対して、彼の首相就任に反対するスンニ派の多い地域では反ヒズボラを掲げるデモが起こった[5]。その後、実際に内閣が組閣されたのは5か月後の6月13日になってからであり[6]、レバノン国民議会によって内閣が承認されて正式に2度目の首相就任となったのは7月7日のことである[7]。
2012年10月19日には首都ベイルートで治安当局諜報部門トップのウィサーム・アル=ハサン准将を標的とした自動車爆弾によるテロ事件が発生し、ハサンを含む8人が死亡[8]。ハサンがシリアのアサド政権にとって敵対する人物であることから、事件の背景にはアサド政権が絡むという見方もあり、ミーカーティーを親アサドとみなす野党からは首相辞職要求が噴出した。10月20日にミーカーティーはスライマーンに対し首相職にこだわらない意向を伝えたが慰留された[9]。
2013年3月22日、内閣総辞職を発表した[10]。
出典[編集]
- ^ a b 水口章. “中東情勢はオセロゲーム化するのか?”. 朝日新聞社. 2012年2月2日閲覧。
- ^ a b “Najib Mikati”. Forbes. 2012年2月2日閲覧。
- ^ “レバノン、「アルカイダがレバノンに入った根拠はない」”. 中国国際放送 (2012年12月29日). 2012年11月1日閲覧。
- ^ “The World's Billionaires #446 Najib Mikati”. Forbes. 2012年2月2日閲覧。
- ^ “レバノン各地でデモ、ヒズボラが推す首相就任に反対”. AFP通信. 2012年2月2日閲覧。
- ^ “レバノン、組閣名簿発表 ヒズボラが勢力拡大”. U.S. FrontLine. 2012年2月2日閲覧。
- ^ “ヒズボラ主導政権、レバノンで正式に発足”. 読売新聞. 2012年2月2日閲覧。
- ^ “シリア関与説、レバノン諜報部門トップ爆殺 揺れるモザイク国家”. 産経新聞. (2012年10月20日) 2012年10月21日閲覧。
- ^ “「シリア関与」と非難=爆殺事件で政権退陣要求-レバノン野党”. 時事ドットコム. 時事通信. (2012年10月20日) 2012年10月21日閲覧。
- ^ “レバノン内閣が総辞職=シリア内戦の動揺波及”. 時事通信. (2013年3月23日) 2013年3月23日閲覧。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ウマル・カラーミー サアド・ハリーリー |
第63代:2005 第66代:2011 - 2014 |
次代: フアード・シニオラ タンマーム・サラーム |