猿楽町 (千代田区)

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猿楽町
—  町丁  —
神田女学園中学校・高等学校
猿楽町の位置(東京23区内)
猿楽町
猿楽町
猿楽町の位置
座標: 北緯35度41分58.04秒 東経139度45分32.16秒 / 北緯35.6994556度 東経139.7589333度 / 35.6994556; 139.7589333
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chiyoda, Tokyo.svg 千代田区
地域 神田地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 926人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 101-0064[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

猿楽町(さるがくちょう)は、東京都千代田区町名住居表示実施済み。現行行政地名は猿楽町一丁目及び猿楽町二丁目。郵便番号は101-0064[2]

地理[編集]

千代田区の北部に位置し、町域北部から東部は神田駿河台に、南部は神田小川町に、西部は錦華通りを境に三崎町西神田神田神保町に接する。主に商業地として利用されておりで貸しビルや商店のほか、大学高等学校などの教育施設も見られる。

住居表示により、それまでの「神田猿楽町」から「神田」を冠さない現町名へ変わったが、「神田猿楽町」へ町名を戻す住民運動が起こっており、2007年8月1日、「千代田区住居表示検討懇談会」からこの答申が千代田区長に提出された。その後、2014年10月15日区議会で呼称変更の議案が可決され、2018年1月1日より「神田猿楽町」の名称が復活した。

なお、東京都渋谷区にも同名の猿楽町がある。

歴史[編集]

江戸時代には一帯が武家屋敷で、現在の錦華通りが表猿楽丁、猿楽通りが裏猿楽丁と呼ばれていた。

明治5年(1875年)に武家地が廃されると、現・白山通りより西が中猿楽町、白山通りと錦華通りの間が猿楽町(丁目なし)、現・猿楽通りより東が裏猿楽町、残りの部分が南から順に猿楽町一~三丁目に編成された。猿楽町(丁目なし)は明治41年(1911年)に表猿楽町と改名された。

明治時代には周囲の神田駿河台神田小川町などと同様、学校が次々と開設した。明治14年(1881年)の女子仏学校(現:白百合学園中学校・高等学校)、明治23年(1890年) の神田高等女学校(現:神田女学園中学校・高等学校)、明治40年(1907年)の 東京音楽大学などがそれである。

また、東京大学予備門に通う学生の下宿が多く存在し、明治10年代には夏目漱石正岡子規らが猿楽町に下宿している。日華学会など中国留学生のための施設も点在した。

(旧)猿楽町一~三丁目、表猿楽町、中猿楽町、裏猿楽町は、関東大震災復興にともなう区画整理と町名変更により、昭和8・9年(1933・1934年)、猿楽町一・二丁目に再編され、一部は駿河台、西神田、神保町に編入された(別項「」を参照)。昭和22年(1947年)の千代田区成立時に「神田」を冠称して神田猿楽町一・二丁目となる。昭和44年(1969年)4月、住居表示実施により神田の冠称が削除され神田猿楽町一丁目が猿楽町一丁目に、神田猿楽町二丁目に神田駿河台二丁目の一部を加えた区域が猿楽町二丁目となった。

地名の由来[編集]

町名は、慶長頃に現・神田神保町一~二丁目から西神田一~二丁目にかけて猿楽師観世大夫一団の屋敷があったことに由来する。屋敷は万治2年(1659年)の神田川工事の折に移転したという。「猿」の俗称「エテ」より「エテガク丁」とも呼ばれた。

沿革[編集]

町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名ともその全域)
猿楽町一丁目 1969年4月1日 神田猿楽町一丁目
猿楽町二丁目 神田猿楽町二丁目、神田駿河台二丁目(一部)

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
猿楽町一丁目 178世帯 375人
猿楽町二丁目 357世帯 551人
535世帯 926人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[6]

丁目 番地 小学校 中学校
猿楽町一丁目 全域 千代田区立お茶の水小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校
猿楽町二丁目 全域

交通[編集]

道路[編集]

  • 猿楽通り
  • 錦華通り

施設[編集]

出身・ゆかりのある人物[編集]

1855年出生[7]。旧宇都宮藩士・五味吉房の二男[7]。府会議員、市会議員、市参事会員[7]。住所・神田猿楽町[7]。妹こうは男爵坂本俊篤の妻[7]
  • 五味秀夫(地主)[8]
1922年出生[8]。五味卯三郎の孫。五味三吉の二男[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月2日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ 1967年7月2日自治省告示第113号「住居表示が実施された件」
  5. ^ 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
  6. ^ 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』こ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月2日閲覧。
  8. ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』コ94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月2日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。

外部リンク[編集]