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{{画像提供依頼|501系、701系および801系の西武鉄道所属時(いわゆる赤電塗装の車両、黄色塗装の車両それぞれ)の画像|date=201111月}}
{{画像提供依頼|501系、701系および801系の西武鉄道在籍当時(いわゆる赤電塗装の車両、黄色塗装の車両それぞれ)の画像|date=20129月}}
{{鉄道車両
'''西武701系電車'''(せいぶ701けいでんしゃ)は、[[1963年]]から[[1967年]]までに192両が、'''801系電車'''は1967年から[[1968年]]までに20両がそれぞれ生産された[[西武鉄道]]の[[通勤形電車]]。
|車両名=西武701系電車<div style="font-size:80%;">801系電車・新501系電車</div>
|社色=#36C
|画像= Izuhakone-1100-20120602.jpg
|画像説明= 伊豆箱根鉄道1100系クハ2005<br />(元西武701系クハ1784・2012年6月)
|編成= 701系:4両・6両<br />801系:4両<br />新501系:2両
|営業最高速度= 100
|設計最高速度= 100
|起動加速度=
|減速度(常用最大)= 3.5
|減速度(非常)=
|編成定員=
|車両定員= 先頭車:141人(座席45人)<br />中間車:153人(座席54人)
|全長= 20,000
|全幅= 2,865<ref group="注釈">クハ1701形1701 - 1748は2,930mm、モハ801形は2,813mm、クハ1801形は2,854.5mm。</ref>
|全高= 4,065<ref group="注釈">モハ701形・モハ801形の偶数車(パンタグラフ搭載車)およびクモハ501形(偶数車)は4,230mm、クモハ501形(奇数車・パンタグラフ搭載車)は4,252mm。</ref>
|車体材質= [[炭素鋼|普通鋼]]
|編成重量=
|車両重量= 29.0 - 40.0 [[トン|t]]
|軌間= 1,067([[狭軌]])
|電気方式= [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]])
|主電動機= [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]]<br />701系・801系:HS-836-Frb<br />新501系:HS-836-Nrb・TDK-8010A
|主電動機出力2= 701系・801系:120[[ワット (単位)|kW]](一時間定格)<br />新501系:150kW
|搭載数= 4
|歯車比= 701系・801系:5.60 (84:15)<br />新501系:5.73 (86:15)
|駆動装置= [[中空軸平行カルダン駆動方式|中空軸平行カルダン]]
|台車= 701系・801系:FS342・FS072・FS067<br />新501系:FS372
|制御装置= [[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]][[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]<br />701系・801系:MMC-HT-20A<br />新501系:MMC-HTB-20E3
|制動方式= 701系・801系:[[電磁直通ブレーキ]] HSC<br />新501系:[[発電ブレーキ|発電制動]]併用電磁直通ブレーキ HSC-D
|保安装置= [[自動列車停止装置#AF軌道回路方式(連続照査型)|西武形ATS]]
|製造メーカー= [[西武所沢車両工場]]
|備考= 701系・801系の各データは冷房改造後のものを示す<ref name="yamakei6_1">『ヤマケイ私鉄ハンドブック6 西武』 (1982) pp.92 - 94</ref>。
}}
'''西武701系電車'''(せいぶ701けいでんしゃ)は、[[1963年]]([[昭和]]38年)<ref name="RP-kobayashi1992_1">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.252</ref>から[[1967年]](昭和42年)<ref name="RP-kobayashi1992_1" />にかけて新製された[[西武鉄道]]の[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]である。


本項では、[[1968年]](昭和43年)<ref name="RP-kobayashi1992_2">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.254</ref>に新製された、701系の増備形式と位置付けられる<ref name="f-shitetsu6_1">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.48 - 49</ref>'''801系電車'''、ならびに701系の[[制御車]]クハ1701形の一部を改造して[[1981年]](昭和56年)<ref name="f-shitetsu6_2">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.60 - 61</ref>に登場した'''新501系電車'''<ref name="f-shitetsu6_2" /><ref name="yamakei6_2">『ヤマケイ私鉄ハンドブック6 西武』 (1982) pp.36 - 37</ref><ref group="注釈">「501系」の系列名を称する車両群としては2代目、「クモハ501形」の形式称号を称する車両としては3代目にそれぞれ相当する。同系列は「新501系」のほか、一部資料においては「'''501系(2代)'''」もしくは「'''501系(3代)'''」とも呼称される。</ref>についても記述する。
本項では701系からの改造車である'''501系電車''' (3代) についても記述する。

なお、本項では個別の編成について、「編成中の最若番車両の番号+編成」の表記とする。
なお、本項における編成単位の記述に際しては、各編成の[[飯能駅|飯能]]・[[西武新宿駅|西武新宿]]寄り[[動力車|電動車]]の[[鉄道の車両番号|車両番号]](以下「車番」)をもって編成呼称とする(例:701編成・801編成)<ref name="DJ-kusui2011_1">「“赤電”が主力だった頃の西武電車」 (2011) p.41</ref>とともに、車番末尾が奇数の車両は「奇数車」・偶数の車両は「偶数車」と記述する<ref name="RP-kobayashi1992_3">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.253</ref>。


== 概要 ==
== 概要 ==
'''701系'''は、西武鉄道(以下「西武」)初の[[カルダン駆動方式|カルダン駆動車]]として1963年(昭和38年)5月<ref name="RP-sonoda1992_1">「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.160</ref>から同年9月<ref name="RP-sonoda1992_1" />にかけて新製された[[西武601系電車|601系電車]]<ref name="RP-sonoda1992_1" />に続いて、同年12月<ref name="RP-kobayashi1992_1" />より新製が開始された。外観は[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動車]]の[[西武551系電車|551系電車]]と同一の車体を採用した601系<ref name="RP-RP2002_1">「西武の輸送近代化に活躍した車両たち」 (2002) p.186</ref>に対して、701系においては車体埋込型の大型行先表示器を採用し<ref name="RP-RP2002_1" />、左右腰部に2灯設置された[[前照灯]]の周囲に[[ステンレス鋼|ステンレス]]製の化粧板(飾り板)を配するなど<ref name="RP-RP2002_1" />、目新しさを打ち出したデザインが採用された<ref name="RP-RP2002_1" />。一方で主要機器の仕様は601系を踏襲し、[[制御車]]の台車については601系同様に[[日本国有鉄道]](国鉄)払い下げ品の省形[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式台車]]の改造品である[[国鉄TR10形台車|TR11A]]を採用<ref name="RP-RP2002_1" />、制動装置は[[発電ブレーキ|発電制動]]を持たない[[自動空気ブレーキ]]仕様<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、低圧電源は[[直流]]100[[ボルト (単位)|V]]仕様<ref name="RP-kobayashi1992_3" />と、経済性ならびに従来車との併結を考慮した結果<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、701系の新製当時において他の鉄道事業者が新製したいわゆる「[[新性能電車|高性能車]]」各形式と比較すると、主要機器の仕様は若干見劣りするものであった<ref name="RP-kobayashi1992_3" />。
=== 701系 ===

試作車的な意味合いが強かった[[西武601系電車|601系]]に続く[[カルダン駆動方式]]の量産通勤車として、[[1963年]]から[[1967年]]までの約5年間に[[西武建設]][[西武所沢工場|所沢車輌工場]]でクハ1701形([[制御車|制御]][[付随車]] (Tc) ) - モハ701形([[動力車|電動車]] (M) ) - モハ701形(電動車 (M') ) - クハ1701形(制御付随車 (Tc) )の4両編成48本(192両)が量産された。
701系は1967年(昭和42年)7月<ref name="RP-kobayashi1992_1" />までに4両編成48本の計192両が新製され<ref name="RP-kobayashi1992_1" />、翌1968年(昭和43年)1月<ref name="RP-kobayashi1992_2" />より'''801系'''の新製に移行した。車体外観・主要機器の仕様とも概ね701系を踏襲したが、車体側面の雨樋が上方に移設されて張り上げ屋根風の見付となったことに加え<ref name="RP-kobayashi1992_2" />、制御車の台車が[[空気バネ|空気ばね]]台車に変更され、また低圧電源が新製当初より[[交流]]仕様に改良された点が異なる<ref name="RP-kobayashi1992_2" />。801系は同年1月と3月の二度にわたって増備され<ref name="RP-kobayashi1992_2" />、4両編成5本の計20両が新製された<ref name="RP-kobayashi1992_2" />。なお、701系・801系は全車とも[[西武所沢車両工場]]において製造された<ref name="f-shitetsu6_3">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.169 - 170</ref>。


{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
601系と同様に在来車との併結を前提とした制御・ブレーキシステムとなっているが、特にクハの[[鉄道車両の台車|台車]]は国鉄払い下げで[[大正]]時代に製造された中古品が流用された。
|-
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
!style="border-bottom:solid 3px #D76577; background-color:#edc;"| 形式
!style="border-bottom:solid 3px #D76577; background-color:#edc;"| 車番
!colspan="2" style="border-bottom:solid 3px #D76577; background-color:#edc;"| 合計両数
|-
!rowspan="2" style="width:5em;"| 701系
| クハ1701形<br />(制御車)
|style="width:8em;"| 1701 - 1796
|style="width:4em;"| 96両
|rowspan="2" style="width:4em;"| 192両
|-
| モハ701形<br />(電動車)
| 701 - 796
| 96両
|-
!rowspan="2"| 801系
| クハ1801形<br />(制御車)
| 1801 - 1810
| 10両
|rowspan="2"| 20両
|-
| モハ801形<br />(電動車)
| 801 - 810
| 10両
|-
|}


701系については[[1969年]](昭和44年)以降、制御車の台車を空気ばね台車に換装するとともに<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、一部編成を対象に低圧電源の交流化が実施されたのち<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、701系・801系とも[[1975年]](昭和50年)から[[1982年]](昭和57年)にかけて[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を新設する改造が施工され、同時に空気制動の[[電磁直通ブレーキ]] (HSC) 化を実施し体質改善が図られた<ref name="RP-kobayashi1992_2" /><ref name="RP-kobayashi1992_3" />。冷房化改造途上においては701系の一部編成について6両編成化が実施されたが<ref name="RP-kobayashi1992_1" />、編成組み換えに伴って自編成の中間電動車を他編成へ供出し余剰となった制御車クハ1701形6両について<ref name="RP-kobayashi1992_1" /><ref name="RP-sonoda1992_1" />、[[西武101系電車|101系電車]]と同一の主要機器を用いて電動車化改造を施工の上で2両編成3本に再編し<ref name="RP-sonoda1992_1" />、'''新501系'''と別系列に区分した<ref name="RP-sonoda1992_1" />。また、元来701系・801系の増結用車両として新製された吊り掛け駆動車[[西武411系電車|411系電車]]についても冷房化改造のほかカルダン駆動化改造が施工されて401系電車(2代)と改称<ref name="RP-kobayashi1992_4">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) pp.254 - 255</ref>、701系・801系ならびに増結用車両の401系(2代)・新501系の各系列、通称「701系列<ref name="RP-kobayashi1992_1" />」は主に[[西武新宿線|新宿線]]系統における主力車両として、[[1997年]]([[平成]]8年)<ref name="RP-RP2002_2">「西武の輸送近代化に活躍した車両たち」 (2002) pp.186 - 187</ref>まで運用された。
=== 801系 ===
701系の増備車として、後に[[西武101系電車|101系]]として完成した[[西武秩父線]]開業に伴い必要となる新型通勤電車の試作要素を盛り込んで設計された。1967年から[[1968年]]にかけて同じく所沢工場でクハ1801形(制御付随車 (Tc) ) - モハ801形(電動車 (M) ) - モハ801形(電動車 (M') ) - クハ1801形(制御付随車 (Tc) )の4両編成5本(20両)が製造されている。


== 車体 ==
== 車体 ==
構体は601系に準じた全金属製構造で、台車中心間隔(ボギーセンター間隔)は13,600[[ミリ|mm]]と601系と同一であるが<ref name="Guide3_1">『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 (1978) pp.50 - 53</ref><ref name="Guide3_2">『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 (1978) pp.54 - 57</ref><ref name="Guide3_3">『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 (1978) pp.60 - 63</ref>、701系・801系においては[[台枠]]を枕梁中心より外方に前後各2.5mmずつ延長し、先頭車・中間車とも車体長19,505mmとされた<ref name="Guide3_2" /><ref name="Guide3_3" />。一方で連結面間隔については前後各2.5mmずつ縮小したことから、全長は20,000mmで変化はない<ref name="Guide3_2" /><ref name="Guide3_3" />。
前面デザインの変更が実施され、鼻筋の通った2枚窓構成で湘南型の亜流ではあるが、[[前照灯]]を窓下に下ろして左右腰部に振り分けて2灯装備とするとともに、前面については上部に行先[[方向幕]](手動巻き取り式)と[[尾灯|標識灯]]を設置し、下部に[[ステンレス鋼|ステンレス]]の飾り帯でデコレーションした独自のスタイルが確立された。このデザインは[[1976年]]製造の[[西武101系電車#旧101系|旧101系]]最終増備グループまで合計232両に採用された。


前面形状は非貫通構造の2枚窓構成で<ref name="RP-isk1970_1">「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) pp.85 - 86</ref>、[[西武501系電車|501系電車(初代)]]より採用された「[[国鉄80系電車#車両デザイン|湘南型]]」デザインを踏襲しているが<ref name="RP-isk1970_1" />、701系においては従来前照灯設置箇所であった前面幕板中央部に[[方向幕|行先表示器]]を新設し<ref name="RP-isk1970_1" />、行先表示器の左右には[[尾灯|後部標識灯]]および[[通過標識灯]]を単一のケースに収めたものを設置<ref name="RP-isk1970_1" />、前照灯は[[白熱電球|白熱灯]] (100[[ワット (単位)|W]]) タイプのもの<ref name="RP-kobayashi1992_3" />を前面腰部に左右1灯ずつ設置し<ref name="RP-isk1970_1" />、前照灯の周囲にはステンレス製の飾り板を配するなど<ref name="RP-isk1970_1" />、大幅な設計変更が加えられた<ref name="RP-isk1970_1" />。701系において確立されたこのデザインは801系にも受け継がれたほか<ref name="RP-isk1970_1" />、[[1976年]](昭和51年)に新製された旧101系最終増備グループまで計232両にわたって踏襲された<ref name="RP-isk1970_1" />。なお、前照灯については701系749編成より照度を高めた[[シールドビーム]] (150W) 仕様に改良されたほか<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、落成当初より前面腰板部の鋼板を厚板化し前面強化が実施された<ref name="RP-kobayashi1992_3" />。また、701系の一部編成については落成当初行先表示幕に種別および行先を併記したタイプが採用されたが<ref name="RP-chida2002_1">「1970年代の西武線を駆け抜けた赤い電車たち」 (2002) pp.211 - 212</ref>、後年他編成と同様に行先のみを単独表示する幕への交換された<ref name="RP-chida2002_1" />。
前照灯は、701系初期車の段階では従来通り[[白熱電球]]が使用されていたが、749編成よりコンパクトで照度の大きい[[シールドビーム]]へ変更され、同時に乗務員扉のつかみ棒が設計変更され、車体に半埋め込み式とされてすっきりした外観となった。


側面形状は従来車同様に3扉構造ながら、[[西武451系電車|451系電車]]以降601系まで採用された側窓2枚を1組としてユニット窓風の見付とした構造<ref name="RP-isk1970_1" />を改め、各々の側窓が独立した構造に変更された<ref name="RP-isk1970_1" />。窓部の設計変更に伴って各部寸法も変更され、側窓幅は800mmで変化はないものの<ref name="Guide3_1" /><ref name="Guide3_2" /><ref name="Guide3_3" />、扉間寸法は5,150mm(601系は4,970mm)、車端部寸法は2,652.5mm(同2,830mm)とされた<ref name="Guide3_1" /><ref name="Guide3_2" /><ref name="Guide3_3" />。客用扉は1,300mm幅の両開扉で<ref name="Guide3_2" /><ref name="Guide3_3" />、551系において採用された、扉窓を金属枠固定支持方式とした[[アルミニウム合金|アルミ合金]]製の[[ハニカム構造|ハニカム]]構造の扉を701系・801系とも装備する<ref name="RP-kobayashi1992_2" />。窓配置は先頭車がd1(1)D(1)4(1)D(1)4(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)<ref name="RP-sik1970_1">「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 終」 (1970) pp.71 - 72</ref>、中間車が2(1)D(1)4(1)D(1)4(1)D(1)2である<ref name="RP-sik1970_1" />。側面乗務員扉脇の手すりについては、701系クハ1701 - 1748 においては従来車同様に露出形状とし、車体全幅は2,930mmであったが<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、クハ1749以降においては埋込形状に設計変更され、全幅も2,865mmに縮小された<ref name="RP-kobayashi1992_3" />。また、雨樋位置については701系が従来車と同様に側面幕板部に設置したのに対し<ref name="RP-RP2002_2" />、801系においては[[車両洗浄装置 (鉄道)|自動洗車機]]導入に伴って清掃効率向上のため雨樋位置が上方に移設され<ref name="RP-isk1970_1" />、張り上げ屋根風の見付に変化した<ref name="RP-RP2002_2" /><ref name="RP-isk1970_1" />。
雨樋高さは、701系については601系までの仕様を踏襲していたが、[[車両洗浄装置 (鉄道)|自動洗車機]]での洗い残しを減らすべく、801系では雨樋位置を上げた「張上げ屋根」に変更した。これは101系にも継承された。


車体塗装は701系・801系とも従来車と同様にディープラズベリーとトニーベージュの二色塗りのいわゆる「[[赤電 (西武)|赤電]]」塗装を採用したが<ref name="RP-RP2002_2" />、両系列においては前面にステンレス製の飾り板を設置した関係で、前面腰板部の塗り分け形状が従来車とは異なる<ref name="RP-RP2002_2" />。
側窓配置は、制御車がd1 (1) D (1) 1x4 (1) D (1) 1x4 (1) D (1) 1x2、電動車が1x2 (1) D (1) 1x4 (1) D (1) 1x4 (1) D (1) 1x2(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)という構成で、扉間が (1) 2x2 (1) と2連窓を2組並べた601系までとは異なり、単独窓を4枚均等配置としている。


車内照明は[[蛍光灯]]式で、直流電源の701系はDC20W仕様の蛍光灯を1両当たり22本(先頭車)もしくは24本(中間車)<ref name="yamakei6_1" />、交流電源の801系はAC40W仕様の蛍光灯を1両当たり14本(先頭車)もしくは16本(中間車)それぞれ装備する<ref name="yamakei6_1" />。車内送風機は[[扇風機]]を採用、先頭車に7台・中間車に8台それぞれ装備し<ref name="yamakei6_1" />、扇風機の直上には中間電動車のパンタグラフ搭載位置を除いて[[ベンチレーター#吸い出し式|グローブ形ベンチレーター]]を搭載する<ref name="Guide3_2" /><ref name="Guide3_3" />。
客用扉は、<!--701系は←801系も。鉄道ピクトリアルNo.716 186ページ等参照-->軽量化を目的として[[アルミニウム合金|アルミ]][[ハニカム構造|ハニカム]]製のものを採用したが、走行中にカタカタうるさいという苦情が出たため、後年<!--801系は冷房改造前に、701系は冷房改造と同時-->に101系などと同様のステンレス製無塗装のものに交換された。


== 主要機器 ==
塗装は当初両系列とも従来通りのベージュとローズピンクの2色塗り分けだったが、747編成については101系竣工前にその試験を目的として一時的にレモンイエローを基調として窓周りをベージュとする同系列と同一のツートンカラーとされていた時期があった。
前述のように、701系・801系とも601系の仕様を踏襲し<ref name="RP-isk1970_1" />、両系列における主要機器の差異は、制御車の装着する台車など一部を除いて存在しない<ref name="RP-isk1970_1" />。中間電動車は2両を1ユニットとし、奇数車に[[電動発電機]] (MG) ・[[圧縮機|電動空気圧縮機]] (CP) などの補助機器を<ref name="yamakei6_1" />、偶数車に制御装置・抵抗器などの走行関連機器をそれぞれ分散して搭載する<ref name="yamakei6_1" />。


一方、新501系については101系列と同一の主要機器を搭載し<ref name="RP-kobayashi1992_5">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.270</ref>、701系・801系とは仕様が大きく異なるが、併結運転は可能であった<ref name="RP-kobayashi1992_5" />。その他、奇数車・偶数車の機器配置が701系・801系とは逆転し<ref name="RP-kobayashi1992_5" />、奇数車に制御装置・抵抗器などの走行関連機器を<ref name="yamakei6_1" />、偶数車に電動発電機・電動空気圧縮機などの補助機器を搭載する<ref name="yamakei6_1" />、101系列以降における標準仕様を踏襲した。
冷房化後に塗装が101系と同じレモンイエローに変更されたが、[[発電ブレーキ]]装備の101系と区別可能とするため、窓周りのベージュ塗り分けは省略された。


また、以下の主要機器については特筆なき限り[[日立製作所]]製の製品である。
== 主要機器 ==

=== 電装品 ===
=== 制御装置 ===
両系列とも[[直巻整流子電動機|主電動機]]は[[中空軸平行カルダン駆動方式|中空軸平行カルダン駆動]]の[[日立製作所]]HS-836-Frb<ref>端子電圧375V時定格出力120kW。</ref>、主制御器も同じく日立製作所MMC-HT20Aで、いずれも601系と共通品である。
701系・801系は[[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]の[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御・直並列組合せ制御]]MMC-HT-20Aを採用<ref name="f-shitetsu6_4">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) p.142</ref>、モハ701形・モハ801形の偶数車に搭載する<ref name="f-shitetsu6_5">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.162 - 165</ref>。同制御装置は電動車2両分・計8基の主電動機を、4基直列繋ぎの2群として直並列制御を行う1C8M制御仕様である<ref name="f-shitetsu6_4" />。制御段数は起動1段・直列10段・並列7段・弱め界磁5段<ref name="f-shitetsu6_4" />の[[力行]]制御のみで、前述の通り発電制動機能は持たない<ref name="f-shitetsu6_4" />。

新501系は同じく電動カム軸式制御装置ながら、101系列において採用されたMMC-HTB-20E制御装置より[[抑速ブレーキ|抑速制動]]機能をカットしたMMC-HTB-20E3を採用<ref name="f-shitetsu6_4" />、クモハ501形奇数車に搭載する<ref name="f-shitetsu6_6">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.164 - 165</ref>。制御段数は起動1段・直列12段・並列13段・弱め界磁5段の力行制御に加えて発電制動機能を備える<ref name="f-shitetsu6_4" />。

=== 主電動機 ===
701系・801系は[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]]HS-836-Frb<ref name="f-shitetsu6_5" /><ref group="注釈">401系(2代)がカルダン駆動化に際して採用したHS-836-Krb主電動機はHS-836-Frbと同一特性を有し、同系列のカルダン駆動化以降、両者は何ら区別されることなく混用された。</ref>を採用し、電動車1両当たり4基搭載する<ref name="f-shitetsu6_5" />。定格出力は120kW(端子電圧375[[ボルト (単位)|V]]時)、駆動方式は撓み板継ぎ手式[[中空軸平行カルダン駆動方式|中空軸平行カルダン]]、歯車比は5.60 (84:15) である<ref name="f-shitetsu6_5" />。

新501系は101系列と同一の直流直巻電動機HS-836-Nrb<ref name="f-shitetsu6_6" />、もしくは[[東洋電機製造]]製のTDK-8010A<ref name="f-shitetsu6_6" />を採用し、電動車1両当たり4基搭載する<ref name="f-shitetsu6_6" />。両者は製造メーカーこそ異なるものの性能特性は同一であり、定格出力は150kW(端子電圧375V時)、駆動方式は撓み板継ぎ手式中空軸平行カルダン、歯車比は5.73 (86:15) である<ref name="f-shitetsu6_6" />。


=== 台車 ===
=== 台車 ===
[[ファイル:Izuhakone 1100 series 006.JPG|thumb|220px|right|電動車が装着するFS342台車<br />(伊豆箱根鉄道譲渡車・2008年4月)]]
701系は、601系と同様に電動車は[[住友金属工業]]製ウィングばね式金属ばね台車であるFS342<ref>[[国鉄DT21形台車|国鉄DT21]]と同等品。採用の経緯については[[西武601系電車|601系]]の項を参照されたい。</ref>を装着し、制御車は製造コスト節約のために国鉄払い下げ車から転用した[[国鉄TR10形台車#派生形式|TR11A]]を装着した。ただし、TR11Aは、板材を組み合わせてあったペデスタル部を強度の高い一体[[鋳鋼]]製部品に置き換え、[[軸受]]をローラーベアリング化するなど弱点を補った上で転用されており、単なる中古品流用ではない。もっとも、大改修を施したとはいえ、重ね板ばねを枕ばねとする旧式のイコライザー台車であり乗り心地に問題があったため、当時最新のダイレクトマウント型[[空気バネ|空気ばね]]台車<ref>ダイアフラム型空気ばねの横剛性を利用することで揺れ枕を廃止して側枠上に直接[[枕バネ|枕ばね]]を載せたもの。</ref>である、FS072への交換が[[1969年]]より実施された。
電動車の台車については、701系・801系とも601系同様に[[国鉄DT21形台車|国鉄DT21台車]]と同等品である[[住友金属工業]]製ウィングばね式金属ばね台車FS342(固定軸間距離2,100mm)を装着する<ref name="f-shitetsu6_7">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.140 - 141</ref>。


制御車の台車については、701系は前述の通り国鉄払い下げ品である省形釣り合い梁式台車改造のTR11Aを装着した<ref name="RP-kobayashi1992_3" /><ref name="RP-RP2002_1" />。701系への装着に際しては601系同様、単なる中古品流用ではなく、原形では板材組み合わせによって構成された軸箱守(ペデスタル)部を強度の高い一体[[鋳鋼]]製部品に置き換え、[[軸受]]部を[[転がり軸受|コロ軸受]](ローラーベアリング)化するなど改修を施工した上で転用された<ref name="RP-sik1970_1" />。
801系は、電動車についてはFS342を踏襲したが、制御車は新造時より空気ばね台車の住友金属FS067を装着して竣工した。これは101系や701系の台車交換時に新製されたFS372・072の試験的役割を果たしたシンプルかつ合理的な構造の軸ばね式台車である。もっとも、枕ばねはFS372・072とは異なり車体直結となっておらず、上揺れ枕と呼ばれる横梁を空気ばね上に載せてこれがボルスタを回転軸として車体の側受と摺動しつつ荷重を負担する、インダイレクトマウント式台車とされていた。


801系の制御車については、枕ばねを空気ばねとした住友金属工業FS067(固定軸間距離2,100mm)を新製し装着した<ref name="RP-isk1970_1" /><ref name="f-shitetsu6_7" />。同台車は101系において採用されたFS372・FS072台車に先行して新製された軸ばね式台車であるが<ref name="RP-kumegawa2002_1">「FS-372系列台車のエピソード」 (2002) p.224</ref>、将来的な旧型台車との交換による他形式への装着を考慮して<ref name="RP-kumegawa2002_1" />、枕ばねを車体直結([[ボルスタアンカー|ダイレクトマウント]])構造とせず、車体と枕ばねの間に枕梁(上揺れ枕)を設けた[[ボルスタアンカー#インダイレクトマウント方式|インダイレクトマウント式]]とした点が特徴であった<ref name="RP-kumegawa2002_1" /><ref group="注釈">実際にはFS067台車による旧型台車の代替は行われず、また対応する電動車用台車 (FS367) が製造されることもなく、同台車はクハ1801形10両分のみで製造が打ち切られた。なお、吊り掛け駆動車の老朽台車代替ならびに乗り心地改善を目的として製造されたFS40台車は、FS067台車の基本設計をそのままに、吊り掛け式主電動機搭載に対応するため固定軸間距離を2,450mmに延長したインダイレクトマウント式空気ばね台車である。</ref>。
両系列とも、制御車と電動車で台車の枕ばね構造が重ね板ばね、オイルダンパ付コイルばね、ダイアフラム型空気ばね、とそれぞれ異なるものの組み合わせとなり、その乗り心地には大きな、そして明確な格差が存在した。しかも、ばねの減衰特性も全く異なっていて[[ラッシュ時]]の床面の沈み込み量に差違が生じるため、当然に床面高さにも差が生じ[[プラットホーム]]での乗降に障害が発生する危険性があった。


新501系は101系列同様にダイレクトマウント式空気ばね台車のFS372(固定軸間距離2,200mm)を装着する<ref name="RP-kumegawa2002_2">「FS-372系列台車のエピソード」 (2002) p.225</ref>。
=== ブレーキ ===
701系は、601系と共通のA動作弁に電磁給排弁を付加して応答性能の向上と在来車との互換性の両立を図ったAMAE (AE) [[自動空気ブレーキ]]を、801系はこれに中継弁 (Relay valve) を挿入してブレーキ力の増圧を図ったAMARE(ARE:国鉄の呼称ではAER)ブレーキを装備して竣工した。旧型車との併結の問題もあって発電ブレーキは省略されたが、ブレーキシューは[[鋳鉄]]ではなく最新の[[レジンキャスト|レジン]]シューが採用されており、所要の制動能力は確保されていた。


=== 制動装置 ===
後に冷房化改造が実施された際に併せてブレーキへのNo.21B電磁給排弁付加などによるHSC[[電磁直通ブレーキ]]化工事が実施され、運転取り扱いの101系との共通化が図られたが、カム軸の大改造が必要で改造コストが大きい主制御器には手を入れなかったため、発電ブレーキの付加は実施されていない。これに伴い、[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]]車との混結はできなくなり、区別のため[[連結器#電気連結器|電気連結器]]カバーが黄色に塗装された。
701系は、601系と同一のA動作弁による自動空気ブレーキに電磁給排弁を付加して制動応答性の向上と在来車との互換性の両立を図ったAMAE (ACAE) 電磁自動空気ブレーキを<ref name="RP-sik1970_1" />、801系はさらに中継弁 (Relay valve) を追加して制動力の増圧を図ったAMA-RE (ACA-RE) 電磁自動空気ブレーキをそれぞれ採用した<ref name="RP-sik1970_1" />。両系列は旧型車との併結運用を行う都合上発電制動を持たず、常用制動・非常制動とも空気制動のみとされたが<ref name="RP-sik1970_1" />、[[制輪子]](ブレーキシュー)を従来の[[鋳鉄]]製から合成樹脂([[レジンキャスト|レジン]])製のものに改良し<ref name="RP-isk1970_1" />、所要の制動能力を確保した<ref name="RP-isk1970_1" />。


新501系については101系列同様に[[応荷重装置]]付・発電制動併用電磁直通ブレーキ (HSC-D) を採用した<ref name="f-shitetsu6_2" />。
また、発電制動を省略したことから、抑速制動回路との関係で101系とはそのままでは混結はできない。このため、混結運用される101系は[[抑速ブレーキ]]機能を無効化して対処し、区別のため電気連結器カバーが黄色に塗装された。なお、無効化された101系の抑速ブレーキは1998年頃に復旧している。


=== 補機 ===
=== 集電装置 ===
当時の西武における標準機種である、工進精工所製の[[集電装置#菱形|菱形パンタグラフ]]KP-62Aを採用し<ref name="yamakei6_1" />、モハ701形・モハ801形偶数車の[[池袋駅|池袋]]・[[本川越駅|本川越]]寄りに各1基<ref name="yamakei6_1" /><ref name="RP-kobayashi1992_3" />、クモハ501形奇数車に2基<ref name="yamakei6_1" />、それぞれ搭載した。
[[圧縮機|空気圧縮機]]は、新造時から冷房改造前までモハ奇数車にAK3を2台搭載していた。なお、AK3は国鉄からの中古品だけでなく新製したものもあるといい、西武では標準品として広く採用されていた。


=== 補助機器類 ===
室内灯などに用いる補助電源は、701系までは直流[[電動発電機]]を搭載したが、801系からは[[電源|交流電源]]に変更された。なお、701系のうち冷房改造前に補助電源を交流化した編成も一部存在する。
電動発電機 (MG) は、701系が直流出力仕様の国鉄制式電動発電機MH77-DM43(定格出力3kW)を1両当たり2基<ref name="yamakei6_1" />、801系が交流出力仕様のMG-534-Mrb(定格出力12kVA)を1両当たり1基<ref name="yamakei6_1" />、モハ701形・モハ801形の奇数車に搭載する<ref name="yamakei6_1" />。新501系については竣功当初より冷房装置を搭載したことから、大容量のHG-584lr(定格出力110kVA)を1両当たり1基、クモハ501形偶数車に搭載する<ref name="f-shitetsu6_6" />。


電動空気圧縮機 (CP) は、701系・801系・新501系いずれもMH16B-AK3(通称「AK3」、定格吐出量990L/min)を採用<ref name="yamakei6_1" /><ref name="f-shitetsu6_6" />、モハ701形・モハ801形の奇数車に1両当たり2基<ref name="yamakei6_1" /><ref name="RP-kobayashi1992_3" />、クモハ501形偶数車に1両当たり1基それぞれ搭載する<ref name="f-shitetsu6_6" />。
== 冷房改造 ==
[[1975年]]の[[西武新宿線|新宿線]]系統の基本編成6両化以後、冷房改造とブレーキの[[電磁直通ブレーキ|HSC]]化が進められた。[[エア・コンディショナー|冷房装置]]は101系と同様の[[集中式冷房装置|集中式]]である[[三菱電機]]CU-72で、天井に風洞を設置し、補助送風機としてラインデリアを併設した。なお、改造時期の関係でラインデリアの吹出口形状は2タイプあり、初期のものは現在の[[西武2000系電車|2000系]]初期タイプと、後期のものは新101系と同様である。ブレーキのHSC化とともに[[操縦席|運転台]]の形状も改められ、運転室内装もベージュからグリーンに変更されている。運転台は、初期タイプは101系に近いものに、後期タイプは2000系に近いものになった。また、501系(3代目)は、新101系と同等のブラックフェイスに改められた。


=== 701系 ===
== 導入後の変遷 ==
前述のように701系の制御車クハ1701形はTR11A台車を装着して落成したが<ref name="RP-kobayashi1992_3" /><ref name="RP-RP2002_1" />、同台車は701系への装着に際して改修が実施されたとはいえ、[[枕バネ|枕ばね]]を重ね板ばねとした釣り合い梁式台車という旧弊な設計は原形のままであり<ref name="RP-kumegawa2002_2" />、電動車モハ701形と比較して乗り心地が劣ったことから<ref name="RP-kumegawa2002_2" />、1969年(昭和44年)以降<ref name="Guide3_4">『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 (1978) pp.54 - 55</ref>、当時最新のダイレクトマウント式空気ばね台車であるFS072への交換が順次実施された<ref name="RP-kumegawa2002_2" />。また翌[[1970年]](昭和45年)以降、落成当初前面強化対策が未施工であったクハ1701 - 1748に対して、前面腰板部の厚板化による補強工事が施工された<ref name="RP-kobayashi1992_3" />。さらに一部編成については、電動発電機 (MG) を801系と同一のMG-534-Mrbに換装し<ref name="yamakei6_1" />、低圧電源の交流化が実施されたが<ref name="RP-sik1970_1" />、こちらは全編成には普及せず、後述冷房化改造まで低圧電源が直流仕様のままであった編成も存在した<ref name="yamakei6_1" />。
* 731編成を皮切りに検査周期に合わせて工事が進められた。最終改造は[[1982年]]の747編成である。
* 701 - 747編成は併せて前照灯シールドビーム化が実施された。
* 701 - 713編成は601系のモハ601形(電動車)を組み込んで6両化を実施し、これに伴い713編成が落成した[[1981年]]に601系は形式消滅となった。編入車は側窓の形状で区別することができた。なお、601系から編入されたモハは、[[鉄道の車両番号|車両番号]]の桁あふれ対策として「モハ701-1」など[[ハイフン]]付き番号(ハイフン以下が-1から-14)となった。
* 791 - 795編成はモハ701形を785編成から789編成に編入し、クハ1701形は電動車化して[[#501系 (3代)|501系 (3代)]]に改番した。これらの形式変更により701系は最終的に200両ちょうどになった。791 - 795編成から移されたモハは601系編入車と同様にハイフン付き番号(ハイフン以下-85から-90)となった。
* レモンイエロー1色に塗装変更された。ただし[[1976年]]改造車までは塗装は従来のままで出場した。旧塗装のまま冷房改造された車両も客室扉は同時にステンレス製のものに交換され、外見が変化した。
* 空気圧縮機は、4連車の一部で[[池袋駅|池袋]]・[[本川越駅|本川越]]向きクハにAK3を2基搭載としていたものを、大型のHB-2000を1基搭載に変更した。6連車は、両方のクハにAK3を2基、もしくはHB-2000を1基、それぞれ装備した。
* 乗務員室と客室の仕切り扉は、一部を除きステンレス無塗装に取り替えられた。
* 客席の袖部分は、旧来の三角形のものと、[[網棚]]と一体化した縦手すり付きの2種類の仕切り(新101系と同様)が混在した。なお、車内中央に設置されていたスタンションポールは撤去された。


その他、747編成は101系新製に先立つ1968年(昭和43年)9月<ref name="RP-sik1970_1" />から翌1969年(昭和44年)2月<ref name="RP-sik1970_1" />までの期間、同系列に採用された車体塗色の試験塗装が実施され、レモンイエローとウォームグレーの2色塗装に変更された<ref name="RP-sik1970_1" />。同編成においては101系とは異なり客用扉部分も車体と同色に塗り分けられたため、若干印象が異なる外観を呈した<ref name="RP-kobayashi1992_3" /><ref name="RP-sik1970_1" />。
=== 801系 ===
* [[1978年]]-[[1983年]]に改造工事が実施された。
* 空気圧縮機はいずれもHB-2000形に交換された。


801系については冷房化改造以前における主だった改造は実施されず<ref name="f-shitetsu6_1" />、ほぼ原形を保ったまま運用されたが<ref name="f-shitetsu6_1" />、[[1973年]](昭和48年)以降<ref name="Guide3_3" />、軽量構造が災いして走行中の振動が著しかったアルミハニカム構造の客用扉について、101系同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に順次交換された<ref name="Guide3_3" />。
== 走行性能 ==
冷房化後は、HSCブレーキ化と相まって在来車(吊り掛け駆動車)との混結運用もなくなったため、同時期の他社の経済設計通勤車並みの性能となった。[[起動加速度]]は[[MT比]]2M2T編成で2.3km/h/s、さらに電動車2両を組み込んだ4M2T編成で3.0km/h/sとされている。なお、増結用として準備された[[西武401系電車|401系]]や501系はともに2M編成のため[[電気車の速度制御#抵抗制御|限流値]]を落として3.0km/h/sとした。最高速度は100km/hだが、当時の西武は通勤車の高速運転をさほど考慮しておらず、特に冷房化前は在来車に合わせた85km/hだった。なお、この最高速度は[[電気車の速度制御#弱め界磁制御|弱め界磁]]を行わない旧型国電と同じである。


== 最終期 ==
=== 冷房化改造 ===
1969年(昭和44年)より新製が開始された西武初の本格的高性能車である101系は池袋線系統へ集中的に投入され<ref name="RP-sakai1973_1">「私鉄車両めぐり(100) 西武鉄道・補遺」 (1973) pp.61 - 62</ref>、[[1972年]](昭和47年)には試作冷房車編成も登場した<ref name="RP-sakai1973_1" />。一方で新宿線系統については非冷房・吊り掛け駆動の従来車が多くを占め、池袋線系統と比較して質的に見劣りするようになったことから<ref name="f-shitetsu6_8">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.52 - 53</ref>、701系・801系の両系列について冷房化改造ならびに制動装置の電磁直通ブレーキ (HSC) 化・応荷重装置新設を施工し、車両性能ならびにサービス品質の向上を図ることとなり<ref name="f-shitetsu6_8" />、[[1975年]](昭和50年)10月に竣功した701系731編成<ref name="f-shitetsu6_3" />を皮切りに順次改造が施工された。
[[1982年]]頃までは[[西武池袋線|池袋線]]でも運行されていたが、その後新宿線、[[西武多摩川線|多摩川線]]に集結した。そして、[[西武2000系電車|新2000系]]の導入が始まった[[1988年]]より[[廃車 (鉄道)|廃車]]が始まり、[[1997年]]([[平成]]9年)[[2月]]に全車廃車となった。新2000系の増備が始まるまでは拝島線、多摩湖線(萩山 - 西武遊園地)での分割併合を行う列車(朝夕を中心に運転されていた)に専属的に就いていた。朝の分割併合終了後は小平-西武遊園地の折り返し運用に入り、夕刻の分割併合時間帯まで運用されていた。
<!--本項の両系列と401系の淘汰により、電制の有無で車両塗装を区別する必要が無くなったことから、これまで窓周りをウォームグレーに塗装していた101系や[[西武3000系電車|3000系]]は順次黄色1色塗装に変更され、塗装工程の合理化が図られた。--><!--これは本項では蛇足に過ぎます。-->


搭載された冷房装置は101系量産冷房車グループにおいて採用された[[集中式冷房装置|集中式]]の[[三菱電機]]CU-72Bで<ref name="f-shitetsu6_8" />、車内天井部に風洞を新設し、補助送風機は従来の扇風機に代わって[[送風機#横断流送風機(クロスフローファン)|ラインデリア]]が新設された<ref name="f-shitetsu6_8" />。また冷房装置搭載に伴って電力使用量が増加することから、モハ701形・モハ801の偶数車に搭載するパンタグラフを従来の1基から2基に増設し<ref name="Guide3_2" />、電動発電機も大容量のMG-117A-S(定格出力150kVA)1基に換装され<ref name="yamakei6_1" /><ref name="Guide3_2" />、床下儀装スペースの都合から従来モハ701形・モハ801形の奇数車に搭載された電動空気圧縮機はクハ1701形・クハ1801形の偶数車へ移設された<ref name="yamakei6_1" /><ref name="Guide3_2" />。その他、運転台パネルが101系類似の形状に変更されたほか<ref name="f-shitetsu6_8" />、客用扉を101系ならびに801系と同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に交換し<ref name="f-shitetsu6_8" />、前照灯が白熱灯仕様で落成した車両についてはシールドビーム化が施工され<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、また制動装置の電磁直通ブレーキ化に伴って電磁自動空気ブレーキ仕様の従来車および未改造編成との併結が不可能となったことから<ref name="Guide3_2" /><ref name="f-shitetsu6_8" />、先頭部の[[連結器#電気連結器|電気連結器]]カバーを黄色に塗装し、従来車と区分した<ref name="Guide3_2" />。
== 501系 (3代) ==
791・793・795編成の3本を701系同士で編成組み替えを行い6両編成化することとなり、モハ791 - 796の6両が785・787・789編成に編入されたことは前述した。その際に余剰となったクハ1791 - 1796を電装・冷房改造・HSC化改造をしたのが501系(3代)である。クモハ501 - 506の2両編成3本(奇数 - 偶数の連番)からなる。


翌[[1976年]](昭和51年)4月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した701編成は、冷房化改造に際して601系の中間電動車モハ601形モハ601・602を編入し<ref name="RP-kobayashi1992_1" /><ref name="f-shitetsu6_3" />、6両固定編成として出場した。これは冷房化・電磁直通ブレーキ化後の701系が、制動方式の異なる従来車はもとより101系とも制御回路の相違から併結運転が不可能であったことから<ref name="f-shitetsu6_9">『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) pp.56 - 57</ref>、当時の基本編成であった6両編成を701系単独で組成するために実施されたものである<ref name="f-shitetsu6_9" />。編入されたモハ601・602はモハ701形モハ701-1・701-2と[[ハイフン]]で区切った新たな車番が付与され<ref name="RP-kobayashi1992_1" /><ref name="f-shitetsu6_3" />、編成内の池袋・本川越寄りに組み込まれた<ref name="RP-kobayashi1992_1" />。同2両については元来701系に属する車両と同一内容の改造が施工されたが<ref name="Guide3_5">『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 (1978) pp.58 - 59</ref>、側面窓配置は原形のままであったことから、側窓2枚を1組としてユニット窓風の見付とした外観が特徴であった<ref name="Guide3_5" />。また、6両編成化に伴って補助機器の構成が一部変更となり、奇数電動車に搭載する電動発電機がMG-114A-S(定格出力120kVA)1基に変更されたほか<ref name="f-shitetsu6_5" />、電動空気圧縮機をクハ1701形奇数車にも1両当たり2基搭載した<ref name="f-shitetsu6_5" />。701編成に次いで703・705編成についても601系の中間電動車モハ601形モハ603 - 606を編入して6両編成化が実施された<ref name="RP-kobayashi1992_1" /><ref name="f-shitetsu6_3" />。また、1976年(昭和51年)8月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した703編成より<ref name="f-shitetsu6_9" />、車体塗装がレモンイエロー1色塗りに改められ<ref name="f-shitetsu6_9" />、ディープラズベリーとトニーベージュの2色塗り(「赤電」塗装)のまま竣功した編成についても順次塗装変更が実施された<ref name="f-shitetsu6_9" />。
足回りは完全に新製され、主電動機はHS-836-Nrb (150kW) ・住友金属工業製の空気ばね台車FS-372・制動装置はHSC-D・空気圧縮機はAK3・制御器もMMC-HTB-20Eという[[西武101系電車#新101系・301系|新101系]]と同様のもの(抑速制動のみカット)となり、[[集電装置|パンタグラフ]]も701系列(本項目両系列、および[[西武411系電車|401系]])とは異なり、奇数番号の車両に2基搭載という形となった。運転席もメーターパネルをはじめ、701系の運転室に新101系の機器が配置されている。


; 6両編成化 編成替え一覧(その1)
新宿線系統で701系の増結用に使用されたが、大出力の全電動車編成ということで過剰性能ゆえに加減速の歩調が合わず、加えて車体の老朽化が進行してきたことから、[[1989年]][[1月]]に下回りを[[西武4000系電車|4000系]]等に転用することとなり、廃車された。
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|colspan="6" style="border-bottom:solid 3px #D76577; background-color:#edc;"| {{TrainDirection|[[飯能駅|飯能]]・[[西武新宿駅|西武新宿]]}}
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! 701編成
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 1701
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 701
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 702
|style="width:4em;"| '''701-1'''<br />(601)
|style="width:4em;"| '''701-2'''<br />(602)
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 1702
|-
! 703編成
|style="vertical-align:top;"| 1703
|style="vertical-align:top;"| 703
|style="vertical-align:top;"| 704
| '''701-3'''<br />(603)
| '''701-4'''<br />(604)
|style="vertical-align:top;"| 1703
|-
! 705編成
|style="vertical-align:top;"| 1705
|style="vertical-align:top;"| 705
|style="vertical-align:top;"| 706
| '''701-5'''<br />(605)
| '''701-6'''<br />(606)
|style="vertical-align:top;"| 1706
|-
|}
|style="vertical-align:middle;"|
<span style="font-size:85%;">
* 601系601 - 605編成を編成解除、モハ601 - 606を転用<ref name="RP-kobayashi1992_1" /><ref name="RP-kobayashi1992_6">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) pp.269 - 270</ref>
* クハ1601 - 1606は他形式の制御車へ転用、クハ1651形1657 - 1662と改称・改番<ref name="RP-kobayashi1992_6" />
</span>
|}


[[1978年]](昭和53年)1月<ref name="f-shitetsu6_3" />より801系の冷房化改造も開始され、801・803編成が同年3月までに竣功した<ref name="f-shitetsu6_3" />。改造内容は701系の4両編成に施工されたものに準じているが、電動空気圧縮機がAK3からHB-2000CB(定格吐出量2,130L/min)に換装されたほか<ref name="f-shitetsu6_1" />、既に交換が実施されていた客用扉についてはそのままとされた<ref name="RP-kobayashi1992_2" />。電動空気圧縮機のHB-2000CBへの換装については、同時期に落成した701系にも踏襲された<ref name="f-shitetsu6_5" /><ref name="f-shitetsu6_9" />。
== 他社への譲渡など ==
西武では廃車となったものの、一部車両が[[上信電鉄]](4両)、総武流山電鉄(現・[[流鉄]]、10両)、[[伊豆箱根鉄道]](9両)、[[三岐鉄道]](12両)に2・3両編成に組み直して(電動車に制御車の先頭部を結合もしくは制御車を電装)改造させた後に譲渡され、[[2008年]]現在でも稼動中である。なお、台車は保守上の都合からクハも廃車発生品のFS342に取り替えられたものが多い。


[[1980年]](昭和55年)4月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した757編成より、車内座席袖仕切りが[[西武2000系電車|2000系電車]]と同形状の荷棚一体形状タイプに改良され<ref name="RP-kobayashi1992_3" />、客用扉の窓固定支持方式がHゴム式から新101系同様の金属枠式に改められた<ref name="RP-kobayashi1992_3" />。また、703編成以来中断されていた6両編成化も[[1981年]](昭和56年)3月<ref name="f-shitetsu6_3" />竣功の707編成が601系607編成の中間電動車モハ607・608を編入して6両編成化されたことを皮切りに<ref name="RP-kobayashi1992_1" />、同年6月<ref name="f-shitetsu6_3" />までに709 - 713編成が601系609 - 613編成の中間電動車モハ609 - 614を1ユニット2両ずつ編入し6両編成として順次竣功した<ref name="RP-kobayashi1992_1" /><ref name="f-shitetsu6_3" /><ref group="注釈">この結果601系モハ601形は全車とも701系に編入され、制御車クハ1601形についても他形式への改称もしくは廃車が実施されたことに伴い、601系は形式消滅した。</ref>。さらに701系の末尾3編成(791 - 795編成)についても編成を解除し<ref name="f-shitetsu6_2" />、同編成から捻出した中間電動車モハ791 - 796を785 - 789編成に1ユニット2両ずつ組み込み<ref name="f-shitetsu6_1" />、6両編成を3編成増備した<ref name="f-shitetsu6_1" /><ref name="f-shitetsu6_2" />。この結果余剰となったクハ1791 - 1796については、落成から経年が浅く車体の状態も良好であったことから<ref name="f-shitetsu6_2" />、冷房化改造および101系列と同等の主要機器を搭載の上で701系・801系の増結用車両として転用されることとなり<ref name="f-shitetsu6_2" />、新501系クモハ501 - 506と改称・改番された<ref name="f-shitetsu6_2" />。
この他、一部の廃車発生品が自社101系や2000系、あるいは[[近江鉄道]]や[[西日本鉄道]]、[[北陸鉄道]]で使用されている。


; 6両編成化 編成替え一覧(その2)
譲渡された編成および車両は以下の通り。
{|
|
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|colspan="6" style="background-color:#F3E132;"| {{TrainDirection|飯能・西武新宿}}
|-
! 707編成
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 1707
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 707
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 708
|style="width:4em;"| '''701-7'''<br />(607)
|style="width:4em;"| '''701-8'''<br />(608)
|style="width:4em; vertical-align:top;"| 1708
|-
! 709編成
|style="vertical-align:top;"| 1709
|style="vertical-align:top;"| 709
|style="vertical-align:top;"| 710
| '''701-9'''<br />(609)
| '''701-10'''<br />(610)
|style="vertical-align:top;"| 1710
|-
! 711編成
|style="vertical-align:top;"| 1711
|style="vertical-align:top;"| 711
|style="vertical-align:top;"| 712
| '''701-11'''<br />(611)
| '''701-12'''<br />(612)
|style="vertical-align:top;"| 1712
|-
! 713編成
|style="vertical-align:top;"| 1713
|style="vertical-align:top;"| 713
|style="vertical-align:top;"| 714
| '''701-13'''<br />(613)
| '''701-14'''<br />(614)
|style="vertical-align:top;"| 1714
|-
! 785編成
|style="vertical-align:top;"| 1785
|style="vertical-align:top;"| 785
|style="vertical-align:top;"| 786
| '''701-85'''<br />(791)
| '''701-86'''<br />(792)
|style="vertical-align:top;"| 1786
|-
! 787編成
|style="vertical-align:top;"| 1787
|style="vertical-align:top;"| 787
|style="vertical-align:top;"| 788
| '''701-87'''<br />(793)
| '''701-88'''<br />(794)
|style="vertical-align:top;"| 1788
|-
! 789編成
|style="vertical-align:top;"| 1789
|style="vertical-align:top;"| 789
|style="vertical-align:top;"| 790
| '''701-89'''<br />(795)
| '''701-90'''<br />(796)
|style="vertical-align:top;"| 1790
|-
|}
|style="vertical-align:top;"|
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|colspan="2" style="background-color:#F3E132;"| {{TrainDirection|飯能・西武新宿}}
|-
! 501編成
|style="width:4em;"| '''501'''<br />(1791)
|style="width:4em;"| '''502'''<br />(1792)
|-
! 503編成
|style="width:4em;"| '''503'''<br />(1793)
|style="width:4em;"| '''504'''<br />(1794)
|-
! 505編成
|style="width:4em;"| '''505'''<br />(1795)
|style="width:4em;"| '''506'''<br />(1796)
|-
|}
<span style="font-size:85%;">
* 601系607 - 613編成・701系791 - 795編成を編成解除、モハ607 - 614・モハ791 - 796を転用<ref name="f-shitetsu6_2" />
* 701系クハ1791 - 1796は新501系クモハ501 - 506へ改造<ref name="f-shitetsu6_2" />
* 601系クハ1607 - 1614は全車廃車<ref name="RP-kobayashi1992_6" />
</span>
|-
|}


[[1982年]](昭和57年)4月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した723編成より、電動発電機が電力入力側・出力側ともに従来の[[直流電動機]]に代わり[[三相交流|三相]][[同期電動機]]を用いて[[整流子]](ブラシ)を廃したブラシレスMG (BLMG) であるHG-77445-01R(定格出力140kVA)に改良され<ref name="f-shitetsu6_5" />、同年12月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した747編成をもって701系全編成の冷房化・電磁直通ブレーキ化改造が完了した。
;上信電鉄
:モハ755・756にクハ1755・1756の先頭部を結合して[[上信電鉄150形電車|クモハ150形]]155・156として、モハ801・802にクハ1801・1802の先頭部を結合して同形式クモハ153・154としてそれぞれ使用。


801系の冷房化・電磁直通ブレーキ化改造は1978年(昭和53年)3月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した803編成以来中断されていたが、701系の改造が完了したことを受けて[[1983年]](昭和58年)1月<ref name="f-shitetsu6_3" />より改造が再開された。電動発電機のブラシレスMG (BLMG) 化・車内座席袖仕切り形状の変更などといった改良点は701系の最終年度改造車の仕様に準じているが<ref name="RP-kobayashi1992_2" />、客用扉の交換は801・803編成と同様に実施されていない<ref name="RP-kobayashi1992_2" />。同年3月<ref name="f-shitetsu6_3" />に竣功した809編成を最後に801系全編成の改造が完了し、701系・801系とも冷房装置搭載・電磁直通ブレーキ仕様で統一された。
[[ファイル:Nagareyama Myoujou.JPG|180px|thumb|[[流鉄]]2000系(明星)<br />先頭はクモハ2003]]
;総武流山電鉄(現・流鉄)
:モハ757・758にクハ1757・1758の先頭部を結合して[[総武流山電鉄2000系電車|2000系]]クモハ2005・2006(「なの花」)として、モハ803・804にクハ1803・1804の先頭部を結合して2000系クモハ2001・2002(「青空」)として使用。過去には809編成を3両化(モハ809にクハ1809の先頭部を結合)してクハ22・モハ2102・クモハ2004(「流馬」)として使用していたが、[[2007年]][[11月18日]]に運用を離脱し、廃車された。また、745編成を3両化(モハ745にクハ1745の先頭部を結合)してクハ21・モハ2101・クモハ2003(「明星」)として使用していたが、[[2009年]][[4月29日]]で営業運転を終了した。


=== 冷房化改造後の動向 ===
[[ファイル:Izuhakone1009.JPG|180px|thumb|[[伊豆箱根鉄道]]1100系]]
701系・801系とも当初は池袋線・新宿線両系統に配属されたが<ref name="yamakei6_3">『ヤマケイ私鉄ハンドブック6 西武』 (1982) pp.43 - 47</ref>、1980年代以降順次新宿線系統へ集約され<ref name="yamakei6_3" />、同系統における主力車両として運用された<ref name="f-shitetsu6_9" />。1981年(昭和56年)以降<ref name="RP-kobayashi1992_7">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.258</ref>、新101系の一部が制御回路を改造し、701系・801系グループとの併結対応工事を施工の上で新宿線へ配属されたことに伴い<ref name="RP-kobayashi1992_7" />、101系列との併結運用が開始されたほか、旧型車の淘汰進捗に伴って701系のうち745・747・757・761・781編成(4両編成5本)<ref name="RP-kobayashi1992_3" />に対して、[[西武多摩川線|多摩川線]]対応編成として制動装置に[[車両輸送#甲種輸送|甲種輸送]]対策改造を施工し<ref name="RP-kobayashi1992_3" /><ref group="注釈">[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[中央本線|中央線]]の[[武蔵境駅]]より分岐して[[是政駅]]に至る多摩川線は、西武鉄道の他路線と接続しておらず、車両検査時等における所属編成の入換はJR東日本の路線を経由する甲種輸送(中央線・[[武蔵野線]]経由・武蔵境 - [[新秋津駅|新秋津]]間)によって実施される。</ref>、多摩川線に残存した旧型車の代替に充当された<ref name="RP-kobayashi1992_3" /><ref name="yamakei6_3" /><ref group="注釈">このうち781編成のみは比較的早期より多摩川線対応工事を施工、同路線における唯一の冷房車編成として夏季の旅客サービス向上に用いられた。</ref>。
;伊豆箱根鉄道
:[[1989年]]から[[1990年]]にかけて701系735・777・783編成を3両化(いずれもモハ奇数車の台車・機器をクハ奇数車に移設)して[[伊豆箱根鉄道1100系電車|1100系]]として使用されている。各編成の譲渡年は777・783編成が1989年・735編成が1990年である。また777・783編成が譲渡される半年前に701系で使用された台車と主電動機が譲渡され(部品取り用含む)、これらを用いて同社[[伊豆箱根鉄道1000系電車|1000系]]の1005・1007編成の2編成が台車更新(Mc・M車のカルダン駆動化)を実施した。
:しかし現在は老朽化が進行し伊豆箱根鉄道に譲渡された701系は全車新101系改造の[[伊豆箱根鉄道1300系電車|1300系]]に置き換えられることになり既に2編成6両が廃車・解体され[[2009年]][[11月]]現在は1編成3両のみが残っている。


1980年代後半に至り、701系の初期落成車については新製から25年を経過し各部の老朽化が進行したことに加え<ref name="DJ-kamachi1989_1">蒲池収 「RAIL PLAZA 心が痛む車両の最期 解体が進む西武701系」 (1989) p.137</ref>、701系・801系とも走行性能上ダイヤ改正に伴う運転速度向上への対応が困難になりつつあったことから<ref name="DJ-kamachi1989_1" />、[[西武2000系電車|新2000系電車]]導入に伴う代替が計画され<ref name="RP-kobayashi1992_8">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.259</ref>、701系725編成が[[1988年]](昭和63年)3月31日付<ref name="RP-kobayashi1992_9">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.280</ref>で[[廃車 (鉄道)|廃車]]となったことを皮切りに淘汰が開始された。また新501系については、701系・801系グループと性能特性が大きく異なることから併結運用に際しては加減速時の前後衝動が生じるなど乗り心地面で問題を抱えており<ref name="RP-kobayashi1992_5" />、さらに101系列と同一の主要機器について転用計画が策定されたこと<ref name="RP-kobayashi1992_5" /><ref name="RP-kumegawa2002_3">「FS-372系列台車のエピソード」 (2002) p.228</ref><ref group="注釈">同系列の主要機器は[[1990年]](平成2年)度の事業計画において公表された新型特急用車両に転用される予定であったが、諸事情から同計画は白紙となり、最終的に[[1993年]](平成5年)10月から同年11月にかけて落成した[[西武10000系電車|10000系電車「ニューレッドアロー」]]10101・10102編成のうち、モハ10201・10301・10501・10601およびモハ10202・10302の6両に転用された。</ref>に伴って[[1989年]]([[平成]]元年)1月13日付<ref name="RP-kobayashi1992_9" />で3編成とも一斉に除籍され、落成から10年に満たない短期間で形式消滅した<ref name="RP-kobayashi1992_5" />。
[[ファイル:Sanki801Series01.jpg|180px|thumb|[[三岐鉄道]]801系<br />(ラッピング広告電車)]]
;三岐鉄道
:701系779・771・781編成をモハ奇数車にクハ奇数車の先頭部を結合して3両化して801系として、789編成(6両編成)のうち本川越寄り3両(モハ701-89・701-90・クハ1790)をモハ701-89にクハ1789の先頭部を結合した上で851系として使用。
{{-}}


その後は701系・801系とも新2000系導入と代替に順次廃車が進行し<!--たが、[[1996年]](平成8年)10月12日に「[[鉄道の日]]」関連イベントとして701系757編成が401系(2代)411・417編成と8両編成を組成、池袋線・[[西武秩父線]]全線を定期快速急行運用のダイヤで運行し、臨時列車とはいえ久方ぶりに池袋線系統における運用に充当された。翌-->、[[1997年]](平成9年)2月22日<ref name="RP-yamazaki2002_1">「輸送と運転 近年の動向」 (2002) p.42</ref>に開催された[[さよなら列車|さよならイベント]]に701系781編成が充当されたことを最後に運用を離脱<ref name="RP-yamazaki2002_1" />、同月24日付<ref name="RP-nenkan1997_1">「新車年鑑 1997年版」 (1997) p.185</ref>で最後まで残存した701系781編成および801系809編成が除籍された<ref name="RP-nenkan1997_1" />。また同日付で401系(2代)411・417編成も除籍となり<ref name="RP-nenkan1997_1" />、いわゆる「701系列<ref name="RP-kobayashi1992_1" />」は全廃となった。
== 関連項目 ==

{{Commonscat|Seibu 701 series}}
== 譲渡車両 ==
* [[上信電鉄200形電車]] - 後期型は所沢工場で製造されたため、客室構造が801系や[[西武101系電車|101系前期型]]と共通設計である<ref>前期型は東洋工機製であり、20m3扉車体であるという以外の共通点は少ない。</ref>。<!--上信にはその後[[西武451系電車|451系]]以降の、類似車体を持つ車両が多数譲渡されているが、理由として当時の西武電車のスペックが地方私鉄向けだったことに限らず、客室を中心とした部品の共通性があったとも考えられる。-->
西武における除籍後の701系・801系は、経年の浅いFS072台車・電動発電機・HB-2000CB電動空気圧縮機など一部の部品を新2000系の新製に際して供出したことから<ref name="RP-kumegawa2002_4">「FS-372系列台車のエピソード」 (2002) pp.226 - 227</ref><ref name="RP-kobayashi1992_10">「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.262</ref>、地方私鉄に譲渡されることなく解体処分された編成が比較的多数を占める<ref name="RP-okazaki2002_1">「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 (2002) p.220</ref>。その中においても、一部の車両が[[上信電鉄]](4両)、総武流山電鉄(現・[[流鉄]]、10両)、[[伊豆箱根鉄道]](9両)、[[三岐鉄道]](12両)の各社へ譲渡された<ref name="RP-okazaki2002_1" />。譲渡に際しては原形の4両編成もしくは6両編成のままではなく、いずれも制御車の前頭部を中間電動車の妻面に接合する形で2両編成もしくは3両編成に短縮され<ref name="RP-okazaki2002_2">「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 (2002) pp.220 - 222</ref><ref group="注釈">後述の通り、伊豆箱根鉄道に譲渡された701系735・777・783編成のみは例外的に4両編成のまま伊豆箱根鉄道側に引き渡され、同社[[伊豆箱根鉄道大場工場|大場工場]]において奇数電動車(モハ735・777・783)の主要機器を奇数制御車(クハ1735・1777・1783)へ移設する形で短編成化改造を施工した。</ref>、制御車の台車については前述の通りFS072台車が西武側において再利用されたことから<ref name="RP-okazaki2002_1" />、大半の車両が解体処分された他編成の中間電動車より発生したFS342台車に換装された上で譲渡された<ref name="RP-okazaki2002_1" />。また801系独自の台車であるFS067台車については、同台車を装着するクハ1801形のうち唯一譲渡対象となったクハ1810(総武流山電鉄クハ22)が譲渡に際してFS072に換装されたため<ref name="RP-okazaki2002_3">「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 (2002) p.222</ref>、全数とも廃棄されて現存しない<ref name="RP-okazaki2002_3" />。
* [[西鉄300形電車 (鉄道)|西鉄300形]]・[[西鉄313形電車|313形]]・[[西鉄600形電車 (鉄道・2代)|600形電車]] - [[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]から宮地岳線(現・[[西鉄貝塚線|貝塚線]])に転用された車両の一部に西武701系の台車と主要機器が再用されている。宮地岳線は1067mm軌間で、1435mm軌間である天神大牟田線とは軌間が異なるため、転用に際して狭軌用の台車に交換された。

その他、一部の解体発生品については前述の通り新2000系の新製に際して転用されたほか<ref name="RP-kumegawa2002_4" /><ref name="RP-kobayashi1992_10" />、伊豆箱根鉄道<ref name="RP-kot1992_1">「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 (1992) pp.229 - 230</ref>・[[北陸鉄道]]<ref name="RP-yamamoto2001_1">「現有私鉄概説 北陸鉄道」 (2001) pp.87 - 88</ref>・[[西日本鉄道]]<ref name="RP-dm1999_1">「私鉄車両めぐり(162) 西日本鉄道」 (1999) pp.197 - 202</ref><ref group="注釈">同社[[西鉄600形電車 (鉄道・2代)|600形電車]]の[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]から宮地岳線(現・[[西鉄貝塚線|貝塚線]])への転属、および[[西鉄300形電車 (鉄道)|西鉄300形]]・[[西鉄313形電車|313形電車]]の主要機器換装(カルダン駆動化)に際して、701系・801系の解体発生品である台車・主制御器など一部の部品が活用された。これは天神大牟田線の軌間が1,435mm([[標準軌]])規格であるのに対し、宮地岳線の軌間は1,067mm([[狭軌]])規格であり、転属に際して狭軌用の台車および主電動機との交換を必要としたことによるものである。</ref>などへ売却された。

=== 上信電鉄 ===
{{Main|上信電鉄150形電車}}
[[1994年]](平成6年)7月<ref name="RP-okazaki2002_4">「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 (2002) p.216</ref>に801系801編成が、1996年(平成8年)12月<ref name="RP-okazaki2002_4" />には701系755編成がそれぞれ譲渡された。いずれも譲渡に際しては西武所沢車両工場において中間電動車(モハ801・802およびモハ755・756)の妻面に制御車(クハ1801・1802およびクハ1755・1756)の前頭部を接合する形で2両編成化が施工された<ref name="RP-okazaki2002_5">「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 (2002) p.221</ref>。上信電鉄における車番は西武在籍当時とは奇数・偶数の関係が反転し<ref name="RP-okazaki2002_5" />、前者は同社[[上信電鉄150形電車|150形]]クモハ154・153として、後者は150形クモハ156・155として導入された<ref name="RP-okazaki2002_4" />。

なお、上信電鉄150形の第1編成(クモハ151・152)は元西武401系(2代)407編成を譲り受けた車両であり<ref name="RP-okazaki2002_4" />、同形式はいずれも西武より譲り受けた車両を種車とする<ref name="RP-okazaki2002_5" />。

=== 総武流山電鉄(現・流鉄) ===
{{Main|総武流山電鉄2000系電車}}
1994年(平成6年)8月<ref name="RP-okazaki2002_4" />に801系803編成が、西武所沢車両工場において中間電動車モハ803・804の妻面に制御車クハ1803・1804の前頭部を接合する形で2両編成化を施工した上で譲渡され<ref name="RP-okazaki2002_6">「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 (2002) p.221 - 222</ref>、同社[[総武流山電鉄2000系電車|2000系]]クモハ2001・2002として導入された<ref name="RP-okazaki2002_6" />。同編成は紺色をベースに流山 ''(Nagareyama) ''の頭文字「N」を象った白色帯を配した塗装に変更され<ref name="RP-okazaki2002_6" />、「青空」の編成愛称が付与されるとともに前面腰板部へ愛称表示板が新設された<ref name="RP-okazaki2002_6" />。

翌[[1995年]](平成7年)12月<ref name="RP-okazaki2002_4" />には701系745編成が、中間電動車モハ745の妻面に制御車クハ1745の前頭部を接合する形でこちらは3両編成化を施工した上で譲渡され<ref name="RP-okazaki2002_6" />、2000系クモハ2003-モハ2101-クハ21として導入された<ref name="RP-okazaki2002_6" />。同編成の車体塗装はクモハ2001・2002を基本にベース色を茶色に改め、「明星」の編成愛称が付与された<ref name="RP-okazaki2002_6" />。制御車クハ21(元クハ1746)の台車は西武在籍当時同様にFS072を装着する<ref name="RP-okazaki2002_6" />。

さらに1997年(平成9年)3月<ref name="RP-okazaki2002_4" />には701系757編成が、同年11月<ref name="RP-okazaki2002_4" />には801系809編成がそれぞれ譲渡された。757編成については前述クモハ2001・2002(元801系803編成)同様の改造により2両編成化の上でクモハ2005・2006となり<ref name="RP-okazaki2002_6" />、黄色地に黄緑色の帯を配した塗装に変更され「なのはな」の編成愛称が付与された<ref name="RP-okazaki2002_6" />。809編成については前述クモハ2003-モハ2101-クハ21(元701系745編成)同様の改造により3両編成化の上でクモハ2004-モハ2102-クハ22となり<ref name="RP-okazaki2002_6" />、水色地に白色帯を配した塗装に変更され「流馬」の編成愛称が付与された<ref name="RP-okazaki2002_6" />。またクハ22(元クハ1810)については前述の通り譲渡に際して台車をFS072に換装した<ref name="RP-okazaki2002_3" />。

計4編成10両が導入された同社2000系であるが、同じく西武から譲渡された[[総武流山電鉄3000系電車#5000系|5000系電車]](元西武新101系)の導入に伴って2001編成「青空」・2003編成「明星」・2004編成「流馬」の3編成が既に廃車となり<ref name="Railf071114">[http://railf.jp/news/2007/11/14/084600.html 総武流山電鉄「流馬」引退へ] - railf.jp (2007年11月14日) 2012年9月18日閲覧</ref><ref name="Railf090430">[http://railf.jp/news/2009/04/30/094500.html 流鉄「明星」さようなら記念運転が行なわれる] - railf.jp (2009年4月30日) 2012年9月18日閲覧</ref><ref name="Railf120716">[http://railf.jp/news/2012/07/16/225800.html 流鉄2000形「青空」が、さよなら運転] - railf.jp (2012年7月16日) 2012年9月18日閲覧</ref>、2005編成「なのはな」のみが残存する。

=== 伊豆箱根鉄道 ===
{{Main|伊豆箱根鉄道1100系電車}}
1989年(平成元年)8月<ref name="RP-okazaki2002_4" />から翌1990年(平成2年)5月<ref name="RP-okazaki2002_4" />にかけて、701系735・777・783編成の計3編成12両が譲渡された<ref name="RP-kot1992_1" />。伊豆箱根鉄道へ譲渡された同3編成については他社への譲渡車両とは異なり原形の4両編成のまま譲渡され<ref name="RP-kot1992_1" />、同社大場工場において奇数電動車(モハ735・777・783)の主要機器を奇数制御車(クハ1735・1777・1783)へ移設する形で3両編成化を施工の上<ref name="RP-kot1992_1" />、同社[[伊豆箱根鉄道1100系電車|1100系]]として導入された<ref name="RP-kot1992_1" />。なお、制御車の台車については大場工場到着後に他編成の解体発生品であるFS342台車を付随台車へ改造したFS342T台車へ換装され、FS072台車は西武側へ返還された<ref name="RP-okazaki2002_1" />。

[[2009年]](平成21年)1月以降<ref name="RP-nenkan2009_1">「鉄道車両年鑑 2009年版」 (2009) p.185</ref>、同じく西武から譲渡された新101系を種車とする[[伊豆箱根鉄道1300系電車|1300系]]の導入に伴って順次廃車が進行し、最後まで残存した第1編成(1009編成・元西武783編成)についても[[2012年]](平成24年)6月13日をもって運用から離脱した<ref name="izuhakone1100">[http://www.izuhakone.co.jp/railway/news/2011/2011-0831-1045-19.htm 1100系は6月13日をもって運転終了しました!!] - 伊豆箱根鉄道 2012年9月18日閲覧</ref>。

=== 三岐鉄道 ===
<!--{{Main|三岐鉄道801系電車}}-->
1989年(平成元年)・1992年(平成4年)・1995年(平成7年)・1997年(平成9年)の4次にわたって<ref name="RP-okazaki2002_4" />、701系701系779・771・789・781編成の計4編成が譲渡された<ref name="RP-okazaki2002_4" />。西武在籍当時4両編成であった771・779・781編成についてはいずれも中間電動車(モハ771・779・781)の妻面に制御車(クハ1771・1779・1781)の前頭部を接合する形で<ref name="RM-nanno2011_1">「徹底解説、三岐鉄道! 第1回 三岐線車輌編」 (2011) pp.60 - 63</ref>、6両編成であった789編成については本川越寄りの3両(モハ701-89・モハ701-90・クハ1790)を譲渡することとし、モハ701-89の妻面にクハ1789の前頭部を接合する形で<ref name="RM-nanno2011_1" />、それぞれ3両編成化が施工された<ref name="RM-nanno2011_1" />。

初期に竣功した779・771編成については導入に際して制御車の台車をFS342へ換装したが<ref name="RM-nanno2011_1" />、789編成については逆に電動車を含めた全車の台車をFS372・FS072で統一し<ref name="RM-nanno2011_1" />、前者は801系(クモハ801形・モハ801形・クハ1801形)に、後者は851系(クモハ851形・モハ881形・クハ1851形)にそれぞれ区分された<ref name="RM-nanno2011_1" />。さらに最後に導入された781編成については西武在籍当時のまま台車の換装を実施せず導入されたことから<ref name="RM-nanno2011_1" />、FS072台車を装着する制御車は851系クハ1851形、FS342台車を装着する電動車は801系クモハ801形・モハ801形と、同一編成でありながら別形式に区分された<ref name="RM-nanno2011_1" />。

=== 近江鉄道 ===
701系739編成およびクハ1741・1742の6両と、801系モハ807・808の2両、計8両が譲渡された<ref name="RP-kot1992_4">「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 (1992) pp.234 - 235</ref>。これらは鉄道車両として譲渡されたのではなく部品取り目的で売却されたものであり<ref name="RP-okazaki2002_1" />、701系6両については近江鉄道へ到着後車体を解体し<ref name="RP-kot1992_4" />、側面外板・客用扉などの構体部品が同社[[近江鉄道220形電車|220形電車]]の新製に際して活用された<ref name="RP-kot1992_4" />。またクハ1739 - 1742が装着したFS072台車は車体解体後に西武側へ返還された<ref name="RP-okazaki2002_1" />。801系2両については同じく西武より譲渡された401系(2代)を種車とする[[近江鉄道700系電車|700系「あかね号」]]および[[近江鉄道800系電車|800系・820系電車]]の補修部品確保に用いられた<ref name="RP-okazaki2002_1" />。

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| image1 = Joshin 155.JPG
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| caption1 = 上信電鉄150形155編成<br />([[馬庭駅|馬庭]]・2007年10月)

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| caption2 = 流鉄2000系「明星」<br />([[鰭ヶ崎駅|鰭ヶ崎]] - [[平和台駅|平和台]]間・2007年6月)

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| caption3 = 伊豆箱根鉄道1100系<br />([[三島駅|三島]]・2006年7月)

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| caption4 = 三岐鉄道801系<br/>([[近鉄富田駅|近鉄富田]]・2006年1月)
}}
<br style="clear:both" />


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
== 参考文献 ==
* [[東京工業大学]]鉄道研究部 『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 [[誠文堂新光社]] 1978年5月
* [[吉川文夫]]・[[廣田尚敬]] 『ヤマケイ私鉄ハンドブック6 西武』 [[山と渓谷|山と渓谷社]] 1982年9月 ISBN 4-635-06118-3
* 町田浩一 『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 [[ネコ・パブリッシング]] 2002年6月 ISBN 4-87366-289-3
* 西尾恵介 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 ネコ・パブリッシング 2002年2月 ISBN 4-87366-266-4
* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]]
** 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 1970年1月(通巻233)号 pp.77 - 87
** 酒井英夫・今城光英・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 終」 1970年4月(通巻236)号 pp.66 - 77
** 酒井英夫 「私鉄車両めぐり(100) 西武鉄道・補遺」 1973年11月(通巻285)号 pp.58 - 62
** 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 1992年5月(通巻560)号 pp.150 - 160
** 小松丘・大山俊行・高橋健一 「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 1992年5月(通巻560)号 pp.217 - 236
** 小林尚智 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 1992年5月(通巻560)号 pp.250 - 280
** 出口正典・諸岡雅宏 「私鉄車両めぐり(162) 西日本鉄道」 1999年4月(通巻668)号 pp.187 - 203
** 山本宏之 「現有私鉄概説 北陸鉄道」 2001年5月(通巻701)号 pp.81 - 90
** 山崎公之 「輸送と運転 近年の動向」 2002年4月(通巻716)号 pp.30 - 42
** 鉄道ピクトリアル編集部 「西武の輸送近代化に活躍した車両たち」 2002年4月(通巻716)号 pp.185 - 187
** 千田宏喜 「1970年代の西武線を駆け抜けた赤い電車たち」 2002年4月(通巻716)号 pp.209 - 213
** 岡崎利生 「西武所沢車両工場出身の電車たち(譲渡車両の動向)」 2002年4月(通巻716)号 pp.214 - 223
** 粂川零一 「FS-372系列台車のエピソード」 2002年4月(通巻716)号 pp.224 - 228
** 「新車年鑑 1997年版」 1997年10月臨時増刊(通巻644)号
** 「鉄道車両年鑑 2009年版」 2009年10月臨時増刊(通巻825)号
* 『[[鉄道ダイヤ情報]]』 [[交通新聞社]]
** 蒲池収 「RAIL PLAZA 心が痛む車両の最期 解体が進む西武701系」 1989年8月(通巻64)号 p.137
** 楠居利彦 「“赤電”が主力だった頃の西武電車」 2011年2月(通巻322)号 pp.36 - 41
* 『[[レイルマガジン|Rail Magazine]]』 ネコ・パブリッシング
** 南野哲志 「徹底解説、三岐鉄道! 第1回 三岐線車輌編」 2011年6月(通巻333)号 pp.52 - 66

== 関連項目 ==
{{Commonscat|Seibu 701 series}}
* [[上信電鉄200形電車]] - 同形式の2次車は西武所沢車両工場において新製され、側面窓配置が801系と同一形状に設計変更された。


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2012年9月26日 (水) 16:31時点における版

西武701系電車
801系電車・新501系電車
伊豆箱根鉄道1100系クハ2005
(元西武701系クハ1784・2012年6月)
基本情報
製造所 西武所沢車両工場
主要諸元
編成 701系:4両・6両
801系:4両
新501系:2両
軌間 1,067(狭軌
電気方式 直流1,500 V架空電車線方式
最高運転速度 100
設計最高速度 100
減速度(常用) 3.5
車両定員 先頭車:141人(座席45人)
中間車:153人(座席54人)
車両重量 29.0 - 40.0 t
全長 20,000
全幅 2,865[注釈 1]
全高 4,065[注釈 2]
車体 普通鋼
台車 701系・801系:FS342・FS072・FS067
新501系:FS372
主電動機 直流直巻電動機
701系・801系:HS-836-Frb
新501系:HS-836-Nrb・TDK-8010A
主電動機出力 701系・801系:120kW(一時間定格)
新501系:150kW
搭載数 4
駆動方式 中空軸平行カルダン
歯車比 701系・801系:5.60 (84:15)
新501系:5.73 (86:15)
制御装置 電動カム軸式抵抗制御
701系・801系:MMC-HT-20A
新501系:MMC-HTB-20E3
制動装置 701系・801系:電磁直通ブレーキ HSC
新501系:発電制動併用電磁直通ブレーキ HSC-D
保安装置 西武形ATS
備考 701系・801系の各データは冷房改造後のものを示す[1]
テンプレートを表示

西武701系電車(せいぶ701けいでんしゃ)は、1963年昭和38年)[2]から1967年(昭和42年)[2]にかけて新製された西武鉄道通勤形電車である。

本項では、1968年(昭和43年)[3]に新製された、701系の増備形式と位置付けられる[4]801系電車、ならびに701系の制御車クハ1701形の一部を改造して1981年(昭和56年)[5]に登場した新501系電車[5][6][注釈 3]についても記述する。

なお、本項における編成単位の記述に際しては、各編成の飯能西武新宿寄り電動車車両番号(以下「車番」)をもって編成呼称とする(例:701編成・801編成)[7]とともに、車番末尾が奇数の車両は「奇数車」・偶数の車両は「偶数車」と記述する[8]

概要

701系は、西武鉄道(以下「西武」)初のカルダン駆動車として1963年(昭和38年)5月[9]から同年9月[9]にかけて新製された601系電車[9]に続いて、同年12月[2]より新製が開始された。外観は吊り掛け駆動車551系電車と同一の車体を採用した601系[10]に対して、701系においては車体埋込型の大型行先表示器を採用し[10]、左右腰部に2灯設置された前照灯の周囲にステンレス製の化粧板(飾り板)を配するなど[10]、目新しさを打ち出したデザインが採用された[10]。一方で主要機器の仕様は601系を踏襲し、制御車の台車については601系同様に日本国有鉄道(国鉄)払い下げ品の省形釣り合い梁式台車の改造品であるTR11Aを採用[10]、制動装置は発電制動を持たない自動空気ブレーキ仕様[8]、低圧電源は直流100V仕様[8]と、経済性ならびに従来車との併結を考慮した結果[8]、701系の新製当時において他の鉄道事業者が新製したいわゆる「高性能車」各形式と比較すると、主要機器の仕様は若干見劣りするものであった[8]

701系は1967年(昭和42年)7月[2]までに4両編成48本の計192両が新製され[2]、翌1968年(昭和43年)1月[3]より801系の新製に移行した。車体外観・主要機器の仕様とも概ね701系を踏襲したが、車体側面の雨樋が上方に移設されて張り上げ屋根風の見付となったことに加え[3]、制御車の台車が空気ばね台車に変更され、また低圧電源が新製当初より交流仕様に改良された点が異なる[3]。801系は同年1月と3月の二度にわたって増備され[3]、4両編成5本の計20両が新製された[3]。なお、701系・801系は全車とも西武所沢車両工場において製造された[11]

  形式 車番 合計両数
701系 クハ1701形
(制御車)
1701 - 1796 96両 192両
モハ701形
(電動車)
701 - 796 96両
801系 クハ1801形
(制御車)
1801 - 1810 10両 20両
モハ801形
(電動車)
801 - 810 10両

701系については1969年(昭和44年)以降、制御車の台車を空気ばね台車に換装するとともに[8]、一部編成を対象に低圧電源の交流化が実施されたのち[8]、701系・801系とも1975年(昭和50年)から1982年(昭和57年)にかけて冷房装置を新設する改造が施工され、同時に空気制動の電磁直通ブレーキ (HSC) 化を実施し体質改善が図られた[3][8]。冷房化改造途上においては701系の一部編成について6両編成化が実施されたが[2]、編成組み換えに伴って自編成の中間電動車を他編成へ供出し余剰となった制御車クハ1701形6両について[2][9]101系電車と同一の主要機器を用いて電動車化改造を施工の上で2両編成3本に再編し[9]新501系と別系列に区分した[9]。また、元来701系・801系の増結用車両として新製された吊り掛け駆動車411系電車についても冷房化改造のほかカルダン駆動化改造が施工されて401系電車(2代)と改称[12]、701系・801系ならびに増結用車両の401系(2代)・新501系の各系列、通称「701系列[2]」は主に新宿線系統における主力車両として、1997年平成8年)[13]まで運用された。

車体

構体は601系に準じた全金属製構造で、台車中心間隔(ボギーセンター間隔)は13,600mmと601系と同一であるが[14][15][16]、701系・801系においては台枠を枕梁中心より外方に前後各2.5mmずつ延長し、先頭車・中間車とも車体長19,505mmとされた[15][16]。一方で連結面間隔については前後各2.5mmずつ縮小したことから、全長は20,000mmで変化はない[15][16]

前面形状は非貫通構造の2枚窓構成で[17]501系電車(初代)より採用された「湘南型」デザインを踏襲しているが[17]、701系においては従来前照灯設置箇所であった前面幕板中央部に行先表示器を新設し[17]、行先表示器の左右には後部標識灯および通過標識灯を単一のケースに収めたものを設置[17]、前照灯は白熱灯 (100W) タイプのもの[8]を前面腰部に左右1灯ずつ設置し[17]、前照灯の周囲にはステンレス製の飾り板を配するなど[17]、大幅な設計変更が加えられた[17]。701系において確立されたこのデザインは801系にも受け継がれたほか[17]1976年(昭和51年)に新製された旧101系最終増備グループまで計232両にわたって踏襲された[17]。なお、前照灯については701系749編成より照度を高めたシールドビーム (150W) 仕様に改良されたほか[8]、落成当初より前面腰板部の鋼板を厚板化し前面強化が実施された[8]。また、701系の一部編成については落成当初行先表示幕に種別および行先を併記したタイプが採用されたが[18]、後年他編成と同様に行先のみを単独表示する幕への交換された[18]

側面形状は従来車同様に3扉構造ながら、451系電車以降601系まで採用された側窓2枚を1組としてユニット窓風の見付とした構造[17]を改め、各々の側窓が独立した構造に変更された[17]。窓部の設計変更に伴って各部寸法も変更され、側窓幅は800mmで変化はないものの[14][15][16]、扉間寸法は5,150mm(601系は4,970mm)、車端部寸法は2,652.5mm(同2,830mm)とされた[14][15][16]。客用扉は1,300mm幅の両開扉で[15][16]、551系において採用された、扉窓を金属枠固定支持方式としたアルミ合金製のハニカム構造の扉を701系・801系とも装備する[3]。窓配置は先頭車がd1(1)D(1)4(1)D(1)4(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)[19]、中間車が2(1)D(1)4(1)D(1)4(1)D(1)2である[19]。側面乗務員扉脇の手すりについては、701系クハ1701 - 1748 においては従来車同様に露出形状とし、車体全幅は2,930mmであったが[8]、クハ1749以降においては埋込形状に設計変更され、全幅も2,865mmに縮小された[8]。また、雨樋位置については701系が従来車と同様に側面幕板部に設置したのに対し[13]、801系においては自動洗車機導入に伴って清掃効率向上のため雨樋位置が上方に移設され[17]、張り上げ屋根風の見付に変化した[13][17]

車体塗装は701系・801系とも従来車と同様にディープラズベリーとトニーベージュの二色塗りのいわゆる「赤電」塗装を採用したが[13]、両系列においては前面にステンレス製の飾り板を設置した関係で、前面腰板部の塗り分け形状が従来車とは異なる[13]

車内照明は蛍光灯式で、直流電源の701系はDC20W仕様の蛍光灯を1両当たり22本(先頭車)もしくは24本(中間車)[1]、交流電源の801系はAC40W仕様の蛍光灯を1両当たり14本(先頭車)もしくは16本(中間車)それぞれ装備する[1]。車内送風機は扇風機を採用、先頭車に7台・中間車に8台それぞれ装備し[1]、扇風機の直上には中間電動車のパンタグラフ搭載位置を除いてグローブ形ベンチレーターを搭載する[15][16]

主要機器

前述のように、701系・801系とも601系の仕様を踏襲し[17]、両系列における主要機器の差異は、制御車の装着する台車など一部を除いて存在しない[17]。中間電動車は2両を1ユニットとし、奇数車に電動発電機 (MG) ・電動空気圧縮機 (CP) などの補助機器を[1]、偶数車に制御装置・抵抗器などの走行関連機器をそれぞれ分散して搭載する[1]

一方、新501系については101系列と同一の主要機器を搭載し[20]、701系・801系とは仕様が大きく異なるが、併結運転は可能であった[20]。その他、奇数車・偶数車の機器配置が701系・801系とは逆転し[20]、奇数車に制御装置・抵抗器などの走行関連機器を[1]、偶数車に電動発電機・電動空気圧縮機などの補助機器を搭載する[1]、101系列以降における標準仕様を踏襲した。

また、以下の主要機器については特筆なき限り日立製作所製の製品である。

制御装置

701系・801系は電動カム軸式抵抗制御・直並列組合せ制御MMC-HT-20Aを採用[21]、モハ701形・モハ801形の偶数車に搭載する[22]。同制御装置は電動車2両分・計8基の主電動機を、4基直列繋ぎの2群として直並列制御を行う1C8M制御仕様である[21]。制御段数は起動1段・直列10段・並列7段・弱め界磁5段[21]力行制御のみで、前述の通り発電制動機能は持たない[21]

新501系は同じく電動カム軸式制御装置ながら、101系列において採用されたMMC-HTB-20E制御装置より抑速制動機能をカットしたMMC-HTB-20E3を採用[21]、クモハ501形奇数車に搭載する[23]。制御段数は起動1段・直列12段・並列13段・弱め界磁5段の力行制御に加えて発電制動機能を備える[21]

主電動機

701系・801系は直流直巻電動機HS-836-Frb[22][注釈 4]を採用し、電動車1両当たり4基搭載する[22]。定格出力は120kW(端子電圧375V時)、駆動方式は撓み板継ぎ手式中空軸平行カルダン、歯車比は5.60 (84:15) である[22]

新501系は101系列と同一の直流直巻電動機HS-836-Nrb[23]、もしくは東洋電機製造製のTDK-8010A[23]を採用し、電動車1両当たり4基搭載する[23]。両者は製造メーカーこそ異なるものの性能特性は同一であり、定格出力は150kW(端子電圧375V時)、駆動方式は撓み板継ぎ手式中空軸平行カルダン、歯車比は5.73 (86:15) である[23]

台車

電動車が装着するFS342台車
(伊豆箱根鉄道譲渡車・2008年4月)

電動車の台車については、701系・801系とも601系同様に国鉄DT21台車と同等品である住友金属工業製ウィングばね式金属ばね台車FS342(固定軸間距離2,100mm)を装着する[24]

制御車の台車については、701系は前述の通り国鉄払い下げ品である省形釣り合い梁式台車改造のTR11Aを装着した[8][10]。701系への装着に際しては601系同様、単なる中古品流用ではなく、原形では板材組み合わせによって構成された軸箱守(ペデスタル)部を強度の高い一体鋳鋼製部品に置き換え、軸受部をコロ軸受(ローラーベアリング)化するなど改修を施工した上で転用された[19]

801系の制御車については、枕ばねを空気ばねとした住友金属工業FS067(固定軸間距離2,100mm)を新製し装着した[17][24]。同台車は101系において採用されたFS372・FS072台車に先行して新製された軸ばね式台車であるが[25]、将来的な旧型台車との交換による他形式への装着を考慮して[25]、枕ばねを車体直結(ダイレクトマウント)構造とせず、車体と枕ばねの間に枕梁(上揺れ枕)を設けたインダイレクトマウント式とした点が特徴であった[25][注釈 5]

新501系は101系列同様にダイレクトマウント式空気ばね台車のFS372(固定軸間距離2,200mm)を装着する[26]

制動装置

701系は、601系と同一のA動作弁による自動空気ブレーキに電磁給排弁を付加して制動応答性の向上と在来車との互換性の両立を図ったAMAE (ACAE) 電磁自動空気ブレーキを[19]、801系はさらに中継弁 (Relay valve) を追加して制動力の増圧を図ったAMA-RE (ACA-RE) 電磁自動空気ブレーキをそれぞれ採用した[19]。両系列は旧型車との併結運用を行う都合上発電制動を持たず、常用制動・非常制動とも空気制動のみとされたが[19]制輪子(ブレーキシュー)を従来の鋳鉄製から合成樹脂(レジン)製のものに改良し[17]、所要の制動能力を確保した[17]

新501系については101系列同様に応荷重装置付・発電制動併用電磁直通ブレーキ (HSC-D) を採用した[5]

集電装置

当時の西武における標準機種である、工進精工所製の菱形パンタグラフKP-62Aを採用し[1]、モハ701形・モハ801形偶数車の池袋本川越寄りに各1基[1][8]、クモハ501形奇数車に2基[1]、それぞれ搭載した。

補助機器類

電動発電機 (MG) は、701系が直流出力仕様の国鉄制式電動発電機MH77-DM43(定格出力3kW)を1両当たり2基[1]、801系が交流出力仕様のMG-534-Mrb(定格出力12kVA)を1両当たり1基[1]、モハ701形・モハ801形の奇数車に搭載する[1]。新501系については竣功当初より冷房装置を搭載したことから、大容量のHG-584lr(定格出力110kVA)を1両当たり1基、クモハ501形偶数車に搭載する[23]

電動空気圧縮機 (CP) は、701系・801系・新501系いずれもMH16B-AK3(通称「AK3」、定格吐出量990L/min)を採用[1][23]、モハ701形・モハ801形の奇数車に1両当たり2基[1][8]、クモハ501形偶数車に1両当たり1基それぞれ搭載する[23]

導入後の変遷

前述のように701系の制御車クハ1701形はTR11A台車を装着して落成したが[8][10]、同台車は701系への装着に際して改修が実施されたとはいえ、枕ばねを重ね板ばねとした釣り合い梁式台車という旧弊な設計は原形のままであり[26]、電動車モハ701形と比較して乗り心地が劣ったことから[26]、1969年(昭和44年)以降[27]、当時最新のダイレクトマウント式空気ばね台車であるFS072への交換が順次実施された[26]。また翌1970年(昭和45年)以降、落成当初前面強化対策が未施工であったクハ1701 - 1748に対して、前面腰板部の厚板化による補強工事が施工された[8]。さらに一部編成については、電動発電機 (MG) を801系と同一のMG-534-Mrbに換装し[1]、低圧電源の交流化が実施されたが[19]、こちらは全編成には普及せず、後述冷房化改造まで低圧電源が直流仕様のままであった編成も存在した[1]

その他、747編成は101系新製に先立つ1968年(昭和43年)9月[19]から翌1969年(昭和44年)2月[19]までの期間、同系列に採用された車体塗色の試験塗装が実施され、レモンイエローとウォームグレーの2色塗装に変更された[19]。同編成においては101系とは異なり客用扉部分も車体と同色に塗り分けられたため、若干印象が異なる外観を呈した[8][19]

801系については冷房化改造以前における主だった改造は実施されず[4]、ほぼ原形を保ったまま運用されたが[4]1973年(昭和48年)以降[16]、軽量構造が災いして走行中の振動が著しかったアルミハニカム構造の客用扉について、101系同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に順次交換された[16]

冷房化改造

1969年(昭和44年)より新製が開始された西武初の本格的高性能車である101系は池袋線系統へ集中的に投入され[28]1972年(昭和47年)には試作冷房車編成も登場した[28]。一方で新宿線系統については非冷房・吊り掛け駆動の従来車が多くを占め、池袋線系統と比較して質的に見劣りするようになったことから[29]、701系・801系の両系列について冷房化改造ならびに制動装置の電磁直通ブレーキ (HSC) 化・応荷重装置新設を施工し、車両性能ならびにサービス品質の向上を図ることとなり[29]1975年(昭和50年)10月に竣功した701系731編成[11]を皮切りに順次改造が施工された。

搭載された冷房装置は101系量産冷房車グループにおいて採用された集中式三菱電機CU-72Bで[29]、車内天井部に風洞を新設し、補助送風機は従来の扇風機に代わってラインデリアが新設された[29]。また冷房装置搭載に伴って電力使用量が増加することから、モハ701形・モハ801の偶数車に搭載するパンタグラフを従来の1基から2基に増設し[15]、電動発電機も大容量のMG-117A-S(定格出力150kVA)1基に換装され[1][15]、床下儀装スペースの都合から従来モハ701形・モハ801形の奇数車に搭載された電動空気圧縮機はクハ1701形・クハ1801形の偶数車へ移設された[1][15]。その他、運転台パネルが101系類似の形状に変更されたほか[29]、客用扉を101系ならびに801系と同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に交換し[29]、前照灯が白熱灯仕様で落成した車両についてはシールドビーム化が施工され[8]、また制動装置の電磁直通ブレーキ化に伴って電磁自動空気ブレーキ仕様の従来車および未改造編成との併結が不可能となったことから[15][29]、先頭部の電気連結器カバーを黄色に塗装し、従来車と区分した[15]

1976年(昭和51年)4月[11]に竣功した701編成は、冷房化改造に際して601系の中間電動車モハ601形モハ601・602を編入し[2][11]、6両固定編成として出場した。これは冷房化・電磁直通ブレーキ化後の701系が、制動方式の異なる従来車はもとより101系とも制御回路の相違から併結運転が不可能であったことから[30]、当時の基本編成であった6両編成を701系単独で組成するために実施されたものである[30]。編入されたモハ601・602はモハ701形モハ701-1・701-2とハイフンで区切った新たな車番が付与され[2][11]、編成内の池袋・本川越寄りに組み込まれた[2]。同2両については元来701系に属する車両と同一内容の改造が施工されたが[31]、側面窓配置は原形のままであったことから、側窓2枚を1組としてユニット窓風の見付とした外観が特徴であった[31]。また、6両編成化に伴って補助機器の構成が一部変更となり、奇数電動車に搭載する電動発電機がMG-114A-S(定格出力120kVA)1基に変更されたほか[22]、電動空気圧縮機をクハ1701形奇数車にも1両当たり2基搭載した[22]。701編成に次いで703・705編成についても601系の中間電動車モハ601形モハ603 - 606を編入して6両編成化が実施された[2][11]。また、1976年(昭和51年)8月[11]に竣功した703編成より[30]、車体塗装がレモンイエロー1色塗りに改められ[30]、ディープラズベリーとトニーベージュの2色塗り(「赤電」塗装)のまま竣功した編成についても順次塗装変更が実施された[30]

6両編成化 編成替え一覧(その1)
 
701編成 1701 701 702 701-1
(601)
701-2
(602)
1702
703編成 1703 703 704 701-3
(603)
701-4
(604)
1703
705編成 1705 705 706 701-5
(605)
701-6
(606)
1706

  • 601系601 - 605編成を編成解除、モハ601 - 606を転用[2][32]
  • クハ1601 - 1606は他形式の制御車へ転用、クハ1651形1657 - 1662と改称・改番[32]

1978年(昭和53年)1月[11]より801系の冷房化改造も開始され、801・803編成が同年3月までに竣功した[11]。改造内容は701系の4両編成に施工されたものに準じているが、電動空気圧縮機がAK3からHB-2000CB(定格吐出量2,130L/min)に換装されたほか[4]、既に交換が実施されていた客用扉についてはそのままとされた[3]。電動空気圧縮機のHB-2000CBへの換装については、同時期に落成した701系にも踏襲された[22][30]

1980年(昭和55年)4月[11]に竣功した757編成より、車内座席袖仕切りが2000系電車と同形状の荷棚一体形状タイプに改良され[8]、客用扉の窓固定支持方式がHゴム式から新101系同様の金属枠式に改められた[8]。また、703編成以来中断されていた6両編成化も1981年(昭和56年)3月[11]竣功の707編成が601系607編成の中間電動車モハ607・608を編入して6両編成化されたことを皮切りに[2]、同年6月[11]までに709 - 713編成が601系609 - 613編成の中間電動車モハ609 - 614を1ユニット2両ずつ編入し6両編成として順次竣功した[2][11][注釈 6]。さらに701系の末尾3編成(791 - 795編成)についても編成を解除し[5]、同編成から捻出した中間電動車モハ791 - 796を785 - 789編成に1ユニット2両ずつ組み込み[4]、6両編成を3編成増備した[4][5]。この結果余剰となったクハ1791 - 1796については、落成から経年が浅く車体の状態も良好であったことから[5]、冷房化改造および101系列と同等の主要機器を搭載の上で701系・801系の増結用車両として転用されることとなり[5]、新501系クモハ501 - 506と改称・改番された[5]

6両編成化 編成替え一覧(その2)
 
← 飯能・西武新宿
707編成 1707 707 708 701-7
(607)
701-8
(608)
1708
709編成 1709 709 710 701-9
(609)
701-10
(610)
1710
711編成 1711 711 712 701-11
(611)
701-12
(612)
1712
713編成 1713 713 714 701-13
(613)
701-14
(614)
1714
785編成 1785 785 786 701-85
(791)
701-86
(792)
1786
787編成 1787 787 788 701-87
(793)
701-88
(794)
1788
789編成 1789 789 790 701-89
(795)
701-90
(796)
1790
 
← 飯能・西武新宿
501編成 501
(1791)
502
(1792)
503編成 503
(1793)
504
(1794)
505編成 505
(1795)
506
(1796)

  • 601系607 - 613編成・701系791 - 795編成を編成解除、モハ607 - 614・モハ791 - 796を転用[5]
  • 701系クハ1791 - 1796は新501系クモハ501 - 506へ改造[5]
  • 601系クハ1607 - 1614は全車廃車[32]

1982年(昭和57年)4月[11]に竣功した723編成より、電動発電機が電力入力側・出力側ともに従来の直流電動機に代わり三相同期電動機を用いて整流子(ブラシ)を廃したブラシレスMG (BLMG) であるHG-77445-01R(定格出力140kVA)に改良され[22]、同年12月[11]に竣功した747編成をもって701系全編成の冷房化・電磁直通ブレーキ化改造が完了した。

801系の冷房化・電磁直通ブレーキ化改造は1978年(昭和53年)3月[11]に竣功した803編成以来中断されていたが、701系の改造が完了したことを受けて1983年(昭和58年)1月[11]より改造が再開された。電動発電機のブラシレスMG (BLMG) 化・車内座席袖仕切り形状の変更などといった改良点は701系の最終年度改造車の仕様に準じているが[3]、客用扉の交換は801・803編成と同様に実施されていない[3]。同年3月[11]に竣功した809編成を最後に801系全編成の改造が完了し、701系・801系とも冷房装置搭載・電磁直通ブレーキ仕様で統一された。

冷房化改造後の動向

701系・801系とも当初は池袋線・新宿線両系統に配属されたが[33]、1980年代以降順次新宿線系統へ集約され[33]、同系統における主力車両として運用された[30]。1981年(昭和56年)以降[34]、新101系の一部が制御回路を改造し、701系・801系グループとの併結対応工事を施工の上で新宿線へ配属されたことに伴い[34]、101系列との併結運用が開始されたほか、旧型車の淘汰進捗に伴って701系のうち745・747・757・761・781編成(4両編成5本)[8]に対して、多摩川線対応編成として制動装置に甲種輸送対策改造を施工し[8][注釈 7]、多摩川線に残存した旧型車の代替に充当された[8][33][注釈 8]

1980年代後半に至り、701系の初期落成車については新製から25年を経過し各部の老朽化が進行したことに加え[35]、701系・801系とも走行性能上ダイヤ改正に伴う運転速度向上への対応が困難になりつつあったことから[35]新2000系電車導入に伴う代替が計画され[36]、701系725編成が1988年(昭和63年)3月31日付[37]廃車となったことを皮切りに淘汰が開始された。また新501系については、701系・801系グループと性能特性が大きく異なることから併結運用に際しては加減速時の前後衝動が生じるなど乗り心地面で問題を抱えており[20]、さらに101系列と同一の主要機器について転用計画が策定されたこと[20][38][注釈 9]に伴って1989年平成元年)1月13日付[37]で3編成とも一斉に除籍され、落成から10年に満たない短期間で形式消滅した[20]

その後は701系・801系とも新2000系導入と代替に順次廃車が進行し、1997年(平成9年)2月22日[39]に開催されたさよならイベントに701系781編成が充当されたことを最後に運用を離脱[39]、同月24日付[40]で最後まで残存した701系781編成および801系809編成が除籍された[40]。また同日付で401系(2代)411・417編成も除籍となり[40]、いわゆる「701系列[2]」は全廃となった。

譲渡車両

西武における除籍後の701系・801系は、経年の浅いFS072台車・電動発電機・HB-2000CB電動空気圧縮機など一部の部品を新2000系の新製に際して供出したことから[41][42]、地方私鉄に譲渡されることなく解体処分された編成が比較的多数を占める[43]。その中においても、一部の車両が上信電鉄(4両)、総武流山電鉄(現・流鉄、10両)、伊豆箱根鉄道(9両)、三岐鉄道(12両)の各社へ譲渡された[43]。譲渡に際しては原形の4両編成もしくは6両編成のままではなく、いずれも制御車の前頭部を中間電動車の妻面に接合する形で2両編成もしくは3両編成に短縮され[44][注釈 10]、制御車の台車については前述の通りFS072台車が西武側において再利用されたことから[43]、大半の車両が解体処分された他編成の中間電動車より発生したFS342台車に換装された上で譲渡された[43]。また801系独自の台車であるFS067台車については、同台車を装着するクハ1801形のうち唯一譲渡対象となったクハ1810(総武流山電鉄クハ22)が譲渡に際してFS072に換装されたため[45]、全数とも廃棄されて現存しない[45]

その他、一部の解体発生品については前述の通り新2000系の新製に際して転用されたほか[41][42]、伊豆箱根鉄道[46]北陸鉄道[47]西日本鉄道[48][注釈 11]などへ売却された。

上信電鉄

1994年(平成6年)7月[49]に801系801編成が、1996年(平成8年)12月[49]には701系755編成がそれぞれ譲渡された。いずれも譲渡に際しては西武所沢車両工場において中間電動車(モハ801・802およびモハ755・756)の妻面に制御車(クハ1801・1802およびクハ1755・1756)の前頭部を接合する形で2両編成化が施工された[50]。上信電鉄における車番は西武在籍当時とは奇数・偶数の関係が反転し[50]、前者は同社150形クモハ154・153として、後者は150形クモハ156・155として導入された[49]

なお、上信電鉄150形の第1編成(クモハ151・152)は元西武401系(2代)407編成を譲り受けた車両であり[49]、同形式はいずれも西武より譲り受けた車両を種車とする[50]

総武流山電鉄(現・流鉄)

1994年(平成6年)8月[49]に801系803編成が、西武所沢車両工場において中間電動車モハ803・804の妻面に制御車クハ1803・1804の前頭部を接合する形で2両編成化を施工した上で譲渡され[51]、同社2000系クモハ2001・2002として導入された[51]。同編成は紺色をベースに流山 (Nagareyama) の頭文字「N」を象った白色帯を配した塗装に変更され[51]、「青空」の編成愛称が付与されるとともに前面腰板部へ愛称表示板が新設された[51]

1995年(平成7年)12月[49]には701系745編成が、中間電動車モハ745の妻面に制御車クハ1745の前頭部を接合する形でこちらは3両編成化を施工した上で譲渡され[51]、2000系クモハ2003-モハ2101-クハ21として導入された[51]。同編成の車体塗装はクモハ2001・2002を基本にベース色を茶色に改め、「明星」の編成愛称が付与された[51]。制御車クハ21(元クハ1746)の台車は西武在籍当時同様にFS072を装着する[51]

さらに1997年(平成9年)3月[49]には701系757編成が、同年11月[49]には801系809編成がそれぞれ譲渡された。757編成については前述クモハ2001・2002(元801系803編成)同様の改造により2両編成化の上でクモハ2005・2006となり[51]、黄色地に黄緑色の帯を配した塗装に変更され「なのはな」の編成愛称が付与された[51]。809編成については前述クモハ2003-モハ2101-クハ21(元701系745編成)同様の改造により3両編成化の上でクモハ2004-モハ2102-クハ22となり[51]、水色地に白色帯を配した塗装に変更され「流馬」の編成愛称が付与された[51]。またクハ22(元クハ1810)については前述の通り譲渡に際して台車をFS072に換装した[45]

計4編成10両が導入された同社2000系であるが、同じく西武から譲渡された5000系電車(元西武新101系)の導入に伴って2001編成「青空」・2003編成「明星」・2004編成「流馬」の3編成が既に廃車となり[52][53][54]、2005編成「なのはな」のみが残存する。

伊豆箱根鉄道

1989年(平成元年)8月[49]から翌1990年(平成2年)5月[49]にかけて、701系735・777・783編成の計3編成12両が譲渡された[46]。伊豆箱根鉄道へ譲渡された同3編成については他社への譲渡車両とは異なり原形の4両編成のまま譲渡され[46]、同社大場工場において奇数電動車(モハ735・777・783)の主要機器を奇数制御車(クハ1735・1777・1783)へ移設する形で3両編成化を施工の上[46]、同社1100系として導入された[46]。なお、制御車の台車については大場工場到着後に他編成の解体発生品であるFS342台車を付随台車へ改造したFS342T台車へ換装され、FS072台車は西武側へ返還された[43]

2009年(平成21年)1月以降[55]、同じく西武から譲渡された新101系を種車とする1300系の導入に伴って順次廃車が進行し、最後まで残存した第1編成(1009編成・元西武783編成)についても2012年(平成24年)6月13日をもって運用から離脱した[56]

三岐鉄道

1989年(平成元年)・1992年(平成4年)・1995年(平成7年)・1997年(平成9年)の4次にわたって[49]、701系701系779・771・789・781編成の計4編成が譲渡された[49]。西武在籍当時4両編成であった771・779・781編成についてはいずれも中間電動車(モハ771・779・781)の妻面に制御車(クハ1771・1779・1781)の前頭部を接合する形で[57]、6両編成であった789編成については本川越寄りの3両(モハ701-89・モハ701-90・クハ1790)を譲渡することとし、モハ701-89の妻面にクハ1789の前頭部を接合する形で[57]、それぞれ3両編成化が施工された[57]

初期に竣功した779・771編成については導入に際して制御車の台車をFS342へ換装したが[57]、789編成については逆に電動車を含めた全車の台車をFS372・FS072で統一し[57]、前者は801系(クモハ801形・モハ801形・クハ1801形)に、後者は851系(クモハ851形・モハ881形・クハ1851形)にそれぞれ区分された[57]。さらに最後に導入された781編成については西武在籍当時のまま台車の換装を実施せず導入されたことから[57]、FS072台車を装着する制御車は851系クハ1851形、FS342台車を装着する電動車は801系クモハ801形・モハ801形と、同一編成でありながら別形式に区分された[57]

近江鉄道

701系739編成およびクハ1741・1742の6両と、801系モハ807・808の2両、計8両が譲渡された[58]。これらは鉄道車両として譲渡されたのではなく部品取り目的で売却されたものであり[43]、701系6両については近江鉄道へ到着後車体を解体し[58]、側面外板・客用扉などの構体部品が同社220形電車の新製に際して活用された[58]。またクハ1739 - 1742が装着したFS072台車は車体解体後に西武側へ返還された[43]。801系2両については同じく西武より譲渡された401系(2代)を種車とする700系「あかね号」および800系・820系電車の補修部品確保に用いられた[43]

上信電鉄150形155編成
馬庭・2007年10月)
流鉄2000系「明星」
鰭ヶ崎 - 平和台間・2007年6月)
伊豆箱根鉄道1100系
三島・2006年7月)
三岐鉄道801系
近鉄富田・2006年1月)


脚注

注釈

  1. ^ クハ1701形1701 - 1748は2,930mm、モハ801形は2,813mm、クハ1801形は2,854.5mm。
  2. ^ モハ701形・モハ801形の偶数車(パンタグラフ搭載車)およびクモハ501形(偶数車)は4,230mm、クモハ501形(奇数車・パンタグラフ搭載車)は4,252mm。
  3. ^ 「501系」の系列名を称する車両群としては2代目、「クモハ501形」の形式称号を称する車両としては3代目にそれぞれ相当する。同系列は「新501系」のほか、一部資料においては「501系(2代)」もしくは「501系(3代)」とも呼称される。
  4. ^ 401系(2代)がカルダン駆動化に際して採用したHS-836-Krb主電動機はHS-836-Frbと同一特性を有し、同系列のカルダン駆動化以降、両者は何ら区別されることなく混用された。
  5. ^ 実際にはFS067台車による旧型台車の代替は行われず、また対応する電動車用台車 (FS367) が製造されることもなく、同台車はクハ1801形10両分のみで製造が打ち切られた。なお、吊り掛け駆動車の老朽台車代替ならびに乗り心地改善を目的として製造されたFS40台車は、FS067台車の基本設計をそのままに、吊り掛け式主電動機搭載に対応するため固定軸間距離を2,450mmに延長したインダイレクトマウント式空気ばね台車である。
  6. ^ この結果601系モハ601形は全車とも701系に編入され、制御車クハ1601形についても他形式への改称もしくは廃車が実施されたことに伴い、601系は形式消滅した。
  7. ^ 東日本旅客鉄道(JR東日本)中央線武蔵境駅より分岐して是政駅に至る多摩川線は、西武鉄道の他路線と接続しておらず、車両検査時等における所属編成の入換はJR東日本の路線を経由する甲種輸送(中央線・武蔵野線経由・武蔵境 - 新秋津間)によって実施される。
  8. ^ このうち781編成のみは比較的早期より多摩川線対応工事を施工、同路線における唯一の冷房車編成として夏季の旅客サービス向上に用いられた。
  9. ^ 同系列の主要機器は1990年(平成2年)度の事業計画において公表された新型特急用車両に転用される予定であったが、諸事情から同計画は白紙となり、最終的に1993年(平成5年)10月から同年11月にかけて落成した10000系電車「ニューレッドアロー」10101・10102編成のうち、モハ10201・10301・10501・10601およびモハ10202・10302の6両に転用された。
  10. ^ 後述の通り、伊豆箱根鉄道に譲渡された701系735・777・783編成のみは例外的に4両編成のまま伊豆箱根鉄道側に引き渡され、同社大場工場において奇数電動車(モハ735・777・783)の主要機器を奇数制御車(クハ1735・1777・1783)へ移設する形で短編成化改造を施工した。
  11. ^ 同社600形電車天神大牟田線から宮地岳線(現・貝塚線)への転属、および西鉄300形313形電車の主要機器換装(カルダン駆動化)に際して、701系・801系の解体発生品である台車・主制御器など一部の部品が活用された。これは天神大牟田線の軌間が1,435mm(標準軌)規格であるのに対し、宮地岳線の軌間は1,067mm(狭軌)規格であり、転属に際して狭軌用の台車および主電動機との交換を必要としたことによるものである。

出典

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参考文献

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    • 楠居利彦 「“赤電”が主力だった頃の西武電車」 2011年2月(通巻322)号 pp.36 - 41
  • Rail Magazine』 ネコ・パブリッシング
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関連項目

  • 上信電鉄200形電車 - 同形式の2次車は西武所沢車両工場において新製され、側面窓配置が801系と同一形状に設計変更された。