東武1800系電車

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東武1800系電車
1800系使用の急行「りょうもう」(1988年 / 西新井駅付近)
1800系使用の急行「りょうもう」
(1988年 / 西新井駅付近)
基本情報
運用者 東武鉄道
製造所 日本車輌製造
ナニワ工機・アルナ工機
製造年 1969年 - 1987年
製造数 54両
運用開始 1969年9月20日
運用終了 2018年5月20日
廃車 2018年6月18日
主要諸元
編成 4両・6両(ともに現存せず)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式)
最高運転速度 105 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 2.2 km/h/s
減速度(常用) 3.7 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 4両:272、6両:408
車両定員 Tc1・2=64、M2・3=72、M1・T1=68
自重 Tc1・2=32 t、M1・M2=40 t、T1=30 t、M3=39 t
編成重量 213 t
全長 20,200 mm(Tc1・2)
20,000 mm(他)
全幅 2,878 mm
全高 4,200 mm
車体 普通鋼
主電動機 直流直巻電動機
主電動機出力 130 kW
制御方式 電動カム軸超多段式直並列バーニヤ抵抗制御
制動装置 電磁直通空気制動(HSCブレーキ)
保安装置 東武形ATS
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東武1800系電車(とうぶ1800けいでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍していた急行形車両急行りょうもう」用の車両として、1969年昭和44年)から1987年(昭和62年)にかけて54両が製造された。

概要[編集]

かつての特急形車両であったモハ5310形・クハ350形5700系を使用した伊勢崎線急行列車が運行されていたものの、前者には東武日光線の快速・準快速にも用いられており、同系列の陳腐化も進んでいたことから、その置き換えを目的に、伊勢崎線系統急行専用車両として1969年(昭和44年)9月20日に4両編成6本が登場した。車両番号は浅草方からクハ1810・モハ1820・モハ1830・クハ1840とされ、下一桁には編成番号を示す数字が使用された。例えば第1編成の浅草方先頭車両はクハ1811となる。この浅草方先頭車両番号を用いて編成全体を『1811編成』ないし『1811F』(「F」は「編成」を意味する英語Formationの頭文字)と表記することがあり、以下この項にて、編成を示す際には『1811F』のように表記することとする。

登場時の編成
 
←浅草
形式 クハ1810 モハ1820 モハ1830 クハ1840
副形式 Tc1 M2 M1 Tc2

1973年7月には増発用に同じ仕様で2本が製造された。また、乗客の増加に合わせて1979年(昭和54年)に中間車サハ1850(付随車)-モハ1860(電動車)の2両を増備して3M3Tの6両編成となった。

6両化後の編成
 
←浅草
太田・赤城→
形式 クハ1810 モハ1820 モハ1830 サハ1850 モハ1860 クハ1840
副形式 Tc1 M2 M1 T1 M3 Tc2

1987年(昭和62年)12月17日にはマイナーチェンジ車1編成 (1819F) が増備された。この編成では形式名を浅草方から順番に1810 - 1860とした。前後して既存の編成も同様に改められた。

1819F新造時および1811F - 1818F改番後の編成
 
←浅草
太田・赤城→
形式 クハ1810 モハ1820 モハ1830 サハ1840 モハ1850 クハ1860
副形式 Tc1 M2 M1 T1 M3 Tc2

1991年平成3年)2月1日からは1720系の車体を更新した後継車両200系が登場し、伊勢崎線急行からは1998年(平成10年)3月31日までに順次運用を離脱した。なお、最後まで急行で運用されたのは1819Fだった。

車体・機器[編集]

車体塗装はローズレッドを基調に前面は腰部に白帯、側面は腰部と上部に白帯となっており日光線系統(1700系・1720系)が渋い落ち着いた配色なのに対して当時の東武車両としてはかなり派手である。なお登場時の白帯はオパールホワイトになっており、これは白というよりも黄色みの相当強い色であった。その後一般車がセイジクリーム1色から現行の白(ジャスミンホワイト)に青系2色の帯の車体に塗り替えられる時期と同じくして経費節減も兼ねジャスミンホワイトに変更された。

観光列車である1720系と異なりビジネス用途での仕様とされたため、1720系に比較すると特別な設備はないが、日本の鉄道車両として初めて車内に清涼飲料水自動販売機が設置された。先頭車には自動販売機のほかトイレが設置され、これは当初から汚物処理装置付きの循環式とされた。なお、洗面所は設置されていない。客室の座席は回転式クロスシート(リクライニング機能なし)を採用、960mmのピッチを確保した。「りょうもう」は日光線特急と比較して停車駅が多く、乗降を速やかにするため客用ドア幅は900 mmの広幅となった。ドアはモハ1830形のみ2箇所、他の車両には1箇所設置された。冷房装置は1720系と同じ「キノコ」型室外機カバーが特徴の分散式RPU11T2-33である。車体断面は裾絞りのない直線基調である。

性能面では、在来の5700系で1時間35分を要した浅草-太田間を、1時間20分で走破できるスペックが求められたが、走行機器は同時期に製造された8000系とほぼ共通しており、主電動機は同一、主制御器と台車は8000系を基本としながら、弱め界磁率などを急行用にチューンアップした仕様(最終弱め界磁率20%[1]。8000系は30%[2])となっている[注釈 1][注釈 2]。このため8000系同様に発電ブレーキは省略されている。集電装置は屋根上のスペースの都合上、下枠交差式パンタグラフを採用した。

1979年に製造された中間車2両は、同時期の8000系と同様に、従来のミンデンドイツ式からS形ミンデン式の台車に変更されているほか、モハはパンタグラフの数が2基から1基となり、サハにはトイレと簡易運転台が設置された。

最後に製造された1819Fでは前照灯6050系で採用された角形ライトユニットを装備し、運転台窓上の補助灯と尾灯LED化された。エア・コンディショナーは通勤車と共通の集約分散式3基搭載に変更し、各車の側面には行先表示器を、先頭車の正面には電動式の愛称表示器をそれぞれ設置した。また、運転台の機器配置はデスクタイプに変更された。

急行「りょうもう」運用離脱後[編集]

「りょうもう」運用離脱後の各編成は以下の通りに扱われた。各編成の詳細および変遷は後述する記事を参照。

  • 1811F:通勤車格下げ改造、後に廃車
  • 1812F:通勤車格下げ改造、後に廃車
  • 1813F:登場時の4両は350系353Fへ、増備車の中間2両は350系352Fへ改造
  • 1814F:廃車
  • 1815F:通勤車格下げ改造され1813Fに改番、後に廃車
  • 1816F:登場時の4両は350系351Fへ、増備車の中間2両は350系352Fへ改造
  • 1817F:300系302Fへ改造、後に廃車
  • 1818F:300系301Fへ改造、後に廃車
  • 1819F:団体専用および臨時用に原型のまま存続していたが、2018年5月20日のラストランを持って引退、後に廃車[注釈 3]

1814Fは1994年(平成6年)に休車となり、北館林荷扱所にカバーで覆われて留置されていたが、2000年(平成12年)8月廃車・解体された。なお、300系・350系への改造車の改造後の処遇は東武300系電車にて詳述し、本節ではその他の車両について詳述する。

また、当初は、200系の種車である1720系が不足しているため、1800系列の足回りを流用した200系列「250系」を製造することが考えられていたが、将来的なスピードアップを勘案した結果、250系は足回りを含めて新造されることになった。その後は、優等列車用車両のみならずクロスシート車両の配属がこの当時にはなかった東上線系統への転属や、他社への譲渡なども考えられていたが、いずれも諸般の事情により実現しなかった[注釈 4]

原型のまま存続していた1819F[編集]

1987年に製造された1819Fは、大きな改造もなくオリジナル塗装のままで通常200系と250系で運転されている伊勢崎線特急「りょうもう」の予備や団体臨時列車を中心に使用された[注釈 5]。また「りょうもう」時代と違い臨時快速などで日光線鬼怒川線にも入線した。この間に車両基地も最初は急行時代と同じ館林研修区(現:南栗橋車両管区(以下「本区」)館林出張所)、次に本区春日部支所、晩年は本区と3基地に所属した。

2006年(平成18年)7月29日には特急・急行料金を徴収しない「隅田川花火号」として上り列車のみ東武動物公園駅 - 浅草駅間で運転された。

また2007年(平成19年)4月19日にはそれまで入線しなかった日光線と鬼怒川線での試運転が行われ、東武日光駅鬼怒川公園駅まで入線した。ただし鬼怒川線は大谷向駅大桑駅小佐越駅ホーム有効長が4両対応だったためその後の入線は皆無に近く、営業運転での入線はそれから約6年後の2013年(平成25年)6月8日の東武健康ハイキング開催による臨時列車のみであった。

2007年4月28日から4月30日までと同年5月3日から5月6日まで、臨時快速として下りは南栗橋駅 - 東武日光駅間、上りは東武日光駅 - 北千住駅間で運転され、南栗橋以北の日光線では初の営業運転となった。この臨時快速は同年10月6日から11月11日までの土曜・休日にも運転された。以降2016年(平成28年)までは臨時快速として、快速が廃止された2017年(平成29年)は臨時列車としてゴールデンウイーク紅葉シーズンに運転された。運転区間は年や時期によってまちまちであったが、概ね下りは春日部駅 - 東武日光駅間、上りは東武日光駅 - 浅草駅間となっていた。

行先幕に「北千住」「東武日光」の設定がないため2007年4月の運転では前面と側面表示は無表示であったが、2007年10月以降から「臨時」の表示を掲げるようになった。表示は前面・側面とも白地に青文字の「臨時」。ちなみに、急行時代の「赤城」「浅草」などの行先表示も同じだった。また、「回送」は東武本線の車両が使用している赤地に白文字ではなく反転させた白地に赤文字であった。2012年(平成24年)にCIロゴが貼り付けられたが赤車体に青だと目立ちにくいことから当形式では白で貼り付けられ、同時に号車表示が側面と車内に施された。

東武ファンフェスタ」開催日には会場である南栗橋車両管区あるいは最寄駅の南栗橋駅着の臨時列車として運行されたことがあり、2005年(平成17年)10月2日は事前申し込みによる座席指定で館林駅から、2006年11月19日は普通乗車券で乗車可能な列車として北千住駅からの運転が行われた。2008年11月30日は事前申し込みによるミステリートレインとして往路は北千住駅から伊勢崎線経由で伊勢崎駅まで運転され、復路は伊勢崎駅から小泉線経由で運転された。その時のヘッドマークはかつて使用されていた「急行りょうもう」が掲出された。また、2011年(平成23年)12月4日には野田線野田市駅 - 柏駅間の開業100周年[注釈 6]のイベントの一環として、団体列車として野田線に初入線し、柏駅 → 大宮駅 → 春日部駅 → 南栗橋駅経由で片道運行した[3]

前述の臨時快速やファンフェスタ以外でも臨時列車として運転された。2010年(平成22年)9月25日には伊勢崎線全通100周年を記念した事前申し込みによる臨時列車「伊勢崎線全通100周年記念ミステリートレイン」が北千住駅 → 伊勢崎駅 → 東武動物公園駅 → 東武日光駅 → 北千住駅間で運転され、ヘッドマークは「伊勢崎線全通100周年」「急行りょうもう」「ビジネスライナー急行りょうもう」と3種類掲出された[4]2018年(平成30年)4月20日には普通乗車券のみで乗車可能な臨時列車「春の花めぐり号」が運河駅(東武アーバンパークライン) → 佐野駅佐野線)間で運転され、アーバンパークラインへの入線は前述の開業100周年イベント以来約6年半ぶりとなった。停車駅は運河駅 - 春日部駅間の各駅 → 久喜駅茂林寺前駅 → 館林駅 → 佐野駅であった[5]

前述の通り団体専用や臨時として幾多の活躍をしてきたが、2018年5月20日の団体専用列車「ありがとう1800系ラストランツアー」をもって引退した[6]。その時の運行経路は東武動物公園駅 → 赤城駅太田駅 → 伊勢崎駅 → 浅草駅間で、ヘッドマークは「ビジネスライナー急行りょうもう」をモチーフとした記念ヘッドマーク「団体専用 ありがとう1800系 SINCE1969」が掲出された[7]。そしてラストランから約1ヶ月後の6月18日、本区から北館林荷扱所へ廃車回送され急行列車から臨時・団体専用列車と変えながら東武沿線を疾走した31年間の活躍にピリオドを打った[8]。これにより1800系は形式消滅し、同日以降同系の系譜を持つ車両は後述の350系のみとなった(詳細は当該記事を参照)。

300系・350系への改造[編集]

1813F・1816F - 1818Fの4本は300系・350系に改造され、1819Fと同一の角形ライトユニットや電動式愛称表示器、発電ブレーキ、抑速ブレーキを装備し、塗装も白地にオレンジの帯に変更され、日光線・宇都宮線系統の特急(←急行)で使用されている。

通勤車への格下げ改造[編集]

1990年代当時、館林地区のローカル区間には吊り掛け車の5000系列が使用されていた。これらの老朽化に伴う淘汰のため、本線系統30000系を投入し、8000系をローカル区間に割り当てる方策が採られていたが、2001年からは長期に渡って館林駅構内に休車扱いで留置されていた1800系1811F・1812F・1815Fも活用することとなり、一般通勤車両へ格下げ改造が施された。

格下げ改造は1979年製の中間車2両を廃車とし、登場時の4両編成に戻した上でデッキ仕切壁の撤去・座席の固定・つり革の設置などを行うとともに、他の普通鋼製通勤形電車と同一の白地に青の濃淡の帯の塗装とした。また、愛称表示プレートを撤去してその跡にLED式の行先表示器を設置、前頭部の通過標識灯も撤去された。施工は杉戸工場で、アルナ工機(現・アルナ車両)の出張改造で行われた。この改造に際してロングシート化は行われず、妻板が一部残っているなど急行運用時代を伺わせる部分も多数残っていた。客用扉増設も行っていないため、通勤車両としては珍しく乗降口は1両につき片側1か所(一部車両は片側2か所)であった。この改造に伴い1815Fの組成各車の車両番号の末尾桁は「5」から「3」に改番されたため、編成表記は「1813F」となった。

格下げ改造車である1811F - 1813F(旧1815F)は2001年4月23日から営業運転を開始し佐野線や小泉線で運用されていたが、1編成に幅0.9mの片開き乗降扉が5箇所あるのみだったため(5050系は1編成に幅1.3mの両開き扉が16箇所ある)、乗り降りに時間がかかって遅延しやすくなった。2006年3月18日ダイヤ改正から佐野線でワンマン運転を開始したことから、小泉線の非ワンマン区間(館林 - 西小泉間)へ転用され、同区間で運用されていた5050系を淘汰している。その後、同区間のワンマン運転を同年9月28日から開始する関係で、同年7月4日に8000系2両編成3本により置き換えられたため、全車が運用から離脱した。同年7月1日に1812Fが、同年7月3日には1811Fと1813Fがそれぞれ運用を離脱し、館林駅構内に留置されていたが、2007年1月18日に1812Fが、同月19日には1811Fと1813Fがそれぞれ北館林荷扱所に廃車回送され、同年3月下旬 - 5月上旬にかけて解体された。

運用離脱前年に開催された2005年のファンフェスタでは200系・1819F・300系・350系と共に並べられ、「りょうもうの歴史」と題した車両撮影会が開催された。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ このため、1800系で唯一の現存となった1819Fであっても走行機器としては特異ではなく、整備上の問題は起こりにくい。
  2. ^ 東武8000系は通勤型電車ではあるが、比較的高速運転に適応した機器仕様を備えており、空気ばね台車装備と併せて、平坦線優等車への共通機器採用は障害が少なかった。また1800系の優等運用は定員乗車制のため、重通勤輸送も考慮すべき8000系に比較すると負荷面で余裕が生じる。
  3. ^ 『東武博物館だより』2018年5月号 P.2の表①より。
  4. ^ 東上線系統へのクロスシート車両の配置は21世紀突入後に50090型によって実現した。ただし、完全なクロスシート車両ではなく、クロスシートとロングシートとの可変が可能なデュアルシートタイプとなっている。
  5. ^ 団体専用列車を中心に汎用車的に用いられたかつての5700系に近いポジションの車両となっていた。
  6. ^ 千葉県営軽便鉄道が1911年に野田町駅(現・野田市) - 柏駅間を開業。

出典[編集]

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション27 東武鉄道 1970-80』46頁、電気車研究会、2014年。
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル』第66巻第3号(通巻第915号)、12頁、電気車研究会、2016年。
  3. ^ 「野田線開通100周年記念号」運転”. 鉄道ファン (交友社) (2011年12月5日). 2018年5月30日閲覧。
  4. ^ 「伊勢崎線全通100周年記念ミステリートレイン」運転”. 鉄道ファン (交友社) (2010年9月26日). 2018年5月30日閲覧。
  5. ^ 東武1800系「春の花めぐり号」運転”. 鉄道ファン (交友社) (2018年4月21日). 2018年5月28日閲覧。
  6. ^ 往復貸切 東武1800系(1819号編成)で行くありがとう1800系ラストラン記念ツアー
  7. ^ 東武鉄道1800系が引退”. 鉄道ファン (交友社) (2018年5月21日). 2018年5月22日閲覧。
  8. ^ 東武鉄道1800系1819編成が廃車回送される”. 鉄道ファン (交友社) (2018年6月19日). 2018年7月16日閲覧。

関連項目[編集]

  • 国鉄419系・715系電車 - 本形式と同様に、暫定的な利用を前提として特急形車両から通勤形へ改造された車両。