弟子屈町
てしかがちょう ![]() 弟子屈町 | |||
---|---|---|---|
![]() | |||
| |||
国 |
![]() | ||
地方 | 北海道地方 | ||
都道府県 | 北海道(釧路総合振興局) | ||
郡 | 川上郡 | ||
市町村コード | 01665-9 | ||
法人番号 |
3000020016659 ![]() | ||
面積 |
774.33km2 | ||
総人口 |
6,761人 [編集] (住民基本台帳人口、2022年3月31日) | ||
人口密度 | 8.73人/km2 | ||
隣接自治体 |
釧路市、川上郡標茶町、 網走郡津別町、美幌町、 斜里郡小清水町、清里町、 標津郡中標津町 | ||
町の木 | 桜 | ||
町の花 | つつじ | ||
町の鳥 | 白鳥 | ||
弟子屈町役場 | |||
町長 | 徳永哲雄 | ||
所在地 |
〒088-3292 北海道川上郡弟子屈町中央2丁目3番1号 | ||
外部リンク | 北海道弟子屈町 | ||
ウィキプロジェクト |
弟子屈町(てしかがちょう)は、北海道釧路総合振興局管内の川上郡にある町である。
地理[編集]
釧路総合振興局の北部に位置する。釧路市から北約80キロメートルに位置。
地理的には釧路総合振興局に属するが、地勢はオホーツク総合振興局に近い。 冬季の冷え込みは厳しい。 川湯では空気中の水分が凍ってキラキラひかる「ダイヤモンドダスト現象」が見られることがある。
隣接している自治体[編集]
町名の由来[編集]
アイヌ語の「テㇱカカ(tes-ka-ka)」に由来するとされる[2][3]。この名称の解釈は諸説あるがアイヌ語研究者の山田秀三は多くの道内の地名における「テㇱ(tes)」(編み連ねたもの〔=やな〕)が岩盤が川をやなのように横切る様を指していることを指摘したうえで、当地で釧路川を横切る岩盤のことを指したのではないかとしている[2][3]。なお、後ろに「カ(ka)」(~の上)が2つ連なっていることについては「岩盤のところのその岸」という意味合いで2つつけたのではないか、としている[2]。このため、この解釈に沿った場合「岩盤が川を横切っているところの岸」というような意味合いとなる。
歴史[編集]
屈斜路古丹遺跡をはじめ、町内各所に縄文時代の遺跡が残されており、古くより人が暮らしていたことが分かっており、その子孫が現在のアイヌ民族と考えられる。
江戸時代には、テㇱカカ(弟子屈=現在の弟子屈市街)やクッチャロ(屈斜路)などにアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎などの記録に残されている。
佐野孫右衛門が政府の許可を受け、1876年(明治9年)から硫黄山の試掘を始める。翌年には採掘を開始したが収益が上がらず、硫黄山は函館の銀行家山田慎によって買収される。 その後所有権は安田財閥の安田善次郎に譲渡され、 1887年(明治20年)から硫黄の採掘を開始。1888年(明治21年)には輸送のために北海道で二番目となる釧路鉄道が硫黄山-標茶間に敷設されたが、乱掘により資源が枯渇し、9年後の1896年(明治29年)には操業を停止した。
1880年(明治13年)には更科治郎が入植し、農業を開始した。 1897年(明治30年)には村の大部分が皇室の御料林となり、1898年(明治31年)に農業指導者小田切栄三郎が着任。農業と畜産をおこない、多くの移民を受け入れた。
- 1903年(明治36年) - 熊牛村(現在の標茶町)から分村し、弟子屈外一村戸長役場を設置する。
- 1923年(大正12年) - 二級町村制を施行し、弟子屈村となる。
- 1943年(昭和18年) - 一級町村制施行、弟子屈村
- 1947年(昭和22年) - 町制施行、弟子屈町
- 1956年(昭和31年) - 標茶町へ一部分割。
- 1957年(昭和32年) - 標茶町の一部編入。
経済[編集]
産業[編集]
主要産業は観光と酪農。 摩周湖、屈斜路湖、摩周温泉、川湯温泉が主要観光地で全国から多くの観光客が訪れる。 本州からの移住者も多い。
金融機関[編集]
農協[編集]
郵便局[編集]
- 弟子屈郵便局(集配局)
- 川湯郵便局(集配局)
- 美留和郵便局(集配局)
- 屈斜路郵便局
- 川湯駅前簡易郵便局
宅配便[編集]
公共機関[編集]
警察[編集]
- 弟子屈警察署
- 川湯駐在所
消防[編集]
- 釧路北部消防事務組合消防本部
- 弟子屈消防署
- 川湯支署
病院[編集]
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
海外[編集]
地域[編集]
人口[編集]
![]() | |
弟子屈町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 弟子屈町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 弟子屈町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
弟子屈町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
- 総数 8,278人(男3,919人、女4,359人)
- 世帯数 3,632世帯
消滅集落[編集]
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[4]。
- 弟子屈町 - 屈斜路湖(国有地)、摩周湖(国有地)、字鐺別、字跡佐登
教育[編集]
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
- 大学施設
- 閉校した学校
- 弟子屈町立最栄利別小学校 - 1970年(昭和45年)3月31日で閉校
- 弟子屈町立札友内小学校 - 1972年(昭和47年)3月31日で閉校
- 弟子屈町立川湯駅前小学校 - 1991年(平成3年)3月31日で閉校し、川湯小学校へ統合
- 弟子屈町立仁多小学校 - 1994年(平成6年)3月31日で閉校し、弟子屈小学校へ統合
- 弟子屈町立昭栄小学校 - 2015年(平成27年)3月31日に閉校
- 弟子屈町立和琴中学校 - 1986年(昭和61年)3月31日で閉校
- 弟子屈町立奥春別小学校 - 2021年(令和3年)3月31日で閉校
交通[編集]
空港[編集]
鉄道[編集]
バス[編集]
- 阿寒バス - 川湯温泉街に川湯営業所があったが、平成26年3月31日で閉鎖。弟子屈市街地内の摩周営業所に統合された。
道路[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
文化財[編集]
重要無形民俗文化財[編集]
- アイヌ古式舞踊 - 弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会
天然記念物[編集]
弟子屈町指定文化財[編集]
- 仁多獅子舞 - 仁多獅子舞保存会
- 鐺別獅子舞 - (鐺は金へんに當)鐺別獅子舞保存会
- 屈斜路湖マリゴケ
レジャー[編集]
- ビラオスキー場(廃止)
- 桜ヶ丘歩くスキーコース
- 乗馬、酪農体験、釧路川源流下り
観光[編集]
- 阿寒摩周国立公園
- 摩周湖
- 屈斜路湖
- コタン温泉
- 弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民俗資料館
- 民宿「丸木舟」(アト゜イ経営の店)
- 和琴温泉
- 川湯温泉
- 大鵬相撲記念館(旧 川湯相撲記念館)
- 川湯エコミュージアムセンター
- 硫黄山
- 摩周温泉(弟子屈温泉)
- ヨーロッパ民芸館(2008年(平成20年)で閉館)
⇒ 現在は建物が道の駅の一部となっていて、外観だけが当時の状態で残っている。
- 900草原 - 町営牧場
祭り[編集]
- ダイヤモンドダストin KAWAYU(1 - 2月 : 2015年の予定)
その他[編集]
- クッシー - 屈斜路湖にいるとされる怪獣(未確認生物)。屈斜路湖砂湯には、クッシーの像がある。
- 和琴ミンミンゼミ北限地。
- 2005年(平成17年)6月から、市外局番が3桁「015」になった(北海道では札幌「011」以外では初)。
- 弟子屈町CIとして、てしかがの「て」をモチーフにしたシンボルマークを制定している。
- 第二次世界大戦後、御料林は国有財産となったが、そのうち町の面積の約25%にあたる11,800ヘクタールは宮内大臣の名義のまま残されていた。これらは2001年(平成13年)に処理方法が決定され、登記の移管、売却、抹消等がおこなわれた。
出身またはゆかりの有名人[編集]
- アト゜イ : 民宿「丸木舟」・アイヌ詞曲舞踊団モシリ代表
- 大賀埜々 : 歌手・女優
- 川上椋輔 :元UHBアナウンサー。弟子屈町の地域おこし協力隊員。
- 琴ヶ嶽綱一 : 力士
- 更科源蔵 : 詩人。「原野の詩人」と称された。
- 大鵬幸喜 : 元横綱・元相撲親方
- 土田一徳 : 元ジャニーズ事務所所属の男性アイドル。現在は舞台俳優。
- 山川竜司 : プロレスラー
- 山本進 : 政治家、東神楽町長。
脚注[編集]
- ^ 図典 日本の市町村章 p16
- ^ a b c 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 273. ISBN 978-4-88323-114-0
- ^ a b “アイヌ語地名リスト ツキサ~トヨコ P81-90P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2020年6月28日閲覧。
- ^ [|総務省統計局統計調査部国勢統計課] (2017-01-27) (CSV). 平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級),男女別人口,総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》 (Report). 総務省 2017年5月20日閲覧。.※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。