川俣町
かわまたまち 川俣町 | |||||
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峠の森自然公園の水車 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 伊達郡 | ||||
市町村コード | 07308-3 | ||||
法人番号 | 9000020073083 | ||||
面積 |
127.70km2 | ||||
総人口 |
10,939人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 85.7人/km2 | ||||
隣接自治体 | 福島市、伊達市、二本松市、双葉郡浪江町、相馬郡飯舘村 | ||||
町の木 | かえで | ||||
町の花 | 山つつじ | ||||
他のシンボル | うぐいす | ||||
川俣町役場 | |||||
町長 | 藤原一二 | ||||
所在地 |
〒960-1492 福島県伊達郡川俣町字五百田30番地 北緯37度39分54秒 東経140度35分54秒 / 北緯37.66497度 東経140.59831度座標: 北緯37度39分54秒 東経140度35分54秒 / 北緯37.66497度 東経140.59831度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
川俣町(かわまたまち)は、福島県中通りに位置し、伊達郡に属する町。
概要
[編集]平安時代から始まった養蚕業・絹織物業により「絹の里」として知られ、養蚕を伝え広めたとされる小手姫伝説が残る。
近年は、絹織物業に替わって、自動車部品・電子部品製造などの工場が立地し、産業構造の変化が進んでいる。また、新たな特産物として川俣シャモが評判を呼んでおり、PR事業として始めた「世界一長い焼き鳥」の記録争いを、山口県長門市・和歌山県日高川町と繰り広げている。
人口は1955年(昭和30年)に約2万8千人だったが2010年(平成22年)9月で1万5,558人となり、県内でも高い減少率である。
2004年(平成16年)に福島市・当町・飯野町の住民有志による直接請求が出され、これに基づき、同年9月に1市2町で法定合併協議会が設置され、合併の是非も含めた協議を進めていた。しかし、翌年になって当町では合併に反対する動きが活発化し、2006年(平成18年)12月1日に合併協議会を離脱した。なお、福島市と飯野町は2008年(平成20年)7月1日に合併した。
福島第一原子力発電所事故により、南東部の山木屋地区(501世帯1,246人・2011年4月1日時点)は避難指示解除準備区域・居住制限区域に指定されていたが、2017年3月31日にすべての避難指示を解除した。
地理
[編集]位置
[編集]県庁所在地福島市の南東、阿武隈高地に位置し、町の最南端の日山(天王山)で、双葉郡・田村市・二本松市との境界である。町の中心部を広瀬川が流れ、東は花塚山、南に口太山、北西に女神山がある。町の中心部からすぐ南東付近で、国道114号と国道349号のバイパス、福島県道12号原町川俣線が交差し、西は福島市、北は伊達市、南は二本松市に接続する。国道114号を南東に進むと、阿武隈高地を越え、浪江町に接続し太平洋に抜ける。県道12号を東に進むと相双地域[1]の中心都市である南相馬市(旧原町市)に抜ける。
地形
[編集]山岳
[編集]河川
[編集]- 広瀬川
- 高根川
- 女神川
- 口太川
人口
[編集]川俣町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体
[編集]歴史
[編集]古代
[編集]- 縄文時代早期(約9,000年前)の押型文土器が北ノ俣遺跡から出土するなど、103の縄文遺跡が確認され古くから人々が生活していたことが確認されている。
- 古墳時代の遺跡は確認されておらず奈良時代後半から急速に開発されたと考えられる。
中世
[編集]- 12世紀 「小手保」(川俣周辺地域)を鎌倉幕府御家人の地頭職が支配。
- 14世紀 南北朝時代、北党と南党が河股城をめぐって攻防を繰り返す。
- 15世紀 国人領主の川俣飛騨入道による支配。
- 16世紀 伊達氏の領地となる。
近世
[編集]- 江戸時代 現在の川俣町の地域は、分割され複雑な支配変遷をたどる。
- 1703年 川俣代官所が町小綱木村に置かれる。
近代
[編集]- 明治時代
近現代
[編集]- 昭和時代
- 1955年(昭和30年)3月1日 伊達郡(旧)川俣町・富田村・福田村・小島村・飯坂村・小綱木村・大綱木村・安達郡山木屋村が合併し、川俣町となる。
- 1963年(昭和38年) 口太山集中豪雨災害。
- 1972年(昭和47年)5月14日 国鉄川俣線廃止。
- 1974年(昭和49年)
- 4月 川俣中学校完全統合。
- 10月 第1回絹市開催。
- 1975年(昭和50年)10月 第1回コスキン・エン・ハポン開催。
- 1977年(昭和52年)11月23日 町の「木」「花」「鳥」を制定。
- 1980年(昭和55年)12月 町民の歌が制定される。 クリスマス豪雪
- 1985年(昭和60年)10月 町民憲章が制定される。
現代
[編集]- 平成時代
- 1992年(平成4年)8月 第1回からりこフェスタ開催。
- 1995年(平成7年) ふくしま国体開催(フェンシング競技)。
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)8月 山木屋地区が避難指示解除準備区域と居住制限区域に再編。
- 2017年(平成29年)3月31日 山木屋地区の避難指示を解除。
出先機関・施設
[編集]施設
[編集]警察
[編集]- 本部
- 分庁舎
- 福島警察署 川俣分庁舎
- 駐在所
- 山木屋駐在所(川俣町山木屋)
医療・福祉
[編集]- 主な病院
郵便
[編集]- 川俣郵便局(集配局)
- 山木屋郵便局(集配局)
- 伊達福田郵便局
- 伊達小島簡易郵便局
交流施設
[編集]対外関係
[編集]姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]- 提携都市
経済
[編集]第一次産業
[編集]農業
[編集]農家数は戦後減少を続けており、近年は第一種兼業農家の減少が著しい(昭和55年650戸、平成12年131戸)。阿武隈高地に位置することから、中心部を流れる広瀬川流域では米作が行われているが、標高が高い周辺部では、葉タバコ、タラノメなどの畑作と、酪農が中心である。かつては盛んだった養蚕は数戸となっている。近年食用鶏川俣シャモを地元ブランドの特産品として売り出している。
第二次産業
[編集]工業
[編集]江戸時代から絹織物業・繊維産業が発達した歴史的経過から、山間の工業小都市の面影を残す。繊維産業事業所数は昭和50年の235から平成15年に19に減少している。代わって自動車部品製造業・電子部品製造業の工場が立地し雇用を増やしたが、2000年以降は事業の海外移転等に伴い縮小が続いている。
- 主な事業所
- (株)日ピス福島製造所(自動車部品)
- 川俣精機(株)(モーター)
- アサヒ通信(株)(電子部品)
第三次産業
[編集]商業
[編集]近年、国道114号線が整備され、道路沿いに中規模DIYショップ等が次々と立地して、近隣町村からの消費者を呼び込んでいる。一方で、絹織物業とともに発展した戦前からの商店街は、人口減少とモータリゼーションの進展に伴い、衰退を続けている。
金融機関
[編集]教育
[編集]高等学校
[編集]- 公立
中学校
[編集]- 町立
- 川俣町立山木屋中学校
- 川俣町立川俣中学校
小学校
[編集]- 町立
- 川俣町立川俣小学校
- 川俣町立飯坂小学校
- 川俣町立福田小学校
- 川俣町立山木屋小学校
- 川俣町立川俣南小学校
- 川俣町立富田小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道路線
[編集]町内に鉄道路線はない。
廃線
[編集]- 1972年(昭和47年)までは、国鉄川俣線(1926年3月開通)が東北本線の松川駅と岩代川俣駅との間、およそ12キロを結んでいた。
- 1927年(昭和2年)6月までは、福島電気鉄道の路線が、福島市街から保原、掛田経由で川俣まで通じていた。
バス
[編集]路線バス
[編集]- ジェイアールバス東北 ※町内に川俣車庫が設けられている
- 福島交通 ※町内に川俣出張所が設けられている
- カネハチタクシー【川俣線代替バス】(松川駅 - 福島市飯野町 - 川俣高校前)
- 川俣町営バス〔絹の里ふれあい号〕(川俣高校前 - 山木屋水境)
- 浪江町営バス(山木屋水境 - 浪江駅)
道路
[編集]国道
[編集]県道
[編集]道の駅
[編集]観光
[編集]名所・旧跡
[編集]- 城郭
- 河股城跡
- 神社
- 春日神社
観光スポット
[編集]- 小手姫像
- 峠の森自然公園
- 羽山の森美術館 - 旧福沢小学校の校舎を利用した美術館。川俣町ゆかりの画家の作品が展示されている。
- おじまふるさと交流館 - 旧小島小学校の校舎を利用した自然体験宿泊施設。震災から1年後の2012年に開館した。震災の影響もあり開館以来多くの自然体験活動は行えていない。
文化・名物
[編集]祭事・催事
[編集]- 催事
- 川俣町ロードレース大会 - 毎年6月に行われるロードレース大会。東日本大震災のあった2011年は中止。
- 川俣シャモまつり - 特産品である川俣シャモを使った料理を食べることが出来る。過去には、「世界一長い焼き鳥」の挑戦も行われていた。現在は、「世界一長い川俣シャモの丸焼き」がメインイベントとして開催されている。
- 絹市 - 毎年10月に開催される。絹製品をはじめとした様々な商品が販売される。
- コスキン・エン・ハポン
1975年から続くフォルクローレの音楽祭、コスキン・エン・ハポン(COSQUIN EN JAPON)が、国内最大の中南米音楽祭となり、全国から多くの愛好家やプロの演奏家が川俣町を訪れる。例年10月初旬に3日間開かれ、中南米の衣装を身に着けたコスキン・パレードも行われる。
名産・特産
[編集]- 川俣シャモ - 地鶏
- プロトマンガノ鉄直閃石 - 鉱石
出身関連著名人
[編集]ゆかりのある著名人
[編集]- 朝河貫一 - 歴史学者。川俣小学校(現川俣町立川俣小学校)校長、蒲生義一に就いて英学を学ぶ。
- 古関裕而 - 1928年(昭和3年)から2年間、伯父の経営する川俣銀行(現東邦銀行川俣支店 [注釈 1])に勤務した。町内に関係する作品として、川俣町立川俣中学校の校歌、川俣音頭、川俣町民の歌を作曲した。
- 佐藤雀仙人 - 俳人。小綱木村生まれ、13歳までこの地で過す。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “相双地域の概要”. 福島県 (2022年8月1日). 2023年1月18日閲覧。
- ^ “福島・川俣町と相互援助協定 愛知県日進市、花火がきっかけ”. 日本経済新聞 (2013年4月5日). 2022年9月21日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 川俣町 (kawamatatown) - Facebook
- 川俣町 (@kawamatamati) - X(旧Twitter)
- 川俣町 (@kawamatatown) - LINE公式アカウント
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