垣内哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
垣内 哲也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県日高郡日高川町
生年月日 (1970-06-06) 1970年6月6日(48歳)
身長
体重
186 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 ドラフト3位
初出場 1991年6月18日
最終出場 2006年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身の元プロ野球選手外野手、右投右打)・コーチ

経歴[編集]

西武時代[編集]

1988年ドラフト会議西武ライオンズから3位指名を受け、捕手として入団。分校出身者としてはプロ野球史上初の指名であった。強打・俊足の持ち主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。正捕手・伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかったが、1990年にファームで頭角を現す。

1991年から強打を生かす為、外野手コンバートされた。

1993年には一軍定着を果たし、外野だけでなく捕手としての出場もあった。

1994年読売ジャイアンツとの日本シリーズでは槙原寛己に三振に打ち取られ最後の打者になっている。

1995年には95試合の出場ながらオールスターゲームにも出場。またこの年初の二桁となる14本塁打を放った。

1996年には左翼手としてレギュラーに定着し、28本塁打を放つ。

1997年には清原和博FA読売ジャイアンツへ移籍、その穴を埋める期待をされるも、スランプや右膝の故障で不振に終わる。

1999年、大砲として期されたアーキー・シアンフロッコグレッグ・ブロッサーら助っ人陣の大誤算と主軸の鈴木健が不振に喘ぐ中、チーム最多の15本塁打を放ち復活。以後3年連続で二桁本塁打を記録。

2002年オフ、椎木匠+金銭のトレード千葉ロッテマリーンズへ移籍。

ロッテ時代[編集]

2004年9月11日、選手会のストが中止となりプレーオフ進出をめぐって3位争いをしている中での北海道日本ハムファイターズ戦で、1点を追う9回裏二死無走者で打席に入りサードゴロに倒れ、敗戦と思われたが、小笠原道大の失策で出塁し、後続のタイムリーで生還して延長戦に突入する。そして、同点のままで迎えた11回裏の打席で井場友和からサヨナラホームランを放った。

2005年にはプレーオフ最終戦でヒットを放つなど、出場機会は減ったが指名打者代打の切り札として活躍。

2006年には開幕一軍に名を連ねるも、4月には二軍落ち。10月2日ロッテから戦力外通告を受け、現役を引退。3月26日のソフトバンク戦で三瀬幸司投手から放った3ラン本塁打が最後の安打・本塁打となった。二軍・イースタンの最終戦では4番で先発出場、これが花道となった。

現役引退後[編集]

六本木のステーキ店「シルクロード」の店長として勤務。ロッテのネットライブ中継の解説を2007年より原井和也の代わりにつとめることになった。

2007年からはプロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに所属。

2010年からは、落合博満が一軍監督を務めていた中日ドラゴンズで、打撃・外野守備走塁コーチに就任[1]。しかし、2011年限りで落合が監督を退任したことから、垣内も打撃・外野守備走塁コーチを退任した[2]

2012年から2013年までは、J SPORTSメジャーリーグ中継に解説者として出演。2013年末から落合がゼネラルマネジャー(GM)として中日へ復帰したことを機に2014年2月1日付で同球団のGM付関東地区担当調査役に就任、主にイースタン・リーグ視察を行う。

人物[編集]

素質は清原和博以上と言われ、和歌山出身なので「ミカンの大器」と言われた。一軍では通算110本塁打、ファームでも通算109本塁打を記録しており、一軍・ファーム双方で100本塁打以上を記録している唯一の選手である。ガンバレ日本プロ野球!?に出演した際にこのことを金村義明に報告したところ「プロ野球選手として一番自慢したらいかんことや」と冷静に突っ込まれている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 西武 8 15 14 2 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 0 0 1 5 1 .214 .267 .429 .695
1992 7 8 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 4 1 .143 .250 .143 .393
1993 47 98 86 12 19 4 1 5 40 11 1 3 1 0 11 0 0 30 3 .221 .309 .465 .774
1994 78 176 152 24 28 5 2 7 58 21 7 1 3 2 18 1 0 57 1 .184 .266 .382 .382
1995 95 339 305 40 66 10 2 14 122 37 2 3 2 1 27 2 4 107 5 .216 .288 .400 .688
1996 121 434 387 57 98 19 3 28 207 57 16 3 2 5 38 0 2 114 5 .253 .319 .535 .854
1997 64 149 129 17 29 8 1 3 48 12 2 0 1 1 16 1 2 48 1 .225 .318 .372 .690
1998 23 45 37 5 4 1 0 1 8 1 0 0 0 0 7 0 1 14 1 .108 .267 .216 .483
1999 113 392 359 44 89 11 0 15 145 49 7 0 2 2 27 0 2 83 5 .248 .303 .404 .706
2000 108 352 301 38 70 17 1 13 128 51 1 2 2 3 42 3 4 91 7 .233 .331 .425 .757
2001 91 237 195 26 44 5 1 14 93 38 0 2 0 2 34 0 5 52 5 .226 .352 .477 .829
2002 80 153 134 16 30 4 0 4 46 15 0 0 0 0 16 2 2 38 2 .224 .316 .343 .659
2003 ロッテ 17 29 24 1 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 5 0 0 12 1 .125 .276 .250 .526
2004 36 84 74 11 20 9 0 3 38 13 0 0 0 0 7 0 3 21 0 .270 .357 .514 .871
2005 24 43 38 3 5 2 0 0 7 3 0 0 0 0 5 0 0 21 0 .132 .233 .184 .417
2006 5 6 6 1 1 0 0 1 4 3 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .667 .833
通算:16年 917 2560 2248 297 509 95 11 110 957 315 36 14 13 16 254 9 26 698 37 .227 .310 .426 .736

年度別守備成績[編集]



外野












1992 西武 5 5 0 0 0 1.000
1993 27 26 2 2 1 .933
1994 75 82 3 0 0 1.000
1995 92 170 6 5 4 .972
1996 106 187 5 2 1 .990
1997 45 42 5 3 1 .940
1998 12 10 0 0 0 1.000
1999 94 154 2 1 1 .994
2000 94 141 6 3 1 .980
2001 68 95 1 1 0 .990
2002 58 43 0 1 0 .977
2003 ロッテ 8 5 0 0 0 1.000
2004 26 27 0 0 0 1.000
2005 8 6 0 0 0 1.000
2006 2 1 0 0 0 1.000
通算:16年 720 994 30 18 9 .983

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 39 (1989年 - 同年途中)
  • 63 (1989年途中 - 1991年)[注 1]
  • 33 (1992年 - 1994年開幕直前)
  • 12 (1994年開幕直前 - 1998年)[注 2]
  • 55 (1999年 - 2002年)
  • 38 (2003年 - 2006年)
  • 81 (2010年 - 2011年)

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ シーズン途中に加入したオレステス・デストラーデが39番を着けるため変更。
  2. ^ 開幕直前に加入したロッド・ブリューワが33番を希望したため変更。

出典[編集]

  1. ^ 中日 来季井上打2軍撃コーチ就任スポニチアネックス 2009年10月25日掲載
  2. ^ 首位浮上その日に…中日、9コーチと契約せずスポニチアネックス 2011年10月6日掲載

関連項目[編集]

外部リンク[編集]