喜多秀喜
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喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は佐賀県鹿島市出身の元陸上競技選手、流通経済大学社会学部教授、陸上競技部監督。
略歴
[編集]佐賀県立鹿島実業高等学校を卒業後、福岡大学に進学。福岡大学卒業後、神戸製鋼所に入社。武冨豊らと陸上部を引っ張った。
1978年12月の福岡国際マラソンでは優勝した瀬古利彦に次ぐ2位、1979年2月の別府大分毎日マラソンで優勝。日本が不参加となった1980年モスクワオリンピックには、マラソンの選考レースだった福岡国際マラソンは惨敗したものの、5000、10000メートルの代表に選ばれている。1981年には海外の強豪を抑え第1回東京国際マラソンで優勝を果たした。その後北京国際マラソン、青梅マラソンを制した。現役時代、サブテン(2時間10分未満)は記録できなかったが、30歳代後半になってからも2時間10分台の記録を残した。1991年の防府読売マラソンが最後のマラソンレースとなる。全日本実業団対抗駅伝競走大会には第21回(1976年)から第35回(1991年)まで15回連続出場を記録し、最後に出場した当時は勤務先では「業務担当課長」となっていた[1]。
神戸製鋼所陸上部監督を経て、1994年帝京大学陸上競技部監督に就任。2004年東京国際マラソン(アテネ五輪代表選考会)3位のトヨタ自動車九州陸上部、中崎幸伸、世界クロカン日本代表の安川電機陸上部、飛松誠らを指導。1998年に箱根駅伝初出場を果たし、2000年に総合4位に導いた。2005年5月に同大学陸上競技部監督を辞任。同年流通経済大学陸上競技部監督に就任し、2校目の箱根駅伝出場を目指して2015年3月まで指導に当たった。
2018年、長崎県の実業団チームメモリードで女子陸上部の監督に就任した。
現役時代 マラソン成績
[編集]- 2時間30分21秒 59位 1974年別府大分毎日マラソン
- 2時間29分59秒 49位 1974年福岡国際マラソン
- 2時間15分01秒8 5位 1978年別府大分毎日マラソン
- 2時間20分10秒 優勝 1978年 ミルトンケーネスマラソン(宗猛と優勝分け合う)
- 2時間11分05秒 2位 1978年福岡国際マラソン
- 2時間13分29秒1 優勝 1979年別府大分毎日マラソン
- 2時間22分19秒0 48位 1979年プレオリンピック(モスクワ)
- 2時間22分25秒 41位 1979年福岡国際マラソン
- 2時間14分37秒 15位 1980年福岡国際マラソン
- 2時間12分04秒 優勝 1981年東京国際マラソン
- 2時間36分59秒 622位 1981年ボストンマラソン
- 2時間14分32秒 14位 1981年福岡国際マラソン
- 2時間13分24秒 8位 1982年東京国際マラソン
- 2時間11分09秒 2位 1982年福岡国際マラソン
- 2時間22分37秒 42位 1983年世界陸上競技選手権大会
- 2時間10分30秒 7位 1983年福岡国際マラソン(生涯自己記録)
- 2時間12分16秒 優勝 1984年北京国際マラソン
- 2時間23分31秒 55位 1984年福岡国際
- 途中棄権 1985年福岡国際マラソン
- 2時間17分26秒 29位 1986年福岡国際マラソン
- 2時間29分19秒 17位 1987年台北マラソン
- 2時間15分23秒 9位 1987年ボストンマラソン
- 2時間13分09秒 5位 1987年北京国際マラソン
- 2時間14分40秒 12位 1988年ボストンマラソン
- 2時間11分51秒 5位 1988年福岡国際マラソン
- 2時間15分41秒 13位 1989年ロッテルダムマラソン
- 2時間17分28秒 14位 1989年福岡国際マラソン
- 2時間15分39秒 5位 1990年ロッテルダムマラソン
- 2時間18分16秒 8位 1990年モスクワ国際マラソン
- 2時間15分36秒 8位 1990年福岡国際マラソン
- 2時間16分27秒 5位 1991年防府読売マラソン
記録
[編集]- 5000m 13分27秒44
- 10000m 27分48秒59
- マラソン 2時間10分30秒
脚注
[編集]- ^ 『陸上競技マガジン』1991年2月号、ベースボール・マガジン社、p160
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 流通経済大学
- 流通経済大学陸上競技部(長距離) - ウェイバックマシン(2018年11月5日アーカイブ分)