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浦田春生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦田 春生
うらた はるお
選手情報
ラテン文字 Haruo Urata
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 中央大学経済学部
生年月日 (1962-03-09) 1962年3月9日(64歳)
出身地 熊本県の旗熊本県天草市
身長 171cm
体重 59kg
成績
オリンピック 10000m:予選敗退(1992年
世界選手権 10000m:11位(1991年
自己ベスト
5000m 13分39秒29(1988年)
10000m 27分58秒72(1991年)
ハーフマラソン 1時間00分49秒(1995年)
マラソン 2時間13分09秒(1987年)
獲得メダル
日本の旗 日本
陸上競技
アジア選手権
1985 ジャカルタ5000m
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浦田 春生(うらた はるお、1962年3月9日 - )は、日本陸上競技選手。陸上競技指導者。専門は長距離走熊本県天草市出身。九州学院高等学校中央大学経済学部国際経済学科卒業。本田技研工業入社後、選手として競技生活を経て、1995年から2002年、同社陸上競技部監督就任。2008年から2016年は中央大学陸上競技部駅伝監督。息子の浦田優斗も陸上長距離種目選手。

1992年バルセロナオリンピックおよび1991年世界陸上競技選手権大会男子10000m日本代表。身長171cm、体重59kg(1992年当時)。

略歴

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1977年九州学院高校に入学、九州高校駅伝や1979年滋賀インターハイ5000mに出場した。同校卒業後、1980年中央大学に進学。箱根駅伝では2年・3年時の2度箱根路を走り、1984年中央大学を卒業した。

1985年本田技研工業に入社後、中心選手として活躍を見せ、インドネシアで開催されたこの年のアジア選手権5000mでは2位の成績を残した。1987年にはびわ湖毎日マラソンに出場し8位となった。1988年1989年日本選手権では5000m・10000mにおいて2年連続優勝を飾った。同2種目の2年連続優勝は1977年・78年の喜多秀喜以来となるものであり、これまでに村社講平[1]、喜多、松宮隆行[2]と浦田の4人が達成している。また1989年にはスペインバルセロナで開催されたワールドカップ10000mにおいて、アジア地区代表として4位入賞を果たした[3]

1991年世界陸上選手権東京大会には男子10000m日本代表として出場、予選を通過し8月26日の決勝では28分18秒15で11位の成績を残した[4][5][6]。また同年7月6日ビスレットゲームズにおいて10000m27分58秒72の自己ベストをマーク、これは男子10000m日本歴代10位(当時)となる記録であった。

1992年には日本選手権10000mにおいて4位となり、1992年バルセロナオリンピック男子10000m日本代表に選出された[7][8]決勝に勝ち進み、28分37秒61で14位の成績を残した。1994年には右アキレス腱を手術するなど万全の状態とは遠かったが、1995年の東京シティハーフマラソンでは3位となり、この時マークした1時間00分49秒の記録はアジアおよび日本最高記録(当時)となった。

実業団時代には、駅伝においても優れた成績を残した。1990年には国際千葉駅伝において4区を走り、早田俊幸らと共に日本代表初優勝の一員となった。全日本実業団駅伝には1985年から10年連続で出場を果たし、1989年・1990年・1991年・1994年の4度にわたり区間賞を獲得するなど、本田技研工業の主力選手として1991年・1993年の総合3位、1994年の総合2位の成績などに貢献した[9][10]

その他、1990年には日本陸上競技連盟が22年ぶりに行なった高地での強化合宿に参加し、中国昆明の標高2000m近い高地でトレーニングを行なった[11]東日本縦断駅伝競走大会には埼玉代表として出場していた。 またバルセロナオリンピックに出場し決勝まで進んだことを記念して、出身地の天草市では天草ロードレース大会が開催されるようになった。2010年に第15回大会を数えるほか、浦田の功績にちなんで浦田春生賞(最優秀賞)が贈られている。

競技生活現役を退いた後は碓井哲雄監督の後任として、1995年から2002年まで同社陸上競技部監督を務めた。全日本実業団駅伝には7度出場を果たし、2000年・2001年の総合7位を最高とする成績を残した[12]。2008年4月より母校中央大学へ移籍、2016年3月まで同校陸上競技部の駅伝監督に就任し後進の育成に携わっていた。

主な戦績

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大会種目順位記録備考
1979第32回全国高等学校総合体育大会5000m
1985第6回アジア陸上競技選手権大会5000m2位14分22秒42
1987第42回びわ湖毎日マラソンマラソン8位2時間13分09秒
1988第9回読売東京国際マラソンマラソン10位2時間14分53秒
1988第72回日本陸上競技選手権大会10000m優勝28分42秒43
1988第72回日本陸上競技選手権大会5000m優勝13分39秒29
1989第73回日本陸上競技選手権大会10000m優勝28分17秒78
1989第73回日本陸上競技選手権大会5000m優勝13分47秒27
1989IAAFワールドカップ10000m4位28分08秒32アジア代表
1991南部忠平記念陸上競技大会5000m優勝
1991第75回日本陸上競技選手権大会10000m6位28分40秒70
1991世界陸上競技選手権大会10000m11位28分18秒15
1992第76回日本陸上競技選手権大会10000m4位28分24秒48
1992バルセロナオリンピック10000m14位28分37秒61
1995東京シティハーフマラソンハーフマラソン3位1時間00分49秒アジア最高記録・日本最高記録

駅伝成績

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大会区間距離順位記録備考
1982第58回箱根駅伝4区21.0km区間8位1時間08分11秒
1983第59回箱根駅伝1区21.5km区間3位1時間04分51秒
1989第33回全日本実業団駅伝3区区間賞37分47秒
1990第34回全日本実業団駅伝6区区間賞54分05秒
1990第2回国際千葉駅伝4区5.0km男子日本代表として優勝
1991第35回全日本実業団駅伝7区区間賞47分45秒
1994第38回全日本実業団駅伝7区区間賞51分14秒

自己記録

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脚注

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  1. 村社は10000mでは1934-39年、5000mでも1934-38年に連続優勝を達成している。
  2. 松宮は2006-08年の3年連続2種目制覇を達成している。
  3. Honda陸上競技部 チームプロフィール HONDA 2009年11月30日閲覧。
  4. 優勝はケニアのモーゼス・タヌイで記録は27分38秒74。
  5. Tanui Moses(英語) iaaf.org 2009年11月30日閲覧。
  6. 箱根駅伝出身世界選手権出場一覧 箱根駅伝公式Webサイト 2009年11月30日閲覧。
  7. 同種目代表に大崎栄も選出された。
  8. 箱根駅伝出身五輪出場一覧 箱根駅伝公式Webサイト 2009年11月30日閲覧。
  9. ニューイヤー駅伝2009過去大会の記録 TBS. 2009年11月30日閲覧。
  10. その他、本田技研工業は1992年に東日本実業団駅伝で初優勝を飾り、翌1993年には2年連続優勝を果たした。
  11. 「日本陸上のマラソン・長距離陣が中国の昆明で合宿 科学者が連日データ分析」『読売新聞』1990年3月21日東京朝刊、スポーツA面、19頁。
  12. その他、全日本実業団駅伝では1996年12位・1997年9位・1998年10位・1999年11位・2002年8位の結果を残した。
  13. 1 2 3 Honda陸上競技部 歴代記録 HONDA 2009年11月30日閲覧。
  14. スタッフ | 長距離メンバー | 中央大学陸上競技部 2026年2月21日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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