コンテンツにスキップ

奥山光広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥山 光広
おくやま みつひろ
Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 奥山 光広
ラテン文字 OKUYAMA Mitshuhiro
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 中距離種目
所属 ヤクルトチーフアドバイザー
大学 専修大学
生年月日 (1966-07-10) 1966年7月10日(58歳)
出身地 千葉県の旗 千葉県習志野市
成績
地域大会決勝 アジア選手権
1500m:3位(1990年、1994年)
国内大会決勝 日本選手権
1500m:優勝(1991年、1992年、1994年)
自己ベスト
1500m 3分38秒88(1991年)
5000m 13分46秒68(1992年)
10000m 28分28秒30(1997年)
ハーフマラソン 1時間02分42(1998年)
編集 テンプレートのヘルプを表示する

奥山 光広(おくやま みつひろ、1966年7月10日 - )は、千葉県習志野市出身の陸上競技選手[1]。専門は中距離走習志野高校専修大学卒業。ヤクルト陸上競技部チーフアドバイザー[2]

1990年代の1500メートル競走にて多くのタイトルを獲得した。

経歴

[編集]

習志野高校三年次の全国高等学校駅伝競走大会にて、1区を担い9位で襷を繋いだ。

高校卒業後は、専修大学へ進学。2年次の箱根駅伝にて1区8位。3年次も1区を担当。3位と好走した。 4年次の1988年日本インカレ男子1500mにて優勝。専修大学陸上競技部内でも同年に記録した3分43秒74が令和5年9月1日現在も部内記録となっている[3]。また、5000mでも実業団・学生対抗陸上競技大会にて14分25秒99にて優勝[4]。専修大学の2学年先輩に森田修一がいる。

大学卒業後は、ヤクルトへ入社。大八木弘明指導の下、アジア選手権日本選手権全日本実業団駅伝で輝かしい成績を残した。特に全日実業団陸上大会では、1500mにおいて、6連覇を達成している。また、1991年には、世界陸上東京大会にも出場した。

現役引退後は、ヤクルトにて指導者に転身。現在は同チームでチーフアドバイザーを務める。

主な戦績

[編集]
大会 距離 順位 記録 備考
1988 第57回日本インカレ男子 1500m 優勝 3分49秒26 専修大学として初優勝
1988 第22回実業団・学生対抗陸上競技大会 5000m 優勝 14分25秒99
1988 第72回日本陸上競技選手権大会 5000m 3位 3分44秒71
1989 第73回日本陸上競技選手権大会 5000m 準優勝 3分40秒19
1990 第74回日本陸上競技選手権大会 5000m 準優勝 3分48秒75
1990 第22回アジア競技大会北京大会 1500m 3位 3分45秒53
1991 第75回日本陸上競技選手権大会 1500m 優勝 3分38秒88 大会記録
1991 第3回世界陸上東京大会 1500m 準決勝敗退 3分40秒35
1992 第76回日本陸上競技選手権大会 800m 準優勝 1分49秒30
1992 第76回日本陸上競技選手権大会 1500m 優勝 3分46秒21
1994 日本陸上競技選手権大会 1500m 優勝 3分41秒77

駅伝成績

[編集]
大会名 区間 距離 順位 記録 備考
第17回全日本大学駅伝 4区 11.1 km 区間6位 33分36秒
第18回全日本大学駅伝 1区 15.1 km 区間6位 45分31秒
第63回箱根駅伝 1区 21.3 km 区間8位 1時間05分57秒
第64回箱根駅伝 1区 21.3 km 区間3位 1時間04分39秒
第34回全日本実業団対抗駅伝 2区 8.4 km 区間1位 23分59秒 区間新記録
第35回全日本実業団対抗駅伝 2区 8.4 km 区間3位 24分21秒
第36回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.1 km 区間3位 34分46秒
第37回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.1 km 区間3位 34分27秒
第38回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.1 km 区間2位 34分11秒
第39回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.1 km 区間5位 34分52秒
第41回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.1 km 区間4位 34分11秒
第42回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.1 km 区間1位 34分15秒
第43回全日本実業団対抗駅伝 2区 8.35 km 区間11位 23分46秒
第44回全日本実業団対抗駅伝 1区 12.25 km 区間25位 35分45秒

出典

[編集]

外部リンク

[編集]