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清水五条駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京阪五条駅から転送)
清水五条駅*
4号出入口(2017年2月)
きよみずごじょう
Kiyomizu-gojo
KH37 七条 (0.7 km)
(0.9 km) 祇園四条 KH39
地図
所在地 京都市東山区五条大橋東詰[1]
北緯34度59分45.99秒 東経135度46分6.7秒 / 北緯34.9961083度 東経135.768528度 / 34.9961083; 135.768528座標: 北緯34度59分45.99秒 東経135度46分6.7秒 / 北緯34.9961083度 東経135.768528度 / 34.9961083; 135.768528
駅番号 KH  38
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 京阪本線
キロ程 47.7 km(淀屋橋起点)
電報略号 五(駅名略称方式)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度-
6,784人/日
-2022年-
開業年月日 1910年明治43年)4月15日
備考 * 2008年に五条駅から改称[2]
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配線図

七条駅

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祇園四条駅

清水五条駅(きよみずごじょうえき)は、京都府京都市東山区五条大橋東詰にある、京阪電気鉄道京阪本線。旧称五条駅。駅番号はKH38

歴史

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当駅は1910年に京阪線の終着駅として開業、五条通の南側の琵琶湖疏水の上に駅舎が造られた[3]。1915年に三条駅まで延伸開業、翌1916年から急行停車駅となったものの、太平洋戦争最中の1944年に急行停車は取りやめとなり[4]、戦後の混乱期には駅の営業自体が休止されるなど、七条~三条間で唯一特急・急行が通過する時代が長く続いた。この当時、四条・七条と違って当駅は京都市電と交差していなかった。

また、この当時は鴨川は現在より川底が浅く1934年9月の室戸台風・翌1935年6月の鴨川大洪水では鴨川が氾濫して駅周辺も含め多大な被害を受けた[5][6]ことから、川底の掘り下げ工事が行われた。この工事は太平洋戦争中も継続され、戦後に完成した。

駅施設は、太平洋戦争末期(1945年7月)に防火帯とするために強制疎開し更地となった五条通南側の空地と鴨川の間(琵琶湖疏水鴨川運河の上)にあったが、1955年頃に事業化された五条通の拡幅にともない、その障害となる駅施設を五条通の北側に移設[7]のうえ、1959年3月・現在の五条大橋が竣工した[8][9]

その後、1967年(昭和42年)に大谷本廟の南側から山科を経由して逢坂山の手前で三条通へ接続する五条バイパスが供用されるとともに、国道1号京阪京津線の走る三条通から五条通に変更され幹線道路の役割を担うようになったこともあり、朝夕の混雑時を中心に踏み切りで慢性的な渋滞が発生するようになった。

京阪線(東福寺 - 三条間)の連続立体交差事業が1975年(昭和50年)10月24日に都市計画決定、1977年(昭和52年)6月10日に都市計画事業認可、1979年(昭和54年)3月20日に地下化工事の起工式を行い[10]、1987年(昭和62年)5月に地下化された。その後、付帯工事が継続して行なわれていたが、同年7月の集中豪雨により白川の水が逆流し、仮設堤防を破壊して埋め戻し工事区画から三条駅へ浸水、さらに地下区間の最深部にある五条駅に流れホーム階が約1 m浸水した[11]。なお、付帯工事は1988年5月までに終了し、地上の廃線跡には都市計画道路川端通」が建設・供用された。

地下化時点の駅施設とその後の経過

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改札内には身体障害者対応の多目的トイレのほか、ホームとコンコース間には上下のエスカレーターおよびエレベーターも設置されたが、コンコースと地上の間については建設当初は上りエスカレーター[注 1]のみが設置されていた。コンコースと地上の間にエレベーターの設置工事は2009年に着工、2010年3月20日より使用開始された[12]。その後コンコースとプラットホーム階を結ぶのエレベーターの更新工事が行われ2018年にはエスカレーターの更新工事が予定されている[13]

また改札の内側に売店が設置されていたが、その後閉店。シャッターが下ろされたままであったが、2008年頃にテーブルと椅子および自動販売機が置かれたミニギャラリーが造られ、駅周辺の観光地の写真が解説文とともに掲出されている。

このほか清水寺の最寄駅でインバウンド観光客が多いことから2017年12月22日に12か国の通貨に対応した自動両替機が設置された。

年表

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  • 1910年明治43年)4月15日:京阪本線の京都側の終着駅である五条駅として開業。
  • 1915年大正4年)10月27日:京阪本線が三条駅まで延伸し、途中駅となる。
  • 1916年(大正5年)4月1日:急行停車駅となる。
  • 1935年昭和10年)6月29日鴨川大水害・駅ホームが破損、隣接する五条大橋も倒壊流失する。7月3日仮復旧・運行再開[14]
  • 1943年(昭和18年)10月1日:会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
  • 1944年(昭和19年)2月5日:急行と準急行の停車を廃止[15]
  • 1945年(昭和20年)9月15日:駅休止[7]
  • 1946年(昭和21年)5月3日:駅の営業再開[7]
  • 1948年(昭和23年)7月14日:駅構内で出発した下り急行電車に後続電車が追突、乗客36名軽傷[16]
  • 1949年(昭和24年)12月1日:会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
  • 1950年(昭和25年)2月21日:準急行の停車再開[17]
  • 1956年(昭和31年)
    • 2月10日五条大橋の架け替え(拡幅)工事に伴い、三条行きホームが五条通南側から北側へ移設[7]
    • 2月27日:五条大橋の架け替え(拡幅)工事に伴い、天満橋行きホームが五条通南側から北側へ移設[7]
  • 1963年(昭和38年)4月15日:旧字体の「五條」を新字体の「五条」に表記変更。
  • 1979年(昭和54年)3月20日:地下化工事着手[10]
  • 1982年(昭和57年)10月23日:地下化工事に伴い淀屋橋行きホームを五条通り北側から南側へ移設[18]
  • 1983年(昭和58年)12月26日:駅移設に伴い五条通を横断する仮設地下道を設置[7]
  • 1987年(昭和62年)
    • 5月24日:地下駅化[19]
    • 7月15日:浸水被害が発生し、線路からホームの高さまで浸水する。同日は終日運休し、翌日始発より運転を再開[11]
  • 1988年(昭和63年)
    • 5月10日:京阪線の地下化工事竣工、地上線路跡に川端通が開通。
    • 9月1日:駅構内の終日禁煙を実施[20]
  • 1989年平成元年)9月27日鴨東線運行準備のダイヤ改正にともない、45年ぶりに急行停車駅となる。
  • 不明:売店が閉店し、跡地にミニギャラリーを設置。
  • 2008年(平成20年)10月19日:駅名を「五条」から「清水五条」に改称[2]
  • 2009年(平成21年)
    • 1月:車椅子対応トイレに簡易オストメイト対応設備を設置[21]
    • 8月24日 - 10月14日:車椅子対応エレベーター設置工事に着手(これにともない、交差点北東側の4号階段が一時的に閉鎖される)[22]
    • 12月:ホームに異常通報装置を設置[23]
  • 2014年(平成26年)10月15日:ホーム階と改札階を結ぶエレベーターの更新工事で使用停止、同月29日より使用再開[24]
  • 2015年(平成27年)春:駅ホーム・地下コンコースの照明がすべてLED照明に更新される[25]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月19日:ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。
    • 10月31日:コンコースに旅客案内ディスプレーを設置[26]
  • 2017年(平成29年)
    • 3月8日:駅構内トイレのリニューアル工事完成、使用開始[27]
    • 12月22日:駅構内に外貨自動両替機を設置[28]

駅構造

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島式1面2線のホームを持つ地下駅である。五条大橋東詰、川端通と五条通の交差点の直下に位置する。地上への出入り口は交差点の四隅(東北・東南・南西・北西)と、川端通り北へ東側の5ヶ所存在する。地下1階が改札及びコンコース、地下2階がホームとなっている。改札口は1ヵ所のみで、コンコースとホームの間にはエレベーターと上下2基のエスカレーターが設置され、コンコースと地上の間には上りエスカレーターとエレベーターが設置されている。トイレは地下化時に男女別の車イス対応でオムツ交換台などを備えた多目的トイレが設置され、その後オストメイト対応設備も取りつけられ、さらに全面改修され、独立した多目的トイレとなった。

なお地上駅時代は相対式2面2線のホームで五条通の北側に面しており、下りホーム側に駅舎がある構造だった。四条駅(現・祇園四条駅)と同様に、上りホームの利用者は一旦下りホーム側の駅舎で乗車券を購入した後、上りホームの改札を通る形になっていた。その後地下化工事の進捗に伴い下りホームを駅舎共々五条通の南側に移設して、三条行き・淀屋橋行き共に五条通を渡った所で停車する千鳥配置になっていた時期もあった。

駅ホームのカラーリングは青磁色)、五条坂に代表される陶芸の町を表している[29]

のりば

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番線 路線 方向 行先
1 京阪本線 上り 三条出町柳方面[30]
2 下り 淀屋橋中之島線方面[30]
  • 上下線のホームとも有効長は8両。10両連結にも対応できるように準備工事が施されている。自動放送における編成長案内は、2007年の列車運行管理システム更新時に2番線のみ挿入され、2008年中に1番線でも実施されるようになった。

モニュメント

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駅の地下化時にコンコースフロアーの壁面に幅2.6 m高さ2.6 mの壁画「清水寺絵図」が設置された、これは8000系8800形2階建て特急車の側面(塗装変更以前)や三条駅のコンコースに画かれている時代祭行列図の作者西協友一の作品。

災害対策

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地上から地下への出入り口にはエレベーターをのぞき、水害発生時地下構内への水の浸入を食い止める金属製の床板が起き上がる止水板が設置されている。

駅構内はITVによりモニターリングされ駅事務所の防災管理盤に表示される。万が一の火災発生時には防火防煙シャッターの制御・排煙機の運転、避難路確保の為の自動改札機の開放、火災発生表示機の点灯・運転指令所への通報が自動またはワンスイッチでおこなえる。また地下駅の構内でも警察無線や消防無線が使えるように無線通信補助設備や防災電話などが完備されている[31]

ダイヤ

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急行以下の種別が停車するが、急行・通勤準急の運転は一部時間帯のみであるため、準急・普通の停車が主となる。日中は1時間あたり準急(萱島駅 - 出町柳駅間は各駅に停車)が6本停車する。

接続等

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当駅も神宮丸太町駅と同様に、地下線区間内で通過列車の設定があり、上りは三条駅で、下りは丹波橋駅でそれぞれ特急または快速急行と連絡している。

利用状況

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2009年11月10日の乗降人員は6,853人である[32]。近年の1日あたり利用客数の推移は下記の通り[33][34]

年度 乗降人員 乗車人員
2007年 8,011 3,702
2008年 7,724 3,726
2009年 7,090 3,433
2010年 6,833 3,359
2011年 7,107 3,396
2012年 6,880 3,384
2013年 7,011 3,490
2014年 7,879 4,000
2015年 9,014 4,473
2016年 8,315 4,162
2017年 8,677 4,310
2018年 8,337 4,060
2019年 9,292 4,516
2020年 4,310 2,074
2021年 4,375 2,123
2022年 6,784 3,230

駅周辺

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行事

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五条大橋東詰から東大路通にかけての区間で、毎年8月8日 - 10日に「陶器まつり」が開催される。

1920年、「六道珍皇寺」にお精霊さんを迎えに行く人々(通称「六道参り」)や大谷本廟(西大谷)へお盆の墓参りに行く人々に向けて、五条坂に店を構える陶器屋や窯元が各々の店舗・工房の前で、登り窯で出た「二番品[注 2]」を並べ売ったのが起源とされる[35]

違法駐輪対策

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駅周辺のうち、国道1号に違法駐輪された自転車については道路管理者(国土交通省)による対策がなされてきたが、7日間程度放置された車両のみを撤去対象としていたため、対策が追いついていない実情があった。このため、2010年9月からは放置期間に関わらず対策を行なう(即時撤去)こととなった。なお、一連の対策については京都市内の他の地点(国道と近接して立地する駅の周辺)でも行なわれ、費用は国費でまかなわれる[36]

バス路線

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京都市交通局京阪バス三重交通大阪バス京都観光バス遠州鉄道バス停が、五条大橋東詰(五条通と川端通との交差点)東側の五条通沿いに設置されている[37]

かつては名神ハイウェイバス京都駅発着便の一部も停車していた(停留所名は「京阪五条」であった)。また、北陸ハイウェイバスも一部の便が経由していた。

隣の駅

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京阪電気鉄道
京阪本線
快速特急「洛楽」・ライナー・特急・通勤快急・快速急行
通過
急行・通勤準急(平日朝下りのみ運転)・準急・普通
七条駅 (KH37) - 清水五条駅 (KH38) - 祇園四条駅 (KH39)
  • 括弧内は駅番号を示す。

参考文献

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  • 月刊広報誌『くらしの中の京阪』各号(京阪電気鉄道)
  • 季刊広報誌『グラフ京阪』「1987京都地下線開通特集号」
  • 広報誌『K PRESS』各号内「くらしのなかの京阪」[38](京阪電気鉄道)
  • 「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道刊 2011年3月24日発行

脚注

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注釈

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  1. ^ 駅員の補助で車椅子の使用が可能。
  2. ^ 小さなキズ・色むらなどがあるが実用には問題が無いもの、注文品で失敗が出る事を想定して製作された余剰品(注文主の名前や屋号などがあり転売できないもの)など、「清水焼の正規品」として販売できないものなどの総称。

出典

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  1. ^ 京阪電鉄株式会社の表記による。[1]
  2. ^ a b 「丸太町 ⇒ 神宮丸太町」「四条 ⇒ 祇園四条」「五条 ⇒ 清水五条」京都市内の京阪線3駅の駅名を変更します』(PDF)(プレスリリース)京阪電気鉄道、2007年11月6日。オリジナルの2020年2月21日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200221085246/http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h19/2007-11-06-01.pdf2020年11月29日閲覧 
  3. ^ 鉄道ピクトリアル「京阪電気鉄道特集号」(電気車研究会、2009年8月増刊)P.81の掲載写真。
  4. ^ 『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』 P.34(関西鉄道研究会)
  5. ^ 『京都市水害誌』(1936年3月、京都市発行、京都府立京都学・歴彩館所蔵(資料ID110487853))
  6. ^ 出典・植村善博著『京都の治水と昭和の大水害』文理閣の「第5章 昭和9年9月室戸台風」「第6章 昭和10年6月京都大水害」
  7. ^ a b c d e f 出典:京阪開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」資料編142頁
  8. ^ 市民しんぶん東山区版「こちら東山」(4)~過去から未来へ~(京都市、2009年9月15日号)
  9. ^ 高橋修著『京阪電鉄、叡山電鉄、京福電鉄(嵐電) 1世紀の写真記録』アルファベータブックス ISBN 978-4-86598-826-0 62頁掲載の「五条大橋の竣工式」の写真より
  10. ^ a b 鉄道ピクトリアル『特集 京阪電気鉄道』P.78「京都市内の地下化工事の経過と今後の予定」(電気車研究会、1984年1月増刊)
  11. ^ a b 京都新聞1987年7月15日付夕刊・同16日付朝刊。
  12. ^ 「おけいはん.ねっと|駅情報局:清水五条駅」の構内図の「2010年3月20日現在」と記述より
  13. ^ 出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2018年1月号16面「くらしのなかの京阪」より
  14. ^ 出典・植村善博著『京都の治水と昭和大水害』文理閣の「第6章 昭和10年6月京都大水害」5.土木・交通などの被害
  15. ^ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編210頁
  16. ^ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編208頁
  17. ^ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編202.204頁
  18. ^ くらしの中の京阪 1982年11月号
  19. ^ くらしの中の京阪 1987年6月号/『京阪百年のあゆみ』資料編246頁
  20. ^ くらしの中の京阪 1988年9月号 / 開業80周年記念誌『過去が咲いてる今』巻末年表177頁
  21. ^ K PRESS 2009年2月号 P.16
  22. ^ K PRESS 2009年8月号 P.16
  23. ^ K PRESS 2009年12月号 P.16
  24. ^ K PRESS 2014年9月号 P.16
  25. ^ 出典:『K PRESS』2015年5月号16面「くらしのなかの京阪」より
  26. ^ 出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2016年11月号16面「くらしのなかの京阪」
  27. ^ 出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2017年4月号16面「くらしのなかの京阪」
  28. ^ 京阪電車 4駅に 外貨両替機設置 楽天infoseekニュース 12月30日閲覧 
  29. ^ 季刊広報誌『グラフ京阪』「1987京都地下線開通特集号」 P.5の五条駅の解説文(1987年、京阪電気鉄道)
  30. ^ a b 清水五条駅|駅構内図”. 京阪電気鉄道. 2022年9月20日閲覧。
  31. ^ 出典・「鉄道ピクトリアル」1991年12月増刊号『<特集>京阪電気鉄道』の45頁より
  32. ^ 『京阪百年のあゆみ[資料編]』より
  33. ^ 京都市統計ポータル/京都市統計書”. 2017年4月7日閲覧。1日平均乗降人員は暦年数値を日数で除したものであり、統計表は年1回実施される流動調査の実績を基礎として、京阪の提示する数値を基に京都市が作成している。
  34. ^ 京都府統計書「鉄道乗車人員」”. 2021年4月13日閲覧。1日平均乗車人員は年度数値を日数で除して算出。
  35. ^ お祭りの歴史(京都・五条坂 陶器まつり) - 陶器祭運営協議会(2010年9月1日閲覧)
  36. ^ きょうと市民しんぶん(2010年9月号5面)”. 京都市 (2010年9月1日). 2012年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月20日閲覧。
  37. ^ 五条京阪|のりばから探す|高速バス|京阪バス株式会社”. www.keihanbus.jp. 2022年9月20日閲覧。
  38. ^ 2000年4月号より「くらしのなかの京阪」が『K PRESS』の最終頁に内包

関連項目

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外部リンク

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