七条駅

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:地上線時代の駅舎・駅構内の画像提供をお願いします。2015年9月
七条駅
Keihan Shichijo station 20170204.jpg
七条駅地上出口
しちじょう
Shichijo
KH36 東福寺 (0.9km)
(0.7km) 清水五条 KH38
所在地 京都市東山区七条大橋東詰[1]
駅番号 KH  37
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 京阪本線
キロ程 47.0km(淀屋橋起点)
電報略号 七(駅名略称方式)
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
20,830人/日
-2017年-
開業年月日 1913年大正2年)4月27日
乗換 京都駅(徒歩約20分)[2]*
備考 * 案内放送等においては乗換駅とは案内されていない
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配線図

東福寺駅

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STR+BSr STR+BSl
STR+BSr STR+BSl
KRWgl KRWg+r
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清水五条駅

七条駅(しちじょうえき)は京都府京都市東山区にある京阪電気鉄道京阪本線。駅番号はKH37

歴史[編集]

京阪本線の開業当初は、七条大橋の北側の正面橋の付近に大仏前駅(駅名の由来は京の大仏を参照)、七条大橋の南側の塩小路橋の所に塩小路駅(1918年12月1日旅客営業廃止、1955年6月25日貨物営業廃止)が存在した。その後、京都市が七条通を拡幅して市電を敷設することになったため、乗換の便を図るべく大仏前駅を廃止し、その翌日に七条通に面した当駅が開業した[3]。 当時の駅レイアウトは七条通りを挟んで北側に大阪方面へのホーム・南側に三条行ホームが設置された千鳥配置で、市電との平面交差で架線が邪魔になるので踏切遮断器が設けられず、駅員が赤旗で人や車を止めていた。遮断機が設置されたのは京都市電が廃止された後1978年10月以降の事だった[4]

年表[編集]

  • 1913年大正2年)4月27日 - 開業する[3]
  • 1916年(大正5年)4月1日 - 急行停車駅となる[5]
  • 1935年昭和10年)6月29日 - 鴨川大水害により駅施設に大きな被害が発生する。7月1日に七条駅以南の運転を再開、同月3日に三条駅まで運転を再開する[6]
  • 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(現 阪急電鉄)の駅となる。
  • 1946年(昭和21年)1月20日 - 上りホームの床を支える木製桁が腐食で降車客15人が鴨川河川敷に転落する[7]
  • 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
  • 1950年(昭和25年)9月1日 - 特急運転開始に伴い、特急停車駅となる[8]
  • 1963年(昭和38年)4月15日 - 駅名表記を、旧字体の「七條」から新字体の「七条」に変更する。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 京阪電鉄で初の車掌用ホーム監視カメラとモニターを導入[9]
  • 1965年(昭和40年)12月30日 - 七条交差点で回送列車と自動車の接触事故が発生する[10]
  • 1978年(昭和53年)10月1日 - 京都市電の全廃(9月30日)により京都市電との平面交差を廃止する[3]。その後、七条通りには昇開式遮断機が設置され第3種踏切から第1種踏切になる。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 地下化工事に伴い線路を東側(琵琶湖疏水跡)へ、併せて三条行きホームを七条通り北側へそれぞれ移動し、七条通を挟んだ千鳥配置のホームを相対式ホームに変更する[4]
  • 1987年(昭和62年)
    • 5月24日 - 地下駅となる[11]
    • 7月15日 - 浸水事故により当駅以北が終日運休し、当駅で折り返し運転を行う[11]
  • 1988年(昭和63年)
    • 5月10日 - 地下化工事が竣工する。地上線跡に川端通りが開通する。
    • 9月1日 - 駅構内が終日禁煙となる[12]
  • 2008年平成20年)3月14日 - 身障者対応エレベーターを設置する。この際、出町柳行き改札内にあったトイレを改札外に変更する[13]
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 機械式駐輪場「エコステーション21七条西」が使用を開始する(同月15日、「エコステーション21七条東」も使用を開始)[14]
  • 2012年(平成24年)
    • 3月7日 - 大阪行きホームの売店が閉店する。
    • 11月14日 - ホーム異常通報装置を設置する[15]
  • 2015年(平成27年)春 - 駅ホーム・地下コンコースの照明がすべてLED照明に更新される[16]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月15日 - 事故情報などをリアルタイムに知らせる「旅客案内ディスプレー」を設置[17]
    • 3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急・特急のみ停車する時間帯が生まれた。
    • 12月15日 - 下りホームのトイレのリニューアル工事が竣工[18]

駅構造[編集]

淀屋橋方面ホーム

七条大橋東詰、川端通七条通との交差点の直下に位置し、相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。清水五条駅寄りに非常用渡り線が設置されているが、この渡り線は地上駅時代にも設置されていたものである。

当駅は地下1階に改札およびホームを両方備える一層形式である。そのため、改札口は各ホーム毎に独立して設けられており、改札内には互いのホームを結ぶ通路が存在しないが、改札外の地下には反対側改札口への連絡通路が線路の下を通る構造をとって設けられている[19]。このような構造のために、京阪にとっては当時行っていた折り返し乗車の扱い[20]運賃収受を確実にできるという産物もあった。

駅ホームのカラーリングは、「みやこぶりを表した高貴で奥ゆかしい『薄藤色()』」とされた[21]

のりば[編集]

番線 路線 方面 行先
1 京阪本線 上り 三条出町柳方面
2 下り 中書島枚方市淀屋橋中之島線方面

※上下ホームとも有効長は8両である。当駅以北の地下区間各駅では8両編成停車ができる。

駅の地下化時に、コンコース階の淀屋橋方面には宮永理吉作の壁画「鴨東連比」が、出町柳方面には西協友一作の幅4.4m・高さ1.3mの壁画「三十三間堂絵図」が設置された。なお、西脇は8800形2階建て特急車の壁面や三条駅のコンコースに画かれている時代祭行列図も手掛けている。

利用状況[編集]

2017年(平成29年)度の乗降客数は20,830人であった。

近年の1日あたり利用客数の推移は下記の通り[22][23]

年度 乗降人員 乗車人員
2008年 14,596 7,310
2009年 14,356 7,038
2010年 14,348 7,173
2011年 14,822 7,172
2012年 14,001 6,948
2013年 13,353 6,868
2014年 18,931 9,553
2015年 17,816 8,858
2016年 13,788 6,690
2017年 20,830 10,140

駅周辺[編集]

駅は川端通と七条通との交差点の地下にある。駅のすぐ西を鴨川が流れ、七条大橋がかかる。当駅と京都駅とは約1.2kmの位置にある[24]

駅東側[編集]

駅西側(鴨川対岸)[編集]

バス路線[編集]

バス停は、駅前の七条大橋東詰(七条通と川端通との交差点)の七条通沿いに設置されている。

なお、呼称は社局によって異なる。駅名は「しちじょう」だが、京阪バスを除き、バス停は「ななじょう」と読む[25](京阪バスのみが「しちじょうけいはんまえ」と称す)。

七条京阪前バス停

京阪七条バス停

京阪七条駅バス停

塩小路駅[編集]

七条駅が開設される前の、京阪本線が開通した1910年(明治43年)4月15日に開設された駅。七条駅の1筋南側の塩小路通の南側に造られた[26]京阪本線の建設中に塩小路通 - 五条通間の土地買収が遅れ、塩小路駅からの暫定開業も検討されが、京都市より「(軌道敷設の免許付で)鴨川と琵琶湖疏水の間の堤防に線路を敷いては」との提案を受け入れて鴨川縁に線路が敷設されたため[要出典]、始発駅として暫定開業は無くなり途中駅として開業した。その後京都市の都市計画に基づき1913年(大正2年)4月に七条通りが拡幅され市電が通され、連絡のために七条駅が建設されたが大仏前駅のように代替で廃止されることなく、1918年(大正7年)11月30日まで5年半にわたって旅客営業を続け、旅客営業廃止後も貨物専用駅として1955年(昭和30年)6月25日の貨物輸送の廃止まで貨物駅として存在した[27]

貨物運輸は1913年(大正2年)7月4日に開始され、1937年(昭和12年)6月のダイヤ時点では塩小路駅 - 天満橋駅間に定期貨物電車が3往復、不定期が3往復、塩小路駅始発で中書島駅で宇治線へ乗り入れ往復後に天満橋駅へ運行する列車が1本設定されていた[28]。戦後も1946年(昭和21年)2月時点で1日2往復、1953年(昭和28年)9月には1往復の定期貨物電車が運行されていた。この当時は、塩小路通りの踏切を越えたところで一旦停車し、後退して塩小路駅構内に入り、天満橋行きは一度三条駅まで北上してから折り返して運行された[29]

隣の駅[編集]

京阪電気鉄道
京阪本線
快速特急「洛楽」
京橋駅 (KH04) - 七条駅 (KH37) - 祇園四条駅 (KH39)
特急・ライナー(平日のみ)・通勤快急(平日下りのみ)・快速急行
丹波橋駅 (KH30) - 七条駅 (KH37) - 祇園四条駅 (KH39)
急行
伏見稲荷駅 (KH34) - 七条駅 (KH37) - 清水五条駅 (KH38)
通勤準急(平日下りのみ)・準急・普通
東福寺駅 (KH36) - 七条駅 (KH37) - 清水五条駅 (KH38)
  • 括弧内は駅番号を示す。

脚注[編集]

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  1. ^ 外部リンク(京阪電鉄)の表記に準拠。
  2. ^ おけいはん.ねっと|京阪電車へのアクセス「JR京都駅から」をクリック。
  3. ^ a b c 参考文献『京阪百年のあゆみ』資料編142頁の各駅紹介・年表184頁
  4. ^ a b 出典・駅置き月刊広報誌「くらしの中の京阪 1982年4月号」、参考文献「鉄道ピクトリアル」1984年1月増刊号の68頁に七条駅の新線工事中の写真(撮影1982年2月7日)が掲載されている
  5. ^ 出典・関西鉄道研究会編 「車両発達史シリーズ1『京阪電気鉄道』」 30頁の「1-2急行運転開始」より
  6. ^ 文理閣刊「京都の治水と昭和大水害」155頁『第6章 昭和10年6月京都大水害 』「4)交通機関」より抜粋
  7. ^ 『京阪百年のあゆみ』資料編206頁の年表より
  8. ^ 出典・関西鉄道研究会編 「車両発達史シリーズ1『京阪電気鉄道』」 37頁の「5-1京阪特急の登場」より
  9. ^ 参考文献・「鉄道ピクトリアル2009年8月増刊号特集京阪電気鉄道」98頁・「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション25『京阪電気鉄道』1960~1970」145頁
  10. ^ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編226頁の年表より
  11. ^ a b 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編247頁の年表より
  12. ^ 出典・駅置き月刊広報誌「くらしの中の京阪 1988年9月号」
  13. ^ トイレ入口はホームに面していたが、ホームに柵を設置して改札外の通路に変更。また出町柳行きホームへ通じるエレベーターもホーム上に設置され、柵で区切られた通路を通る。
  14. ^ 駅置き月刊沿線情報誌『K・PRESS』2011年4月号16面「くらしのなかの京阪」
  15. ^ 駅置き月刊沿線情報誌『K・PRESS』2013年1月号16面「くらしのなかの京阪」
  16. ^ 出典:『K PRESS』2015年5月号16面「くらしのなかの京阪」より
  17. ^ 出典・駅置きの沿線情報誌『K PRESS』2016年3月号16面「くらしのなかの京阪」
  18. ^ 出典・駅置きの沿線情報誌『K PRESS』2017年1月号16面「くらしのなかの京阪」
  19. ^ 京阪本線は、当駅と東福寺駅間にある塩小路通との交差部の南側で地上線から地下線に切り替わる線形をとっているが、JR東海道線をアンダーパスして塩小路通までの勾配区間の間は約140m・地下線開口部と七条駅ホーム南端は約220mしか離れていないことから、京阪本線の最急勾配の33パーミル勾配(天満橋駅から地上へ・枚方市駅の大阪側・萱島駅の寝屋川車庫への出入庫線と同じ)の線形をとったとしても琵琶湖疏水の送水管・ライフラインの下に地下二層式の駅を建設することは無理があることから、このような構造になった(出典:電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1984年1月増刊号特集「京阪電気鉄道」の記事『京都市内の地下化工事の経過と今後の予定』)
  20. ^ 専用乗車券を購入することで、東福寺駅以南の駅から一旦七条駅に向かった後、京橋 - 淀屋橋間の各駅に向かう扱い。1989年当時の「京阪時刻表」や駅ポスターでは、「折り返し乗車には、特別きっぷを発売。」と宣伝していた。
  21. ^ 季刊広報誌『グラフ京阪』京阪電気鉄道、1987年、『京都地下線開通特集号』P7(七条駅の紹介文)
  22. ^ 京都市統計ポータル/京都市統計書”. 2017年4月7日閲覧。1日平均乗降人員は暦年数値を日数で除したものであり、統計表は年1回実施される流動調査の実績を基礎として、京阪の提示する数値を基に京都市が作成している。
  23. ^ 京都府統計書「鉄道乗車人員」”. 2015年4月6日閲覧。1日平均乗車人員は年度数値を日数で除して算出。
  24. ^ NAVITIME 七条から京都駅八条口までの徒歩経路[1]
  25. ^ 「一条」・「四条」との混同を避けるため、市電時代の停留場名である「七条大橋(ななじょうおおはし)」以来、「ななじょう」と呼ばれている(参考:七条の読み方、「しちじょう」「ななじょう」どっち? - 京都新聞(2013年2月20日付)
  26. ^ 出典・関西鉄道研究会季刊誌「『関西の鉄道』No.17「京阪電気鉄道特集 part2」30頁掲載の当時の地図より。これは京阪電気鉄道開業50周年記念誌『鉄路50年』より抜粋、とのこと。
  27. ^ 参考文献・「車両発達史シリーズ『京阪電気鉄道』146‐149頁、第11章「貨車のあらまし・創業期から1950年代まで」、『京阪百年のあゆみ』資料編142頁(各駅紹介)、同216頁(年表)より。
  28. ^ 出典・『鉄道ピクトリアル』2009年8月増刊「特集 京阪電気鉄道」144‐151頁「京阪電車の戦後史」の中の145頁掲載のダイヤグラムより
  29. ^ 出典・『鉄道ピクトリアル』2009年8月増刊「特集 京阪電気鉄道」144‐151頁「京阪電車の戦後史」の中の145.146頁の『役割を終えた貨物電車』より

関連項目[編集]

外部リンク[編集]