中山定義

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中山 定義
Nakayama Sadayoshi.jpg
1942年5月27日 サンチアゴにて撮影
生誕 1905年8月16日
日本の旗 日本 島根県
死没 (1995-01-16) 1995年1月16日(89歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 Naval Ensign of Japan.svg 大日本帝国海軍
No image available.svg 海上警備隊
Flag of Coastal Safety Force of Japan 2012-03-04.jpg 警備隊
Naval Ensign of Japan.svg 海上自衛隊
軍歴 1926 - 1945(日本海軍)
1952 - 1954(警備隊)
1954 - 1963(海自)
最終階級 OF-4 - Kaigun Chusa.gif 海軍中佐(日本海軍)
JMSDF Admiral insignia (a).svg 海上幕僚長たる海将(海自)
除隊後 石川島播磨重工業顧問
日本ジョン・エス・ラチス会長
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中山 定義(なかやま さだよし、1905年明治38年)8月16日 - 1995年平成7年)1月16日[1])は、日本の海軍軍人海上自衛官。第4代海上幕僚長島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった[1]。長男は第10代明治学院長の中山弘正[1]

略歴[編集]

旧制島根県立大社中学校より海軍兵学校第54期入校。席次は入校時79名中4番、卒業時68名中3番。

ワシントン軍縮会議の結果、艦船のみならず海軍士官も余剰と判断され、海軍兵学校の採用が激減し通常年度の半分以下になった第2期生である。

主に軍政部門に在勤した。海軍大学校甲種第36期在籍中に日中戦争が勃発、人手不足も手伝って、急遽大学校在籍者も駆出され、中山は中国在勤を命ぜられる。

チリから交換船で帰国後は、海軍省軍務局で米内光政井上成美高木惣吉横山一郎などに重用され、終戦に至る数々の機密事項に関与した。また海軍の伝統的な「陸軍嫌い」から陸軍内部の情報が乏しいと感じ、自ら陸軍軍務局の政治将校に近づき彼らから情報を収集したりしている。その中には宮城事件を起こす椎崎二郎中佐、畑中健二少佐もおり、東京が空襲で焼け野原になってもなお「神洲不滅論」を振り回し本土決戦を主張する彼らに対して数字や戦史を以て説得するも全く効果がなく、『海軍が(本土決戦)に反対ならまず海軍を抹殺する』という彼らの言葉(中山自身はこれを「二・二六病」と表現している)に完全に呆れつつも、「陸軍中堅層が本土決戦に持ち込むつもりなのは事実で、正気かどうかはさておき本気です」と米内や井上など上層部に報告したりしている。

戦後、公職追放を経て[2]、その後は中山は尊敬する先輩の野村吉三郎の勧めもあり海上自衛隊に入隊したが、海軍在職中の経歴に依り海上自衛隊内部に於いて超特急進級を果たしたとされる。

海上自衛隊幹部学校長在任中、自衛隊幹部ですら戦争体験者が少ないことが原因で戦史教育に不備を抱いた中山は、外部から旧海軍高級士官を特別講師として招聘する事になった。特別講師には自薦者もおり依頼してみたものの、中には太平洋戦争中の自身の業績を極端に美化させ歪曲し糊塗する者も少なからず存在し、中山や聴取者にとって心外と感じたり強度の困惑と忍耐と堪忍とを必要としたと言う。その講師達の中にあって、中山にとって山梨勝之進長谷川清寺島健新見政一高木惣吉の5名は、講話内容に関し絶対に間違い無く安心できる存在だったと言われている。また井上成美にも特別講師を依頼したが断られ、後に学校幹部が井上宅に赴き聴取した内容を学生に講話するという形態を用いた。

1995年1月16日午後0時6分、急性心不全のため東京都世田谷区の病院で死去、89歳[1](妻も同日午後6時5分、肺炎のため同区内の別の病院で死去、81歳[1])。葬儀と告別式は同月22日午後2時から新宿区の葬儀場で妻と合同で行われ、喪主は長男の弘正が務めた[1]

年譜[編集]

主要著述物[編集]

  • 一海軍士官の回想(毎日新聞社
  • 活字の一人歩きを憂う 池田清著『海軍と日本』に関して (波濤) 昭和57年5月号
  • ある人脈を偲ぶ 山梨提督とその周辺 (波濤) 昭和58年3月号

参考文献[編集]

栄典[編集]

  • US Legion of Merit Commander ribbon.png レジオン・オブ・メリット・コマンダー - 1963年(昭和38年)5月9日
  • JPN Zuiho-sho (WW2) 2Class BAR.svg 勲二等瑞宝章 - 1975年(昭和50年)11月3日

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 朝日新聞大阪版 1995年1月18日 25面。
  2. ^ 公職追放の該当事項は「海軍中佐」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年422頁。NDLJP:1276156 
  3. ^ 朝雲新聞 昭和38年5月16日
  4. ^ 『官報』本紙第14654号(昭和50年11月7日)
  5. ^ 『官報』本紙第1588号(平成7年2月21日)