コンテンツにスキップ

「リーゼント」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
8行目: 8行目:
側頭部から後頭部を[[ポマード]]、[[ワックス]]などの[[整髪料]]で両サイドの髪を流し、後頭部でIの字型にぴったり合わせた'''ダックテイル'''(英:[[:en:Duck's ass|Duck's ass]]または duck's tail)と呼ばれる[[髪型]]と、[[イギリス]]の首都[[ロンドン]]の[[ウエスト・エンド (ロンドン)|ウエストエンド]]地区にある左右双子の大通り「'''[[リージェント・ストリート]] ([[:en:Regent Street|Regent Street]]) '''」に由来する。両サイドの髪を撫で付け、後頭部でIの字型にぴったり合わせた髪型を頭上から見た流れ<!--(両側頭部から流し、後頭部で合わせる)-->が、膨らんで合流する(左右二手に分裂し中間で膨らみ再び合流する)この大通りの軌道に似ていることがその名の由来となった。
側頭部から後頭部を[[ポマード]]、[[ワックス]]などの[[整髪料]]で両サイドの髪を流し、後頭部でIの字型にぴったり合わせた'''ダックテイル'''(英:[[:en:Duck's ass|Duck's ass]]または duck's tail)と呼ばれる[[髪型]]と、[[イギリス]]の首都[[ロンドン]]の[[ウエスト・エンド (ロンドン)|ウエストエンド]]地区にある左右双子の大通り「'''[[リージェント・ストリート]] ([[:en:Regent Street|Regent Street]]) '''」に由来する。両サイドの髪を撫で付け、後頭部でIの字型にぴったり合わせた髪型を頭上から見た流れ<!--(両側頭部から流し、後頭部で合わせる)-->が、膨らんで合流する(左右二手に分裂し中間で膨らみ再び合流する)この大通りの軌道に似ていることがその名の由来となった。


他の説としては、1930年代のリーント街で流行っていた「サイド(横)を後方に流す髪型」が雑誌や映画などで日本に伝わり、現在のような髪型全体を指してリーゼントと呼ぶようになったというものである<ref>[https://www.tokoyanori.com/5701/ リーゼントに憧れてる人に知ってもらいたいリーゼントの種類。]</ref><ref>[https://grapee.jp/282237/2 リーゼントはどこ? 意外な事実が判明し、「知らなかった」の声が続出]</ref>。
他の説としては、1930年代のリージェント街で流行っていた「サイド(横)を後方に流す髪型」が雑誌や映画などで日本に伝わり、現在のような髪型全体を指してリーゼントと呼ぶようになったというものである<ref>[https://www.tokoyanori.com/5701/ リーゼントに憧れてる人に知ってもらいたいリーゼントの種類。]</ref><ref>[https://grapee.jp/282237/2 リーゼントはどこ? 意外な事実が判明し、「知らなかった」の声が続出]</ref>。


さらには、1930年代にイギリスの[[摂政皇太子]](英語でプリンス・リーゼント)だった[[エドワード8世]]に由来しているという説もある。
さらには、1930年代にイギリスの[[摂政皇太子]](英語でプリンス・リーゼント)だった[[エドワード8世]]に由来しているという説もある。
36行目: 36行目:


== 考案者 ==
== 考案者 ==
ポンパドール+ダックテールを組み合わせた髪型は、1950年代になって突如としてエルヴィス・プレスリーが始めたわけではなく、その前兆はロサンゼルス、ロンドン、東京など流行に敏感な都市ではすでに1930年代から見られていた。1930年代に流行していた、ポマードで前髪と横の髪を後ろになでつけるオールバックが徐々に発展し、1950年代の洗練された後頭部でIの字に揃えるダックテールと、前髪は一度前に膨らませてから後ろに持っていくポンパドールに行き着いたと考えられる<ref>[https://limmerhtc.com/mens-hairstyle-trends-years-1930s-2016/ Men’s Hairstyle Trends Over The Years: 1930s to 2016]</ref>。そもそも、女性の髪型ではポンパドールや日本髪の[[高島田]]のような前髪の造形は以前から行われていた。
[[中国放送|RCC中国放送]]の調査では、現在の日本で見られるリーゼントスタイル{{どれ|title=ダックテールのことか、ポンパドールのことか、ヤンキー風リーゼントのことか|date=2020年9月}}は、戦後<!--昭和24年に考案、昭和26年に受賞?詳しい資料募集-->に[[尾道市]]の理容師・小田原俊幸([[1922年]] -2011年8月18日<ref>[http://bisan.co.jp/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%95%A3%E9%AB%AA%E5%BA%97-p-onoken016/|小田原散髪店の事なら 尾道見聞録に詳しい 路地ニャン公の尾道ホッと情報] - 2011年8月18日、小田原俊之さんは永眠された。享年88才。(数え年で言えば90才だ。) この情報は、吾輩の主人が小田原さんが倒れて以降、世話になっている小田原さんの愛弟子の一人・岡田理容院(尾道市東久保町)で知ったものだ。小田原俊之さんに師事した弟子は総勢31名だったという。 - 2016年8月22日閲覧 </ref>)によって確立されたものだという。RCC中国放送の「[[敬老の日]]特集」(2006年[[9月18日]]放送)の時点で小田原の現役生活は70年に及んでおり、番組中には<!--84歳とは思えぬ-->鮮やかなはさみ捌きを披露し「まずは90歳まで現役でいること。それから95歳、100歳。理容師の長寿世界一を目指したい」と意気込みを語った。


;日本
もう一人、リーゼントの考案を主張している者に、銀座の理容師である増田英吉がいる<ref>[http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent 昭和唱和ショー「リーゼント」 - 無駄じゃ無駄じゃ(?)]</ref>。彼は1933年頃に、当時流行だったオールバックに伝統的な日本[[高島田]]から着想を得た膨らんだ前髪を合わせて、リーゼントを考案したと語っている<ref>Masuda, Eikichi. Rekishi kara Mita Gendai no Heā-Fasshon (Contemporary Hairstyles as Seen From History). Zenkoku Riyō Kankyō EIsei Dōgyō Kumiai Renḡokai, 1972. p.71-72</ref>。この髪型は、1936年の「日本理容通信」にも時のイギリス[[摂政皇太子]](プリンス・リーゼント)だった[[エドワード8世]]の写真とともに紹介されているとう<ref>[https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/ History of the Regent]</ref>。この髪型は[[エノケン]]も採用した<ref>[https://www.1101.com/edo/images_asakusa/081031-enoken_b.jpg エノケン、オールバック写真]</ref>が、50年代のリーゼントと比べると前髪のボリュームはそれほどない。戦争の激化につれて奢美な髪型は戒められたが、戦後の1947年の[[アメ横]]の闇市ではこのリーゼントの若者が復活したと言う。これがどのような髪型だったのかは、当時の写真などの調査資料が待たれる。
[[中国放送|RCC中国放送]]の調査では、現在の日本で見られるリーゼントスタイル{{どれ|title=ダックテールのことか、ポンパドールのことか、ヤンキー風リーゼントのことか|date=2020年9月}}は、戦後<!--昭和24年に考案、昭和26年に受賞?詳しい資料募集-->に[[尾道市]]の理容師・小田原俊幸([[1922年]] -2011年8月18日<ref>[http://bisan.co.jp/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%95%A3%E9%AB%AA%E5%BA%97-p-onoken016/|小田原散髪店の事なら 尾道見聞録に詳しい 路地ニャン公の尾道ホッと情報] - 2016年8月22日閲覧 </ref>)によって確立されたものだという。<ref>RCC中国放送の「[[敬老の日]]特集」(2006年[[9月18日]]放送)の時点で小田原の現役生活は70年に及んでおり、番組中には<!--84歳とは思えぬ-->鮮やかなはさみ捌きを披露し「まずは90歳まで現役でいること。それから95歳、100歳。理容師の長寿世界一を目指したい」と意気込みを語った。2011年8月18日、小田原俊之さんは永眠された。享年88才(数え年で言えば90才)であった。<!--この情報は、吾輩の主人が小田原さんが倒れて以降、世話になっている小田原さんの愛弟子の一人・岡田理容院(尾道市東久保町)で知ったものだ。-->小田原俊之さんに師事した弟子は総勢31名だったという。</ref>


もう一人、リーゼントの考案を主張している者に、銀座の理容師である増田英吉がいる<ref>[http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent 昭和唱和ショー「リーゼント」 - 無駄じゃ無駄じゃ(?)]</ref>。彼は1933年頃に、欧米を中心に流行だったオールバック日本頭部の形に適するよう一度前に膨らせてから後ろになでるける、リーゼントを考案したと語っている<ref>Masuda, Eikichi. Rekishi kara Mita Gendai no Heā-Fasshon (Contemporary Hairstyles as Seen From History). Zenkoku Riyō Kankyō EIsei Dōgyō Kumiai Renḡokai, 1972. p.71-72</ref>。この髪型は、1936年の「日本理容通信」にも時のイギリス[[摂政皇太子]](プリンス・リーゼント)だった[[エドワード8世]]の写真とともに紹介されているとう<ref>[https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/ History of the Regent]</ref>。この髪型は[[エノケン]]も採用した<ref>[https://www.1101.com/edo/images_asakusa/081031-enoken_b.jpg エノケン、オールバック写真]</ref>が、50年代のリーゼントと比べると前髪のボリュームはそれほどない。戦争の激化につれて奢美な髪型は戒められたが、戦後の1947年の[[アメ横]]の闇市ではこのリーゼントの若者が復活したと言う。これがどのような髪型だったのかは、当時の写真などの調査資料が待たれる。
アメリカの[[グリーサー]] ([[:en:Greaser (subculture)|Greaser]]) と呼ばれた若者の不良たちも、1940年代から[[ポマード]]でガチガチに固めた髪型をしていた(グリーサーの名前の通り、[[グリース]](潤滑油)を塗ったようなテカテカの頭をしていた)。この文化が発展して、1950年代の前髪のボリュームや造形に行き着いたとも考えられる。そもそも、1930年代から当時流行のオールバックに、前髪を長めにしてボリュームを持たせるスタイルが始まっており([[クラーク・ゲーブル]]など)、1940年代にはさらにボリュームのある前髪も見られる<ref>[https://www.dmarge.com/2016/03/iconic-mens-hairstyles-history-1920-1969.html THE MOST ICONIC MEN’S HAIRSTYLES IN HISTORY: 1920 – 1969]</ref>。また、1925年の小説[[グレート・ギャッツビー]]の主人公ジェイ・ギャッツビーは、10代の頃は(当時は女性の髪型だった)ポンパドールにしていたと言う記述がある。これらが、1950年代の洗練されたダックテールとポンパドール(またはクィッフ)に行き着く前兆と見ることもできる<ref>[https://limmerhtc.com/mens-hairstyle-trends-years-1930s-2016/ Men’s Hairstyle Trends Over The Years: 1930s to 2016]</ref>。前髪と横の髪を後ろになでつけるオールバックが発展し、後頭部でIの字に揃えるダックテールと、前髪は一度前に膨らませてから後ろに持っていくポンパドールに行き着いたと考えられる。

;アメリカ
1925年の小説[[グレート・ギャッツビー]]の主人公ジェイ・ギャッツビーは、10代の頃は(当時は女性の髪型だった)ポンパドールにしていたと言う記述がある。

1930年代半ばから40年代を通じて、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人の[[パチューコ]] ([[:en:Pachuco|Pachuco]]) /女性はパチューカと呼ばれた不良グループは、すでにポンパドールの髪型を始めており、40年代半ばにはダックテールとポンパドールを組み合わせた髪型も始めている<ref>[https://www.pbs.org/wgbh/americanexperience/features/zoot-suit-culture/ Zoot Suit Culture]</ref>。[[ズート・スーツ]] ([[:en:Zoot suit|Zoot suit]]) を着て、ポンパドールにセットするのが彼らのファッションだった<ref>[https://www.messynessychic.com/2016/03/01/the-dandy-suit-that-america-banned-and-caused-a-riot/ The Dandy Suit that America Banned and Caused a Riot]</ref>。

また白人の映画俳優の間でも、1930年代から、当時流行のオールバックに前髪を長めにしてボリュームを持たせるスタイルが始まっており([[クラーク・ゲーブル]]など)、1940年代にはさらにボリュームのある前髪も見られる<ref>[https://www.dmarge.com/2016/03/iconic-mens-hairstyles-history-1920-1969.html THE MOST ICONIC MEN’S HAIRSTYLES IN HISTORY: 1920 – 1969]</ref>。1940年代のアメリカでは、すでに多くの若者がポンパドールの髪型をしている写真の記録が残っている<ref>[https://vintagedancer.com/1940s/1940s-mens-hairstyles-facial-hair/ 1940s Men’s Hairstyles & Facial Hair]</ref>。

1940年代の[[グリーサー]] ([[:en:Greaser (subculture)|Greaser]]) と呼ばれた不良の若者たちも、[[ポマード]]でガチガチに固めた髪型をしていた(グリーサーの名前の通り、[[グリース]](潤滑油)を塗ったようなテカテカの頭をしていた)。彼らの中にはダックテールにしているものもいた。


== リーゼントの著名人 ==
== リーゼントの著名人 ==

2020年9月9日 (水) 04:41時点における版

ダックテール=リーゼント(和製英語)

リーゼントまたはリーゼント・スタイル英語: Regent style)とは、ヘアワックスポマードなどの整髪料を利用し、両側頭部から髪を撫で付け後頭部でIの字型にぴったりと合わせる髪型ダックテイルの一種で、日本理容師による和製英語である。ポンパドールという髪型と混同される場合があるが、リーゼントと組み合わせてセットされることがあるものの、これらは本来個別のスタイルである。

概要

リージェント・ストリート(片側)

側頭部から後頭部をポマードワックスなどの整髪料で両サイドの髪を流し、後頭部でIの字型にぴったり合わせたダックテイル(英:Duck's assまたは duck's tail)と呼ばれる髪型と、イギリスの首都ロンドンウエストエンド地区にある左右双子の大通り「リージェント・ストリート (Regent Street) 」に由来する。両サイドの髪を撫で付け、後頭部でIの字型にぴったり合わせた髪型を頭上から見た流れが、膨らんで合流する(左右二手に分裂し中間で膨らみ再び合流する)この大通りの軌道に似ていることがその名の由来となった。

他の説としては、1930年代のリージェント街で流行っていた「サイド(横)を後方に流す髪型」が雑誌や映画などで日本に伝わり、現在のような髪型全体を指してリーゼントと呼ぶようになったというものである[1][2]

さらには、1930年代にイギリスの摂政皇太子(英語でプリンス・リーゼント)だったエドワード8世に由来しているという説もある。

この髪型を和製英語のリーゼントと命名したのは、日本の理容師である小田原俊幸とされる(#考案者参照)。

最大の特徴は後頭部での形状にあるが、日本ではしばしば前髪を高くしたポンパドールを指すものと誤解されている。リーゼント・スタイルと合わせて使われることの多い、フラットトップやモヒカン刈りに近いタイプのポンパドールは、米国ではポンパドールを略してポンプ (POMP)とも呼ばれ、英国ではクイッフ(英:quiff)と呼ばれる。リーゼントとポンパドールの合わせ技は、1950年代にエルビス・プレスリーの影響で世界的に流行し、日本では1980年代にもリバイバルで流行した。

歴史

エルビス・プレスリー(1954年)。後頭部をダックテール、前髪をポンパドールにしている

ダックテール(Ducktail)は、後頭部で左右の髪を合わせた容がアヒルの後ろ姿に似ていることから、この名前がついた。初期の発案者としては、フィラデルフィアの理髪師Joe Cirelloが「Duck's Ass」として1939年に考案し、1940年代にハリウッドで賞を受賞した[3]。リーゼントの元祖であるこのダックテールも、櫛で後頭部に縦筋を入れたアルファベットのIの字型(後頭部上部から襟足までぴったりと合わせた容姿)である。

1950年代、アメリカでは頭頂部を短く平らに刈り込んだスタイル「フラットトップ (Flattop)」にし、後頭部を大変お洒落な「ダックテール (Duck tail)」にするというような手の込んだ形状のデザイナーズスタイルが流行した(ザ・デトロイトと呼ばれた)。

また、ロックンローラーやロカビリアン達の間でも、後頭部をダックテールにし、前髪を「ポンパドール (Pompadour) 」にした合わせ技に人気があった。これは、現代[いつ?]の直線的なものと異なり、櫛でいかに美しく色気のある曲線に梳かし立てるかを競った芸術的なものであった(1955年頃のエルヴィス・プレスリーのポンパドールは美しい'曲線'である)。

カリフォルニアでは、ダックテールに加えて長めの前髪をウェーブのかかったポンパドールにする「ブレーカー (Breaker)」と言われる髪型が流行った。

同時期のイギリスでは、後髪をダックテールにし、ボリュームのある前髪を垂らす「クィッフ (Quiff)」にするスタイルが、テッズ (Teddy Boys) やロッカーズと呼ばれる若者の間で流行となった。

日本でも戦後のアメリカの影響下で、1950年代にリーゼント(ダックテール+ポンパドール)はロカビリーと共に流行したが、面倒なダックテールは数年で廃れる事となった。本来、リーゼントは上記ダックテールと同義的意味の名称であったが、1960年頃には本来はダックテール(後頭部の髪型)とのコンビネーションスタイルであるポンパドール(前頭部の髪型)だけが残り、これがポンパドールをリーゼントと混同する誤解の原因であると考えられる。

その後1980年代に入り、ロンドンの50'sリバイバル、プレスリーなどのロカビリーブームとともに流行は東京に飛び火し、竹下通りにたむろするロックンローラー族の若者たちなどはこぞってポンパドールを併せ持ったリーゼントスタイルを愛好した。70年代のロンドンのテッズのリーゼントのトサカは、80年代の日本のヤンキー漫画ばりに非常に巨大化している[4]

また、不良ヤンキーの代名詞としてリーゼント(より狭義にはポンパドール)が認識されている場合がある。原因としては、不良スタイルで一世を風靡した横浜銀蠅パンチパーマをかけたポンパドールスタイルであったため、「不良=リーゼント」という認識が広まったためと考えられる。しかし、前述のように、これはポンパドールの間違いでありリーゼントスタイルではない。

考案者

ポンパドール+ダックテールを組み合わせた髪型は、1950年代になって突如としてエルヴィス・プレスリーが始めたわけではなく、その前兆はロサンゼルス、ロンドン、東京など流行に敏感な都市ではすでに1930年代から見られていた。1930年代に流行していた、ポマードで前髪と横の髪を後ろになでつけるオールバックが徐々に発展し、1950年代の洗練された後頭部でIの字に揃えるダックテールと、前髪は一度前に膨らませてから後ろに持っていくポンパドールに行き着いたと考えられる[5]。そもそも、女性の髪型ではポンパドールや日本髪の高島田のような前髪の造形は以前から行われていた。

日本

RCC中国放送の調査では、現在の日本で見られるリーゼントスタイル[どれ?]は、戦後に尾道市の理容師・小田原俊幸(1922年 -2011年8月18日[6])によって確立されたものだという。[7]

もう一人、リーゼントの考案を主張している者に、銀座の理容師である増田英吉がいる[8]。彼は1933年頃に、欧米を中心に流行だったオールバックを日本人の頭部の形に適するよう一度前に膨らませてから後ろになでるける、リーゼントを考案したと語っている[9]。この髪型は、1936年の「日本理容通信」にも時のイギリス摂政皇太子(プリンス・リーゼント)だったエドワード8世の写真とともに紹介されているという[10]。この髪型はエノケンも採用した[11]が、50年代のリーゼントと比べると前髪のボリュームはそれほどない。戦争の激化につれて奢美な髪型は戒められたが、戦後の1947年のアメ横の闇市ではこのリーゼントの若者が復活したと言う。これがどのような髪型だったのかは、当時の写真などの調査資料が待たれる。

アメリカ

1925年の小説グレート・ギャッツビーの主人公ジェイ・ギャッツビーは、10代の頃は(当時は女性の髪型だった)ポンパドールにしていたと言う記述がある。

1930年代半ばから40年代を通じて、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人のパチューコ (Pachuco) /女性はパチューカと呼ばれた不良グループは、すでにポンパドールの髪型を始めており、40年代半ばにはダックテールとポンパドールを組み合わせた髪型も始めている[12]ズート・スーツ (Zoot suit) を着て、ポンパドールにセットするのが彼らのファッションだった[13]

また白人の映画俳優の間でも、1930年代から、当時流行のオールバックに前髪を長めにしてボリュームを持たせるスタイルが始まっており(クラーク・ゲーブルなど)、1940年代にはさらにボリュームのある前髪も見られる[14]。1940年代のアメリカでは、すでに多くの若者がポンパドールの髪型をしている写真の記録が残っている[15]

1940年代のグリーサー (Greaser) と呼ばれた不良の若者たちも、ポマードでガチガチに固めた髪型をしていた(グリーサーの名前の通り、グリース(潤滑油)を塗ったようなテカテカの頭をしていた)。彼らの中にはダックテールにしているものもいた。

リーゼントの著名人

エルヴィス・プレスリーElvis Aaron Presley
ポンパドール&ダックテール(1950年代ロカビリー時代)ヘアの代表的ロックアンドローラー。
ジェームズ・ディーン
エデンの東』や『理由なき反抗』の俳優。1950年代のアメリカの不良ヘアの代表者の一人。
リトル・リチャード
ロックンロールの草分けの一人。50年代は黒人特有のボリュームのあるリーゼントヘアであった。
エヴァリー・ブラザース
50年代のロックミュージシャン。二人揃ってリーゼントヘアである。
ザ・ビートルズ
デビュー当時のマッシュルーム・カットや後期のロング・ヘアが有名だが、デビュー以前にドイツハンブルクで活動していた頃は、前髪をソフトなポンパドールスタイルに、後頭部はぴったり合わせたリーゼントスタイルであった。
クールス
デビュー当時からメンバー全員リーゼント(バックをリーゼントスタイルにした本物)が原則。なお、この原則を作ったのは舘ひろしである。また、ボーカリストの村山一海は、クレイジーケンバンド横山剣(同じく元クールス)いわく「芸能界でリーゼントが似合うNo.1」とのこと。
ストレイキャッツ
1980年代のロカビリーバンド。全員がダックテール。

関連項目

脚注

  1. ^ リーゼントに憧れてる人に知ってもらいたいリーゼントの種類。
  2. ^ リーゼントはどこ? 意外な事実が判明し、「知らなかった」の声が続出
  3. ^ Wallace, Andy (1994年2月15日). “'Duck Cut' inventor Cirello, barber to stars dies at 79”. Ocala Star-Banner. https://news.google.com/newspapers?nid=1356&dat=19940215&id=jMhPAAAAIBAJ&sjid=_AcEAAAAIBAJ&pg=5411,2815587 2014年2月24日閲覧。 
  4. ^ 男は黙ってリーゼント。髪型にこだわる男たちの美意識。
  5. ^ Men’s Hairstyle Trends Over The Years: 1930s to 2016
  6. ^ 尾道見聞録に詳しい 路地ニャン公の尾道ホッと情報 - 2016年8月22日閲覧
  7. ^ RCC中国放送の「敬老の日特集」(2006年9月18日放送)の時点で小田原の現役生活は70年に及んでおり、番組中には鮮やかなはさみ捌きを披露し「まずは90歳まで現役でいること。それから95歳、100歳。理容師の長寿世界一を目指したい」と意気込みを語った。2011年8月18日、小田原俊之さんは永眠された。享年88才(数え年で言えば90才)であった。小田原俊之さんに師事した弟子は総勢31名だったという。
  8. ^ 昭和唱和ショー「リーゼント」 - 無駄じゃ無駄じゃ(?)
  9. ^ Masuda, Eikichi. Rekishi kara Mita Gendai no Heā-Fasshon (Contemporary Hairstyles as Seen From History). Zenkoku Riyō Kankyō EIsei Dōgyō Kumiai Renḡokai, 1972. p.71-72
  10. ^ History of the Regent
  11. ^ エノケン、オールバック写真
  12. ^ Zoot Suit Culture
  13. ^ The Dandy Suit that America Banned and Caused a Riot
  14. ^ THE MOST ICONIC MEN’S HAIRSTYLES IN HISTORY: 1920 – 1969
  15. ^ 1940s Men’s Hairstyles & Facial Hair